第18話.マダム・フラット
周囲数mの森林を全て消しとばした俺はどうしたらわからず、あたふたしていた。
イェヌから「解除!解除して!!」と叫ばれ、はっとした俺は急いで何度も『解除』と念じた。すると、消された森林がばっと元の位置に出現した。
イェヌの言うとおりだった。
ジル王女はそんな俺の有り様を見て終始笑っていた。
面白いものが見られて女四宮はさぞご満悦のことだろう。
「いやぁ小鳥に昇格して良かったなぁダヴ!」
集落に戻っても、ジル王女はニコニコとしていて、いつもの威厳はどこへやらという感じだった。
クオルツの民たちは長老に何事かとびくびくしながら尋ね騒いでいたが、長老がうまいこと言ってくれたらしく、そこまで彼らに衝撃が尾を引くことはなかった。
「俺ってジル王女に揶揄われているんでしょうか」
俺はぽつりとイェヌに向かってこぼした。
イェヌは「んー」と少し考えてから
「まだ知り合って間もないのにあそこまで気を許すことなんてなかなかないですよ」
とフォローしてくれた。
気遣いはありがたいのだが、この目まぐるしい展開の数々で何が何だかわからず、なんなら何で気を許しているのか、俺は何かしらの確実な答えが欲しかった。
「……まぁ、それはあなたが
しばらくしてイェヌはそう付け加えた。
少し進んだ内容だったが、やはり含みがある答えだったので俺は色々突っ込んでみたくなった。
「
「んー……ダヴはきっと、今までよき場所で過ごせたのでしょうね」
イェヌはやや感傷気味に呟いた。
それからもっと色々聞いてみたかったのだが、結局、はぐらかされてしまった。
遺跡に戻り、俺は長老に銀河色のブレスレットのことを改めて相談した。
長老は「ギの泉の思し召しです」と言って、俺に身につけておくよう勧めてきた。
長老の言うとおり、しばらくはつけておくことにした。
目的を果たした俺たちは、そろそろ集落を発つことになった。
ビビは俺が去ることを知って、泣きながらしがみついてきた。
長老は今日のことを覚えているだろうが、ビビはわからない。またゲートをくぐってここにくる時には、集落も民もちょっと違っていて、次はどんな見てくれを見せてくれるか皆目検討がつかない。
ビビが鏡の巫女になったら覚えていてくれるのだろうか、と考えながら、俺はビビの治療で使った塗り薬の瓶を置き土産として置いておくことにした。また彼女が無茶した時に役立ってくれるだろう。
「その寂しさはしっかり覚えておけよ」
去り際に、ジル王女は俺に言った。
なんとなく滲み出た感情を察したようだった。
「彼らは鏡だ。お前が映した感情は、きっとここに残る」
「鏡……」
「ありのままでいればきっと応えてくれるさ」
それからジル王女は「良きところだったろう」とふふっと笑った。
少し年相応の可憐さが見えたような気がした。
もしかしたらジル王女は理不尽な仕打ちを受けた俺を何処かに連れ去りたかったのかもしれない。
どういうわけか俺を気に入ったというジル王女、彼女はこれから俺をどう扱い、どこに連れて行こうと言うのだろう。
ただ、彼女にはこのクオルツの民のように透明な心で接するのが最適解なのだと改めて感じた。
俺たちはクオルツの民に別れを告げて、リーのグライダーでゲートまで戻っていった。
「———ふぇえええ、エル・オハラだ〜〜〜〜」
ゲートを抜けて、俺たちは王城に戻った。
脱力したイェヌは思い切り伸びをした。
時間を見てみると、出発した時刻からおよそ2時間しか経っていない。向こうで3日ほど過ごしたはずなのに、だ。
時の経ち方が違うというのは本当のようだ。俺はなかなかに感情の変化を経験したつもりだったが、エル・オハラの人間たちにその土産話をしたとて、作り話だと鼻で笑われるだけだろう。
もちろん、ゲートは王家の最上級機密だ。向こうで過ごしたことは門外不出。これからグリス第一王子に報告する以外に口にしてしまえば、地下牢に逆戻りだ。
「そいや、ダヴってこれからどうすんです?イェヌみたいに
リーがふとジル王女に尋ねた。
俺も気になるところだったが、ジル王女は長考することなくあっけらかんと答えた。
「いや、
「うええ、この純粋坊やがあんな沼地でやってけますかね??」
イェヌの意図も分かるが、流石にあんまりな言い草だ。
「やってもらわねばなるまい。むしろ小鳥は今、いい特異点と化しているからな」
(特異点?)
俺はまた何かわからない企みに組み込まれているようだったが、何がなんだかちんぷんかんぷんだった。
こういう場合はとりあえず流されておく方がいいのだと、今回の探索で俺は理解した。
地上に出て、俺たちは王城の中に入っていく。
「尤も、小鳥には“隠す爪”を身につけてもらわねばなるまいがな」
ジル王女は何か企んでいるような笑みを浮かべる。
「……あーわかったー。そういうことですねー。まぁ今、
イェヌはつくづく
「いや、ダヴにはまたルージュ・エリアに戻ってもらうぞ」
「えぇえ!ジル様、本気ですか?」
「鏡が映した物を見ただろう。中から探るにはダヴが適任だ」
「汚されなきゃいいけど」
「イェヌ、おめぇ、スイッチ入るとすげぇな」
イェヌの出過ぎたぼやきにリーは引いていた。
俺たちはひとまずグリス王子に報告すべく、王城の奥に位置する、グリス王子のエリアに入っていった。
王城の天守はざっと5階建てになっており、5階はもちろん国王のエリア、4階に王妃のエリア、3階に王子、王女のエリア、2階は謁見の間、応接間など外部から来た人間を迎えるエリアになっている。外から入城するときは2階に続く坂道を登っていくのが通常だ。ちなみに1階は使用人のエリアらしい。天守には5階から主塔が伸びており、天守の脇には左右に別塔が立っている。王城は山の上に作られたこともあって、階を上がるほど、奥にずれ込んだ構造になっている。つまり、上階に行けば行くほど、王城の奥へと歩を進ませなくてはならない。これでセキュリティを確保しているというわけだ。
ジル王女と再会した謁見の間よりも奥の方へ行くのが初めてだった俺は、王城入り口付近と比べて静かな廊下を歩くごとに徐々に心が緊張していくのを感じた。
赤絨毯が引かれた長い廊下を一行は進んでいく。
すると、向こうの方から黒髪の女性が近づいてくるのがわかった。
臙脂色のローブをまとっており、艷やかな長髪と褐色の肌が相まって、なまめかしい気品が全身から放たれている。
危なげなピンヒールをソツなく履きこなし、体幹を崩すとこなく、こちらにコツコツと向かってくる。
「……あらァ?」
女性がこちらに気づくと、吐息たっぷりな声を漏らした。
その刹那、ジル王女は顔を横に逸したような気がした。
一行もその場でびしっと固まり、これ以上歩を進めまいと決めた様子だった。
「あ〜ン、愛しのヒメ様じゃないッ!何故その可愛らしいお顔を逸らすの??」
そう言って女性はジル王女に臆することなく近づき、顔をのぞき込んだ。
明らかにジル王女はその女性を拒絶していた。
「……ごきげんよう……マダム・フラット……」
なんとか声を絞り出してジル王女は女性に挨拶を述べる。
先程の生意気なからかい少女は一体どこに行ったのだろう。
「んもうッ!ルメリアでよくってよッ!!ヒメ様とワタシの仲じゃないのッ!!」
女性は親指の爪を噛んで地団駄を踏んだ。
一体いつの時代のリアクションなのだろう。
すると、女性は俺達の中に見慣れない顔があることに気がついた。
「あらァ?」
女性は俺にターゲットを変えてこちらに近づいてくる。
こぼれそうな灰色の瞳、左目の下に泣きぼくろ、そして熟した果実のような照りを放つ唇。クラシカルな女性の妖艶さをすべて兼ね備えている。
「あ〜テト・アルガドを殺したって濡れ衣着せられた坊やね?んン〜〜何も知らない小鳥チャンって感じ?」
女性は俺の周りを歩きながら、ねっとりと観察してくる。
「あらァ?無垢な魂に混じり気があるわね?ちょっと変わった魂みたい……ヒメ様好きそうだわねこういうの」
間髪入れずに「ルメリア!!」とジル王女は彼女を制す。
ファーストネームを呼ばれたルメリアはその呼び声に感激し、目をキラキラさせながらジル王女の方を向いて「ごめんなさいネ」とウインクした。
「皆さんお揃いってことは、グリス様の元に行かれるのね。ってことはハリの鏡には行ったってワケ?」
彼女はゲートのことを知っているようだった。
一部の人間しか知らない秘密を当然のように知っている。
(この人は一体……)
目がそう言ってるのが見え見えだったのか、ルメリアは俺に向かってにっこりと微笑んだ。
「
彼女たち
ただ彼女の場合、この妖艶で濃厚な個性が前面に出ている見てくれを日頃どう変えて過ごしているのか、俺は全く検討がつかなかった。
それにこの振る舞いで、果たして
「彼女は
イェヌはそう俺に耳打ちする。
ルメリアも俺の疑念を見抜いていたようで
「小鳥ちゃんにはまだこの深みは早いかもね」
と幼きものを愛でるように笑った。
「ルメリアよ、貴殿が出てくるとまでは思わなかった」
平常の調子を取り戻したジル王女はルメリアの前に立ち、眉をしかめて彼女を見上げる。
「禁術はどこまで及んだというのだ?」
ルメリアは淡い灰色の瞳に彼女を映しながら、しばらく黙り
「もうグリス様に申し上げてますもの。イタズラに言いふらすのは好きじゃなくってよ」
と先程のデレ具合と打って変わって強かな面持ちでそう答えた。
それから一行の前を左右に行ったり来たりしながら
「真実を真実のまま持っておくって意外と大変ですの。ヒメ様なら、いや皆様なら分かっていただけるはずですわ」
と言うと、その場でぴたりと立ち止まり、瞳で念を押すように一行の顔を順に見た。
皆様。どういうことだろう。
俺にも前世の記憶があるという真実はあるが、それを周りに打ち明けたとて幻を見ているだけだと一蹴されるのがオチだし、ただ黙っておくくらいなら特に苦痛でもなんでもないのだが。
ジル王女はもちろん、イェヌ、リー、フォルテにもそれぞれ扱いが難しい真実があるということなのだろうか。
俺はまだ出会ったばかりの彼らの事をほとんど知らない。
彼女は黙って自分を見つめる俺達の表情を肯定と捉えたのか、にこりと笑った。
「では、ごめんあそばせ」
臙脂色のローブを翻し、ルメリアは颯爽と、出口に向かって歩いていった。
「……彼女は黙するだけで嘘は吐かんからな。何かあるのだろうよ」
ジル王女は彼女の去り姿を見送ると、踵を返し、目的地の方へ再び進みだした。
一行も彼女を追い、奥へ進んでいく。
「あっ……」
俺が彼らを追おうとすると、ふとこの世界にいるのに、この世界にいないような感覚に襲われた。
ギの泉に取り込まれたときのような感覚だ。
彼らはこの先もずっとこのままなのだろうか。
王女はこのまま王女であり続けるのだろうか。
この国はこの先どうなってしまうのだろうか。
俺はまるで状況を俯瞰しているストーリーテラーのように、一行とルメリアを交互に見て、考える。
「ダヴ!早く来い」
奥からジル王女の呼ぶ声が飛んでくる。
とりとめのない大海のような意識に飲まれかけた俺は首を左右に振り、正気を取り戻すと、「今行きます」と応え、再びジル王女のお付きとして、目的地であるグリス王子の元に向かうことにした。
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