第8話.カタストロフィ
「⸺この低劣な下衆が‼」
怒号が放たれた途端、俺は柵の対側の壁に全身を打ち付けられた。
これで何度目だろうか。目の前の男は活火山のごとく、激情を止めない。
ドンッドンッドンッと何度も打ち付けられる。
床全体に描かれた魔法陣によって、俺はじわじわと魔力を吸われている。なす術はない。抵抗すらもできない。
いや、抵抗なんぞした日には、彼のマグマのごとき激情によって俺は焼き尽くされてしまうだろう。
目の前の男—ギュレン・アルガドの全身の皮膚は赤く火照っていた。彼はわなわなと震えており、怒りも無念さも己のやり切れなさも全て、俺にぶつけているらしかった。
俺はあの後、テト・アルガド殺害容疑で
何の取り調べもなく、だ。何も聞かれないままに、敷物すらない石畳、名だけの寝台、鉄格子の、なかなかに殺風景な牢に入れられたのだ。
本来であれば、取調官の聴取があるはずなのだが、この問答無用ぶりを見るに、俺は先の戦から何かしらの大きな流れに片足を突っ込んでしまったらしかった。
ギュレン・アルガドは見張りの兵を払って歯止めが効かなくなってるのか、本来
周りの家臣たちはただ、ぼんやりとその有様を眺めているだけだ。
ただ、時たま俺に向ける視線は至極冷え切っていた。
「この、下衆がっ!下衆がっ!下衆が‼未来が約束されたテトを手にかけるなど!よほど日頃の扱いが納得いかんのかエドモントよ‼」
「ぐっ……‼」
攻撃魔法の衝撃波で体のあちこちが悲鳴を上げる。ある拍子に床に頭をぶつけてしまい、脳がぐらぐらと揺れた。
床が濡れている感覚がする。
(日頃の扱いってなんだろう)
遠のく意識の中、呑気にギュレン・アルガドの言葉をなぞる。
すると、家臣のひとりがギュレンにこそっと耳打ちをした。
ギュレンはまだ激情を治められなかったようだが、辺りをきょろきょろと見回し、「後始末をしておけ」と家臣に言うと、そそくさとその場を離れてしまった。
残された家臣は俺に冷たい一瞥をくれてやると、回復魔法を詠唱し始めた。
痛みこそ残るが、詠唱とともにみるみるうちに外傷が消えていくのがわかった。
折檻の痕跡を消され、うちに多大な痛みを感じながら、俺は泣いた。
石畳の上で情けなくも突っ伏しながら、ひたすら苦痛に堪えた。
牢に入れられて数日経った頃、スックとオットー、ゴルディたちが面会にやってきた。ギュレンの折檻からは特に何もなく、ただ、魔法陣に魔力を吸われるまま放置された俺は、彼らが来た時にそれが現かわからなかった。
スックは憔悴しきった俺を見て、顔をゆがませた。旧知の仲であるオットーはペディットンからの伝言について触れたが、テト・アルガドが死んだことはもう事実とわかっていたし、あとは彼女の悲痛さが伝わる内容だけだった。
ゴルディも神妙な面持ちこそしていたが、苦痛を示すのをスックとオットーに任せている様子で、周囲の見回り兵がこちらに来ないか常に気にしていた。
「あぁ、何故君だけがこんな目に……」
スックは柵を掴みながらうなだれる。
「しっかし、魔法が使えないように対策するなんてかなりの所業だな、こりゃ。下級
オットーはまじまじと床の魔法陣を眺める。
ゴルディは二人にそっと「もう少し小さい声で話せ」と耳打ちした。
見回り兵の足音はなかったが、声をいたずらに響かせるのは得策ではないと考えたようだ。
「実は……気づいているかもしれないけど、先の戦で不穏な動きがあったようでね。もちろん、テト・アルガドについても……すべてを被らせるスケープ・ゴートとして何かしらの勢力が君を選んだようなんだ。あくまで噂なんだけど……」
スックが小声で念を押すように俺に語る。
「今回の君の拘束について流石にいぶかしがっている人間はいないわけじゃない。そんな連中を集めて君の処遇改善を嘆願する手はなくはないけれど、相手がギュレン・アルガドだ。クルル・リュブルに頼んで、“
スックはスックなりに出来る限りの打開策を模索していたようだったが、この無理矢理とも言える俺の拘束ぶりを見て、改めて無力さを実感しているようだった。
当たり前だ。どう唆されたのかわからないが、俺が犯人だと信じ込んでるのは
彼以上の力を持つ者しか太刀打ちできない。
つまり、どんな
「だったら“紅爪の王女”に頼んだらいいんじゃねぇの?」
オットーがあっけらかんと言った。
その声だけが浮いて廊下に響いたので、「小さい声で話せって言ったろ」とゴルディがすかさずオットーの頭を叩いた。
「下級
スックは呆れたように言った。
「だって戦で会ったんだろ?『あの時のー』って言ったらなんとかならねぇかな」
「ならねぇよ」
ゴルディはまたオットーを叩いた。
すると向こうの方で足音がした。見回り兵か。
ゴルディはやべぇ、と漏らすと、スックとオットーを急かし始めた。
「とにかく、ダヴァン。僕たちはできる限りのことをする。あとは君の無事を祈るしかできないけど……君の家族も既にいろいろ動いているみたいだし、悪いようにならないはずだ。あともう少し、耐えてくれ。それしか言えなくて済まないが、また会えることを祈っている」
スックはそう言って、加護の十字を切った。
オットーは拳をぐっと握って、激励を示し、ゴルディは柵から手を入れて、ぽんっと俺の肩を叩いた。
精魂が抜けたような身体にやや熱が戻ったような気がした。
その次の日だった。
俺の罪状が真実であると証明されたこと。
そしてその真実を元に3日後、俺を処刑すること。
わけがわからなかった。
あっという間の展開で、あっという間に俺の最期が決まってしまった。
以降、俺の元には誰も来なかった。
重い球体が頭上から俺に落とされたような衝撃。
目の前が真っ暗になるというのはこういうことだった。
アデレード王女は俺たち
彼女は正しい。ノール・クリプキが言っていたことも正しい。
俺たち
そんな中で何か大きなうねりがたまたま表層にいた俺を見つけ、スケープ・ゴートとして仕立て上げたのだ。
(悔しい)
魔法陣に頬をつけたまま、俺は突っ伏していた。
魔力を吸われていようがもうどうでもよかった。
スックたちを招き入れたのは俺に一抹の希望の幻影を見せるためだったのだろうか。
だとしたら、至極、悪趣味だ。
(悔しい)
(悔しい)
(悔しい)
俺はぐっと、拳を握った。悔しくて、泣いた。
泣いたところでどうにもならない。
俺は己の弱さを悔いた。そして、呪った。
先の戦で己の力が通った感覚なぞ、芥のようなものに過ぎない。あんなもの、ただのまやかしだったのだ。
このまま待つしかできない、そんなちっぽけな存在なんだ俺は。
(悔しい)
悔しい。けれど何もできない。
嗚呼、俺に全てを破壊する力こそあれば。
すべてを圧倒するような、彼女のような。
「——まだ、夢を見るか。雄雛よ」
ふっと、凛とした声が振った。
俺はがばっと起き上がって柵の方を向いた。
牢の周りは暗いはずなのに、一抹の陽の光すら差さないはずなのに、そこだけまばゆい光が濃く浮かんでいる気がした。
プラチナブロンドの髪は、女神の纏う絹のように美しく、その髪の向こうに見える黄金の瞳は淵が朱く、燃えている。
「死するなら、いっそのこと、私とともに飛び降りてみるか?」
まばゆき存在、アデレード王女は俺に手を差し伸べ、不敵な笑みを浮かべた。
→
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます