2話・貧乏令嬢、国王陛下に拉致られる

 昼食時間に破れ温室に行く途中で私は国王陛下に捕まり、王宮に連行された。


 出会い頭にバーン!とばかりに契約書を突き付けられ、読もうとしたところで『さあ、行くぞ』と手を引っ張られたのだ。それで内容を元ステファノが諳んじる。自分の目で確認したいと言ったら、『あとにしてくれ。用意をしてあるのだ』と、意味不明なことをご機嫌な調子で返された。

 なんなんだ、いったい。


 昨日から急に彼のことがわからなくなった。それまでは、ちょっと自信過剰ではあるけれど総じて楽しいひとだと思っていたのに。



 ◇◇



「さあ、どうだ!」

 国王が素晴らしい笑顔で示したのは王宮の、多分中心部にある豪華な部屋だった。見るからに高価そうな調度類にあふれ、やや大きめの円卓には隙間がないほど様々な料理が並べられている。


「今からここはアリアの部屋だ。好きに使ってくれ」

 元ステファノは私の手をぐいぐいと引っ張り、中へと進む。

「昼食も用意させた。食べながら契約について話そう」


 誇らしげな顔を私に向ける国王。

 だけど契約が済む前にこんなことをされるのは、あまり納得が行かない。ここに来るまでにたくさんの人とすれ違い、もの問いたげな目で見られた。実際に声をかけてきた人もいるし。

 でも彼に悪気はないのは、わかる。私が契約書を見て、待ったをかける可能性があるとは思っていないのだろう。


「不満ははっきり伝えて構わないですよ」

 背後から聞こえた声に振り返ると、扉側の壁際に顔見知りの侍従がいた。死角になっていて気づかなかった。

「ジャンさん!」

 私が呼びかけると彼は、

「すみません、私も偽名です。本名はステファノ。陛下に名前を取られていたものでね」と答えた。

「そうな――」

「待て、ステファノ! どういうことだ!」と国王が割って入る。

国王あなたが会っている相手がどんな人間なのか、確認するのは当然でしょう?」とジャン――ではなかったステファノさんが澄まし顔で答える。それから私を見て、「騙していてすみませんでした。あの方の従者兼秘書兼護衛です」と言った。「今回はだいぶあなたを振り回しているようで、申し訳ない。良く言えば信念がある、悪く言えば猪突猛進なんです」

「ちょうどそんな気がしていたところで――」


 ぐいっと腕を引かれた。国王だ。不機嫌な顔をしている。

「ステファノ、退出!」と国王。

「誰が給仕をするのですか?」

「……」

 国王が口をへの字に引き結ぶ。

 ちょっとマイナス意見を言われたくらいで退出させるなんて。暴君じゃない。そんな人だとは思わなかったな……。

 悲しくなりながら、

「では、私がやります」と申し出る。

 と、彼は

「そうじゃない」と拒んだ。


「昼食はアリアさん用です。あなたが給仕をしたら、意味がない」と本物のステファノがそばに来て言う。「陛下なりに、好待遇をアピールしているんですよ。なお、あなたの迎えは私がすると言ったのですが、約束したのは自分だからと譲ってくれませんでね」


 にこり、と本物のステファノ。

「育ちのせいか自分本位が鼻につくのですが、悪い方ではありません」


 さっきからだいぶ国王をけなしているけれど、大丈夫なのかな。処分がくだったりはしないのか。

 心配になって国王を見ると、不満げな表情をしているだけだった。どうやら問題はないらしい。


「アリア、食事にするぞ」

 と国王が言うと、ステファノがさっとテーブルに近寄り椅子を引き、

「アリアさん、どうぞ」と言う。

 国王が私の手を持ち替え、椅子まで恭しくエスコート。人生初のエスコートが国王陛下。きっと素晴らしく光栄なことなのだろう……。



 ◇◇



 契約書を読み終えると、向かいに座る国王陛下を見た。食事より先に目を通したいと頼んだら陛下は了承し、なぜか自分も食事に手をつけず、私を待っていた。


「問題はないだろう? さっき俺が口頭で伝えたのと寸分違わないはず」と陛下。

「はい。――契約に関しては」

 陛下の眉がぎゅん!と跳ね上がった。気分を害したらしい。けれど引き下がってはならない。


「陛下が――」

「フィネル」

 すぐさま訂正された。

「アリア様」とテーブルの傍らに立つステファノ。「不敬にはあたりませんから、お名前でお呼びください」

「……フィネル様が」と仕方なく言い直す。「結婚が必要な理由は分かりました。私の安全を保証するとのお言葉も信じましょう」


 フィネル陛下は元々隣国ラリベルテの姫君と婚約していた。

 彼は私には二十五歳と言ったけど、実際はまだ二十歳。一年前に先代国王の急死により急遽即位したときは十九歳で、挙式の予定も立っていなかった。そのため即位一周年に合わせて結婚と決めたそうなのだけど、数ヶ月前に婚約は白紙となった。

 メイドたちの噂によると、姫君が重篤な病にかかり王妃の責務を担えないから、という理由であちら側から断られたとか。私には真偽の程はわからない。


 婚約者がいなくなったのだから、多くの人が王妃の座を狙う。メイドたちの間でも、誰が選ばれるかは人気の話題だ。


 そしてこの契約書に付随した資料によると、王妃候補を強力に主張しているのが二組いる。一組目がフィネル陛下の実母、皇后陛下派。彼女は隣国カルターレガンの元王女で、姪である現王女を妃に推している。けれどカルターレガンと政治上の問題を抱えているため陛下は、それは絶対に回避したいらしい。


 もう一組は宰相を務めているアショフ公爵一派。娘を妃にしようとあの手この手で迫ってくるらしい。が、この公爵。先代陛下が亡くなったとき、フィネルはまだ若すぎるから自分が暫定の王になると主張したそうで、娘を通じて実権を握ろうと考えているのが明らかだとか。


 フィネル陛下はどちらとも結婚したくない。そして両派をあしらう時間がもったいない。ということで私の出番になったらしい。


「まずこの契約書には期間が一年である理由が書いていません」

 私がそう言うと、なぜか陛下は目が泳いだ。

「陛下が元々結婚する予定だった姫君の妹君が、結婚可能年齢になるのが一年後なのです」

 そう答えてくれたのは、ステファノだった。

「なるほど」

「婚約しないのは、元婚約者の状況によっては彼女を妃に迎えたいからです」

「よくわかりました」

「恋愛感情ではありませんよ」とステファノ。「姉姫は我が国の王妃になるための教育を十年以上、受けているからです」

「そのような方こそ王妃にふさわしいですね」

「会ったことがないから、実際がどうかは分からないがな」と陛下。

「私よりは比べものにならないほど、良いでしょう。でもそうなると、ますますこの――」


 書類に目を落とす。一番上にあるのは、私に演じてほしい王妃像。


「陛下と私は恋に落ちて、深く愛し合っている設定というのは、よろしくないのではないでしょうか」

「目の前の問題のためには必要なんだ」

「でも――」


 突然、大きな音を立てて扉が開いた。とっさに体が動き、書類をテーブルの下に隠した。険しい表情をした中年の女性と男性が部屋にツカツカと入って来る。見るからに高貴な身分だ。これはきっと――。


 多分ステファノが盾になって書類は見られていない。ちょっとの間悩んで床に落とし、その上に立った。お仕着せの丈は床すれすれ。隠せるはず。

 二人に向かって膝を曲げ、頭を軽く下げる。


「母上、アショフ公爵。失礼ではないですか」と国王が不機嫌さを隠そうともせずに言った。

 やっぱりふたりは、皇后陛下と宰相閣下だった。


「あなたがみすぼらしいメイドの手を引き、城内を闊歩していたと聞きましたの」と皇后陛下。

「国王なのですから軽率な行動を取ってはなりません」こちらは宰相閣下。

 ふたりは争っていたはずなのに、休戦したらしい。

 と、フィネル陛下が立ち上がる気配がした。

 かと思ったらとなりに来て、私の腰を抱いた。


「紹介します。ローリエ伯爵家の長女、アリアです。来月の即位一周年記念式典に合わせて、彼女と結婚します」

 いや待って。私、まだ契約書にサインしてない! 口頭では了承すると言ったけど。


 顔をあげると皇后陛下も宰相閣下も憤怒の表情で震えていた。


「こんなどこの馬の骨ともわからない娘!」と皇后陛下に睨まれる。

「彼女への侮辱は私への侮辱と取ります」と陛下。「何度断ってもしつこく婚姻を勧めてくるあなた方に辟易しているときに、彼女に出会い救われたのです。アリアの身にもしものことがあれば、ためらわず報復します。そのおつもりで」


 ちょっと! 私の身の安全対策ってそれなの? 全然安心できないんですけど!


 陛下が私を見てにっこりする。

「外野は気にするな。私の妃はアリア以外に考えられない」

 頭の中に、先ほど読んだばかりの相思相愛設定が蘇る。できれば変更してもらいたかったのだけど――。


 陛下をフットマンのステファノだと思っていたころ、彼に会うことが唯一の楽しみだった。快活でよく笑い、私の故郷の話やつまらない失敗の話を飽きずに聞いてくれた。


 彼の正体と計画を知った今は、あれこれ思うところはある。けれど私にとって大切な友人だった事実は変わらない。腹をくくるべきときなのだ。莫大な契約料ももらえるし。


 陛下に向けて、できる限りの極上の微笑みを浮かべる。

「ええ、フィネル様。私はフィネル様を信じておりますもの」

 私の演技に、陛下は満足そうな顔をした。



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