第17話.ハレのギ



 洞窟を抜け、俺たちは階段を降り、そのまま遺跡を抜けて集落に出た。

 すっかり元気になった長老の姿を見たクオルツの民たちは大喜びし、彼の周りを囲った。

 長老は取り囲む民たちひとりひとりに声をかけ、『心配かけてすまなかった』と礼を述べる。それからその中に混じっていた一人の民に声をかけた。

 ビビの父親だった。


『“ギの泉”が無事か見てくるよ』

『親父、そんな無理しなくても……』

『いいや、もし怒りを買っているのだとしたらすぐに詫びねばならんからね。念のため、先日作った“ハライの串”を持ってきてくれないか』


 ビビの父親は『わかった』と言い、住まいの方まで駆けて行った。

 

 長老の人望は見事なもので、彼の快復した姿を見て、安堵して泣き出す民もいた。そこで、もし長老を助けられなかったら、俺たちは一体どうなっていたのだろう、と避けられた可能性を想像してみた。どう考えても終焉の有様しか思い描けなくて、俺はようやく事の重大さを知った。


(長老助かって良かった……)


 ビビの父親は木の枝のようなものを携えて、こちらに戻ってきた。それは広葉樹の枝のようで、中央には印が描かれた紙がくくりつけられている。


『これは、神樹“マタン”で作った“ハライの串”です。これを捧げて許しを請うのです』

 長老は息子からハライの串を受け取ると、ジル王女に向かってそう説明した。

 ジル王女たちはギの泉に何度か行ったことがある風だったが、こうして鎮める場合の対処法を聞くのは初めてなようだった。



 それから俺たちは遺跡から見て右手に伸びる道に入り、長老の案内に従って進んでいった。嵐はすっかり去っており、一部の木々は割れ、枝木が辺りに散っているのが見える。ちょうど嵐があった場所、集落の境目あたりで横に逸れる小道があり、俺たちはそちらに進んでいった。

 人為的に草木がわけられた跡に沿って進んでいく。やや下り坂になったところにさしかかると、水の独特なにおいがした。

 ずんずんと進んでいくと、半径10mくらいの泉が木々の向こうにぽつんと在るのが見えた。


 ギの泉の周りには灯篭があり、俺たちが抜けた出入口の脇にはクオルツの民の印が刻まれた柱が両側に1本ずつ立っていた。

 泉は澄み切っており、深まるにつれてコバルトブルーの色彩が濃くなっているのがわかった。水面は何物の干渉も受けず、ひどく静かだった。



 たどり着くや否や、俺たちは黙りこくった。

 いや、黙るしかなかった。

 前世の頃、自国がこういう並々ならぬものを祀るスポットに事欠かなかったものだから、この手の静寂にはなんとなくなつかしさを覚える。

 自然が作り上げた畏怖、神話、信仰。


『お怒りほどではないですが、戸惑われてらっしゃる。説明をさせていただきましょうかな』


 長老はハライの串を持ち、泉のすぐ近くまで進んだ。それから神主のようにハライの串を自分の真ん前に掲げ、2回礼をした。

 それから、翻訳機でも聞き取れない言葉で呪文を詠唱し始める。

 抑揚のないトーン、うなるような言葉、独特のテンポ。まるでお経のようだ。

 トランス状態に至るためにクオルツの民が編み出した独自の方法のように見えた。


 それから2分ほどして、詠唱が終わった長老は、ハライの串を根が泉側を向くように向きを変えて、すっと泉に流した。


『これでよいでしょう。早く参って良かった』

 長老はそう言って、泉に向かって一礼した。


 水面に動きはなかったし、ハライの串もそこまで進まずに俺達のすぐ近くで留まるのではと俺は考えたが、そんな予想とは裏腹に、ハライの串はずんずんと慣性的に泉の奥に進んでいく。

 そして、泉の中央に至ると、すっと串の先が起き上がり、そのまま串は泉の中へと飲み込まれてしまった。



 俺はぽかんとしてその有り様を見ていた。

 現世では魔法が当たり前のようにあるから、そのような超常現象は日常茶飯事なはずなのに、何か魔力が動作した様子もなかったし、何よりあまりに静かに、自然に起きたものだから、俺の中に正体不明の畏怖の念が一気に押し寄せてきた。


 すると、泉の水面がどくんっと鼓動のように跳ねたような気がした。


「え、え……」

 畏怖の念にとらわれた俺は何が起きたか思考を回そうとしたが、そんな思考に逃げる精神を大いなる何かによって掌握される感覚に襲われた。


 俺の様子を脇で見ていたらしいジル王女は

「雄雛の無垢を泉は捉えられたか」

と言い、くすくすと笑った。

 ジル王女の笑い声が厚い膜を通したかのようにぼやけて聞こえてくる。



 彼女の言う通り、何かに捉われていた。

 何か大きな目のようなものが俺をじぃっと見ているような感覚。ハリの鏡のようにその本質を見透かすもの。鏡と違って、俺は逃げられなかった。


 俺の本質。

 癒術士ヒーラーの家系エドモント家の三男坊。

 前世は日本の勤務医。


 そこからぶわっと、前世から現世にかけての記憶が走馬灯のように再生され始めた。正味の話、前世が終わりかけの時にも走馬灯を経験しているのだが、それ以上にダイナミックで、魂に来るものだった。


 転生してからは父と母、2人の兄、姉と暮らし、特に次男のグレンには大層かわいがられた。それから家族のように癒術士ヒーラーになるべく、学府アカデメイアに入り、勉学に勤しみ、そして下級癒術士ヒーラーへ。

 下級癒術士ヒーラーとして慣れない業務に追われる日々。慣れてからは内戦の任務につき、人々の治療にあたっていた。そして、竜国ドレク・ゴーンの襲撃。

 飛び込んだ窮地で焼き切れるくらい思考し奔走したあの時。ようやく希望が見えた矢先のドレク族による蹂躙。そこに現れた一筋の光。

 理不尽な現実を払いのける圧倒的な光。


 今までたどった時間をなぞるごとに少しずつ思考がクリアになってくるのを感じた。


 

 力が、飛ぶための力が必要だ。



「……はっ」


 俺は目を覚ました。どうも眠り込んでいたらしい。ただ、視界にはどういうわけか、青空が広がっている。

 全身が水に浸る感覚。俺は水の上に浮かんでいるようだ。何が起きたか確かめるために起き上がろうとしたが、水を吸った衣服のせいでうまく動けない。

 しばらくじたばたしていたが、ふと左腕に覚えのない重みを感じた。

 見てみると、手首に数珠のブレスレットがついていた。藍色の玉が連なっており、光に照らすと、奥の方に細やかなきらめきが見える。まるで銀河のようだ。



「ダヴー!だいじょうぶですかー!!」

 離れたところからイェヌの声が聞こえた。


 俺は泳いで動けそうもなかったので

「大丈夫ですー!すいません、どなたかそっちに俺を動かしてくれませんかー?」

と叫んだ。


 すると、ゆっくりと俺の体がひとりでに移動していくのを感じた。今度は魔法が働いているようだ。

 ベルトコンベアのようにするすると俺の体は水辺の方に向かっていく。


「これまた盛大でしたねぇ」

 しばらく移動したところで、頭の上からひょいっとイェヌがのぞき込んできた。


「むしろこれ、ギの泉はご機嫌だったりします?」

『さぁ、それは泉にしかわかりませんので……』

 イェヌが長老に尋ねる声を聞きながら、俺はフォルテによって起こされた。


 一行の話によると、長老の儀式が終わった途端、俺は何かの力に引かれて泉の中央まで吹っ飛び、そのまま飛び込んだらしかった。

 数分くらい浮かんでこなかったらしい。もちろんその頃のことなど全く覚えていないし、窒息状態になった感覚も一切なかった。


 ただ、気になるのが意識が飛ぶ前のジル王女の言葉。

 恐らく鏡の間で言ってたようなことが案の定、目の前で起きたってところだろう。


 俺はジル王女を見つけると、こちらをにやにやして見ているのがわかった。


「雄雛も小鳥になったのだろうなぁ」

と言い、ジル王女は口元に手を当てて、笑いをこらえているようだった。


『お兄ちゃんなんともない?』

 ビビが心配そうな顔で俺に近寄る。


「あ、うん……なんか、もらったみたいだけど」

と俺は銀河色のブレスレットを一行に見せた。


『これは……見覚えがないものですなぁ』

「解析かけてみるか?」

「私たちのとき、こんなのもらわなかったですねぇ」

「えっイェヌさんたちもこんなことあったんですか?」

「形はなくとも贈り物は皆にあったぞ」

「贈り物?」


「“スキル”だよ」


 皆がまじまじとブレスレットを見る中、少し離れて眺めていたジル王女が俺に近づいた。

「このハレの地に赴いた人間の中でも選ばれた者の特権。術式なしで即実行できる能力。お前のような純粋無垢であれば恐らく授けられるだろうと思っていたが、さらにおまけまでくださるとはな。つくづくお前はをしているよ」

と言って、ブレスレットがはめられた俺の左腕を掴んだ。


スキルってなんですか?」

「それは発動してみんとわからねぇな」

「最初本当にわからないんですよ。やってみないと」

「え、やってみてなんかひどいこと起きたらどうするんですか?」

「一応、即時解除はできるはずなんで、やばいと思ったら『解除!!』と念じたらいいんですよ」

「えぇ……」


 とりあえず何かの能力を得たらしき俺は、さすがにギの泉の御前で試すのも気が引けたので、集落の端で試してみることにした。

 俺たちはギの泉に礼を述べると、来た道を登って、集落の方に戻っていった。




「……ここらでいいんじゃないか」

 戻り路の途中、少し開けたところでリーが地面を指差して言った。


「ジル王女、いいっすよね?」

「あぁ、構わんぞ」


 どうもここでスキルを試せってことらしい。


 一行は俺のスキルが気になるのか、わくわくした目で俺から離れていく。

 俺は発動方法もろくにわからないままに、どうしたもんかとランプの精を呼ぶかのように銀河色のブレスレットをこすっていた。


「発動!って念じてください!」

 離れたところからイェヌが叫んだ。


 発動、と言いましても。

 けれど、もうやるしかなかったので、俺は目の前の木に向かって、左掌を向け、念じた。


(発動)



 途端、ぶわっと急に目の前が開けた。目の前にあったはずの木々がなくなっている。

 なんなら周囲の木々もすっかりなくなっており、向こう数m先まで地面がむき出しになっていた。


「え……??」

 ふと、集落の方を見ると、集落まで続いていた木々もすっかりなく、集落がむき出しになっていて、「何事か」とクオルツの民がこちらをうかがっているのが見えた。


 改めて確認する。半径数m以内にあったはずの木々が一切ない。

 一行の方を見ると、その有様にぽかんとしており、皆微動だにしなかった。


「え……」

 俺は左掌を見た。ブレスレットがやや淡い光をまとっているように見える。

 

 そして俺はまた一行の方を見た。まだ茫然として立ち尽くしている。


「え……」


 向こうからクオルツの民が騒ぐ声が聞こえた。

 俺は試しに自分の太ももをつねってみた。しっかり痛い。



「俺……


何かしましたか……??」



 俺はここまでテンプレートな言葉をこの世界で吐くなんて思ってもいなかった。

 さっきよりも少しだけ、一行が後ずさりしているような気がした。




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