第9話.逆さ月
アデレード王女は本物だった。
彼女はただ一人、牢に赴き、俺の様子を窺いにきたらしかった。
それから、先の戦のように、後からイェヌ・ロダンが追ってきて、伴っていた見張り兵に牢を開けるよう指示を出した。
あっけなく牢は開け放たれた。
「こいつらほんとに使い物にならないですね」
とイェヌは見張り兵に向かってぼやきながら、俺に肩を貸す。
見張り兵はどういう訳か呆けており、イェヌがパチンと指を鳴らすとハッと我に返ったように首を振った。
俺は今この状況でどんな力が働いているのか一切わからなかった。
アデレード王女は俺が保護された様子を確かめて、また一人で出口に向かっていく。
「ジル様〜衰えていても成人男性ひとり抱えてますので歩を緩めてくださると」
「先に行ってるぞ」
もう、とイェヌはため息をつく。
よいしょ、と俺の腕を自分の肩のいい位置に直そうとイェヌは俺の腕をがっと上に振った。
彼女の肩まで伸びた直髪が揺れ、加護の香がふわっと匂った。
「あーもう本当にややこしい……!」
イェヌは心底うんざりした様子でぼやき続ける。
「俺……どうなったんですか?」
しばらく発声してなかったからか、嗄声気味になった俺の声を聞いて、イェヌは目を丸くした。
「すっごい声。だいぶやられたんですね。どうもこうもない。もうめっちゃんめっちゃんなんですよ。まさか“古巣”があそこまでクソとは思わなかった。いやぁ、“古巣”だけじゃないか。あとでジル様と私の仲間が話しますけど、まぁ複雑です。だけど、ジル様はあなたに話すと決めたので、ありがたく心して聞いてくださいね」
地下から出て、自然光が目に飛び込んだ。
いつぶりかの光に思わず目がくらんだ。俺は空いている手を額に当て、目に直接光が飛び込まないように影を作るが、全身が光に反応しているようで、ふらつきがやまなかった。
「う、わ……」
「大丈夫ですか?」
「久しぶりの外なんで……」
「治まってから動いていただきたい気持ちはやまやまですが、ジル様待ってますので。がんばれます?」
「え、えぇ……」
俺はなんとか頭を振って、一歩進んだ。
イェヌは姿勢を直して、俺を支える。
「俺って……助かったんですよね?」
「でなかったら私のこの現在進行形の労働の意味はどこにあるというんです?」
イェヌは大きくため息をついた。
連れていかれたのは、アデレード王女専用の謁見の間だった。
知らず知らずのうちにエル・オハラ城の城内、しかもその中心に連れていかれていたようで、俺は今まで見たことのないほど絢爛な調度品を目の当たりにして、ついぽかんと呆けてしまった。
アデレード王女はすでに謁見の間の奥にある専用の椅子に座っていた。十段ほどの階段を上がったところにいる彼女は待ちくたびれた様子で、やや不満げだった。
イェヌは俺を抱えたまま、謁見の間を進み、中心のところで立ち止った。
「イェヌ、遅かったぞ」
アデレード王女はぶっきらぼうに言った。
「成人男性を抱えておりましたので!」
イェヌは彼女の態度に気圧されることなく、部屋の中心のところでどさっと俺をおろして、数歩後ろにさがった。
俺はへたりこんだまま、アデレード王女の様子をぼんやり眺めていたが、後ろからイェヌにつつかれてはっとし、片膝を立て、謁見時の姿勢に直した。
謁見の間の両側に、男が2人立っている。
恐らくイェヌが言っていた仲間なのだろう。
「光は慣れたか?」
アデレード王女は俺に尋ねる。
特に心配している様子もなく、ただ確認のために尋ねている風だった。
「えぇ、だいぶ……」
「そうか」
「……」
アデレード王女の返事でぴたりと、静寂がやってきた。
この手の静寂が苦手な俺は、まだ本調子でない思考回路をぐるぐるまわして、次に何をすべきか考えに考えた。
(そうだ、まずはこの状況をもたらしてくれたことに対して、だ)
「ア、アデレード王女」
「なんだ?」
「この度の恩情、感謝の念に堪えません。なんと申し上げたら良いか……」
「良い。私の気が向いただけだ。それに、せっかく死ぬのなら、より刺激的な方法が良いと思ってな」
ふふふ、とアデレード王女はほほ笑む。
その言葉に俺は「え、」と言葉を詰まらせた。
「し、死……?」
「ジル様、彼は多分冗談通じないタイプですよ」
イェヌがそうすかさず言うと
「そのようだな。その豆鉄砲を喰らったような顔……なかなかからかいがいがある奴だ」
とアデレード王女は声を立てて笑い始めた。
彼女のくだけながらも気品ある笑い姿を見ながら、俺は自分のどこに笑うポイントがあるのか一切わからなかった。
そして、先の戦の凛とした姿とは違う彼女の側面が、どうもむずがゆく感じた。
「ジル様、可及的速やかに例の話をした方がいいですぜ」
俺から見て右側に立っていた赤い短髪の男がアデレード王女に進言した。
男は額につけていたゴーグルを着用し、手に持っていた板のような物を操作し始める。顎に溜まった無精ひげが妙に目についた。
「おお、そうだな。リーよ、新しい仲間に説明してやってくれ」
「へい」
リーと呼ばれたその男は板のような物をタップして、謁見の間の中央にホログラム映像のようなものを映し出した。
現世では見たことのない技術に俺は面食らった。
その映像はエル・オハラの地図で、王都と先の戦が起こった国境に赤い印がついている。
それを眺めつつ、王女の言葉が気になった。
(新しい仲間?)
誰のことだろう。
俺はリーが話し始める前に意図を王女に尋ねようと口を開いた。
「だれか来る」
俺が言葉を発しようとした途端、リーの対側にいた長髪の男がそうつぶやいた。
彼はじろりと斜め右の方向を睨んだ。
まもなく、どたどたどた、と、遠くからこちらの方に走り寄る音が聞こえた。数人の足音だ。
足音は謁見の間の前で止まり、それからすぐに扉をノックする音に移った。
ドンドンドン!
ドンドンドン!
「
俺はその声を聞いて、心臓が大きく跳ねるのを感じた。
同時に薄れていたはずの鈍痛がよみがえった気がして、視界が揺れる。
イェヌは「身の程知らず」と扉の向こうに向かって睨みながら吐き捨て、それから「ジル様、どうしますか?」と王女の方を向いて問うた。
「さっさと片付けよう、通せ」
アデレード王女は余裕な笑みを浮かべそう答えた。
イェヌは扉に向かって掌を向けた。
すると、扉はひとりでに開き、ギュレン・アルガドとその取り巻きたちが勢いよく飛び込んできた。
「アデレード王女、御心に感謝いたします。……貴様……!!」
ギュレン・アルガドは王女に礼を述べると、すぐに、俺に烈火の視線を向けた。
王女の御前にも関わらず、地下牢で見せたような形相で近づいてくる。
そして、以前と同じように攻撃魔法を発動すべく、俺に向かって右手を突き付けた。
「“鉄の―」
ギュレンが呪文を詠唱しようと口を開いた瞬間、イェヌが獣のような形相でギュレンの懐に飛び込んだ。
彼の右腕を掴むと、くるりと後ろの方にひねって彼の背中に押し付けた。
「いっいででででで!!」
ギュレンは情けない声を上げる。
取り巻きは主人を救うべく、イェヌに向かおうとしたが、彼女が鋭い目線で牽制すると、子犬のように震え、動かなくなった。
「きっ貴様……!かつての師に向かって……」
ギュレンは痛みに耐えながらもイェヌに向かって言葉を吐き捨てる。
「ジル様の御前で屑な所業に走る人間に師事した覚えはない」
イェヌは淡々と言い放ち、ギュレンを床に向かって放った。
「ぎゃっ」
ギュレンは放られた後、残った痛みで動けないのか、その場ではいつくばっている。
イェヌはパンパンと手を払って、俺の近くに戻った。
「ギュレン・アルガド」
アデレード王女は、取り巻きに起こされるギュレン・アルガドに向かって、ゆっくりとその名を呼んだ。
「貴殿に問う」
「はっ……」
「先の子息の訃報は悼むべきものに他ならん。貴殿しか感じえない痛みがあることもわかる。しかし……だ、確固たる証明がなされていないにも関わらず、彼一人を犯人と断定するその心はどうだ?彼を拘束した
「おっお言葉ですが、」
ギュレン・アルガドは取り巻きの支え手を払って俺の前に飛び出し、王女に向かって請うように手を組んだ。
「アデレード王女、あの者はあの風変わりなエドモントの出です。先の戦ではせがれのいない状況で妙案を編み出したといいます。こやつはせがれを出し抜いて、類まれなる実績を得ようとしたに違いないのです!」
「その確証はどこに?」
「ここにはないですが、あるのです!王女!私を信じてください!!真実です!ここにあります!」
「あんのかねぇのかどっちさね」
「だまれ!!」
リーがぼやくとすぐさまギュレンは吠えた。
その自らの姿にはっとし、ギュレンは王女の方を向き直して、手を組みながら頭を垂れた。
「あ、ぁあ違います王女、彼に私の真意が届いてなかったので、こう吠えてしまったのです。謝罪します。あるのです。確証が。あるといってもここに物証として存在するのではなく、真実として存在するのです。だって、奴は権力を手にできますでしょう?彼には旨みがあります。それはせがれを殺す十分な動機があります。あるんですよ、王女」
はじめはあの折檻を思い出すので、ギュレンから目を逸らしていたが、言動が少しずつおかしくなっていることに気づき、王女に懇願しているギュレンを見た。
横から見た表情でわかる。視線は焦点が合わず、表情は硬直しており、手は震えている。
明らかに先程の怒情と違う、何らかの異常を来たしている。
ギュレンの変化に少しずつ冷静さを取り戻した俺は、彼の所作をじっくりと見た。
手の震え、顔貌の変化、滝のような汗。
(前世の感覚だったら薬物関連だが、現世だったら……)
「——イェヌ」
アデレード王女はイェヌの方を向き、目線で何か指示した。
イェヌは頷くと、静かにギュレンに近づいた。
パチン、とイェヌは指を一度だけ鳴らした。
すると、ギュレンはびくっと背中をのけ反らせ、そのままの姿で固まった。
「……ッぐ、はっ、う、ご、ごほっ!!ごほっ!!」
それから数秒としないうちにギュレンは再び動き出し、息のタイミングがつかめなかったのか大きくせき込んだ。
「“禁術”だな」
アデレード王女は確かめるように言った。
(禁術?)
俺はアデレード王女を見た。
先程の笑みと打って変わって険しい顔をしている。
「王都に“禁術”を使った者がいる。人を惑わし操作する“月の幻惑”——イェヌ、お前はダヴァン・エドモントを治療した後、出立の準備をしろ。フォルテ、リーはアルガドらを連れて私についてこい。グリス兄上の元へ行く」
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