第7話.コンスタブル



 癒術士ヒーラーたちが普段過ごすエリアはエル・オハラ城から見て右手の方に拡がっている。城から見て中央を下ると城下町、左手に下ると国王軍のエリアに繋がる。

 大体の癒術士ヒーラーは組合が抱える宿舎か学府アカデメイアが運営する寮に入る。ただ、俺やスックのように一家が長年王都に居を構えている場合は、一家の屋敷で暮らすことが多い。


 俺はアズール・エリアを抜けて、ルージュ・エリアの脇を通り、屋敷に向かって坂を下っていく。研究機関が集まるエリアを抜けると、小さな街のようになっていて、魔術書専門の本屋はもちろん、薬屋、問屋、日用品を扱った商店、飲食店、バルなどがあり、城下町まで行かずともここで生活が完結するようになっている。

 ここまで来ると外套姿の癒術士ヒーラーはちらほらいる程度に減り、大抵の人間は私服姿で道草を食って、気が済んだら帰る、という感じだ。


 今日の晩飯は羊肉のローストだと今朝、使用人のペディットンが言っていた。

 それに、中級癒術士ヒーラーが言っていた通り、次兄グレンは今王都にいる。嗅覚が狼並の兄のことだから今日は屋敷に戻るだろう。


 俺は馴染みの酒屋に寄り、羊肉に合うベリーが強めの赤ワインを求めた。


 馴染みの酒屋の主人は俺に気づくなり、へこへこしながらやってきた。丸みを帯びた額から汗が滲んでおり、商いの勢いが感じられた。

「エドモントの末坊っちゃん、先の戦では大活躍だったようですな」

「誰から聞いたんだその話。……今日はペディットンが羊肉のローストを仕込んでるらしくて。ベリー味強め、重めの赤はないかい?タンニン強めでも構わないよ。産地は気にしないかな」

「末坊っちゃんは産地の指定がないから勧めやすいですな。ちょうど流国るこくリキル・マルタから輸入したものがございますよ。それこそ向こうの羊料理によく合わせるやつとか。ちょっとスパイシーな後味があるので、冒険されたいならおすすめです」

「グレン兄さんが帰るかもしれないから、そういう変わり種が良さそうだ。いくら?」

「200ペルクです。あとは、おまけで妻の故郷で作った青カビチーズも付けましょう」

「それはいい。ペディットンが好きなんだよ。クラッカーももらおう。これは勘定にいれてくれ」

「へい、225ペルクですな」


 俺が金額ちょうどの紙幣と銀貨を手渡すと、主人は精算しに店の奥に引っ込んだ。

 品物を眺めながら待っていると、新しい客が俺の隣に来た。


「やぁ、こんにちは」

 聞き覚えのある澄んだ声。

 俺は声の主の方を向くと、そこには先の戦に参加していた上級癒術士ヒーラーノール・クリプキがいた。


「クリプキさん!」

「この間の戦以来だね」

 クリプキは切れ長の目を細めてにっこりと笑った。


 清算を済ませた主人が店頭に戻り、クリプキの姿を確認すると、あからさまに驚いた様子で

「あぁ、ノール坊ちゃん!ご無沙汰しておりますな!」

と俺の時以上にへこへこ頭を下げた。


「そんなにかしこまらないでよ。ずっと研究室に籠ってたんだ。今日は姉さんが城から暇をもらったっていうから、ちょっとした、ね。何かおすすめのワインない?あれ?そのワインのエチケット、リキル語じゃない?輸入もの?」

「え、えぇ、ちょうどダヴァン坊ちゃんにお買い上げいただきまして」

「へぇー君、いいセンスしているね。リキル・マルタは全国的に水がいいし、挑戦的なフレーバーが多いにも関わらず、外れが少ない」

「いえ、ちょうど勧められたので……」

 俺がそう恐縮すると、クリプキは「そっか」と返し、エル・オハラの南部で生産されたビンテージの赤ワインと俺が購入したリキル・マルタ産の赤ワインを店主に頼んだ。



「君がワイン好きだとは知らなかった」

「いえ、今日使用人が羊肉のローストを仕込んでるらしくて……たまたまです」

「ふーん。そうだ、エル・オハラ西部のキタンって町のワイナリーで、臭みの強い肉に合うワインを作っていた気がする。今度あの主人に聞いてみるといいよ」


 俺たちは酒屋で買い物を済ませて、近くの噴水のわきに腰かけた。

 多忙を極める上級癒術士ヒーラーも今日は早々に仕事を終えて、余暇を楽しんでいるらしかった。


「先日の戦ではお手柄だったね。そういえばクルルが、君がまとめたレポートを読んで、ひどく感激してね。喜び勇んで“双頭白蛇ドゥラクレイドスの杖”のメンバーに伝えに行ったのを見たよ」

 “双頭白蛇ドゥラクレイドスの杖”とは、上級癒術士ヒーラーの有志数名が運営する、評議会直下の特別機関だ。若手の癒術士ヒーラーの活動促進のために運営されている、学校でいうところの生徒会みたいな立ち位置だ。

 この世でも白蛇はありがたがられる存在らしい。機関のシンボルマークはアスクピレオスの杖よりもケリュケイオンの杖に似ている印象だ。


「そんな、恐縮です」

「彼女は人一倍責任感がある人だから。副指揮官が彼女でよかったよ」

「……」


 ふと、テト・アルガドの訃報を思い出した。

 事実であれば、クリプキはもう知っていることだろう。

 ただ、世間話として切り出すにはなかなかヘビーだ。

 

「どうしたの?」

「その……指揮官についてなのですが」

 同胞の死について尋ねるのもどうかと思ったが、クリプキの言葉につるっと口から出てしまった。


「あぁ、聞いたのかい?」

 意外にもライトな口調でクリプキは応じた。


「え、えぇ。今日アズール・エリアに寄った時に聞きまして」

「そうか」

 クリプキは葵の髪をかき上げる。


「そうなんだ、僕も今朝聞いてね。こういうことは滅多にないから、上級の間でも動揺が広がっているよ」

とつぶやきながら、クリプキは俯いた。


「あ、えと、すみません。同胞の訃報についていたずらに尋ねてしまって」

「いや、いいさ。知っての通り、彼の父上の選挙の前だから変な噂が早速出てきていてね……クリプキ家はどちらかというとパーデルライツ家との方が親しいから、僕も変な感じに巻き込まれちゃってて」

「そんな……」

と言ったものの、それから何を言っていいのか俺にはわからない。

 彼の背景を読み取る情報が俺には少なすぎた。

 

 新しい風が必要なんだ、とクリプキは呟いた。


「え?」

「新しい風さ。今の癒術士ヒーラー界は大元の存在意義から離れ、思想や権威が先行してしまっている。テト・アルガドの死だって、恰好の政治的材料として利用されかねないしね」

「……」


 アデレード王女が戦場の俺を『巣の中の雄雛』と揶揄したことを思い出した。

 確かに彼女の言う通りで、エドモント家の滅茶苦茶なレッテルを貼られつつも、なるべく周囲の目を見て見ぬ振りして生きてきたし、癒術士ヒーラーの下劣な権力闘争はなるべく視界からシャットアウトして過ごしてきた。

 そういう人間臭い恣意的な有様は前世で既に飽き飽きしていたからだ。

 ただ、この先、どうしてもついてまわる本質だと少しずつ感じ始めているのも事実だ。


 俺はまだ癒術士ヒーラーたちを取り巻く世界についてほとんど知らないし、クルル・リュブルやノール・クリプキやアデレード王女が見る世界について何も知らない。


「だからこそ、先日の戦で果敢に生き抜いた君たち下級癒術士ヒーラーには期待している。僕はあの時、君には『窮地に追い込まれたときにも思考し続けられるスタミナ』があると踏んだ。これから癒術士ヒーラー界を泳ぎぬくには大事な素質だ」

と言いつつ、クリプキは立ち上がった。


「ごめんね、付き合わせて。ただ、君は純粋無垢だから、今後もいろんなとこに関わってくる気がしてね。僭越ながら先輩として話させてもらったよ。同じ視座に上がってくるのが楽しみだ」

 クリプキはワインの入った紙袋を抱えなおし、「じゃあ」と言ってその場を後にした。

 別れを告げるときに振った彼の右手にかけられた白銀のアンクレットが揺れた。




 結局、グレンは屋敷に戻らず、俺はひとり、先程のクリプキとのやり取りを思い出しながら、夕食を摂っていた。

 屋敷に戻った俺の様子を見て、ペディットンがひどく心配していたので、テト・アルガドの訃報と噂についてわかる限り話した。彼女は丸々とした体格に似合わず俊敏で、情報収集に長けている。「坊ちゃんの憂いを晴らすためならば」と夕飯の支度を終えたペディットンはそのまま街へと繰り出した。


 さほど気が落ちている自覚はないが、どうも落ち着かない気持ちだ。


 グレン兄に会えたら何か聞けるかも、と思ったが、また彼にしか見えない大局を追って彼は彼なりに奔走していることだろうし、俺の些末な悩みに注意なんて向かないだろうとも考えた。


 酒屋の主人に勧められたワインは開かせたらまた味が変わる予感がしたので、グレン兄が夜中に帰ってきた時のために取っておくことにした。


 自室に戻り、ほろ酔いの中、ぼんやりと考える。

 新しい風。


 『巣の中の雄雛』と揶揄された俺に一体何ができようか。

 トリアージ法だってたまたま上司であるクルル・リュブルが受け入れてくれて、たまたまその状況にハマっただけで、他の医療知識が現世に応用できるかといったらほとんどは使えないだろう。

 解剖学はもしかしたら応用できるかもしれないが、生化学、生理学、病理学、薬理学など基礎医学の知識はもちろん、臨床医学の知識だってこちらの世界で通用するわけがない。価値観が違うのだから。


 むしろ新しい風を必要としているのは俺の方だ。

 それこそ、空から急に降りてきた紅いドラゴンのような。


(王女は今、何をされているのだろうか)


 あれ以来、アデレード王女には会っていない。


 まるで退屈から連れ出してくれるヒーローを待つかのように、俺は窓を見た。

 遠くの町明かりがゆらゆらと揺らめいているだけだった。



 ——コンコンコン。

 屋敷のドアノッカーが響いた。


 俺はちらりと窓から玄関の方を見るが、玄関前の明かりでは姿がぼやけて見える程度で詳細はわからない。ただ数名いることはわかった。


(なんだろう、)


 俺は階段を駆け下り、踊り場のところまで来て、ぴたりととまった。

 踊り場の上部にある窓に何か通り過ぎた気がしたのだ。


 ざわっと全身が震えた。


―—コンコンコン。


(なんだ、)


 俺は息を飲んで、玄関ホールまで降りた。

 それからゆっくりと玄関の扉まで進み、ドアノブに手をかけた。


 開けた先には、黒い影。


「⁉」


 よく見ると、それは黒い外套で、黒い外套姿の男が数名。

 外套の胸元には涙であふれた天秤のマークがあった。


「ダヴァン・エドモントだな?」

 そのうちの男が俺の名を呼んだ。

 

 女神の慈悲の涙であふれた天秤のマーク。

 法執行官コンスタブルのマークだ。


「……何か?」

 俺が問うと、一人の法執行官コンスタブルが俺に向かって1枚の紙を突き出した。


「テト・アルガド殺害容疑で拘束要請が出ている」


 俺は絶句した。

 しかし、彼らは表情ひとつ変えず、俺の様子を眺めているだけだ。


(何がどうなっている……⁈)


 俺は不意に数歩後ずさりした。

 その刹那、一人の法執行官コンスタブルが右手をこちらに突き出すと、光の網のようなものが発された。

 光の網に捕らわれ、その勢いで俺は後ろに向かって倒れ込む。


(何だ、何が、どうしたんだ)


 急な出来事に思考が追い付かない。

 倒れた痛みも感じないほどに。

 ただ一つわかったのは、何か大きな流れに巻き込まれたということ。


 痛みは感じないが、背中全体に大理石の床の冷たさが伝わってくるのがわかった。

 巣から落とされた雄雛は、当然成す術もなく、その場でうずくまるしかなかった。



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