15.魔女は夜明けに帰り、寄り添う繡の巣に眠る


 葬送の祝詞のりとを終え、儀式の道具を片付けて――とぼとぼとおぼつかない足どりで森から引き返した頃には、白々と夜が明けはじめていました。


 徹夜のせいで頭がぼんやりしていました。

 ふたりが旅立った後、祝詞の最中にわたしは一度泣いてしまっていて、ただでさえ徹夜してしまったうえにそんなことまであったせいで目がしぱしぱしていました。


 目の前に映るすべてが、何もかもが頼りなく覚束ないような、そんな感覚。


 薄明の日差しが差す森を出て、家の前に着いたときは、思わず安堵の息が零れていました。わたしはお店の裏手に回って、音をたてないようにそっと扉を開けます。


「おかえり」


「ぁ……」


 裏手の玄関のすぐそこで、シオンくんが待っていました。

 とっさに何を言えばいいかわからなくなってしまって、あわあわと顔を赤くしながら慌てふためいて。そんなふうにみっともなくうろたえた末に、わたしはようやく、虫が鳴くような声を絞り出すことができました。


「ただ……ぃま……」


「おかえりなさい」


 のろまなわたしの挨拶に、もう一度答えを返してくれます。


「疲れたろ。風呂と朝食、どっちから先にする?」


「ぁ、う……えと」


 お風呂に入ってさっぱりしたい、と真っ先に思いました。

 けれど、おなかもとても空いていて、今にもぐうぐうと不平の声を立てそうです。

 何より――眠いです。このままベッドに飛び込んで思うさま寝てしまいたい。


「あの」


「ん?」


 けれど。シオンくんの顔を間近で見上げたとき、わたしの胸に去来したのはそれらのどれとも違う、まったく別の答えでした。


「ぎゅっ……て、してもらって、いい?」


「いいけど」


 苦笑混じりに小首をかしげて。声にはしなかったけれど、「どうして?」と不思議がっているのが分かります。


「おねがい」


「……わかった。おいで」


 両腕を開いてくれる、その胸の中へ。

 身体を寄せて、額を擦り付けるようにします。


 まるっきり、甘えたがりのちいさな女の子みたい。恥ずかしいですよね。

 でも、この時は――そうしたかったんです。


「……シオン、くん」


「ん?」


「わたし……よかっ、た。シオンくんの……お嫁さんに、なれて」


「ん」


 衒うでも、笑うでも、困惑するでもなく。

 わたしの背中に腕を回して優しく撫でてくれる彼は、何かを察してくれていたのかもしれません。たとえ、そのすべてではなかったとしても。



 ――わたし達は冒険者でした。

 あのふたりと、同じに。



 いったい、何がそんなに違っていたのでしょう。わたし達が二人きりではなく、もっと大勢でパーティを組んでいたことでしょうか。

 ――実力? 烏滸おこがましすぎて自分に鼻白みそうです。強くて高名な冒険者が、びっくりするくらいなんでもない事でその未来を断たれてしまうなんて話、珍しくも何ともありません。


 幸運……あるいは、巡りあわせ?

 わかりません。ひとつだけ確かなのは、わたし達と彼女達の立場がまったく逆であったとしても、それは何も、何一つ、おかしくなんかなかったということ。


 あの二人が辿った運命は――正しく、わたし達が辿り得た別の未来でした。


 いいえ。冒険者だから、だけではないですね。


 当たり前の、ふつうのひととして生きて、暮らしていたって、不幸な事故や病気、どうしようもないめぐり合わせで駄目になってしまうこと、終わってしまうことなんて、きっといくらでもあるのです。


「わたし……わたし、幸せ。幸せ……よ……?」


 縋るみたいにきゅっと服の胸元を掴んで、そう繰り返すわたしを。

 彼は何も言わずに抱き締めていてくれました。

 何か言ってほしかったような気もしていましたけれど、きっとどんなことばを貰っても、胸の奥に空いてしまった欠落にぴたりと嵌るものなんてないのでしょうから。今は。


 ――ああ。

 わがままで、冷たくて――ひどい娘です。わたしは。


 在るべき場所へ死者をおくったばかりだというのに、こうして生きてふたりでいられることにほっとしている。よかった――なんて、思ってる。

 もっときちんと、わたしからしなくちゃいけないことがあるんだって分かってるのに――何も言わずに察して、受け止めてもらえるのを、『嬉しい』だなんて思ってるんです。


(……あったかい)


 触れた額に伝わる、心臓の鼓動が心地いい。

 その音に耳を澄ましながら、目を閉じて。彼の胸に、身を委ねて。


 もう少しだけ。あと、すこしでいいから。

 このここちよい場所で、安らいでいたい。

 そしたら、へなちょこでだめなわたしでも、きっとまた前を向ける。

 前を向いて――頑張って、いられるんです。


 ……………………。

 ………………………………。



 ――気が付いたら、目の前に天井がありました。

 ぼけーっと天井を見上げて、「ああ、朝かぁ」なんてのんきなことを思いながらごろんと寝返りを打って、


「わぁ!!」


 跳ね起きました。我に返って。

 魔女の長衣ローブを着たまま、わたしはベッドで横になっていました。

 帽子やケープ、あと腰に巻いていたポーチなんかはサイドボードにまとめて置いてあって、丈の短いブーツもベッドの足元に置かれていましたが。


「ぁっ、え? あれ……あれぇ!?」


 ぜんぶ夢だったのでしょうか。いいえ、それはないはずです。わたし、ちゃんと儀式をしてきました。長衣ローブにほんのり移ってしまったらしい香袋サシェの香りからでもそれは分かります。


 じゃあ――もしかして、わたし、あのまま眠っちゃった? シオンくんに、抱きしめてもらった……まま?

 窓の外を見ると――陽はすっかり高くなっていました。


「ぁ……わ、わ。わわわっ!」


 あたふたとベッドを降り、狼狽のあまりあやうくこけそうになりながら。

 皺になりかけたスカートのすそをぱたぱたと叩いて直し、髪も適当になでつけて。もたもたと靴を履いて、部屋を飛び出しました。

 血の気が引く思いで真っ青になりながら、廊下を駆け抜けて、お店へ。


「シオン、く――おはよ……!」


「あらぁ、フリスちゃん。おはよう」


「昨日も大変だったみたいねぇ。ちゃんと眠れた?」


「あ。あたし達のことは気にしないで頂戴ね。しっかり休んでなさい?」


 ほほほ、と笑いながら口々に挨拶してきたのは、お店に来ていたトスカの女性たち、主婦のみなさんでした。


「あ、はひ。おはよ――ござい、ますっ! ぇと……」


 あわあわと頭を下げて、挨拶を返すわたし。

 みなさんは「ほほほ」と声を合わせて笑うと、三人で囲んでいたもう一人の腕や背中をべしべしと叩きました。

 シオンくんでした。困ったみたいな顔で口の端を引きつらせながら、主婦のみなさんに囲まれていました。


「……おはよ、フリス」


「お、おはよ……ぅ」


「フリスちゃん。あたし達のことは気にしなくていいから、ゆっくり身支度してきなさいな」


「そうよぉ。あ、旦那さんちょっと借りるわねぇ?」


「え。え?」


「シオンくん? ちょーっとこっちいらっしゃい?」


「……はい」


 シオンくんは主婦の皆さんに囲まれたまま、お店のすみっこの方に連行されてしまいました。



「――だめじゃないの、シオンくん。そりゃあ若いんだし、新婚だし、男のひとなんだから仕方ないのかもしれないけどねぇ?」


「そうよぉ。いくら元は冒険者って言っても、女の子なんだから。あなたみたいに頑丈じゃないの。ちゃんと身体は気遣ってあげなさい」


「毎晩っていうのもねえ……いくらかわいいお嫁さんって言っても、お婿さんは自重を覚えなくちゃだめよ。ねぇ~?」


「そうねぇ~。でもちょっと羨ましいっていうのもあるわよねぇ」


「そうねぇ。うちの旦那も昔は……」


「若いわねぇ~」


 あ……


 あぁ……ああぁ……あああああぁぁ……!


 すみませんみなさん聞こえてます。ぜんぶ、ぜんぶ聞こえちゃってます……!


 これ、わたしの寝坊をごまかした結果ですね? 『昨日の夜はしすぎたせいで起きてこれないんです』――なんて言い訳でごまかした、その結果なんですね?

 ね? そうなんですね!? シオンくん!!


「ぁ……ぁあああのっ!」


 もう、いてもたってもいられず。わたしは声を張り上げました。

 突然の大声にびっくりして振り返る主婦の皆さんに、わたしは目をぐるぐるさせながら懸命に訴えました。


「違っ――ちがう、です。それは、違っ……シオンくんがじゃなくて、わ、わたし……! シオンくんのせいじゃ、なくて、それ、わたし……わわわわたしぃっ!」


「フリス。ちょっと――」


「子供が、赤ちゃん、欲しい、って! わたしが……だだ、だからで、あの。シオンくんのせいじゃ、なくて! わたし、わたしが、子供が」


「フリス! フリス!?」


 ――はた、と我に返りました。

 シオンくんは――ようやく冷静になったわたしを見ていましたが。やがて、ぴしゃりとてのひらで顔を覆って、嘆くように天井を仰いでしまいました。

 訳が分からず、頭が真っ白になったまま呆然と立ち尽くすわたしを他所に、主婦のみなさんはお互いの顔を見合わせると、


 べしべし。べしべし。


 と、シオンくんの腕や背中を叩きまくって、「ほほほ」と笑いました。


「赤ちゃん! いいわよねぇ~赤ちゃん、かわいいわよぉ。そうよねぇ、せっかく結婚したんだもの。早く赤ちゃんできるといいわねぇ」


「賑やかになるわよぉ、子供ができると。そこからまた大変なんだけど。でも若いんだものねぇ?」


「あらやあねぇ私達ったら。完全にお邪魔さまだわ! ごちそうさま、フリスちゃん」


「ぁ。え? え……?」


「あ。お会計、シオンくんにやってもらってるから心配しないで」


「私、今日は注文だけだから。よろしくねぇ?」


「お邪魔様はそろそろ退散しなくちゃねぇ。ごゆっくり~」


 ほほほほほ、ほほほほほ、と笑いながら。

 主婦の皆さんは、いそいそと帰ってゆきました。


 静かになったお店に、シオンくんと二人で取り残されて。

 ぽかんと立ち尽くすわたしは、「はぁ――――――っ」と嘆く溜息を聞きました。


「……フリスまで、恥かくこたなかったのに」


 いくぶん力を欠いた渋面は、言外に「明日から大変だぞ」と告げてきています。


 あ……はい。そうですね。それはなんとなくわかります。


 なんといっても、『毎晩、激しく』しちゃってるんですもんね、わたし達。

 わたしも、赤ちゃんほしいっておねだりしちゃってるんですもんね。あはは。

 そういうことに、なっちゃいましたもんね。はい。


「はは……」


 ――きっと、井戸端の噂話はしばらく賑やかになるのでしょう。

 その話題の的になったことは今までありませんでしたが、ひとりで薬屋さんをしていた頃、たまに談笑に引っ張り込まれたときにそんな話で盛り上がっているのを聞かされたりしていました。どう受け答えしたらいいかわからなくて、だいぶん困ったんですけれど。

 ――でも、


「そのうち、おさまる……から。へいき」


 そんな経験があったおかげで、だいたいの傾向はわたしも知っています。

 そんなに長くは続きませんし、本人に直接どうこうというのは思いのほか少ない――はずです。傾向として、ですけれど。


「平気ってことないだろ。そんな――」


「シオンくんだけ……なんて、だめ。それは……わたし、恥ずかしいけど」


 都合よく防波堤になってもらってばかりなんて、駄目です。自分で自分がみじめです。

 お嫁さんとお婿さんって、そういうものじゃない――違う、って思います。いえあの、わたしの個人的な信条の問題ですし、そもそもわたしはご覧の通りのへなちょこなんですけど。せめて、心構えとしては。


「お嫁さん……だもの」


 わたしはシオンくんのお嫁さんで、《魔女》の花嫁。

 ホーエンペルタの枝のすえ――《調和》を依代に立つ、《天秤の魔女》フリス。


 お婿さんとお嫁さんは、天秤の両端に在る一対――天秤の均衡、その調和は常に等しくあるべきなのだと、わたしは信じているのです。


「んと……さ、お店。今日の。がんばるから、わたし……!」


「……わかった。頼りにしてるよ、今日も」


 やわらかい苦笑を広げて。それから彼は「でも」と言い足しました。


「フリスはきちんと朝食食べて、あと風呂にも入ってからな。支度してくるから、その間は店番代わって」


「はぁ、い……」


 ――わたし達の日々が、長く幸せのうちに続きますように。

 願わくばこれからの日々が、あなたにとって素晴らしいものでありますように。


 それが、わたしの望み。わたしの祈り。

 わたしという《魔女》が選び、願った――


 ――何より幸せな、魔女の嫁入り。なのですから。

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