09.誰かが見た夢/昏き常世に横たわり、憑きて重なるあなたの影は


 ――その日のは朝から機嫌がよくなかった。

 あたしだけじゃなく、も同じに機嫌が悪かった。

 そして、あたし達のどちらも、お互い完全に意地になっていた。


 あたし達は冒険者だ。長いこと二人で組んで、ルクテシアの方々を渡り歩きながらそれなりにうまくやってきた。


 冒険者とは言え男と女のふたり連れ。あたしとあいつの関係は、まあお察しってとこ。たまに空気の読めないバカヤロウがあたしにコナかけてくることもあったけど、そういう時は要らんコナかけの礼代わりに、そいつの鼻っ面を潰してやって大いに笑った。あたしとあいつのどっちかで。


 そう。つまるところ、あたし達はそういう冒険者だった。


 そのときあたし達が請け負っていたのは、サンリーフからルチルタスまでルクテシア島を横断する、大型馬車の護衛だった。

 二人で受けるにはちと荷が重いたぐい依頼シゴトだったけど、あたし達は気にしなかった。腕に自信があったし、だから余計な人間まで入れて分け前を減らすのに気が乗らなかった。よくあることだ。


 護送する車の中身が何なのかは教えてもらえなかったが、そういうのも、まあよくあることだ。ただの護衛としちゃ破格の報酬を見れば、あんまり表沙汰にしたくないブツだってくらいのことは察しがつく。


  魔獣捕縛用のおそろしく頑丈ででかい檻におさまったそれが、それこそ危険な魔獣なのか、ご禁制品の愛玩奴隷なのか、表に出せない隠し財産の類なのか――そんな事は知らない。どうでもいい。金払いのいい依頼人なら要らぬ詮索はしないのが、あたし達の流儀だった。


 そんな、護衛の旅程――この頃には道中のほとんど消化して、馬車はコートフェルの郊外まで到達していた。

 中部ルクテシアで最大の貴族領たるオルデリス公領の領都。そこから西へ抜けて、カドルナ伯領の領都ルチルタス――あたし達の護衛の終着点までは、隣接する境を越えればすぐそこだった。


 そういう――油断があったんだろうね。

 ここまでの旅程があんまり順調だったから。


『この仕事が終わったらよ、次はもっと……デカいヤマにあたりてえよなぁ。未踏迷宮の探索とかよ! あんだけの額が懐に入りゃあ装備も選びたい放題、臨時のメンバーを雇うにも困らねぇ! そろそろ俺達にも、運が巡ってきたと思わねぇか? なあ!』


 ちいさな村のちいさな酒場に繰り出しての、ささやかな前祝い。

 当面遊んで暮らしていても困らないくらいの大金が入るのが間近とあって、あいつは浮かれていた。この依頼で手に入る金で装備と仲間を揃えて、すべての冒険者の憧れ、未踏迷宮の探索に挑み――ひとかどの冒険者として成り上がってやるんだと。

 酒も入って上機嫌だったあいつに、あたしはつい、ぽろっと零してしまったのだ。


『――その金を元手にしてさ、どっかで落ち着くってのはだめかい?』


 その時のあいつがした顔は、たぶんこの先一生忘れられないだろうと思った。


 あたしは冒険者だ。なんにもない田舎の村のつまらない貧農だった家を十三で飛び出して、石にしがみつくようにして冒険者になった。

 栄誉と財宝を手に入れて、冒険者として不朽の名を残してやるのだと――そう息巻くあいつに惹かれて、あたしはあいつとパーティを組んだ。


 あたしとあいつは同じ夢を見ている。あいつはそう信じていたし、あたしもそうだった。ずっと。


 けれど、現実なんてそううまくいくもんじゃない。


 下っ端仕事で日銭を稼ぎながらでかいヤマを求めて渡り歩く日々。そうこうしているうちにあたし達より後から冒険者になったような小僧や小娘が、でかい一山を当ててあたし達の夢へと先に手をかけていく。


 あたしは焦っていたし、もう疲れていた。きっと、だからだったんだろう――ひとつ前の町で、何でもない親子連れを、ちいさな子供の手を引いて呑気にニコニコ買い物なんてしてるつまんない女を見ちまった時に、


 ――あたしも、あんな子供が欲しい。


 そんな風に、思っちまったのは。

 そんな自分にすぐさま気づいて、愕然とした。あたしとあいつは最初から同じなんかじゃなかったんだ。ずっと追ってきた夢よりも、こんなちっぽけなことに心が揺れてしまった。


 自分がなんだってことを。その時、あたしは思い知ってしまったのだ。


 ――凄まじい喧嘩になった。

 この依頼で入る金を元手にどっかで落ち着きたい。あんたの子供を産みたい――訴えるあたしに、あいつは怒り心頭で怒鳴り散らした。


アッタマイカれちまったのかよテメェはぁ!?』


 返す言葉がなかった。二人で追ってたはずの夢を放り出すみたいな言い草、それはあたしだって後ろめたくなかった訳じゃないんだ。

 何も言い返せない苛立ちのまま、激情に任せて本気であいつをぶん殴った。

 初めて。


 その後のことは――正直、思い返すのも疎ましい。


 翌朝、朝から剣呑なあたし達二人の様子に、護衛対象の馬車を走らせる御者の男は居心地悪げに縮こまっていたみたいだった。

 要らぬ揉め事で空気を悪くしたのを悪いと思わなかった訳じゃないが、正直どうでもよかった。むしろ、ビビって縮こまってる情けない御者の男に、余計イライラしていたくらいだ。


 どんだけ空気が悪かろうが何の関係もなく。馬車はその日も出発した。


 あいつは御者席で周りを警戒し、あたしは馬車の中で檻を見張る。

 一日交替のいつものローテーションだったが、この日ばかりは耐えがたく忌々しくて。

 鬱々と押し黙りながら、あたしは随分久しぶりにを見ていた。気晴らしの煙草を探していて、たまたまポーチの底に見つけてしまったそれを。


 花と香水を詰めて作った――香袋サシェだ。きれいな刺繍のついた袋はあちこち擦り切れているうえに垢だか汗だかヤニだかで茶色っぽく汚れてぼろぼろで、肝心の香りだってとっくの昔に消えてなくなってしまっている。


 オンナノコの、『恋のおまじない』というやつだ。この袋を肌身離さず大切に持っていれば、いつか素敵な恋が訪れる――なんて、胸焼けしそうに甘ったるい『おまじない』だ。確か、魔女のお手製だか何だったか。そんなふれこみの。


 家をを飛び出したときも、こいつをふところにしまいこんで――さすがに今はもう肌身離さずなんて持ってやしなかったが、愛用しているベルトポーチの底の方に、どうにも捨てる踏ん切りがつかないままおさまっていた。


 ああ、笑える話さ。今でこそこんな冒険者のあたしだが、オンナノコだった頃にはこんなおまじないに吸い寄せられて、いつか素敵な男性と巡り合うなんて夢を見ていた頃もあったのだ。


 いつか素敵なひとと巡り合って、夢見るような恋をして。

 幸せな結婚をして。

 愛するひとの、子供を産んで――


『……くそが』


 現実に立ち戻ると、いっそうイライラが募った。つまらないおまじないグッズは見つかるってのに、肝心の煙草は切らしてんだから話にならない。


 あいつから謝りに来るべきだ。あたしは信じていた。

 そしたらあたしだって、昨日の喧嘩を水に流してやれる。


 ――あたしから謝るのは駄目だ。

 そんなことしたら、きっと昨日の話自体をなかったことにされてしまう。


 それだけは嫌だ。昨日散々に喧嘩して意見が決裂した後も、あたしはまだ自分の子供が欲しかったし、やっぱりあいつの子供が欲しかった。それだけだ。あたしは何も悪くない。

 そうだ。あいつから素直に謝りに来てくれさえすれば、あたしは自分の望みをなかったことにせずに済む。もう一度、二人の話し合いのテーブルに載せられるんだ。

 そうさ、男なら謝るべきだ。男らしく、ぐっと堪えて女に譲るべきだ。世の中ってそういうもんじゃないのかよ、あたしは何か間違ってるか?


 ――がつん! がちん!!


『……っせーなァテメェ! こんな時にイラつかせんな、ダボが!!』


 イライラしているところに、鬱陶しい騒音が飛んできやがった。

 例のでかい檻だ。中にいるは、時々こうして思い出したように、内側から檻の扉をぶち破ろうと暴れる。

 壊れるわきゃねえだろ。そいつはA級の魔獣をとっ捕まえとくための特別製だぞ?


 無駄な抵抗を繰り返すアホを怒鳴りつけてやると少し気分が晴れたが、なおも扉にぶつかってくる断続的な衝突音には辟易する。

 いっそこっちから蹴り入れてやろうか。憂さ晴らしを思いつき、腰を上げかけたその時だった。


 ぐるん、と目の前が回って、あたしは硬いものに叩きつけられていた。


 馬車が横転して地面に激突したのだと理解するのには、衝撃で真っ白になった頭が回復するだけの時間が必要だった。


 パラフィンでコーティングした撥水布の幌を突き破って、でかい檻が外に飛び出していた。くらくらする頭を振りながら、あたしは這って馬車の外に出た。


 外に出て、ようやく立ち上がって。

 檻の様子を見に行くと、先にあいつが来ていた。


 どうも、先日の雨でぬかるんだところに車輪が嵌り落ちて、傾いた馬車が重さに負けて横転したらしい。御者は巻き添えで倒れた馬の方を見ているようだった。


 ――がつん! がぎん!


 檻の中の何かは、なおも無駄な試みを繰り返している。

 その必死っぷりはまあまあ笑えたが、しかし笑ってばかりもいられない。馬車を元に戻して、檻を乗せ直さなけりゃならない。三人だけで? 冗談。


 近場の町に行って、人を雇ってこなきゃならないだろう。口が堅くて、できれば後ろ暗い仕事のできるやつ。雇い賃は報酬から引かれてしまうだろうか――うんざりする想像ばかりが頭をよぎって、ますますイラついた。

 何よりイラついたのは、善後策を考えるためにこれからあいつと話し合わなけりゃならないということだった。まだあいつからの謝罪がないというのに。


 だが、それでもやむをえない。今だけはあたしの方が大人になってやろうと、あいつに声をかけようとした――その時だった。


 ――ばきんっ!!


『……はぁ?』


 凄まじい音と共に、扉を閉めていた鍵が壊れた。

 A級魔獣捕縛用の檻、その扉の鍵がどうして壊れたのかは分からない。古びて弱っていたのかもしれないし、元から不良品だったのかもしれない。いずれにせよ、どちらでもいいことだった。


 鍵を壊して檻から飛び出したのは、二頭のでかい蛇だった。

 いいや、違う。ただの蛇じゃない。一対の太い脚を生やしたそいつは、尾の方にも蛇の頭があった。


 冷たい予感が、電流みたいに背筋を駆けのぼった。こいつはヤバい。脳みその中身が空回りしてしまってすぐには思い出せないが、確かこれはものすごくヤバい魔物だ。あたし達二人でどうにかなる相手じゃない。逃げなきゃ。


 ――逃げれば、まだ助かるかもしれない。それは分かっていた。


 でも、ここで逃げたら依頼は失敗だ。報酬はふいになる。

 あたしもあいつも、その結果失われる目の前の金――手に入りさえすればこの先いくらでも使い道のある大金を惜しんで、足が止まった。


 蛇の頭が、かぱりと口を開けた。

 その口からぶわっと噴き出した毒々しい『霧』を浴びた瞬間、あたしの全身を燃えるような激しい痛みが包んだ。


『ぎゃ――!』


 痛みに潰れた、自分の悲鳴を聞いた。

 何も見えない。何も分からない。霧を浴びた体中が痛いことしか分からない。悲鳴を上げたせいで開いた口から体の中まで『霧』が入り込んで体の中も痛い。痛くて悲鳴を上げてそのせいでまた痛い。痛い。痛い痛い痛い。痛い痛い痛い痛い痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛―――――



 ふと、痛みが消えたとき。

 真っ白になった目の前に、前の町で見たあの親子連れの姿を見た気がした。


 あたしも欲しいな――とは、思えなかった。

 どうしてだろう。その時は――


 ……………………………。

 ………………………。

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