第3話 浴衣に秘められた過去

 八月十五日。

 開店の時間を迎え、金子はあくびをしながら店内に入ろうとしたが、既に店内の電気は点灯し、BGMも流れ、店内のパンや惣菜も綺麗に陳列されていた。


「おはようございます、店長」

「明日夏さん……もう起きてたのか」

「どうしたんですか? 早く開店の準備しないと。もう店の外には何人か並んでますよ」

「本当か? こんな早い時間から?」


 金子はブラインドをそっと開けると、すでに何人かの客がスマートフォンをいじりながら列をなしていた。おそらく明日夏目当てなのだろうが、こんな早く来なくても……と、金子は呆れかえっていた。

 朝から強烈な太陽が照り付ける中、金子は休む間もなく倉庫と店内を何度も往来しながら次々と空になっていく棚に商品を陳列していた。レジを担当している明日夏の応対の上手さが口コミであっという間に町内に広まったようで、猛暑にも関わらず多くの客が店に押し寄せていた。

 今夜は町の夏最大の行事である盆踊り大会が行われる。そのせいか、浴衣や甚平を着込み、下駄の音を鳴らしながら店内を歩く客の姿が多く目に付いた。

 その時、客達を両手でかき分けながら、頭にタオルを巻き、耳にイヤリングを付けた不良っぽい出で立ちの男がレジに近づいてきた。


「なあ、あんたがこの店の新しいバイトさん?」

「は、はい」

「なかなか美人じゃん。しかもグラマーな体で、男受けもよさそうだな」


 男はそう言うとケラケラと声を上げて笑っていたが、タオルの奥から注がれる鋭い視線に、さすがの明日夏もちょっと戸惑っていたようだ。


「何だ、幸次郎か。そんな恰好して、今日は祭りの準備か?」


 陳列の作業を止めて、金子がレジに近づいてきた。頭にタオルを巻いたぶっきらぼうな口調の男は、健太郎の弟、幸次郎だった。


「あ、店長。そうなんスよ、若い奴は手伝ってくれないし、兄貴は子どもの世話で手が離せないし、俺がやるしかなくてね。ところでさ、お姉さん。今夜は町の盆踊り大会なんだけど、ちょっくら見に来ないか? きっとあんたが来たら盛り上がること間違いないぞ」

「で、でも、私……お金を稼いだらすぐこの町を出て行っちゃうし」

「ああ、知ってるよ。でもさ、折角この町に来たのに何も思い出作らず帰るのは勿体ないと思うけどね」


 幸次郎は親し気に盆踊りに誘っていたが、明日夏はいまいち乗り気ではなかった。


「じゃあ、僕と一緒に行こうか」

「え? 店長?」


 金子は笑いながら、自分の方を指さしていた。


「今年はコロナ明けで久し振りの盆踊り大会だから、参加したいと思ってね。いいだろ? 明日夏さん。急いでお金が必要なんだろうけど、ちょっと息抜きも必要だと思うぞ」


 金子は明日夏に目配せしながらそう言うと、明日夏はしばらく無言のまま目を閉じていたが、「じゃあ、行ってみようかな。店長が一緒なら」と言い、ようやく誘いに乗ってくれた。

 幸次郎は自分の誘いには乗らなかったことにやや不満そうだったが、気を取り直して「待ってるよ。美味しい焼き鳥にビールを用意してるからさ」と言うと、そそくさと店を後にした。


「そうだ明日夏さん、ちょっと待っててくれるか?」


 金子はそう言うと、奥の部屋で伝票を作成していた亮子を手招きし、耳元に手を当てながら何かを伝えていた。亮子は「多分あると思うけど」と言い、二階へと上がっていった。

 二人をよそに、明日夏はポケットからスマートフォンを取り出し、一心不乱にメッセージをうち始めた。今日の明日夏は、以前にも増してスマートフォンを確認していた。おそらくこれから会う相手とやりとりをしているのだろう。


「明日夏さん、ちょっといい?」


 亮子は明日夏を手招きした。明日夏はスマートフォンを慌ててポケットに仕舞い込むと、亮子の元へと駆け寄った。


「これ、どうかしら」


 亮子は薄い紺地に赤やオレンジの花があしらわれた浴衣を明日夏に手渡した。


「わあ、すごくかわいいですね。いいんですか、私なんかが着ても」

「大丈夫だよ。昔ここに住んでいた子に買ってあげた浴衣なんだけど、もうその子はこの世にいないから。なかなか捨てられずに、ずっと大事に仕舞っていたのよ」

「……それって、店長のお子さん?」

「ううん。私たちに子どもはいないのよ。知り合いの子なんだけど、東京から家出してきて、しばらくここで居候していたんだ。あの時、あの子は明日夏さんと同じ位の歳だったわね」

「そうですか……でもその人、もうこの世には居ないんですよね」

「そうね。自殺しちゃったのよ。志望してた大学に受からなくてね……お母さんが厳しい人で、受験勉強以外のことは何もさせてもらえず、思い悩んだ挙句にね」

「……」


 明日夏は浴衣を手にしたまま、それ以上何も言わず二階の部屋へと向かった。


「どうしたの? 明日夏さん、ちょっと元気なかったけど」

「さあ……私、何か傷つけるようなこと言ったのかしら」


 どれくらい経っただろうか、誰かがゆっくりと階段を下ってくる音がレジにいる金子の耳に入ってきた。やがて、髪の毛を後ろできれいにまとめ、紺地の浴衣を羽織った明日夏が姿を見せた。


「どうですか? 私にはちょっとウエストが細かったかな? 丈はちょうどいいんですけどね」

「そうかな? とても似合ってるよ、明日夏さん」


 金子に褒められた明日夏は、日焼けした顔をくしゃくしゃにしながら照れ笑いを見せた。奈緒は華奢な体型なので、がっしりとした体型の明日夏には少しきつかったかもしれない。それでも見ていて苦しそうな感じは無く、明日夏も柄を気に入ったようで、時折生地をつまんでは金子の目の前で自慢げに見せてくれた。


「そろそろ始まるんじゃない? 笛と太鼓の音が聞こえて来たわよ」


 亮子は後ろから声をかけると、金子に濃紺の甚平の上下を手渡した。


「明日夏さんが浴衣着てるのに、あなたがお店の制服じゃ味気ないでしょ」

「……大分色あせてるな、これ」

「だってあなたが盆踊りに行くのって、奈緒ちゃんが来た時以来でしょ? あの時も奈緒ちゃん一人だけでは行かせられないとか言って、慌ててこの甚平を買ったじゃないの?」

「そ、そうだったな、ハハハ」


 金子は甚平に着替えると、明日夏と二人並んで店の外に出た。むせかえるような蒸し暑い空気が残っている中、二人は集落へと続く農道をゆっくりと歩きだした。


「ねえ、夕焼けがすごく綺麗。私、初めて見るかも」

「そうか? 僕はこれをずっと見て育ってきたから、何の違和感もないけど」

「いいなあ。私、建物と建物の間を行ったり来たりの人生だったからなあ。この旅を通して、私の知らない世界がこんなにあったんだって思い知らされたかも」


 やがて、無数の提灯に囲まれた祭りの会場が二人の視界に入ってきた。櫓の上で明るくリズムを刻む太鼓や笛の音色、櫓の周りを何重にも囲む踊りの輪……その場にいるだけで、不思議と心が開かれていくような気がした。


「いらっしゃい! 店長さん、そして美人バイトさん」


 後ろから突然誰かが声をかけ、二人の肩を引っ張るかのように掴んだ。そこには、黒く焼けた素肌の上に法被を羽織り、白い歯を見せて笑う幸次郎の姿があった。


「何だよ、二人ともしんみりした顔をして。ほら、今年はどこでも気軽にビールが飲めるようにビールサーバーを用意したんだ。お二人さんにも注いでやるから、飲めよ。あ、ビール代は特別にタダにしてやるからな」


 幸次郎は白い歯を見せながら背中のビールサーバーを自慢げに見せつけると、二人分のコップの中へと勢いよく注ぎだした。しかしコップに注がれているのは泡ばかりで、サーバーを止めるタイミングを誤ったせいか、ビールがコップからあふれ出してしまい、液体はコップの半分程度しか残らなかった。幸次郎は頭を掻いてへらへらと笑いながら、中途半端にビールが注ぎ込まれたコップを手渡した。明日夏は呆れた表情で幸次郎の背負うビールサーバーを指さした。


「あのー、私にビールサーバーを貸してもらえます? 自分でやりますから」

「え? お姉さんが?」

「こう見えて、ビールの売り子をしてたんで」


 明日夏は幸次郎からビールサーバーを借りると、手際よく背中にしょい込み、コップにゆっくりとビールを注ぎ込んだ。注ぎ込まれたビールは十分すぎる量があり、泡も溢れることなくコップの中に収まっていた。


「はい、一丁あがりっと」

「す、すげえ……」


 その様子を見ていた客が明日夏の姿に気づいたようで、三人の周りはにわかにざわめき始めた。


「あの人って確か、コンビニのお姉さんだよな? 今度はビールの売り子をしてるぞ」

「すごく綺麗に注いでるよ。まるで芸術品みたいだ」

「俺も飲んでみたいかも、注文しちゃおうかな」


 明日夏の周りには、いつの間にかコップを手にした人達の列が出来ていた。


「わ、私は自分で自分の分のビールを注いだだけですから」


 明日夏は慌てふためきながら辺りを見回して弁明していたが、「私も飲みたい」「もったいぶらないでよ」と次々と怒号が飛び交い始めた。明日夏は苦笑いしながら「しょうがないな。じゃあ、久々にやってみるかな」と言うと、浴衣の袖をまくり、目の前に並ぶ人達のコップに片っ端からビールを注ぎ込み始めた。

 幸次郎から引き継いだばかりのビールサーバーは肩にずっしりくるほど重かったのに、気が付くとあっという間に空になっていた。


「はい、お陰様で完売しましたよ。これ、ビールの売り上げです。大事にとっておいてくださいね」


 明日夏は笑顔で幸次郎の手に大量の千円札と百円玉の入った袋を渡した。幸次郎はあっけにとられた様子で袋を受け取ると「俺、夢でも見てるんかな」とつぶやきながら、頭を掻いて人波の中へ消えていった。

 祭りばやしが響く中、提灯に灯されながら明日夏と金子は会場の中をゆっくりと散策した。提灯の灯りに映る明日夏の横顔は、どこか元気が無さそうだった。明日夏はコップに入ったビールを一気に飲み干すと、金子の顔を見つめながら口を開いた。


「店長さん、見ず知らずの私を盆踊りに連れてきてくれて、そしてこんなに可愛い浴衣まで用意してくれて、ありがとうございます」

「な、何だよ。そんなかしこまらなくても。これも何かの縁だからさ」

「奥さんから聞いたんですけど、この浴衣を着ていた子、受験に悩んで自殺しちゃったんですよね」

「……ん? 亮子、そんな話をしたのか?」

「はい。でもお話を聴くうちに、変な話ですけどすごく不思議な縁を感じてしまって。実は、私も受験に失敗して自殺しようとしたんです」

「何だって?」

「あの時の私は絶望で生きる気力を完全に失ってました。きっとその人もそうだったはず。なのに、その人は亡くなって私がのうのうと生き残ってるのは、何だか申し訳ないですよね」


 そう言うと、明日夏は下駄の音を鳴らしながら、金子の目の前に立ち、深々と頭を下げた。


「店長。私、明日朝にはこの町を出ようと思います。マツオカさん、明日しか会うことがないんですって。短い間だったけど、本当にありがとうございました」


 明日夏は片手を振って、足早に金子の傍から離れて行った。

 賑やかな祭り囃子が響き渡る中、一人取り残された金子は、どんどん遠ざかる明日夏の背中をじっと追い続けていた。明日夏の後ろ姿を見届けるうちに、金子は十数年前に家出してきた奈緒が自宅に連れ戻され、そのまま帰らぬ人となった時のことを思い出した。もうあんな悲劇は起こしたくない、何としても明日夏を守りたい……祭りへ向かう人達とすれ違いながら、金子は明日夏のために何か出来ることはないのか、一人で必死に考えを巡らせていた。

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