第1章.ズメイの眼

第6話.アズール・エリアにて



 竜国ドレク・ゴーンの襲撃から2週間経った。

 あれから俺たちは無事に王都に着き、治療を受けつつ、おびただしい量の報告書を書いた。癒術士ヒーラー界隈では、治療以外の魔法を使用した場合は、その術式、術式自体の由緒、使用目的、使用結果などなどを明確に記さなくてはならない。俺やゴルディは竜人との戦闘で攻撃魔法を使ってしまったため、大量の報告書を書かされた上に、何度も審議会に呼ばれた。

 この伝統はさっさと滅べばいいと思う。


 加えて、帰還後にクルル・リュブル女史より直々に、俺が提案したトリアージ法について書面でまとめてほしいと依頼があったため、寝る間を惜しんで書き上げた。


 この2週間はあまりに提出物に追われすぎていたこともあり、途中から変な笑いが漏れ出ていた。自宅の使用人も俺の今後をさぞかし案じていたことだろう。前世で日々の診療をこなしながら、学会のスライド作成と査読を受けた論文の修正に追われ、医局に籠りきりだった頃を思い出す。

 しかし、あの頃はパソコンという文明の利器があったが、現世はすべてアナログだ。すべてが手書き。気が狂いそうだった。


 ただ、それに見合った収穫はあった。

 今回の戦で治療に尽力した下級癒術士ヒーラーたちは、中級癒術士ヒーラー認定試験の受験資格および、“アズール・エリア”の一部立ち入り許可証を授与されることとなった。

 アズール・エリアは中級以上の癒術士ヒーラーが立ち入ることができるエリアで、より専門的な魔術研究ブースや、より高度な魔術を記した専門書を蔵する図書館が存在する。これを機に、さらなる研鑽を積むようにという、国王の思し召しらしい。



 提出物を片付け、あらかた寝つくした俺は、ある日、仕事終わりにスックとともに、アズール・エリアに足を踏み込んだ。

 建物の構造は普段、下級癒術士ヒーラーが過ごしているルージュ・エリアとはあまり変わらないが、やや規模が大きい印象を受ける。


「いやぁ、すごいね!普段見られないような研究テーマのポスターがたくさんあるよ!」

 目をきらきらさせながら、スックは第一ホールに入った先の掲示物を眺める。

「効率的な治療を目的とした文法研究、魔力の密度と治療効果の相関をまとめた観察研究——中級はこんなにクリエイティブなことをしているんだね!」

「保守派が多い割にはな」

 俺がぼやくと、スックはあたりでだれか聞いてないか、ベージュ色の頭を左右に振って無事を確認してから俺に詰め寄った。


「君はエドモント家に恥じぬ破天荒だけれどもね。評議会会長選挙が近づく中で荒立てる発言は控えてほしいよ」

「あれ、もうそんな時期だったか」


 スックは研究ポスターの間にでかでかと貼られている評議会会長選挙のポスターを指差した。

 癒術士ヒーラーをまとめる最高機関である癒術士ヒーラー評議会。4年に1度、この評議会会長を決める選挙が行われるのだが、大方結果は決まり切っている。今回で4度目の出馬を表明している、現職のギュレン・アルガドだろう。

 癒術士ヒーラー界は今、主に二つの勢力が台頭している。アルガド家率いる保守派と、パーデルライツ家率いる改革派だ。

 まあ、前世でもいやというほど見た典型的な対立構造である。

 総合病院で力のあるもの同士、日々文句を言い合っている診療科みたいなものだ。


 ただ、この対立構造が癒術士ヒーラー育成に悪影響を及ぼしかねないとして、度々国王側近からお叱りを受けていることも事実だ。

 そりゃそうだ。なんで癒術士ヒーラーともあろうものが、思想をぶつけあって公開討論しているのであろうか。

 もしRPGにこんな卑陋ひろう癒術士ヒーラーがいてはシナリオが破綻する。


(前世からヒポクラテスが転生して、奴らを余すことなくぼこぼこにしてくれたらいいのに)


 俺たちは、癒術士ヒーラーの未来について意見をぶつけあってる中級癒術士ヒーラーたちの脇を通って、第一ホールから研究棟の方へと進んでいった。


「そういえばトッド・ゴルディはもうすでに研究に参加しているらしいね、解剖学アナトミアの」

解剖学アナトミアってあの学府アカデメイアの講義でやった、ちゃちい絵のやつだろ?」


 俺は現世の解剖学アナトミアのクオリティにうんざりしていた。

 前世のアトラスを知っている俺からしたら、学府アカデメイアで扱った人体の資料は『蔵志』(『ターヘル・アナトミア』以前に存在した江戸時代の解剖書)レベルだった。

「いや、実際に人体解剖するんだって。ゴルディは合理主義者だから人体を知ることでより効率的に魔力を使えないか研究したいみたい」

「えっ」

 現世の人体を見られる?

 その事実に俺の胸は躍った。


「え、どうしたの。ダヴァンも人間の中身見たいの?」

「すごく、興味がある!」

 前世と現世、人間の見てくれはほぼ一緒だが、中身は果たしてどうなのだろうかと幼少時よりひどく興味があった。こちらでは魔法が使えるし、何か変わった器官があるのかもしれない。

 学府アカデメイアで受けた解剖学アナトミア講義は悲惨なものだったが、その先があったことに俺は感嘆を覚えた。


「そんな……人の中身を暴くなんて……デリカシーがないっていうか、グロテスク趣味じゃないか。見なくても治療魔法使えるわけだし」

「お前、どうやって飯が消化されて便になるか、実物を見てシミュレーションしたほうがよほどいいぞ。現実を見つめろ」

「ダヴァンってスイッチ入るとめんどくさいよね」


 それから研究棟を歩いて回ってると、何人かの中級癒術士ヒーラーたちがこちらをちらちら見ていることに気づいた。


「おい、あの首飾り」

「エドモント家だ」

「下級じゃないか、どうしてここに?」

「この間の戦闘に参加した子でしょ、グレンの弟?」

「え、グレンって、あのグレン・エドモント?」

「あいつ今ファタマンテ州に飛ばされてなかったっけ?」

「最近、寮の近くで魚釣ってたの見たわ」

「え、あいつ今王都にいるの?」

「てか魚釣ってなにすんだよ、またなんかしでかすんじゃないだろうな」



「……ダヴァン、君の兄さんまたなんかしたの」

「したけど言いたくない」

「わかった」


 そうやって周囲が勝手な噂で盛り上がっている中、どこかから誰かがじろりとこちらを見ているような気がした。俺はあたりを見回すが、稀有な生き物を見るかのような目ばかりで、特に変わった視線はない。


「どうしたの?」

「いや、なんでもない。あとで解剖学アナトミアの本何冊か借りるか」

「魚でシミュレーションするの?」

「なんでだよ」


 俺はいよいよもって珍動物のように見てくる視線にうんざりしてきたため、図書館に向かうべく、踵を返した。


 すると、研究棟に一人の中級癒術士ヒーラーが喚きながら飛び込んできた。


「大変だ!大変だ!大変だ!」

 その男は黒ぶち眼鏡が大きくずれながらも、そんなことにおかまいなしでこちらに駆けてくる。


「大変だ!大変だ!大変だ!」

「あ、“スピーカー・ボーイ”だ」

「何が大変だって?」


 彼を知る同胞たちが喚く彼に向かって声をかける。

 その声を聞いて、黒ぶち眼鏡の男が立ち止った。

 途端、額から汗が噴き出すが、そんなのおかまいなしに男は叫んだ。


「大変なんだ!テト・アルガドの遺体が見つかった!!」


 その言葉にあたりはどよめいた。

 俺とスックはぽかんとしていたが、彼の知らせを聞いた中級癒術士ヒーラーたちの顔が瞬時に固まったのがわかった。


「まじかよ、テト・アルガドが?」

「先の戦で行方不明になったんだっけ?」


 エドモント家の奇行のことなんてすっかり忘れた大衆は、スピーカー・ボーイと呼ばれた男の元に群がる。


「どこで発見されたんだ?」

「先の戦で癒術士ヒーラーが集まった地点からおよそ2㎞離れたところらしい」

「死因は?」

「まだわからない」

「誰が言ってた?」

「ヒョルド評議会副会長たちが話しているのを聞いたんだ。遺体はもう王都に着いている」

「そんな……」


 そのスピーカー・ボーイという中級癒術士ヒーラーは彼らの中では情報通の立ち位置らしく、彼らの反応から見るに、テト・アルガドの訃報は事実であると認識しているらしかった。

 しかし、その情報通の言ったことをすぐに信じ、あれこれ憶測を立てている様は見ていて気持ちのいいものじゃなかった。


「なんでこのタイミング?つかなんで指揮官がテト・アルガドだったんだっけ?」

「隣国に向かう特使として実績を積みたいんじゃないかって言われてなかったか」

「結局クルル・リュブルが指揮したんだろ?彼女派閥どっちだっけ」

「リュブルはどっちでもねぇよ。つか関係なくね」



「ちょっと……異様な光景だね」

 スックは彼らの妄信めいた表情に引いているようだった。


 俺たちは知っている。今ここにいる中級癒術士ヒーラーのほとんどが先の戦に参加しなかったこと。

 そして、テト・アルガドの死をスキャンダルとして見ているということを。


「スック、今日のところは帰ろう」


 そう言えば、前世でも似たようなことがあった。

 大学病院にいた頃、辣腕振るったとある診療科の医長が急死して、その後愛人だったナースがあれこれ暴露したおかげで、それを鵜吞みにした医者たちが大いに盛り上がったって話だ。

 大学病院みたいに癒術士ヒーラー界隈は閉鎖的な傾向にあるし、似たような事象は起こりやすいんだろう。

 人間さもありなん、ってやつだ。


 俺たちはその日はアズール・エリアの図書館には寄らずに、そのまま帰ることにした。

 なんだか現実を見せつけられたような気がして、少しだけ傷心した。





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