第11話.ハレの大地



 イェヌたちの部屋から出て、俺たちは王城の入り組んだ通路をつかつかと通り抜けていく。“紅爪の王女”側近の黒コートはやはり目立つようで、そのマークを目で追う人々が多い。

 つい最近まで国王軍のパレードでしか見たことのなかった“紅爪の王女”の側近として迎えられたことについて、正直まだぴんときてないが、ここまでくれば長いものに巻かれるしかない気分だ。


「なんか、すごい見てきませんか?」

「……え?あ、そうですね。もう慣れっこでしたが」

「アデレード王女って城内ではどういう立ち位置なんですか?」

「どういうって……そりゃが軍を率いるなんて前代未聞ですし、だからといってその戦果は往年の大武将のごとくですし。もう唯一無二ですよ。だからこそ周囲は沸き立つんです。どんな方向にもね」


 それから、「あ、あと」とイェヌは付け加えた。

「側近なんで“ジル様”って呼んでください。ジル様に従する者か否かの区別になるんで。ちなみに従する者以外がこの聖名ミドルネームで呼ぶと、舌がやけどするようになってます」

「え、や、やけど?」

聖名ミドルネームって呪文の側面があるんですよ。ジル様は烈火の化身なところあるでしょう?それが聖名ミドルネームに込められているんです」


 俺たちは王城の隅まで進み、“紅爪の王女”のマークがついた、またさっきと別の扉の前に立った。


「……さて、ここです」

「ここ?」

「もうジル様たちは待っているでしょうから、行きましょう」


 イェヌが扉の前に手をかざすと、カチリ、と錠が解かれる音が響いた。

 扉を開けるとすぐに地下に一直線に伸びる階段があった。

 展開が飛びすぎて、折檻された地下牢のことなど、とうに頭から抜けていた俺はイェヌの後について階段を下りていく。進むにつれて、天井に露が付着している様が目立つようになってきた。まるで、ダンジョンにいるかのような心地だ。城の絢爛な様子とは打って変わって、湿った、けれどどこか神秘的な空間の中をどんどん進んでゆく。


 ついに、階段を降り切った。

 そこは部屋のようになっていて、ぼうっと淡い光に包まれていた。奥の方に目をやると、ジル王女と側近の男たち、フォルテとリーが待っている。

 さらにその奥には、直径が2mほどの青緑の渦があった。


 ジル王女は俺たちに気づくと、俺のコート姿をまじまじと見た。


「なんだ、キケルのでぴったりじゃないか」

と、満足そうにジル王女は笑った。


「キケル?」

「前の仲間ですよ」

 俺の疑問に、イェヌはなんともない風にさらっと答えた。


 ジル王女は出陣時の服装とはまた違い、鎧ではなく、動きやすいフォルムの戦闘服に身を包んでおり、その上からトレードマークの白いマントを纏っていた。

 フォルテは着物のような衿のついた服を纏っており、腰にはレイピアと刀の間のような細い刀を提げている。

 リーは道具をいろいろ詰めたらしき大きなリュックを背負っていた。


「リー、ゲートの座標は変わってないか」

 ジル王女はリーの方を向いた。

「へい。以前と同じ場所に飛ぶようになってるはずです。また以前のように一部の差異はあるでしょうが」

 リーは先程持っていた板をいじりながら、青緑の渦に向かってぶつぶつ言っている。


「ダヴァン・エドモント」

 ジル王女は次に俺の方を向いた。


「はい」

 はきはきと返事したつもりだったが、ジル王女は眉をしかめた。


「……フルネームは長いな。まだるっこしい、お前は今日から“ダヴ”だ」

「えっ」

「異論はなかろう?」


 俺はその石鹸のような響きの渾名はどうかと思ったが、言い返せる雰囲気ではなかった。


「……はい」

「さて、ダヴよ。この渦のようなものはなんだと思う?」

 ジル王女は青緑の渦を指差した。


 前世の記憶をたどるなら、先程のリーとの会話をたどるなら、まずぴんとくるのは

「異世界へのゲート?」


 俺の返答に、ジル王女は不満そうな顔を見せた。


「お前……もしかしてゲートを知ってるのか」


 俺は忖度というものを知らなかった。

 後ろでイェヌがぼそっと「出世できなさそう」とぼやいた気がした。


 リーは咳払いをして、視線を板から俺たちの方に向ける。


「ま、知ってるってこた話がはえぇってことですわ。確かにダヴの言った通り、この先は異世界みたいなもんだ。進めば、エル・オハラでも、エル・オハラのあるパンジェラ大陸でもない場所に飛ぶ。俺たちは“ハレの大地”って呼んでるが……そこには、真実を見通す“ハリの鏡”ってのがあって、今回騒ぎになってるもんの手がかりがないか、鏡に問うと。そういうこったな」

「それがや皆さんの仕事ってことなんですか?」

「そう。あとは、君の、ね?」


 あぁ、そうか。

 俺はちらりとジル王女の方を見た。なぜかさっきの不服そうな顔とは変わって、どういうわけかちょっと満足そうだった。


「このゲートをくぐったら何があるんですか?」

「それがね、わからんのよ。大体の地形は同じなんだが、通るたびになんらかの作用が働くのか、森の位置とか、生息する動植物とか、そこに住んでる民族の特徴が微妙に変わる。ゲートの座標は変わってないから、全体を見渡しやすい高台の上に飛ぶと思うんだがな。飛んだ途端、攻撃的なモンスターがとびかかってくることもないわけじゃない」

 行ってみないとわからんってこったな、とリーは肩をすくめた。


「さすれば、ただ進むのみよ」

 フォルテはずかずかのゲートの前に立ち、意を決したようにゲートを見上げた。


「ごちゃごちゃと話をするのは好まんのでな。ジル殿、小生が先陣を切りますぞ。雄雛はゆるりと参られよ」

と言って、フォルテは助走をつけて、ゲートの中に飛び込んでしまった。


 ゲートはフォルテが飛び込んだことで表面がゆらゆらと揺れる。

 フォルテの存在感はすぐに一気に消え失せて、この場から本当にいなくなったのがわかった。


 リーはゲートの方を見て口をあんぐりと開けた。

「あいつとびこみやがった!なんかの拍子で違う座標に飛ばされるかもわからんから全員で一気に飛び込むって言ってんのに!」

「もうさっさと行くしかないな」

 ジル王女は首を鳴らして、ゲートの前に立った。


 それから振り返って俺に向かって手を差し出した。

「雄雛は、エスコートが必要か?」

 かわいらしい顔立ち、細身の体付きにも関わらず、その手はすぅっと確かに俺の方に伸びており、安心感を覚えさせる。


 俺は少しだけ考えて、そっとその手を取った。

 ジル王女は少女らしくぱぁっと輝いた笑顔を見せて

「さぁ、ゆくぞ!」

と俺の手を引いて、ゲートに飛び込んだ。



 ゲートに飛び込むと、奥の方へ一気に引っ張られ、左右に全身がぐらぐらと揺れた。大きな気流に飲まれたように、浮遊感はあるものの、奥の方への引力がとにかく強くて、バランスをとるので精いっぱいだ。

 ジル王女はぴんと体幹と四肢を伸ばして、気流になるべく逆らわないように進んでいく。

 その手にはしっかりと、俺の手が握られている。

 どんなに体は揺れようと、その手は決して離してはならないと、俺はそのとき必死だった。その薄く細い手が壊れやしないかと思ったが、ぎゅっと握るので精いっぱいだった。



 ふっと、気流が止まった。

 急に景色が開けたかと思ったら、一気に浮遊感に襲われた。

「う、わっ……!」

 俺たちはゲートを抜けて、地上数mのところに飛び出しており、重力とともに地面のほうに落ちていく。

 気づけばジル王女と手は離れていて、近くにいた王女は慣れたように体制を直し、くるっと体を回転させて、スムーズに着地した。

 その隣で俺は目測誤ったカエルのように、べしゃっと地面にたたきつけられた。


「ぐへっ」


 それから間もなく、イェヌとリーも追ってきたようで、俺がはいつくばっている様を見て、イェヌは「うわぁ」とつぶやいたような気がした。

 なんらかの通過儀礼のような気分だった。



「んー座標は前と同じとこっぽいな」

 リーは板をいじりながら、辺りを見回した。


 そこは確かに崖のようになっており、遠くの森や山々を見渡しやすいポイントだった。幸い、モンスターはおらず、風が吹く音だけが辺りに響いていた。

 一見、エル・オハラの辺境のようにも見えるが、ここがどうも異世界らしい。


「クオルツの集落はどこだ?」

 ジル王女はリーに尋ねた。

 リーは板をいじりながら、額に固定していたゴーグルを目のほうにさげて、辺りを調べている。


「方角的にはここから直線方向なんすけど……今回は森が多いからわかりにくいなぁ」

 今回は森の中かもしれねぇなぁ、とリーはゴーグルのレンズを絞る。


 すると、いの一番に到着し、腕を組んで辺りを眺めていたフォルテが、一方向に指を差した。


「嵐が見える」


 え?とリーがフォルテの差す方を見て、ゴーグルを絞った。

 思い切り森のど真ん中だ。肉眼では見えない。それに空も快晴だし、森の中に嵐というのは一体どういうことか。

 俺たちはリーの隣で目をすがめて、その方角を見ていた。


「うっわ、まじだ」

 ゴーグルをあげると、リーは呟いた。

「森の中に嵐がある」


 しかも、とリーは付け加え

「前回クオルツの集落あったポイントだわ……」

と言い、茫然とした。


 俺たちの眼から見ても、森がややざわめいているくらいしか見えず、実際にはいかほどかはわからない。

 本当に森の中に限局して嵐が発生しているのか、はたまた別の何かなのか。

 そして、そこにはクオルツの集落があるのか。


「ハリの鏡はクオルツの民が守っているから、どうしても接触しなきゃならないですしね……」

 イェヌは首をひねらせている。



「……なに、今までのパターンからすればさざ波のようなものよ」

 フォルテは呟いた。

 彼だけは妙に達観しており、むしろ興味深そうに眺めているようだった。


「ジル殿、先に行ってもよろしいか」

「まぁ、この場合は貴殿が適任だろうよ」


 感謝する、と言いフォルテは皆の前に立ち、いきなり服を脱ぎだした。


「え」


 ふんどし姿になったフォルテは剣を片手にスタートダッシュのための姿勢をとり、かっと目を開くと、大地を踏み込み、大きく駆け出した。

「ハッ!!」

 フォルテは崖を飛び出すと、そのまま勢い良く崖を降り、すさまじいスピードで、森の中に突っ込んで、嵐の方角へと猛進していってしまった。


 再びフォルテの気配はその場からすぐに消え去ってしまった。


「おっさん、久々に張り切ってんなぁ」

 無精ひげをいじりながら、リーはフォルテの消えた方角を見てぼやいた。

「向こうとこっちで時の流れが違うんだから焦らなくていいのによぉ」


「とはいえ、早々に手がかりを見つけなくてはなるまい」

 ジル王女は崖を見下ろしてから、リーに合図をした。


 へい、とリーが応じると、大きなリュックから折りたたまれた布を取り出した。布には魔法陣が描かれており、リーが呪文を詠唱すると、布は大きく広がり、グライダーのような乗り物に変身した。

 乗り物の中央には太い1本の筒が取りつけられており、リーはその中央を掴んだ。


「じゃ、行きますか」


 俺たちは各々筒を掴んで体勢を整えた。するとグライダーはそのまま崖から飛び上がり、フォルテの向かった方角へと進んでいく。

 初めての感覚に俺は思わずきょろきょろと辺りを見渡してしまった。

 揺れるので落ち着いてくださいと前のイェヌに窘められた。



 すると、浮かんだグライダーの影が森に写されているのが見えた。

 まるでジル王女のようなドラゴンだった。 




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