「虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さん」の噂

鈴北るい

噂(全1話)

虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さんの噂を聞いたのは、正確にはいつのことだったか忘れてしまったが、例年にない酷暑と言われていた夏のことであった。


噂を持ち込んだのは我が友、たいら水平すいへいである。この男、大学生にもなって胡乱な話を集めてくるのに余念がなく、遊ぶと呪われるスーパーマリオブラザーズを見つけただの、本当に幽霊がとりついているこたつが見つかっただの言っている変人なのであるが、そこそこの打率で本物を引き当てるというので周囲にはすっかり恐れられていて、誰も話を聞いてくれないものだから、しかたなくそうした話を片っ端から私のもとに持ち込んでくるのである。


とはいえ、今回のそれは随分おかしな名前だった。『虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さん』とは、怪談にしては少々説明的すぎる。昨今では説明的なタイトルが好まれているというから、それが怪談話にも波及したものであろうか。にしても、虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さんがいたところで何も怖くなかろう。


私がそんなことを言うと水平は言う。


じゃあ聞くが、お姉さんと言われるような年頃の女が、いったいなんでだってガキの虫取りを熱心に眺めるのか。


言われてみればそれもそうである。お姉さんと呼ばれるような年頃の娘ならば、したいことは他に山ほどあろう。よほど虫取りするガキのことが好きでなければ虫取りするガキをニコニコしながら眺めなどすまい。カレシとサ店でおしゃべりでもしてれば良いのだ。なるほど、そこには確かに謎がある。


「サ店って今昭和世代の人しか言わなくない?」


「やかましい。続きがあるんだろ。虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さんなんか普通はいないよねって、そんな一発の発想だけでお前が私のところに来るか」


「ピンポーン」と昭和めいたセンスで私の言葉を肯定した水平が言うには、そういう怪人がここ最近、このあたりに出没しているというのである。


虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さんがいる。ワンピースに麦わら帽子で、いかにも夏のお姉さんという出で立ちだ。どこのお姉さんだろう、とガキは思うけど、ガキはガキだし虫取りに夢中だからすぐに忘れてしまう。山の中に分け入って珍しい虫を探して、さて、疲れたから引き返そうか、そう思って振り返ると、お姉さんがいる。少し離れたところでニコニコ笑ってこちらを眺めている。

ついてきたのか? 来るはずない。山の中なんだ。いったいどこのお姉さんが、見ず知らずのガキの虫取りを追いかけて山の中まで入ってくる? ワンピースに麦わら帽子なんて、およそ山にはふさわしくない格好で?

この世のものじゃない、そう気づき、ぞっとしてガキは逃げ出す。お姉さんと反対側にだ。お姉さんは追ってきているので、家から離れた方に逃げることになる。山の中へだ。どんどん山の中に分け入って、ふりかえるとまだついてきている。怖くて怖くてしかたなくて、逃げに逃げ続けて、そうしてそのまま子供は行方不明になってしまう。


「と、こういう話だな。でさ、虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さんが見たいわけよ」


「バカじゃねえの」


「見たいんだよぉ~。助けてくれよぉ~」


「手伝う必要ないだろ。虫取りするガキを眺めながらお姉さんが出現するのを待てよ」


「そんなことしてたら不審すぎる。捕まるじゃないか」


「捕まるだろうな」


「それに最近の子供は虫取りなんかめったにしないだろう? 虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さんを探すために虫取りをするガキを探す必要が出てきてしまう」


「まあ最近のガキはソシャゲかswitchやってるだろうしな。しかしそんなこと、私に言われてもどうにもできないぜ。何を手伝えっていうんだよ」


「俺が虫取りするガキになればいいんだよ」


「は?」


「だからさあ、俺が虫取りするガキになって、夢中で山に分け入っていくんだよ。そうしたら出てくるだろ? 虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さんがさ。そしたらお前はそれを取り押さえてくれよ」


そういうことになった。



* * *



暑い夏だった。例年よりも暑い、記録更新の暑さだ、そうテレビが連呼し続けていた夏だった。炎天下、樹の下にあっても熱波は耐え難く、私はひたすら麦茶を飲み、塩分補給のタブレットを舐め、そしてバカを眺めていた。


バカは……平水平は、滅多矢鱈に虫取り網を振り回して虫取りをするガキになりきっていた。短パンにタンクトップ、ゴム草履に頭は丸刈りという出で立ちで、麦わら帽子を背負い、肩から下げているのは虫かご、身長よりも長い虫取り網を手にする姿はどこか誇らしげだ。


「どっからどう見ても虫取りするガキだ」


出会って早々、挨拶もせず奴はそういった。私はうなずくほかなかった。ああ、お前はどっからどう見ても虫取りするガキだ。たとえお前が22だろうと。その自称ガキは、ガキらしい無限の体力で、かれこれ1時間あまり虫取り網を振り回している。


間違ってもこのバカの同類だと思われたくねえな。


まして山にまでついていくなどというのは論外だ。山に行くまでもなく、平地でさっさと終わりにしたい。


そう思ってあたりを見回すが、虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さんはいない。


デマだったんじゃねえ?


それとも22だからか?


帰ろうかな。もういいだろう。よく考えたら私が取り押さえるべき理由もない。お姉さんが見えたら逃げずに自ら向かって行って取り押さえればいいだろう。あほらしい。


私がどうにか友との約束を有耶無耶にしようと考え始めた、その時だった。


ぱっと水平が、誰もいない木の方を見た。そして喜色満面で山の方へと駆け出した。


私はあっけにとられた。いないぞ? 虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さんなんかいない。暑さで頭がやられたか。いや、まさか、もしかすると……


この手の怪異は余人には見えないということがある。ある条件を満たした人間にだけそれは見え、条件を満たし続けることで次第に異界に引き込まれていく。そうした異界ではえてして理性や常識が用をなさない。はっきりした理由もないのに、体験したことのないような恐ろしさを感じることもある。何かしら対策を練っておかねば術中、まず助からない。


水平はとんでもないバカだが、その手の対策は怠らぬ男だ。対策はなかったのか? いや、知れたことだ。条件を満たせば術中にはまるというなら、条件を満たさない誰かに自分を見張らせればいい。


誰か、つまり私だ。


しまった。


私は水平を追って駆け出した。しかし、自称ガキはガキらしからぬスピードでどんどん山の方に向かっていく。なにせ22だからな。22なら少しは衰えろ。


ついについていけなくなり、私は立ち止まって息を整えた。クソ暑い。足が痛い。吐きそうだ。水平はもう見えない。


もうだめなんじゃないか、という考えが一瞬頭をよぎった。追いかけていくほうが危険なんじゃないか。


いや、あるいは、もしかすると水平は暑さで幻覚でも見たのかもしれない。それで走り出しただけでなんでもないのかもしれない。こんな必死に走らなくてもいいのかもしれない。常識的に考えれば、アホが突然山に向かって駆け出しただけだ。それをこんなに必死になっておいかけなくてもいいのかもしれない。


「くそがっ……」


私は再び走り出した。


常識的に考えれば、私はバカの同類なのだろう。


だが、あいつの打率はそこそこだ。私はそれをよく知っているのだ。



* * *



フライパンの上で焼かれるような夏だった。だというのに、山中はびっくりするほど涼しかった。そして、不気味なくらい静まり返っていた。


走っていった方向からしても、手近な山といえばここしかないことからしても、水平がここにいるのは間違いない。どれくらい時間が残っているかは分からないが、おそらく日没になれば完全にアウトだろう。その前に見つけなければならない。私は山に入っていった。山に来るとわかっていればもう少しまともな格好をしてきたのだが。そう後悔するが、もはやどうすることもできない。


歩きながら電話もかけてみるが、水平は一向に出る気配がない。虫取りをするガキになりきっているせいか、あるいは電波が届いていないのか。焦りながら歩き回るが、あてもない山中の人探しがそう簡単に奏功するものではない。しばらくすると、私はすっかり疲れて座り込んでしまった。


誰か人を呼ぼうか。しかし、なんと言って呼ぼう。22になる大学生が都市伝説の検証のためにガキになりきって虫取りをしていたら、突然ダッシュで山の方に走っていきました。都市伝説の妖怪にとりつかれたかもしれないので助けてください。だめだ。来るわけがない。暑さでおかしくなったやつと思われて終わりだろう。


なにか適当に理由をでっちあげようか。遺書があったとかなんとか。しかし、何もなかった時はえらいことになる。水平の打率はそこそこだが、あくまでそこそこなのだ。警察をいたずらにからかえるようなものではない。とはいえ……


絶望的な気分になっていた、その時である。がさがさ、と草をかき分ける音がした。はっとして音の方を見ると、虫取り網が揺れている。


すわ水平か、と私は立ち上がった。


タンクトップのガキがいた。


いや、水平ではない。正真正銘のガキだ。虫取りをするガキだ。今日日虫取りをしに山に来るガキなんていたのか。こんなに暑いのに。最近のガキは家でswitchでもやってるものかと思っていた。


もしかしたら水平を見ているかもしれない、そう思い、声をかけようとした時、ガキがこちらを振り向いた。好都合だ。私は怯えさせないようつとめて笑顔をつくり、ガキに声をかけようとした。


「ウワーーーーーッ!」


ガキが声を上げた。


「虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さんだーーーーーーっ!!!」


そして転がるように山を駆け下りていく。


私はあっけにとられ、後ろ姿を見送ることしかできなかった。


まあ、たしかに。


その時の私は、ワンピースに麦わら帽子という山登りにはふさわしくない格好で、虫取りをするガキに対してにこやかに笑いかけたお姉さんではあったのだが。



* * *



水平は結局、その後しばらくして山中で倒れているところを見つかった。暑い中で激しい運動をしていたために幻覚でも見て錯乱したのだろう。そういうことになった。


「このたびは大変申し訳なかった」


水平はそう言い、殊勝にも菓子折りなど持ってきたのだが、この男のことだ。3日もしないうちにまたくだらないことを始めることであろう。


一人で食い切れるものでもないからと、ふたりして菓子をぱくつきながら麦茶を飲んでいると、案の定水平はこんなことを言い始めた。


「そういえばあのあと、虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さんについての噂を新たに聞いたんだ」


「どんな噂だ」


「このあたりに住んでいるガキが虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さんに出会ったんだそうだ。ガキは驚いて、『虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さんだ』と叫んで逃げた。気づくとうちの前にいて、助かったというんだな」


「ほぉ」


「虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さんは、名前を呼ぶと逃げ出す。そういうことらしい」


「それをまた試そうっていうのか?」


「いやあ、二度はいい。多分ガセだと思うし、それに……」


「私に迷惑をかけたくないか?」


「いや。お前に迷惑をかけるなら本物で迷惑をかけたい。だからもっとヤバそうな話を仕入れてくるよ」


「死んでしまえ」


万事、暑い、暑い夏の日の話であった。


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「虫取りするガキをニコニコしながら眺めるお姉さん」の噂 鈴北るい @SuzukitaLouis

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