第19話.グリスの戯れ



 俺達はルメリアを見送り、グリス第一王子の待つ書斎に向かった。

 内密な話は大抵ここでするらしい。王城の部屋にしてはリネン室に見紛うほど質素な扉の前に立つと、ジル王女は「ここだ」と俺に声をかけながら扉を指差した。


 トン、トントンとジル王女は独特のテンポで扉をノックする。

 すると、扉はひとりでに開き、俺たちを部屋の奥へ誘った。

 部屋はさながら学府アカデメイアの教授室のように質素で、素材の色を活かした木製の調度品は、細部をじっと眺めてようやくかなりの高級品であるとわかる位であった。

 これが、部屋の真ん中にある大きな文机の奥で本を読んでいる、プラチナブロンドの髪の男の精神なのか―—とはじめは思ったが、彼の深緑の瞳がこちらに向けられた途端、その判断は時期尚早すぎると理解した。



 響国エル・オハラ第一王子、グリス・ルイ・エスペランサ。

 線が細く、やわらかな笑みが印象的だが、その奥に何か秘めた威を感じる。

 俺が知っている限りでは、こう見えてグリス王子は剣術に長けており、先の戦でも率先して敵陣に飛び込んだという。ジル王女を紅き炎と喩えるならば、グリス王子はさながら碧い炎のようだと。



「あぁ、早かったね」

 俺たちに気づいたグリス王子は本をたたむと、にっこりと笑って、扉近くにいる俺たちを手招きした。


 『戦陣の心得』と書かれた本を机の脇に置くと、グリス王子は机に肘を立てて手を組み

「では、ハリの鏡の見立てを聞こうか」

とジル王女に向かって言った。

 用件は速やかに処理するのが彼のポリシーのようだ。


 ジル王女は返事をし、ハレの大地での探索の詳細および、ハリの鏡のメッセージについて簡潔に述べた。

 今回はクオルツの民の変化が今までと違っていたこと、長老が己の魔力で衰弱していたため、快復するように処置をほどこしたこと。

 そして、ハリの鏡がズメイの眼、禁術についてそれぞれ含みのあるメッセージを示したこと。



 グリス王子は目を細めて黙って報告を聞いていた。

 「以上です」とジル王女が終えてから、そのまま目線を脇にそらし、しばし考えてからゆっくりと口を開いた。

「まるで違うようでいて、実は2つの出来事はつながっているのかもしれないね」

 既に何かを掴んでいるようで、グリス王子はうんうんと頷きながら思考に入る。


「で、」

 すぐにまたグリス王子は口を開いた。

「君はどう考えるんだい?」

 その笑みはなぜか、俺に向けられる。


「えっ……」

「ジルのお気に入りだと聞いたよ。先の戦でも、ハレの大地でも、君のアイディアで状況が開けたところもあったらしいじゃないか。ドレク・ゴーンの襲撃と、禁術の乱用。ここに関連性はあるかな?」

「……」


 俺はグリス王子の微笑みの奥から出てくるすさまじい威に圧倒されながらも、なんとか何かを答えねばならないと、ひたすら思考を回した。さながら、一刻の猶予もない相手に最善の治療を施す場面のようで、高鳴りそうな心臓を無理やり押さえつけて、俺はひたすら考えた。



「兄上、小鳥には荷が重いかと」

「まあまあ」

 兄妹の会話を聞きながら、俺はイェヌやリーに説明されたこと、ハリの鏡が示したことを思考の中に展開し、じっくりと眺めた。


 ドレク・ゴーンの言い分。エル・オハラの特使団がドレク・ゴーン王城を訪問した日の後、“ズメイの眼”が偽物とすり替えられていたことが判明。そこで特使団に不義理がないかエル・オハラで鑑定官アプレイザーが確かめたものの、特に問題はなかった。ただ、当日特使団が怪しい動きをしていたというドレク・ゴーン側の疑念は完全には解消されず、先日の襲撃に至った。

 そして、ハリの鏡が示した“ズメイの眼”の間の様子。

 あれは本当にすり替えられていたんだろうか?


 禁術“月の幻惑グッテ・デ・ルヌ”、人を惑わす魔法。これでギュレンは精神が錯乱し、事実をでっち上げて、俺を拘束した。

 ハリの鏡が示したのは、一人の女性、先の戦に参加した薄緑の髪をした、下級癒術士ヒーラー、そして評議会を騙ったフォルトンという男——



「……まず」

「うん?」

「“ズメイの眼”が本当にすり替えられていたのか気になります。なんなら“月の幻惑グッテ・デ・ルヌ”でドレク・ゴーン側を惑わすこともできたでしょうし、いくら鑑定官アプレイザーが鑑定したとて、特使団の無実は果たして完全に証明されたと言えるのでしょうか?」


 俺の言葉に周りにいたイェヌたちは呆気にとられた。


「ダヴ……完全中立の鑑定官アプレイザーが不正を犯したと言いたいんですか?」

「おめぇ、法執行官コンスタブルならまだしも、鑑定官アプレイザーが不正を犯したって狂ってんだろ……もしそうなら今までの難解な裁判の結果が全部ひっくり返るレベルだぞ」


 彼らの言う通り、鑑定官アプレイザーは司法において最後の砦とも言っていい。いくら法執行官コンスタブルが法の下で感情にとらわれず判断すべき存在と言っても先日の有様だ。法執行官コンスタブルでそうならば、“人間としての判断力”を放棄した完全中立の鑑定官アプレイザーとて、その本質を損なう状態にあったことは否定できない。

 マダム・フラットには悪いが、何でも疑ってかかるべきだとこのとき俺は考えた。



鑑定官アプレイザーの選任には僕も関わっているのだけど……」

 グリス王子はぽつりとつぶやく。

「僕の見立ては間違っていたのかな?」

 それから彼は俺に向かって首をかしげた。



 そこで俺は、目の前にいるジル王女を圧倒するほどの存在が関わったものに対して、現在進行形で難癖つけていることに気づき、押さえていた心臓が耐え切れず跳ね上がるのを感じた。


 のかもしれない。


「え、えと……」

 ここで態度を貫く馬鹿はいない。

 俺はたじろいだ。

 周囲はもっと焦っていた。小声で誰かが「土下座しろ」と言っている気がした。

 この世界にも土下座ってあるのか。俺の思考はどんどん脇に逸れていった。



「……兄上、小鳥をいじめるのはおやめください。兄上は鑑定官アプレイザーの素質があるか判断されただけで、任命後はあくまでマダム・フラットの管轄でしょう。小鳥のささやかな舞を兄上に対する不敬と見なすのは少々乱雑じゃありませんか」

 ジル王女はたわけた俺たちを諫め、グリス王子に向かってぴしゃりと言った。




「……ごめんごめん、からかいがいがあるなぁって。いいね、向こう見ずでも切り込める度胸、僕結構好きなんだよ。エドモント君、ちょっとからかっちゃった。ごめんね」


 すると、ストンと書斎の天井から何か黒い影が降ってきて、刹那、自分の首元にひやりとしたものを当てられたような気がした。

 目の前には指開きの黒いグローブがはめられた小さな手。その手には、クナイのような形をした小さな暗器。視界の右端に注目すると、暗器を俺の首元に突き付ける、小柄な少女が見えた。

 少しだけ、暗器の刃が首元に食い込むのを感じた。



「テイ、テイ!今のは侮辱じゃないから治めなさい」

 少女は黒い髪を一つにまとめており、ジル王女のように赤い瞳をしていた。忍びのような黒装束であるにも関わらず、髪色と瞳の色のおかげで、忍びに転じた吸血鬼のように見えた。


 テイと呼ばれた少女は、ちっと舌打ちしながら暗器を収め、グリス王子の隣に移った。


「ごめんね、驚かせて。彼女は護衛のテイというんだ。このように潜みながら護衛することが多くてね。あ、それじゃ話の続きを聞かせてもらってもいいかい?」


 俺は流石に元の調子をすぐに取り戻すことが難しかったため、「いいです……」と遠慮した。


「いやぁ、本当に申し訳ない。胸襟を開いて君と話してみたかったんだけど、いじわるし過ぎた上に、優秀な護衛がこうなっちゃってね」

「ルイ様は次期国王であらせられる身ですので、そんなルイ様に不用意な真似をする人間こそ、人格を改めるべきだとテイは思います。赤子からやり直せ」

 グリス王子が詫びる横で、テイはかなりの早口でかなりの毒を吐き出した。


 俺の横で、ジル王女が笑いをこらえているような気がした。




「話を戻すけれど」

 グリス王子が落ち着いた口調で俺たちに語り掛ける。

鑑定官アプレイザーが禁術にかけられていたのでは?というエドモント君の意見なのだがね、ルメリアにも聞いてみたんだ。本当は優秀な特使団を疑いたくはないのだけれど、あの禁術がどこでかけられているかわからない以上、確認はしなくてはならない。結果、鑑定官アプレイザーで禁術をかけられた者はひとりもいないということだった」

「そうですか……」

「でもね、」

 グリス王子は続ける。


「それは今さっきの話なんだよ。この禁術“月の幻惑グッテ・デ・ルヌ”の厄介なところはその効果だけではないんだ。ロダン君、なんだかわかるね?」

 グリス王子の問いかけにイェヌはすかさず

「解除が簡便であることです」

と答えた。


「その通り。“解除”を念じて指を鳴らすだけでいいんだ。それにかけられた痕跡は残らない。かけられたかどうかは証明不可能ということになる」

「それって…」

「うん、鑑定官アプレイザーであれ、特使団であれ、ドレク・ゴーンの連中であれ、その時々で“月の幻惑グッテ・デ・ルヌ”を。そういうことになるんだよ」

 グリス王子は悔しそうに笑った。




「……ルメリア・フラットの報告はそれだけなのですか?それにしては先程出くわしたときに意味深な言葉ばかり並べておりましたが」

 ジル王女は首を傾けながら、グリス王子の顔を覗き込んだ。



「現時点で……ギュレン・アルガド以外に“月の幻惑グッテ・デ・ルヌ”をかけられていた連中はいかほどいるんです?」

 目を細めてジル王女はじっとグリス王子の深緑の瞳を見た。




「……程度によるが……」

 そこでグリス王子は「はぁ」とため息をついた。


「評議会の人間含め、優に100名ほど」

「えっ……?!!」

「幸か不幸か、全て癒術士ヒーラーではあったがね」


 俺はたじろいだ。

 一体いつから自分のいた世界の100人余りが、禁術にかけられていたというのだろう。

 いくら手法が簡便とは言え、「解除」と念じて指を鳴らさなければ禁術は解除されない。

 つまり、いつから上位の人間が戯言を垂れ始めたのか―事実いかんによっては、癒術士ヒーラーが形成する組織の地盤が脆弱となり果てていてもなんら不思議ではないのだ。




「ただ、特使団はじめとした人間たちに禁術が過去一度もかけられていない証明にはなりますまい」

 ジル王女もため息をついた。

「そうなんだよ。だからこそ、そのハリの鏡が示したヒントを元に、禁術をかけた人間を探さなくてはならない」

 グリス王子はちら、と俺の方を見た。




「ドレク・ゴーンについては?」

「あぁ、それはまだ手立てがある。ジル、君の存在だ」

「私ですか?」

「ドレク・ゴーンがどうしてあのとき退却したか……ジルが竜人たちが負傷兵の方に向かうのに気づき、竜に変身し飛んで行った後のことだ。向こうの指揮を執る連中がどよめいたんだよ。彼らは君が竜に変身できることを知っている。そうだよね?ジル。ただ、どうも戦闘中にテイが向こうの会話を聞いた限り、『“ズメイの眼”がエル・オハラにあるのなら、アデレード王女が竜に変身することは不可能だ』とそう言ったらしいんだ」

「どういうことですか?」

「はっきりとは言えないけれど、“ズメイの眼”は竜に変身する能力に深く関わるのではと僕は考えている。昔、先方との会談でちらと向こうの王子から聞いたのだけど、あれはドレク・ゴーンの祖、ズメイの後悔の象徴だと」

「後悔?」

「そう、強大な力を持ってしまったことによる後悔……エドモント君、またちょっといじわるしていいかい?」


 不意に名前を呼ばれて

「えっ?え??なんでしょうか?」

と声が裏返った。




「国民皆強大な力を持つ国は果たして強国と呼べるのだろうか?」

 グリス王子は目を見開いて、俺に尋ねた。



「それは……そう、なのでは……」

 今まで考えたことのない問答だったので、俺はそう答えるしかなかった。

 間違えてもテイに殺されるなんてことは今のところなさそう、と俺は踏んだ。


「そうかもね。けれど、条件がある」

 グリス王子はリーを見た。


「膨大な魔力を扱う魔工機器マジーネを考えるとき、重要なものってなんだと思うかい?」

 グリス王子の問いかけに、リーは一瞬渋い顔をしたが、すぐに淡々と答えた。




「魔力の制御回路です。いくら魔力が強くたって、制御できなきゃ暴走します。つまり、民を制御する機構がなければ国なんてすぐに滅びます」


 俺はリーの答えにはっとした。


(つまり)


 俺はグリス王子を見た。

 グリス王子は何かを企んでいるかのようにニコニコと笑っている。




「そう、ドレク・ゴーンも、窮地に立たされている」




 それは窮地を戯れのように楽しむ強者、次期国王の胆力の表れだった。

 グリス王子は脇に置いていた『戦陣の心得』と書かれた本を改めて手に取った。



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