第14話.異物なき体



 俺はまず、病人の民の全身を観察した。毛を避けて表皮を確かめるが、特に発疹などはない。手足はやや冷たかった。


(末梢が締まってるな……結構やばいかもしれない)


 癒術士ヒーラーにとって症候学を学ぶのは必須だ。ただ、上級、中級、下級によって習得する範囲が異なる。下級癒術士ヒーラーが習得する範囲はいわゆるベーシックだ。ただ、運がいいことに、現世の症候学は前世のものと通じるものが多く、これは俺にとって大きなアドバンテージとなっている。それを呪文に繋げられるかはまた別問題だが。


 まずは全身の観察をする。先の戦のように呼吸、心拍、意識状態をみる。それから速やかに全身に異常がないか観察する。

 この病人の民の場合、手足の指先が冷たいのが気になった。もしクオルツの民の解剖学的構造が俺たち人間と似ているのだとしたら、重要な器官に血液、でなくてもそれに似たものが優先的に集められている可能性がある。つまり、手足の指先さておいて、とにかく動かさなきゃいけない器官に必要なエネルギーが集まっている状態にあるということだ。


 よもや心臓なんて、と病人の民の胸に手を当てると、あった。

 ちゃんと脈を打っている。


 人間にいかほど近いかわからないが、まずは人間と同じ構造としてみなしても良さそうだ。


 正直、癒術士ヒーラーの業務で今まで経験したケースでは、相手は皆、コミュニケーションが取れる人間で、向こうから自ずと何に困っているのか先に説明してくれるのが当たり前だった。それから、症候学を元に、必要な呪文を選定していくという流れが常だった。


 ただ、今回の相手は策がなければ簡潔なコミュニケーションもままならないようなクオルツの民だ。

 人間相手の症候学が役に立つかもしれないという希望は見えたし、何ならこの後リーを呼んで翻訳機を使うこともできるし、そこまで慄くことでもないのだが。

 けれど、この症状は一体どこに由来しているのか、この時点では診察していてもちっともわからなかったため、少しだけ俺は焦りを感じた。

 と言っても、まだ一目見ただけなので、それですっとわかるはずはないのだが。


(まずはコミュニケーションだな)


 俺は小さき民に「すぐに戻る」と言って、集落の方に駆けて行った。



 リーはフォルテと集落の修繕を手伝っていて、自慢の魔工機器マジーネをフルに活用していた。

 その脇でジル王女は何故かクオルツの民に祀られていたのだが、民を前に彼女は満更でもなかったので、そっちは置いといて、俺はリーに翻訳機を貸してもらえないか尋ねた。

 リーは快諾し、翻訳用に調整した板と拡張機器の筒のようなものを貸してくれた。混乱が解けたリーはすっかりクオルツの民と打ち解けており、俺に魔工機器マジーネを渡すとすぐに罪滅ぼしとしての手伝いに戻ってしまった。


 俺は板と筒を持って、遺跡の方に戻った。


 遺跡に戻ると、小さき民が迎えてくれた。俺は筒を口に当てて、「この人はどんな人なの?」と尋ねた。

 すると、言葉が通じたのか、小さき民はびっくりして、両手を大きく広げながら、何か話し始めた。

 俺は筒を耳に当てて、彼女の声を聞く。


『この人はおじいちゃん。私たちの長老』

『ちょっと前から急にこんなになった。おじいちゃんのために外に薬草を取りに行こうとしたけど、嵐が来たからなかなか村から出ることができなかった』

『あなたは治す人。おじいちゃん治せる?』


 この小さき民は長老の孫だったようだ。それで彼女が集落に戻ってきた時の民の様子にも納得が行った。


「嵐っていつも起きるの?」

『ううん。こんなの初めて。村の人もそれで狩りに出かけられないから、食料がそろそろなくなる。近くに川があって魚は獲れるけど、いつまでもつかわからない』


 長老はもちろん、集落自体がピンチだったようだ。

 そりゃ怪我している民が多かったわけだ。嵐を攻略するべく飛び込み、彼女のように飛ばされたり、と危険が多かったことだろう。

 嵐は一時的には消すことができるが、根本的に解決しなくては意味がない。

 俺たちの目的を達成するためには、クオルツの民を救うことが大前提だと改めて痛感した。


 俺は筒を使って、長老に問いかけた。

「熱以外にどこか辛いところはありますか?」

 長老はわずかに目を開いて、こちらを見る。両目は黒目がちだが、その縁、眼瞼は赤かった。

 彼はゼェゼェと息を切らしながらわずかに

『息が苦しい。腹が痛い』

と答えた。


 おそらく排泄機能もあるだろうと考え、俺は便の形に何か変化はないかと尋ねた。やや緩い程度だと返ってきた。赤いものが混じっていたり、黒ずんでないか尋ねたが、気になった覚えはないと返ってきた。


 症状が急性的に進行しているため、やはり何か感染しているのでは、と考えた。

 俺は疑わしき臓器に当たる部位に杖を当て、何か感染物がないかを見た。


 この世界に感染物という概念がないわけではない。むしろ、前世に存在していたような細菌やウイルスの如く至極小さいものからモンスターの分泌液などマクロなものまで存在する。

 ただ、集落の民が誰一人として長老のような症状を呈していないことから、やはり感染症の可能性は低いのではと考えた。潜伏期間がなければの話だが。

 杖で体内を確かめたが、何か異物が感染している兆候はなかった。わかったのは、やはり人間と同じような臓器で体内を構成していることくらいだった。


 長老は息苦しさを強く訴えたので、脇にあったクッションを重ねて、長老の上体を45度ほど起こせるように、寝床を調整してやった。

 気管が通りやすくなったからか、長老は幾分か楽になったように見えた。


(肺も消化器にもその他の臓器にも感染物は見られなかったし、この熱はどこからやってきているのだろう)


 俺は考えを巡らせる。

 ふと、過去にも似たような事例はあったのではないかと思い至った。

 イェヌなら何か知っているかもしれない。それに、使用する魔法に何かアイディアがあるかもしれない。


 俺はイェヌを遺跡まで呼び出した。



「……なるほど、長老さんの容態が芳しくないのですね」

 イェヌが長老の元に駆けつけると、呪文を唱え、彼の全身にめぐる経路のようなものを浮かび上がらせた。

「これは……」

「クオルツの民にも魔力があります。魔力経路が滞りすぎるとこうやって熱を帯びることがあるんですが、それはなさそうですね」

「何かの感染物によるものかと思ったんですが、めぼしいものが見つからなくて……」

 イェヌは杖で経路をたどって確かめながら

「あとは、強いて言うなら、心の臓が少し大きくなってて、そこにわずかながら魔力が溜まっているのが見えますね。以前、癒術士ヒーラーの仕事をしていた時に、似たような事例を経験したことがあります。もっとも、それは老衰の前触れでしたが」

「老衰……」

「つまり、重要な臓器に魔力を集め、何とか生命機能を維持しようとする状態に入ってるってことですね」


 長老なだけあり、確かに加齢によるものもあるかもしれない。

 俺にはクオルツの民の寿命はわからないが、不可逆的な要素もありうるということはある程度考慮しなければならないと感じた。


『治る?』

 小さき民が俺に語りかける。


 熱源はわからないし、老衰の可能性もあるとなると、出来ることは限られるのではと俺の中で覚悟が進んでくるが、彼女にはありのままを話すことなんて到底できなかった。


「まだもうちょっとだけ時間がかかるから。ちょっとだけ、待ってて」


 いつもこういう時はこういうことしか言えないなと、つくづく自分が嫌になった。



 俺とイェヌは氷を布に包んだものを、長老の首と脇に当てて、これからの対策を話し合った。

 イェヌも長老と嵐の件を解決しない限りは、ハリの鏡には辿り着けないと考えていたようだ。聞けば、今までも似たような試練があったらしい。それらを解決すれば、自ずとハリの鏡に導かれたとも。


「今回はまずクオルツの民の外見がまるで違うので、妙に調子が狂ってしまうんですよね」

 イェヌは地面に座り込み、木の棒で呪文を殴り書きしながらぼやく。


 一度、遺跡から離れた俺たちは集落の方で過ごしていた。クオルツの民が限りある食糧を俺たちに分けてくれたので、余計に何かせずにはいられなかった。

 一部の民たちは長老の快復を願って、祈りの舞を踊っている。

 彼らと、それをみる俺たちの周りにはまた、轟々と嵐が現れていた。


「鏡の存在を確認したぞ」

 いじけている俺たちの傍にジル王女が座った。


「本当ですか?!」

「あぁ、民に尋ねたらすんなりと答えてくれた。鏡に嘘は吐けんからな。私たちの目的を正直に述べた。ただし、鏡に導けるのは長老ただ一人だと」

「そうですかーだけど長老はなー……」

 イェヌはさらにぼやいた。

「どうした?」

 ジル王女は目を丸くした。


「容態がなかなか悪く、しかも老衰の可能性まで出ていて……」

「老衰?」

「はい、加齢による不可逆的な変化もあるのではと……」


 それを聞いて間もなく、おかしいな、とジル王女は呟いた。


「え?」

「クオルツの民の中でも重鎮に当たる者に民のこと、この辺りの風土について話を聞いたが、長老はまだその地位にしては若く、人間であれば壮年の終わりあたりの齢のようだぞ」

「え、」


 俺とイェヌは顔を見合わせた。


 すると、向こうの方からリーが数人の民を連れて駆けてきた。


「おーい!ダヴ!イェヌ!」

「どうした?」

「えぇ、ジル様。こいつら、集落の外に出られるなら薬草を取りに行きたいと。2人が嵐を消したと言ったらぜひ頼みたいとのことで」

「なるほど。2人とも頼めるか?」


 俺たちは「はい」と快く返事をし、リーたちとともに集落の入り口の方へ向かった。

 ジル王女はその場に留まり、再び民との交流を始めた。



「……そういえば、これくらいの嵐、ジル王女が竜の姿になったら簡単に消せるんじゃないんですか?」

 向かう途中、俺はイェヌに尋ねた。

「実は、それ無理なんですよ」

「無理?」

「この世界、どういうわけかジル様は竜になれないんです。まぁあんまりジル様頼りにするのもよくないですからね」

「そもそもゲートって……」

「詳しいことは分かりません。前国王の時代からあるってだけで。あと何回も通ってて思うのは、すごく魂が試されてるなって」

「魂?」

「まぁ運が良ければどこかで分かりますよ」


 イェヌが意味深なことを言ったところで、俺たちは嵐の前に着いた。互いに杖を取り出し、嵐に向かって突きつける。


“セイレーンの渦ボルテクス・フォル・セイレーン”!!」

「“魔法増幅エクスポネンサ”!!」


 俺の杖から発された渦はイェヌの魔法によって数倍もの大きさになり、嵐を包み込んだ。

 俺はうまく位置を調整し、中和させるように威力を増やしていく。


「××××!!」


 なんとか嵐を中和させ、少しずつ威力を減弱させていったところで、後ろの方から俺を呼ぶ声が聞こえてきた。

 あの小さき民の声だ。


「××××!!」


「えっ……」

 俺は思わず意識を小さき民の声にそらしてしまい、それに伴って渦の術式が自動的に解除された。

 振り向くと、かなり焦った様子で小さき民が飛び跳ねている。


「どうしました?!」

 イェヌも小さき民に気づき、すぐに魔法を解いて様子を伺う。

「ダヴ!使いな」

 リーが翻訳機を取り出して、俺に放った。


『おじいちゃんが危ない』

 小さき民が涙をこぼしながら言った。


『熱がひどい、早くたすけて』


 その言葉を聞いた俺とイェヌは急いで、遺跡の方に駆け出した。



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