第4話.紅爪の王女



 ゴゴゴゴ、と竜人の軍団がすぐそこに迫ってくる。

 俺たちは竜人との戦闘を経験したことがない。30年以上も休戦協定を結んでいたからだ。それに、彼らを見たことはあれど、交流した経験がある者はごくわずかだ。

 彼らが獰猛な気性の持ち主であること、彼らは普段は俺たちと変わらぬ人の姿だが、こうして戦闘に入ると、頭は竜に変わり、全身がごつごつとした皮膚に覆われることしか知らない。


 逃げようにも、もう、猶予はなかった。

 ただここで状況を防ぐのみ。


 根拠のない自信によるものなのか、ただ脳が馬鹿になっただけなのか、ここから先、何が起こるかわからないのに、死ぬかもしれないのに、どういうわけかどこか夢見心地だった。

 盾魔法シールドを全力で、死ぬ気で張っていれば、なんとかなるだろうとどこかで楽観視していた。



 が、間違いだった。

 竜人が突進するや否や、俺たちの張った巨大なシールドが大きく振動し、共振で激しくうねり始めた。竜人のひとりがギャギャギャ!!と叫び、巨大なランスを俺たちの盾に何度も突き刺し始めた。

 そして、バキン、と鼓膜が割れた―いや、鼓膜ではなく、目の前のシールドだ。俺たちは一瞬のうちに後ろの方へと吹っ飛ばされ、負傷兵たちの中に突っ込んだ。


「っ痛……‼」

 右肩から地面にたたきつけられて、みしっと体内がきしんだ。ふっと右腕がだらんと脱力し、すぐに起き上がろうとも起き上がれない。

 痛みが思考を飲み込む。

 俺は歯を食いしばって、呪文を詠唱しながら脱臼した自らの肩を整復した。無理やり戻された関節がひりひりした。

 起き上がり、シールドがあった先に目をやる。


「えっ……」


 竜人のランスが腹に突き刺さった下級癒術士。

 果敢に立ち向かうも、腕を食いちぎられる中級癒術士。

 己の剣で向かい撃つが、竜人の息吹で全身が炎に包まれる兵士たち。


 盾魔法シールドを張ろうと杖を振るが、うまく発動せず、竜人たちに追い詰められて、串刺しにされる同胞——


「うわああああああ‼‼‼」


 向こうで血しぶきが散った。


 いくら人間の中身を見たことがあっても、こんな暴かれ方は経験していない。前世で大学時代、系統解剖でご献体の頭蓋を矢状面に真っ二つにしたことはあるが、その比ではない。

 知っている人間たちが、あっという間に骸にされていく。



『—“深き森の微睡みデプレコン・イル・ハルシウラ”‼』


 おびただしい青い蝶が辺りを包んだ。

 

 クルル・リュブルの蝶たちだ。


『皆!早く逃げるのです‼』


 蝶たちからクルル・リュブルの声が伝わってくる。

 俺は彼女はいずこかと辺りを見回す。彼女の声に従って、近くにいた負傷兵が足を引きずりながらも退却を始めた。無事な癒術士ヒーラーも、動けない兵士をかかえながら退却していく。



「ダヴァン!ここにいたのか‼」

 人の海をかき分けて、スックがこちらに飛び込んできた。

 スックの右袖が破けており、そこに布包帯が巻き付けられている。手足の振りからして、動きを制限されるような傷は負ってないらしい。

 よかった。俺は胸がぐしゃっとつぶれるくらい大きく息を吐いた。


「クルル・リュブルはどこに?」

「何言ってんだ!今は逃げるのが先だろ‼さっき、同胞のパウロが殺された‼認定試験で席が隣だった奴だ……首元を大きく切りつけられて……」

 スックの顔がくしゃくしゃに歪んでいく。


「人同士の戦闘とわけが違う……!早く逃げよう‼」

 俺はスックに腕を掴まれて、皆が逃げるほうに引っ張られる。

 竜人のいる方を見ると、クルル・リュブルの青い蝶が少しずつ消えていくのがわかった。

 奴らの炎によって吹き飛ばされているようだ。


 そして、あちこちに倒れる兵士や同胞たち。

 手遅れの者たち。


 たまらなかった。ようやく希望の糸が繋がった者たちが、奴らの残虐性によって無惨にもその命をすりつぶされてゆく。

 いや、違う。それは傲慢だ。自分たちがいくら命を繋いだとて、この世界には容易くそれらを飲み込む無慈悲な脅威がいくらでもあるんだ。


 ここまで来たら、抗うのは無意味なのだ。



「——あれは、」

 俺は立ち止った。

 スックはそんな俺に気づき、似合わない大声で

「おい‼どうしたんだ!」

と叫んだ。

 しかし俺の耳には届かなかった。

 見つけてしまったからだ。


 ゴルディが、負傷兵を抱えながら、竜人と対峙していたのだ。


「ゴルディ‼」


 俺は駆ける。

 スックが止める声を払って、ゴルディの元へ走った。



「おらぁッ!!!」

 ゴルディは片手に握ったハンマーを竜人に向かって豪快に振るい続けていた。そのハンマーは魔力を帯びており、ゴルディが振るうごとに衝撃波になって、竜人の方に放たれた。

 衝撃波を避けた竜人は、ゴルディに向かってぶおっと炎を吐いた。ゴルディはハンマーを大きく振り上げ、魔力の波を作り、炎を消し止める。


「ッぐ、はぁ、はぁ……くそっ」

 少しずつ肩で息をし始めたゴルディは、周囲に竜人が集まってくる様を見て、一層眉をひそめて舌打ちをした。

 一人の竜人が、ゴルディに向かって突進した。


 俺は、杖を取り出して、叫んだ。


「“セイレーンの渦ボルテクス・フォル・セイレーン”!!!」


 杖から強大な渦が発され、ゴルディに突進した竜人を包んだ。

 魔力をあまり込められなかったため、足止め程度だが、その隙に、ゴルディの元に飛び込む。


「エドモント⁈」

 ゴルディは不意をつかれたように叫んだ。


「気でも狂ったか⁈わざわざ死にに来る真似なんかしやがって!!」

「お前だって合理主義者にしては似合わんことしてるじゃないか」

「当たり前だ!胸糞悪い死に方はで充分なんだよ!!」


 気づけば、周囲を飛んでいたクルルの蝶は消え去っている。

 術式が解除されたようだ。彼女はまだ無事なのか、それとも。


「“セイレーンの渦ボルテクス・フォル・セイレーン”!!!」

 俺はもう一度、叫んだ。

 しかし、魔力切れなのか、さっきよりも小さな渦しか出てこない。


 足止めにもならない渦をひとりの竜人がランスを振って掻き消す。

 その隙に、ゴルディは竜人の胸元に飛び込み、ハンマーを奴のこめかみに思い切りたたきつけた。


「ゴルディ‼」

「逃げるぞ!」


 竜人ひとりを吹っ飛ばして、俺たちは駆けだした。

 周りにいた竜人たちはそれにひるむことなく、俺たちを追う。


 足が徐々に重くなっていく。

 少しずつ、駆ける幅が短くなっていくのを感じた。


「エドモント‼」


 あぁ、ついに俺もあんな風に凌辱されてしまうのか。

 せめて、せめてこの体をバラバラにするなら、いっそのこと殺してからにしてほしい。

 その感触を覚えながら死にたくはない。


 竜人はすぐに俺の後ろまで到達した。

 大きな爪を備えたその手が振り返った俺の瞳に飛び込んだ。



 あぁ、終わった。




 ―ドンッと爆ぜる音がした。

 空に巨大な流星が弧を描いているのが竜人ごしに見えた。


 いや、流星ではない。何か、巨大な生き物だ。

 戦場がある地平線からすぅっとこちらに急速で飛んでくる。


「⁈」


 竜人が一撃を喰らわそうと俺に飛びかかった。


 が、竜人は不思議と固まってしまった。

 大きな手を振りかざした状態で、宙に浮いたまま動けなくなってしまった。

 竜人は焦った様子でなんとか動こうとするが、びくともしない。


 何かの力によって強制的に止められているようだった。


 大きな光が俺たちの近くに飛び落ちた。

 その衝撃で、すぐ近くにいた竜人たちが吹っ飛ばされ、俺たちもすさまじい風に煽られた。


「グオオオオオオオ!!!」

 地響きのような雄叫び。


 すると、まばゆい光から一頭のドラゴンが現れた。

 体長数メートルに及ぶ紅いドラゴンだ。細身の体躯ではあるが、筋組織がみっしりと詰まったような締まったフォルムをしている。


 荘厳な黄金の瞳がこちらをぎょろりと見た。


「エドモント、早く逃げろ!!」


 ゴルディが向こうから叫ぶ。


 けれど、そのドラゴンの一瞥で不思議と安心したのだ。

 なにかがすとんと落ちたのだ。

 天災にも似た理不尽な状況のはずなのに。


 そう、一瞬、このドラゴンは彼らの仲間かと思ったが、その行動、起きている状況からして違和感ばかりだ。

 このドラゴンは何か違う。少なくとも天災ではない。

 そして、どうも、俺たちの敵ではないらしい。


 ドラゴンは再度大きく叫び、長くしなやかな尾を振り回して、竜人たちをなぎ倒し始めた。

 ギャギャギャ‼と竜人たちは叫び、ドラゴンに向かって突進する。

 しかしそれもただの無謀で、ドラゴンは豪炎を吐き、あっという間に奴らを焼き飛ばしてしまう。


 小型の肉食恐竜を追い散らすT-レックスのように、ドラゴンは奴らを圧倒した。

 まるで、特撮映画の1シーンのようだった。


 たちまち、辺りは静かになった。



「—あなたたち!」


 動ける竜人がいなくなったところで、クルル・リュブルがこちらに駆けてきた。

 俺たちは呆けながら、ドラゴンを見つめていたので、彼女の無事に気づくのが少し遅れてしまった。


「あ、あぁ、リュブルさん……無事だったんですね」

「魔力が限られていたので、光彩魔法で負傷兵たちと隠れておりました。初動が遅れた上にこんなことになるなんて……」

とクルルは痛恨を言葉に込めていたが、急にすっと話すのをやめた。

 彼女も紅いドラゴンの姿に目を奪われたようだった。


 紅いドラゴンはこちらに背を向けたまま動かなかった。しなやかな体躯は強かさをたたえており、天に向かってぴんと立っているさまはまるで曼殊沙華のようだった。


「……まさか、本当にとは」

 クルルが呟く。


 え?と聞き返そうとしたが、突然、紅いドラゴンが光に包まれたことに気づいた。

 光はまもなくドラゴンの形からゆらゆらと波打つ形に変わり、そして、人ほどの大きさの繭となった。繭から数多の光の粒子が放たれ、くるくると繭の周りをまわっていく。


 光の繭がふっと消えた。

 中から一人の少女が現れ、地面に降り立った。


 プラチナブロンドの長髪、その毛先は紅色に染まっており、一部は軽く結われている。小さい体躯は白色のマントに包まれており、彼女の腰には細い剣が提げられていた。


 その姿には見覚えがあった。

 国王軍のパレードで、誰もが惹きつけられるほどの引力を備えた唯一無二の存在。


 エル・オハラ国王、ジェイド・ウィル・エスペランサの娘、


 “アデレード・ジル・エスペランサ”―—



 俺はごくりと息をのんだ。


 先程のクルルの言葉は気になるものの、ひとまず、その言葉通りなのだと納得した。

 彼女が、ドラゴンに変身し、俺たちを救ってくれたのだ。

 

 背を向けていた彼女はゆっくりとこちらを振り向く。

 その端正な顔立ちはどこか人離れな冷たさがあったが、満月のように大きく丸い黄金の瞳の奥が、幽かに燃えている気がした。


 俺はそこから、動けなかった。

 彼女紅いドラゴンの巨大な手に全身を掴まれているかのようだった。

 



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