第4話 約束の場所へ(前編)~願いを鐘の音に乗せて~

 八月十六日。

 金子の家では、辺りがまだ闇に包まれた朝早い時間から一階と二階を頻繁に行き来する物音が響いていた。金子は物音のせいで十分に眠れず、何事かと思って寝巻のまま階段の辺りを見回した。しかし、人影は見つからず、物音だけがひっきりなしに響いていた。


「誰だ、こんな朝っぱらから」


 住居の部分には不審な人物は見つからず、一体どこにいるのかと金子が店舗の部分に足を踏み入れると、伝票や金庫などが置いてある控室で、床にしゃがみ込みながら物音を立てている不審な人影を見つけた。ひょっとしたら物盗りかもしれないと思った金子は、恐る恐る横からそっと覗き込むと、そこには汗を拭いながら必死に荷物をまとめている明日夏の姿があった。


「……何やってるんだ、こんな時間に」

「あ、店長。おはようございます。昨日話した通り、急いでここから出発しなくちゃいけなくって。お祭りから帰ってから、ほとんど寝ずに出発の準備をしてたんです」


 明日夏はLINEでメッセージのやり取りをしている「マツオカ」という人物に会いにいく約束をしていた。マツオカの都合上、会えるのは今日だけということで、焦りから必死に準備を進めていたのだろう。


「ああ、話は分かってるよ。ところでさ、君はこれからヒッチハイクでマツオカさんに会いに行くつもりなんだろ?」

「ま、まあ。そうですけど……」

「あてはあるのか? ヒッチハイクなんて、そんな簡単に車がつかまるわけないだろ」

「でも……ここまでヒッチハイクで何とかやってこれたし、今日も何とかなるかなって」

「ヒッチハイクで捕まえた車が目的地まで行ってくれるのか? 必ずしもそうじゃないだろう? 目的地まで中途半端な所でに降ろされる可能性もあるんだぞ」

「でも、目的地はもうこの近くなんですよ。美根浜みねはまって所」

「……!」


 美根浜は中川町から一番近い海水浴場だ。奈緒が金子の所に居候していた時、何度か遊びに連れて行った記憶があった。受験勉強にどっぷり浸かり、やつれきっていた奈緒の心を少しでも解放できるようにと、店が暇な時には車を走らせて二人で海水浴に行った。


「だったら僕が連れて行くよ」

「て、店長が? 店長はお店の仕事が忙しいじゃないですか。今はお盆で書き入れ時でしょ? 奥さんだけにやらせていていいんですか?」

「君のことは、店のことよりももっと大事だから」

「何言ってるんですか? こんな私のために、本気でそんなことを……」

「本気だよ。僕は君の力になりたいんだ」


 金子は明日夏の肩を両手で掴むと、まだ起きたばかりにも関わらず目を大きく見開いて明日夏の顔をまっすぐ見据えた。明日夏は息を飲みながら、きょとんとした顔で金子を見つめていた。


「僕は君を危険な目に合わせたくない。美根浜には、今日中に必ず連れて行く。そして、またここに連れて帰る」

「どうして? どうしてそこまで私のことを守ろうとするの?」

「だって……君を見てると、どうしても奈緒のことを思い出してしまうから」


 金子は唾を飛ばしながら、声を振り絞って自分の胸の内を晒した。


「奈緒さんって、以前ここに居たことのある人のこと?」

「そうだ。あの時僕は奈緒を守ってやれなかった。今もそのことがすごく悔しくて、悲しくて……」


 そう言うと金子は壁に寄りかかり、顔に手を当てながら嗚咽し始めた。自分の思いを明日夏に伝えたことで、今までずっと胸の奥に抑えつけていた感情が一気に湧き出してしまった。


「わかりました。じゃあ、お願いしますね」


 明日夏は髪を掻き分けると、口元を緩め、目を細めながら壁に寄りかかる金子の背中にそっと寄り添った。金子の背中に、明日夏の身体のふくらみと温もりが伝わってきた。


 朝陽が山々の間から顔を出したのと同時に、金子はワゴン車のエンジンをかけた。明日夏は軽く頭を下げると、運転席に座る金子に手を引かれながら助手席に乗り込んだ。


「いつもは弁当の配達用に使ってる車なんだ。カッコいい車を期待していたならばごめんよ」

「別にいいですよ。私、ここに来るまでトラックだけじゃなく、農家のおじさんの軽トラとか、二人乗れば十分な位狭い軽自動車に載せられてきたから。ぜんぜんまともじゃないですか」

「そう言ってくれるなら、嬉しいな」


 明日夏は初めて金子の店に姿を見せた時と同様に、アロハシャツを前で結んでお腹や臍を見せ、太ももが丸々露出するほどの短いショートパンツを着込んでいた。運転する金子のすぐ隣に明日夏の太ももが付着すると、金子はつい赤面してしまった。


「おい、触れてるよ、脚が……」

「あ、ヤダ。ごめんなさい。すごくにやけてますよ、お顔が」

「ば、バカ言うなよっ」


 やがて二人の前方に、海原が広がり始めた。砂浜では直射日光を避けるために立てられたテントが林立し、海水浴に来ている家族連れやカップル達が楽しそうに戯れていた。


「ここが美根浜だぞ」

「ここ、ですか……」

「この時期は海水浴客で混み合ってるな。それに、ここには『永遠の鐘』って言う観光名所があって、カップルがここで永遠の愛を誓い合いながら鐘を鳴らすと、その愛が成就することで有名なんだ」

「ええ? そんな場所に私を……」


 明日夏は素っ頓狂な声を上げて驚いていたが、金子の車は既に美根浜の駐車場の中に入っていた。金子は防波堤のはるか向こうに見える二つの金色の鐘を指さした。


「あそこが『永遠の鐘』だよ。ああ、今日もカップルがいっぱい来てるなあ」

「わあ……どうしよう。カップルばっかりで、私、肩身が狭いかも」

「気にすんなよ、ずっと想いを寄せていた人に会うためにはるばるここまでやってきたんだろ? 僕はここから見守ってる。何かあればすぐ駆けつけるから、安心して行って来いよ」


 金子は親指を立てて明日夏に微笑んだ。明日夏はいつものような威勢の良さはなく、顔も引きつっていたが、親指を立てると、車のドアを閉めて「永遠の鐘」に向かって歩きだした。


 ☆☆☆☆


 白い砂浜に時折足を取られそうになりながらも、明日夏は昨日マツオカからスマートフォンに送られてきた本人の写真をつてに右往左往していた。しかし、周りにはカップルしかおらず、独りぼっちの明日夏は居心地の悪さを感じていた。その時、目の前からサングラスをかけた白シャツ姿の男性が。徐々に明日夏のいる方へと歩み寄ってきた。


「岸野明日夏さん……ですか?」

「そうですけど……」

「俺、マツオカハルキです」


 そう言うと、男性はサングラスを外して微笑んだ。

 明日夏はスマートフォンに収めていたマツオカの写真と、目の前に立つ男性の姿を見比べたが、どこにも違いが見当たらず、ようやく確信を持てた。ついにマツオカが明日夏の前にその姿を見せたのだ。マツオカは髪が短く、日焼けした精悍なスポーツマン風の顔立ちだが、目が切れ長で細く、さわやかな好青年という感じが伝わってきた。


「ここまでヒッチハイクで来たんでしょ? 距離もあるし大変だったんじゃないかな」

「そうですね……すっごく遠かった」

「良く来れたね。会えて嬉しいよ」

「私も、すごく嬉しい」

「さ、行こうか。色々話したいことがあるからさ」

「うん」


 マツオカは片手を明日夏に差し出した。明日夏はためらうことなく、その手をそっと握りしめた。日焼けした手にもかかわらず、その感触は不思議と冷たかった。しかしマツオカの笑顔も優しい口調も、まるで明日夏を包み込むように温かく、明日夏は安心してマツオカのすぐ隣に寄り添っていた。

 海水浴客でごったがえす美根浜を、二人は談笑しながら歩き続けた。LINEでの会話のこと、お互いに住む町のこと、ヒッチハイク中での出来事など、話はいつまでも尽きることがなかった。

 やがて二人は、多くのカップルがひしめく「永遠の鐘」へと続く列にたどり着いた。


「ここで想いを寄せる人と一緒に鐘を鳴らすと、二人の恋が成就するという言い伝えがあってね、この町だけじゃなく、隣の県からもカップルがたくさん来るんだよね」


 マツオカからの説明を聞き、明日夏は急に全身が硬直した。ずっとメッセージをやりとりしていたといえ、愛を誓い合うこの場所に会ったばかりの二人が来て良いのだろうかと。


「ねえ、どうして私をここに?」


 マツオカは明日夏の問いかけに対し、何も答えることなく鐘へと続く列の最後尾に並んだ。


「たどり着いたぞ、これが『永遠の鐘』だ」


 マツオカは鐘に繋がる紐の一本を明日夏に手渡し、もう一本を自分でしっかりと握りしめた。


「さあ、一緒に紐を動かそうか」


 すると、鐘はカラン、コロンと甲高い音を真っ青な夏空へと放った。マツオカは聞き取れないほどの小さな声で、願い事をひたすら言い続けていた。一方の明日夏は、マツオカの姿と鐘の音色に意識が行ってしまい、肝心の願い事をできないまま鐘を鳴らし続けていた。


「綺麗な音ね。この音色が私たちの願いを載せて、空の向こうにいる神様にまで届くのかな」

「そうだよ。だからこそ俺たちは、心から叶えたいことを祈らなくちゃね」


 その言葉を聞いた時、明日夏はようやく正気に戻った。心から叶えたい事……色々と思いを巡らせたが、やがて明日夏は大きく頷き、マツオカ同様に小さな声で空に向かって願いを伝えた。


「私、マツオカさんと、こうしてずっと一緒にいたい。帰りたくない」


 明日夏が鐘を鳴らしながら願い事を口にすると、マツオカは驚いた様子で明日夏の方を振り向いた。


「マツオカさんからのメッセージ、いつも嬉しかった。でもそれは、スマートフォンを通してだから、どこか確信が持てなかった。でも今日こうしてマツオカさんと出会って、話をして、やっと確信したの。やっぱりこの人が好きだって。ずっとそばに居たいって」


 するとマツオカは目を細めて頷きながらも、明日夏から目を逸らし、鐘に繋がる紐から手を離した。


「ありがとう、明日夏さん。でも俺……」


 マツオカはズボンのポケットに手を入れながら、明日夏に背を向けて歩きだした。


「どうしたの? 私、何か気に障ることを言った?」

「……残念だけど、今の俺は明日夏さんの願いをかなえることができないからさ」

「え? ど、どういう……ことなの?」

「なぜなら、この俺はもう死んだことになってるから」


 マツオカはそう言うと、「ごめんな」と言って深々と頭を下げた。


「し、死んだって……本当に?」


 頭を下げるマツオカを目の前にして、明日夏は全身を震わせながら呆然と立ち尽くしていた。

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