第20話.それぞれの通過儀礼



 グリス王子への報告が終わり、ギュレン・アルガドからの解放、ハレの地への探索と続いた一連の流れがようやく一段落つこうとしていた。


 が、俺がグリス王子に向かってずけずけと鑑定官アプレイザーの不備の可能性に言及したことについて、イェヌとリーは予想以上に立腹しており、「今後、癒術士ヒーラーたちの中で禁術を施した犯人探しをするのなら」と、俺に"特別訓練"を行うことをジル王女に提案してきたのだ。

 ジル王女はグリス王子への不敬については「兄上は本当に気にはしていないのだが」と言っていたものの、"特別訓練"については必要ありと判断したようだ。



 結局、俺は2週間ほど、ジル王女が所有する別邸に連れて行かれ、体術をイェヌに、剣術をフォルテに、簡単な魔工機器マジーネ制作をリーに順番にみっちり仕込まれた。

 今まで癒術士ヒーラーのことだけをやっていればよかった俺は、朝から晩まで彼らによるスパルタ指導を受けることで、彼らが持っている技術、視座、哲学に否応なしに向き合うこととなった。




 イェヌは「ろくに体術を心得ずに回復魔法だけやっていればいいという怠慢人間は芥と同義」という考えだった。彼女のトレーニングは別邸にある広々とした庭で行われた。彼女の体は柔軟性に富み、色んな姿勢から俺を捕らえて、近くの池にふっ飛ばした。よもや回復魔法以外の魔法を教えてくれるのでは、と特別訓練のはじめは思っていたが、大きな間違いだった。彼女はこと魔力に対する哲学をかなり深めており、「心身を鍛えることこそが良く魔力を使いこなせる」という考えの持ち主だった。



「地に足をつけ、足の付け根の内側を締め、魔力にふっ飛ばされないくらい強い土台を作ってください」

 彼女はそう言って、姿勢に気を取られている俺にタックルをかました。

 俺は数m吹っ飛ばされた。


「ただ魔力が使えるだけでジル様に従うことなど出来ませんよ!体に備わる魔力の流れを知り、複雑な術式を扱える体幹を作りなさい!!」



 俺は何度か、イェヌの攻撃で記憶を飛ばす羽目になった。



 次のフォルテは黙するばかりで一体何の訓練を担うのかと思っていたが、彼の得意分野、剣術の指南をしてくれることになった。

 彼の扱う剣は日本刀のようにしなやかで細身だ。俺が持たされたのは兵士がよく扱うような剣で、フォルテの剣の幅より3倍はあった。ただ剣を持ち続けるにはかなりの重さだった。

 俺はイェヌに叩き込まれた体幹と、持ち前の骨格、筋肉の知識でなるべく剣を腕ばかりで支えることがないように、姿勢を工夫した。フォルテはまずその構えについて指導を施し、そして『1日1000回素振りするように』言いつけてきた。

 日頃ふんどし姿を見せてばかりいる男は、イェヌ以上にスパルタだった。

 ただ、スパルタというつもりも、先だってのグリス王子に対しての振る舞いを咎める気持ちも、フォルテには一切なく、『力をつけるために当然』という風だった。



 とは言え、慣れない訓練をすれば、筋組織が壊れ、筋肉痛が出てくる。1000回素振りすれば、上肢だけでなく全身が筋肉痛になって然るべきだが

「回復魔法とやらがあるではないか」

とフォルテはあっけらかんと言った。



 口数が少ない分、3人の中で一番きつかった。



 リーは魔工機器マジーネの動く仕組みを懇切丁寧に教えてくれた。魔工機器マジーネを作れるようになれば、自身の魔力の一部を魔工機器マジーネに保管できるため、覚えておいて損はないということだった。

 無精髭を生やしている割には細かいところはよく気がつくし、なにより真面目で教え方が上手かった。過去にどこかでの指導経験があるような雰囲気だった。

 呪文の文法や魔法陣の応用が比較的苦手な俺としては、まず術式を組むところから、しかも回復魔法以外の慣れない術式を理解するところからやっていかねばならなかったのだが、リーは段階的に細かい課題を都度設定してくれたため、それらをコツコツとこなすことで、簡便な魔工機器マジーネを作り上げるプロセスを一通り身につけることができた。



「あと10年くらいやったら山一つ動かせる魔工機器マジーネも作れるからよ」

 リーが見せたのは意外にも、純粋な創作を楽しむ魔工技師エンジニアの顔のみであった。



 訓練中、時折ジル王女が別邸に来ることがあった。けれど、遠くから俺の姿を見るのみで、早々に別邸を後にすることがほとんどだった。


 こうやって俺が隔絶された場所で訓練を積んでいる間、禁術のことやらドレク・ゴーンのことやら、なんならそれ以外の公務やらでジル王女はさぞ奔走してることなのだろうなと、課題をこなすことで精一杯だった俺はぼんやりと考えていた。



 そして2週間後、俺はエドモンド家の屋敷にようやく戻れることになった。

 俺が訓練している間にどうも家の人間には『ダヴァンは別の場所で保護されている』と連絡が行っていたらしく、ジル王女に帰宅を許可され屋敷に戻ると、使用人のペディットンが泣きながら俺の無事を喜んだ。

 俺は何度も何度もペディットンを慰める羽目になった。

 屋敷を出る前に比べて、少しだけ己の腹が据わっているような気がした。



「あれ?」


 俺が自室に入ると、連行される前と今とで書斎机の上がどうも変わっている。

 と言っても、机の上に書き置きがあるだけなのだが。


『戻ってきたらヘルツ兄さんの研究室へ』


 書き置きはすぐ上の兄のグレンだった。



 グレンは現在、中級癒術士ヒーラーだ。あちこちの研究室に神出鬼没であり、あちこちにオブジェを作ったり謎のマークを付けたりと何らかの“印”を残すため、変わり者のエドモント家の中でも屈指の変態だとされている。

 ほとんどの場合は無害なのだが、まれにそれらが魔法陣を成し発動してしまうため、同業の中でもグレンを見つけたら注意しろと注意喚起がされている。

 ヘルツというのは俺たちの長兄だ。エドモント家の中でも比較的常識人とされており、古の魔術に関する文献研究を行う研究室に長らく籍を置いていたことがある。

 今は北のイッソス州の研究機関に出向しており、周辺に存在する他民族の魔術に関する調査を行っているようだ。



 グレンの言う研究室というのは、その文献研究を行う研究室のことらしい。

 アズール・エリアにあるため、向かうには特に問題はなかった。


 ただ、俺が拘束されたという噂はもう癒術士ヒーラーの間に浸透しているだろうし、再び俺が戻ったときにどういう顔をされるのかわからなかった。


(まぁ、距離を取られていた方が調査ははかどるだろうけど、あの薄緑の髪の癒術士ヒーラーとは会わないといけないし)


 とりあえず、どういう態度で癒術士ヒーラーのコミュニティに戻ればいいかは、まず戻ってみてから考えることにした。


 ひとつ、帰宅したときにスックたちから何か便りはなかったかペディットンに聞いてみたものの何の便りもなかったということが少し気になったが、ギュレン・アルガドが噛んでいたし、下手に触れられない状況だったのだろうと俺は勝手に解釈した。



 次の日、俺はまずスックに帰ってきたことを伝えようと、アズール・エリアに向かう前にスックの屋敷に寄ることにした。すると、屋敷の人間はスックが研究室に入り、早速カンヅメ状態になっていると、そう教えてくれた。

 どの研究室に入ったのかはそのときわからず、ひとまず、アズール・エリアの第一研究棟に向かうことにした。


 ヘルツの研究室は第二研究棟にあるのだが、第一研究棟にはゴルディが所属している解剖学アナトミアの研究室もあるし、行先に迷ったらそこに駆けこもうと俺は考えた。


 そういえば、ルメリア・フラットは癒術士ヒーラーに対して鑑定をかけたと言っていたが、皆を招集してひとりひとりを鑑定したのだろうか。

 もしそうであるなら人々の様子も少しは変わっているのかもしれない。しかし、俺たちがハレの大地に赴いていた数時間でおよそ数千人余りの王都の癒術士ヒーラーを集めて鑑定にかけるのはどう考えても不可能だ。


 俺はどうやってあのときルメリアは全員を鑑定したのかなんとなく考えながら、アズール・エリアに繋がるルージュ・エリアに入った。



 ルージュ・エリアに入ってしばらく歩いていると、はじめは下級癒術士ヒーラーたちは俺の存在に気づかなかったものの、ひとりが俺に気づいた途端、ちらちらと俺を見ながらこそこそ話をし始めた。

 よくよく考えてみたらば、変わり者のエドモント家の出である時点で、学府アカデメイアの頃からこうやって噂話をされていたから、そういうのは慣れっこだった。はずなのに、どうもいつもの様子と違う。

 当たり前だ。テト・アルガドの殺人容疑で拘束されたと既に噂は出回っているのだろうから、そんな人間が戻ってきた!ってところで皆、スキャンダラスにあれこれあることないことで勝手に騒いでいるのだろう。


 今までの扱いとさほどうっとうしさは変わらなかったので、俺はさっさとアズール・エリアの方に進むことにした。



 第一研究棟に着き、やはり中級癒術士ヒーラーたちも、下級よりも噂好きの人間が多いこともあり、すぐにこちらに気づき、こそこそ話を始めた。

 殺人容疑の影響からか、その噂話が聞こえない程度に距離を取られていたので、いつもよりは居心地は悪くなかった。変にあれこれ聞こえていた方が意識が散漫になる。



 スックが以前、『呪文の文法に関する研究』に興味を示していたので、まずはそっちを頼ってみた。けれど、そこにはスックはおらず、その研究室に所属していた同期から、彼は今、解剖学アナトミアの研究室にいることを聞かされた。



 あんなに人体の中身を見ることをグロテスクだのなんだの喚いていた人間が、意外だった。ゴルディとも会えるだろうし、いずれにしろ、ちょうどよかった。



 俺は第一研究棟地下の解剖学アナトミア研究室へと向かった。




「えっダヴァン?!ダヴァンなのかい?!!」


 解剖学アナトミア研究室の中級癒術士ヒーラーは俺を好奇の目で見ることなく、快くスックを呼んでくれた。

 癒術士ヒーラーの外套を脱いで専用の衣服とエプロンを身に着けたスックからは、前世の解剖学教室と似た匂いを感じた。


 スックは俺を研究室のロッカー室に促し、2人で話できるように場を整えてくれた。

 彼は俺の無事を心底喜んだ。

 なんでも、俺と地下牢で会った後、俺がギュレン・アルガドの折檻によって受けた傷を見たのをきっかけに、いくらグロテスクでも人体の構造に向き合わなければならないと感じたらしく、ゴルディの紹介で解剖学アナトミア研究室に入ることにしたそうだ。

 はじめはその生々しさに何度も気絶しそうになったそうなのだが、少しずつ慣れてきたとやや疲れた風に語っていた。



「そういえば、スックたちはテト・アルガド殺害について取り調べされたりしなかったのか?」

「君が捕まった前も後も特になかったんだよ。もう調子は良さそうだけれど、あの扱いからどうやって解放されたんだい?」

「実は―—」



 スックには鑑定を受けた記憶がなかった。ルメリアの魔法で記憶が消されたのか、それともわからないように鑑定されていたのかその時点では不明だった。

 ルメリアの話を出すとスックは混乱すると思い、鑑定の件は伏せ、冤罪を知ったジル王女によって解放されたことだけ打ち明けることにした。



「え、本当にアデレード王女が助けてくれたの?」

「あぁ、どういうわけかジル王女が……」

「え、ジルって…いったっ!!」


 スックは急に口を手で覆った。


「どうした?」

「あっぶな、こういうときにも聖名ミドルネームの魔法って発動するんだね。え、アデレード王女の聖名ミドルネームを呼べるって、ダヴァンって今何してるの?」


 スックはどうも、自分が呼んではいけない聖名ミドルネームを口にしたことで、舌をやけどしたようだった。


 うかつだった。聖名ミドルネームのジルで呼び慣れていた俺はうっかりスックの前で彼女の聖名ジルを出してしまった。



 もうやむを得なかったし、スックならば信頼できるので、俺はジル王女の下で訓練を受けていることを正直に打ち明けた。


「え、それじゃ癒術士ヒーラーじゃなくなるってことかい……?」

「いや、引き続き癒術士ヒーラーではあるんだけど、少しだけ頼まれごとをされているんだ」

「それは難しそうな……まぁ恩に報いるしかないものね。にしても君の義姉さん、がんばった甲斐あったってことだよね。ちゃんと礼は言ったのかい?」

「義姉さん?」

「え?何も知らないのかい?」

「いやだって1回しか会ったことないから……え、義姉さんがなんて?」

「君の一番上の兄さんの奥さん、アデレード王女の侍女だろ?地下牢から戻った後にうちの使用人から聞いたんだよ。パルデ・エドモントはアデレード王女の侍女だって」



 俺は思わず口をあんぐりと開けた。全く知らなかったのだ。

 いくら長兄ヘルツの妻と言えど、本当に1回しか会ったことはないし、かろうじて顔を思い出せるほどの距離感のまま今まで来ていたのだ。

 パルデが屋敷に来るときはなぜかたまたまグレンが屋敷に戻っていて、そしてどういうわけか用事ができたと俺をよく連れ出していたのだ。

 グレンはどうもパルデが苦手なようだったことはなんとなく覚えている。



「知らなかったな……というか王城で気づかなかったものな。まぁあの広さなら仕方ないけど」

「王城にも入ってるっていつの間にすごくなったんだね、ダヴァン」

「いや、俺もちょっとわけわかんない具合なんだ。どれくらいわけわかんないかって言うと、今全部スックに言ったところで、全部夢だろと言われかねないくらいぐちゃぐちゃしてるんだ。とりあえず……こうやってまた再会できてよかった。今はもうそれくらいでいいと思っている」

「お互い、なんらかの通過儀礼を果たしたってところなのだろうね」


 スックはそう返してから、ふう、と息をついた。どこか寂しそうだった。



「でもスック、お前も近いうちに中級認定試験受けるだろ?概ねの方向性はいっしょさ」

「ま、そうかもしれないけど」


 そこで、俺は重要な目的を思い出した。

 スックは今、薄緑の髪の同胞について何か知っているだろうか。



「そういえばスック、先の戦でさ―—」

と俺が切り出したときに、ロッカー室のドアをノックする音が聞こえた。


 スックが「どうぞ」と促すと、まもなくドアは開き

「スック、スケッチさっさと終えないと片付けられてしまうよ?」

と同胞らしき男が心配そうにのぞき込んできた。



「あぁ、ごめんよリュイーン。もうすぐ行くから」

 そう答えるスックの隣で、俺は目を見開いていた。


 襟足をまとめて結っている、線が細そうな青年。

 薄緑の髪をしており、そばかすが凹凸の乏しい鼻のあたりに見えた。



 彼こそがハリの鏡が映した男。俺が先の戦で助けた男。そして、俺が今捜している男。



 突然大きな手掛かりが目の前に現れた衝撃で、俺は人体模型さながら、その場で固まってしまったのだった。




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しがない勤務医が第四王女直属癒術士として祖国を救うまで〜転生したのは中世レベルのハチャメチャ国家でした〜 アクティブキュート破壊神 @active_cute-apollo

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