13.此処に至るまでのすべて/相似たるわたしとあなた

 

 むかし、どこかで誰かに教えてもらったことがあります。

 『香り』というのは五感が感じる感覚の中で、もっとも強く残る記憶なのだと。


 魔女の香袋サシェは血族の血を通していにしえから連綿と伝えられてきた、紛れなき魔女術ウィッカンのひとつ。魔女術工芸品ウィッチクラフトのひとつです。

 それらはすべて、その効果ごとに使う花や薬草ハーブ、香油の種類、袋に縫い付ける刺繍まで事細かに決まっています。


 ゆえに、魔女術工芸品ウィッチクラフトの製法にのっとり正しく作られる限りにおいて、同じ『おまじない』を込めた香袋サシェは、どこのどんな魔女が作ったとしてもまったく同じものになります――もちろん、そのも。


「あのひとが探していたのは、この香り」


 彼女が探していたのは、じぶんを見ることのできる『誰か』ではなかった。

 彼女が探していたのは、今もその記憶に残る懐かしい香り。


 ――そう。なのです。

 もう二年も前に亡くなったあのひとが、今になってこのお店をおとなったのは。


 わたしが以前にこのお店で薬師をしていた頃、お店の棚におまじないの香袋サシェを置いたことはありませんでした。


 わたしがシオンくんやビアンカさん達と二度目の冒険の旅をしていた間、わたしの代わりに薬師としてこのお店を預かってくれていたお師匠さまも、それは同じだったのでしょう。


 恋に出会うおまじないの香袋サシェを作りはじめたのは、シオンくんとふたりでこのお店を開いてから。

 工房でひとつひとつ仕込んでいた期間を足しても、ほんの二日前。だから彼女は、にわたし達のお店を見出したのです。


「ね……シオンくん。シオンくんは、《類感るいかん魔術》……それから、《感染魔術》って、知ってる?」


「古い魔術――《呪術》で括られてる一派の魔術理論だろう? 『類似したものは互いに影響しあう』、『ひとたび接触したものは離れた後でも互いに影響を及ぼす』――だったか」


「うん」


 わたしが見た『夢』、あのひとの『記憶』は、正しくこの理論で説明ができます。


 発端は、わたしの金色きんの瞳――魔女の血脈でもって代々継がれてきた《霊視》の魔眼で、彼女の存在を捉えたことでしょう。


 わたしは一方的に彼女へ『接触』し、ゆえに一方的にその影響を受けました。感染魔術――『ひとたび接触したものは離れた後でも互いに影響を及ぼす』、そのままの構図です。


 ですが、記憶を介して疑似的に『死』を体感するほどの結びつきは、魔眼の力だけによるものではありません。

 なぜなら、


「――わたしと彼女は、とてもよく似てるから」


「フリスが?」


 シオンくんは難しい顔をしていました。彼はあのひとの顔も性格も知らないはずですが、それでも腑に落ちないみたいでした。

 もしかしたら、二年前の事件の後――どこかで、亡くなったふたりの評判を聞き知っていたのかもしれません。あの事件の後旅立ったわたし達は、件の『密輸』を主導した犯人やそれに繋がるルートを追って、あちこちを旅していましたから。


 たしかにそうです。わたしと彼女は、顔かたちも性格も、ちっとも似てなんかいないでしょう。

 もしもわたしが彼女に向かって「わたしとあなたはよく似ています」なんて言おうものなら、きっとものすごくいぶかしむ顔をされて、それから「バカなこと言うんじゃないよ」って小突くくらい、されてしまうだろうなと思います。


 けれど、それでもわたしと彼女は似ているのです。

 なぜなら、


「――ひとつ。我々わたしは女である」


 二十歳そこそこの、若い女です。彼女はもしかしたらもう少し上くらいかもしれませんが、大きな差はないでしょう。

 そして、


「――我々わたしは冒険者である。


 ――我々わたしはひとりの男性と共に在る。


 ――我々わたしはその男性ひとに恋をしている。


 ――我々わたしの恋ははじめての恋である。


 ――――我々わたしあなたを愛している」


 ふっ――と、それまで落ちていた視線を真っ直ぐに上げた先。

 そこには彼がいました。わたしが、心からいとおしく思うあなた。


「――我々わたしあなたを見ていたい。


 ――我々わたしあなたと歩みたい。

 

 ――我々わたしあなたと結ばれたい。


 ――我々わたしは土地に根を張りたい。


 ――あなたと共に根付きたい。


 ――我々わたしあなたを愛している。


 ――我々わたしあなたを愛しています。


 ――――わたしは」


 わたし達は、あなたの、



「わたしは、あなたの子供が欲しい――」



「はっ?」


「ぇ?」


 シオンくんがぎょっと表情を引きつらせて、それでわたしも我に返りました。

 意識が急速に現実へ引き戻されて、自分が何を言ったかが、すこし遅れてまざまざと脳裏によみがえってきます。


「ぁ、っ…………わ、わあぁ、あわあああぁぁ!?」


 ――ぼっ、と火がついたみたいに。

 顔が熱を帯びて、真っ赤になるのが分かりました。


「違っ――シオンくんそうじゃなくて! あの、ちがうちがうちがうの。あっううん違わないけどちがわないんだけどそうじゃなくて……そうじゃなくて!

 ぁあああぁのっ……わたしだってそうなんだけどそれは何も今すぐじゃなくて、言いたかったのはわたしのことじゃなくてあのひとのことでだから、その、あのねっ!? いいい今のは、べつにちがわないんだけど、ちちちがわないんだけどでもやっぱりちがくて!」


「ああ、いや、大丈夫――大丈夫だ。分かる。分かるよ……たぶん」


 慌てふためくあまり両手を振り回しながら、訳の分からない――自分でもほんとうに訳のわからないことを喚き散らすだけになってしまったわたしを、シオンくんは穏やかに宥めていました。どこかぎこちない、苦笑混じりでしたけれど。


「わかるよ。肝心なのはそこじゃない――結局のところ現状で問題なのは、ってことだ」


「…………それは」


 口ごもってしまうわたしに、シオンくんは畳みかけてきます。


「今のフリスは、彼女と接触した結果として《感染魔術》の影響下にある。見たところ、昼に眠っていた間は彼女の『夢』を見なかったみたいだけど……また夜になれば、それも保証の限りじゃないんじゃないのか」


「……………………」


 図星です。彼の推察は、正鵠を射ていました。


 いにしえより、夜は常世とこよの住人たちのための時間だといわれてします。

 それは夜の女神ネフィリールが死者の国を預かる女神でもあり、また死者の眠りと生者の眠り――そしてすべての大いなる神々の眠り、その安息を司る女神だから、なのだと。


 そして現実としても、夜とは死霊や怨霊ゴースト悪霊スペクター、あるいは異界の悪魔たちのような《魔》に属する者達が、その力を増す領域です。

 それは、神々が休息と安息の眠りにつき、その加護が一時ひととき緩んでしまうがためなのだと、そう言い伝えられています。


 いいえ。真実あの『夢』を再び見ることとなったとしても、事態がそれだけならまだいいのです。わたし一人だけのことならば。


 類感魔術・感染魔術の要諦は、『類似したものはに影響しあう』、『ひとたび接触したものは離れた後でもに影響を及ぼす』ということ。


 今はまだ、魔女の《魔眼》で彼女を見てしまったわたしだけが一方的に影響を受けています。けれど、ひとたび結ばれてしまったえにしの影響は、やがて否応なく彼女の側へも波及してゆくでしょう。


 いずれ、わたしが彼女の『記憶』を夢に見たように、彼女もまたわたしの『記憶』を見てしまうのです。


 そして、わたしは――彼女が死者であることを知っています。

 彼女がを、わたしは知っているのです。伝聞というかたちではあるとしても。


 だから、


「……おくって、あげたい」


 死は取り返しがつきません。

 だから、死者である彼女に対して――わたしができる、たったひとつのことを。


「もう……もう、迷わないよう、に。送って……あのひとを、おくってあげたい、の」


 《魔女》として果たしうる、わたしにできるただひとつのこと。

 在るべき場所へ彼女を送り届ける、《葬送》の儀式。


「いつ? どこで」


「今夜……森で」


 時間がありません。二重にからみつく呪術の影響が、いつ彼女の魂に及ぶか分かりません。儀式の実行が早いにくはありません。

 幸いにして、わたしはラウグライン大森林の中に一か所、儀式に相応しい霊地の心当たりがありました。ここからそう遠くもありません。そのつもりさえあれば、今夜にでも儀式ははじめられます。


「そうか。わかった。なら」


「っ、だめ」


 わたしの意思を聞いた瞬間、シオンくんがお店の奥へ視線を走らせるのを見て――静止のことばが、半ば反射でわたしの口をついて飛び出しました。

 思わず飛び出して彼の腕を掴んでしまうわたしを、シオンくんは当惑を露に見下ろしていました。その顔を見上げて、ふるふると首を横に振ります。


 さっき、彼が見ようとした――その先にあるのは、一振りの剣です。

 せまい食卓が置いてある、たぶん裏手の居住空間ではいちばん広い部屋の片隅に立てかけられた、聖別の剣。


「だめ。シオンくんは……わたし、ひとりで行かなきゃ。儀式は」


「なに言ってるんだ、危ないだろ。夜の森にひとりでなんて」


「でも、あの剣は――シオンくんの剣は、の」


 それは、シオンくんがお師匠さまのもとでの修行を終え、冒険者として旅立つことになったとき、お師匠さまが授けてくれたつるぎです。

 その刃は悪霊を切り払い、魔法を掃滅し、竜の額すら断ち割る光輝の刃です。


 そんなものを持っていたら、彼女は近づいただけで弾き飛ばされてしまいます。


「……わかったよ。なら剣は置いていく。それなら」


「だめ。ううん……だめ。それでも」


 胸の中は心苦しさでいっぱいでしたが。

 それでもわたしは、ふるふると首を横に振ります。


 剣は今や、シオンくんの剣です。

 その持ち主である彼もまた、剣の輝きでもって常に護られています。


 シオンくんがお店に戻ってきた瞬間、あのひとの姿は急に見えなくなりました。

 あれは、そういうことだったのです。シオンくんの総身を守護する剣の加護。その輝きを前に、希薄で弱い霊でしかなかった彼女は、なすすべなくどこかへ弾き飛ばされてしまったのです。


「だいじょうぶ……パペットくん、連れてく。だから」

,


 縋るように袖を掴んだまま、じっと見上げて訴えます。


 長く、沈黙が続いて――きっとそれは、わたしの翻意ほんいか、もっと別の安全な考えが出るのを待っていたのでしょう――けれど最後には、シオンくんも頷いてくれました。一度だけ。深い溜息と一緒に。


「……気をつけて」


「うん」


「風呂、炊いて待ってる。朝食も」


「うん……」


 ありがとう、の代わりに。

 袖をつかんだ手をそのままに、彼の胸にこつんと頭を預けて。


「だいじょうぶ、よ? できる……ちゃんと、できる。から。わたし」


 服越しの体温を額に感じながら。

 目を閉じて、あったかい胸の奥の心臓がとくとくと鳴る音に意識を澄ましていると、それだけでわたしの胸まで暖かくなって――ほんとうは心のどこかに根深く掬っていたはずの怖いのとか不安なのとか、ぜんぶぜんぶほどけてしまうのです。


 だから、大丈夫。大丈夫なんです。

 わたしは――


「わたしは、《魔女》……だから……」


 だからわたしは、正しくその力を振るうことができる。

 そうすることが、できるのです。

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