後悔

 夢を見た。夢と呼ぶにはそれは余りに断片的で、粘っこく、何より怖かった。目が覚めるような生々しい赤が垂れ落ちる。真島がおれを覗いている。ベッドを貫通して覗いている。

 おまえも殺人者なのだと、声なき声で喚き散らす。おれは耐えられなくて、地団駄を踏み、耳を塞ぐ。それだけでは耐えられず、鼻穴、毛穴、穴という穴を全て塞ごうともがく。そこで目が覚める。

 朝から気分が悪かった。次の日になろうが粘ついた感情は消えそうもなかった。気味の悪い夢が続いているかのようだった。

 それでもおれはご飯を食べることが出来た――家族にばれないように、苦痛を押し殺し日常に溶け込むことが出来た。

 朝の情報番組を尻目に、おれはスマートフォンの画面で真島容疑者のニュースを探した。どのニュースでもおれのことは報道されていなかった。昨日は既に日が殆ど暮れていた。だから見つからなかったのかも知れない。そもそも、真島がおれのことを口にしなければ警察はおれのことを知り得ない。

 警察についてはどうでもよかった――ばれたところで、別におれが捕まるわけじゃない。警察が来たところで、おれの進路に影響が出るようなことはまずない。

 心がざわめき出す。三人殺した真島。三人を殺させたおれ。仕方なかった、目の前で自殺されても迷惑だった、だから仕方なかった――ざわめく心を静まらせるための、無意味な思考の羅列。そんな言葉には何の力もない。おれ自身が浮かぶ言葉を信じられない。

 これから毎日、一分一秒とおれは真島のことを忘れられず煩悶しながら生きていくのか?ただでさえ何もなかった毎日なのに、苦痛だけが付け足される。

「無理だ」

 食べかけの食パンを皿に落とした。フォークが僅かに跳ね上がり金属音を立てた。

「絶対に無理」

 自分の声――本当に小声なのに、頭の中で反響し続ける。神経が尖っていく。

「どうしたの?」

 おれは立ち上がり、母の方を向かずそのまま玄関に行く。

「学校間に合わないから、もう行くね」

 母のいつも通りの声色に、おれもいつも通りの声色で返す。玄関前で背負ったリュック――いつもより重かった。


 授業を受けていても、ニュース――真島のことがふとしたときに浮かんでしまう。三人が死んだのはおれのせいか。それとも全ては仕方ないことだったのか。おれが止めなければ。

 あの時、下にいる人に迷惑がかかるとおれは説得した。が、そもそも下にいる人に迷惑がかかる、とは? 死にたいほど切迫した何かを抱えた人に対しておれは、他人のことを考えろと説き伏せた。追い詰めた。

「高羽! 全然ノートとれてないやんか」

 大声におれは驚き、肩をふるわせた。後ろに古川先生が立っていた。はっとして前を見る。黒板消し。先生が板書をやめて教室を歩きながら周回していることに気づかないほどに、おれは自分の考えに没頭していた。

「ちゃんと授業受けなさい。他事考えてたんやろ」

「すみません」

 きつい口調は必要以上におれに突き刺さる。一瞬口答えをしようとする、反抗的な感情が膨れ上がったが、すぐに消えた。言いたいことすら言えないおれ――それ自体はいつものことだった。でも、今日は理由が違った。いつも――そんな度胸はないから、飲み下す。些細な注意に対して、落ち込んでも、本当は自分が悪いと分かっているから、すぐに忘れられる。

 今日――言い訳を探すことで、嫌でも思考が真島にフォーカスしてしまう。今ほんの僅か、真島のことを忘れられていたのに。怒りにすらならない乱雑な感情が沸き起こったが、それを何処にもぶつけられない。全てはおれの中で完結しているのだ。気分がますます下降していく。

 おれと別れた後真島が死んでくれていれば――

 悍ましい考えが一瞬、横切った。身震いがした。全身が底冷えしていくような感覚が確かにあった。なんてことを考えるんだ――おれは掌に強く力を込めて髪の毛を掻き毟った。

 悪意、後ろめたさ、恐怖――様々な感情が飛び交う中で、奥底で静かに浮かび上がる戸惑い。

 自分が何処へ行こうとしているのか、何故戸惑うのかが分からない。全ての感情が自分自身に対する苛立ちに飲み込まれる。

 先生の後ろ姿が遠ざかる。再び板書が始まる。おれにはあとでノートを見せてくれるよう頼める人はいない。

 その程度の人間関係すら教室で作れなかった。誰とも関われなくて、普通を知らないので、現状が辛いのかどうかも分からない。ただ、毎日に流されているだけ。それでも、ふとしたときに、じわじわと心の中で虚しさが広がっていく。一人でそれに耐える。真島も、似たような思いを浮かべていたのだろうか。些細なひとりぼっちがいつしか永遠となり、どうしようもなくなって死のうとしたのか。

 僅かに感じた戸惑いは再び、いつもの重たい後ろめたさに塗りつぶされた。授業の終わりを知らせるチャイムが今日はやけにぼやけて聞こえた。


 

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