08.夜に想う/あのとき、わたしが見つけたひとは


「女の客がいた?」


「うん……」


 ようやく考えがまとまって。彼に話せると確信を持てるに至ったのは、その日の夕食も終わった夜のことでした。


 食卓を置いてある広めの一部屋です。

 自分がひとりで使う用に置いていた――ほんとうのところ、ひとりだった頃はあんまりきちんと使っていませんでした――方形のちいさな食卓は、ふたりぶんの食事を並べるとぎゅうぎゅうでした。


 無心になる時間欲しさで作るのを引き受けたお夕飯のお皿が、ぜんぶ綺麗に空になった頃。

 ようやく心を決めて、昼間にあったことを切り出せたわたしの説明をひととおり聞いてもらったところで、最前のやり取りへと至ります。


 ちいさな食卓は、シオンくんが少し身を乗り出しただけでもすぐに額と額がくっついてしまいそうで。自然と頬に昇ってしまう熱を意識しながら、ちょっぴり体を引いてしまいそうになります。


「入り口……お店の入り口、から」


 ドアベルの音はしませんでしたが、状況からしてあの女性は、そちらからお店へ入っていたのではないかと思えました。

 シオンくんは口元に手を宛がいながら、厳しい面持ちで考え込んでしまいます。


「……フリスが言う女の客が来た時、俺は表でまき割りをしてた」


「うん」


 薪屋さんから買った薪を置く薪置き場と、使うぶんを割るための薪割り場は、お店の表側にあります。

 そして、道を挟んだ反対側はラウグライン大森林の周縁がせり出すみたいになっていますが、お店がある側は平坦に開けた、遠くの畑まで見晴るかせる見通しのいい土地です。


 つまり、あの女性が正面の扉からお店に入ってきたのなら、その姿はシオンくんからも見えていておかしくなかったはずなのです。


「けど、フリスが言うその女の姿は見なかった――もちろん、確証を持って言えることじゃないけれど」


「ううん」


 そんなことない。

 ふるふると、首を横に振って否定します。


 シオンくんは冒険者です。魔物の討伐や迷宮の探索――たくさんの危険なことに身を置いて、自分を護り、同じパーティの仲間を護りあってきたひとです。

 わたしみたいにぼんやりした子ならともかく、彼がちっとも気づかなかったなんてことは――信じられません。たとえシオンくんが自分の判断に確証を持つことができなくとも、わたしはシオンくんのそれが真実なのだと確信できます。


(なら……つまり、あのひとは)


 ああ――

 あのときは、ぼんやりのわたしがドアベルの響きに気づけなかったのではなくて。



 ――生きているじゃ、なかったのです。あのひとは。



 わたしは魔女です。

 《魔女》の血族です。なので、わたしの金色の瞳は、周りのひととものの見え方が違うことが――普通では見えないはずのものが、見えてしまうことがあります。


 それはたとえば、呪いやまじないの痕跡。人や動物の霊。場に染みついた、拭い難い過去の記憶。時に、創世の神々から世界を調律する役目を与えられたという《精霊》の姿をとらえてしまうこともありました。

 むかしは今よりずっと、この『瞳』をほとんど制御できていなかったせいで、シオンくん達を危ない事件に巻き込んでしまったことも――いえ、その話は置いておきましょう。今、目の前にあるできごととは関係のない事ですから。


「……怨霊ゴーストの類か」


 部屋の片隅へと視線を走らせるシオンくん。そこには鞘におさまった状態で壁に立てかけられた優美な剣──悪霊だってバターみたいに斬ってしまう、聖別の剣。

 わたしは慌ててふるふると首を横に振ります。


 怨霊ゴーストとは、強い念によって世界に縛りつけられた霊魂だといわれています。それはたとえば、取り返しのつかない後悔、泥のように澱んだ恨みつらみ。嵐のような悲嘆、哀切、絶望。溶岩のように噴きあがり焼き尽くす、嫉妬、憤怒、憎悪――決して許すことのできない『誰か』への復讐心。

 末期の瞬間にそうしたものを抱えて命を終えたいきものは、怨霊ゴーストと化して生前の無念を晴らそうとし――やがて理性や記憶が擦り切れるにしたがい、ただただ世界に呪いを振りまく悪霊へと変わってゆくのだそうです。


「ちがう……違うと、思う。あのひとは」


 もしかしたらあのひとも、今のままならやがて怨霊ゴーストに変わってしまうのかもしれません。

 けれど、今はそうではありません。


 あの女のひとはまだ、未練の鎖に繋がれてこの世に残ってしまっただけの死者――この世界に霊なのだと思います。


 だって、もし彼女が怨霊ゴーストに堕ちてしまっていたのなら、シオンくんは誰より真っ先に、怨霊ゴーストが振りまくこの世ならざるおぞましい気配に気づけていたはずです。


「その女性が……当面、害のないものだというのは、俺も了解した」


 たどたどしいわたしの説明に疑問をさしはさむでもなく、シオンくんはひとつ頷くようにしました。そしてあらためて、わたしを見ました。


「それで、フリスはこれからどうするつもりでいるんだ?」


「わから、ない……かな」


 あの女のひとは消えてしまいました。今はもう姿が見えませんし、どこにいるのかもわかりません。

 怨霊ゴースト悪霊スペクターのような例外を別にすれば、霊というのは総じて霞のように希薄な存在です。


 わたしが彼女を見出すことができたのは、わたしの『目』がそうしたものだから。

 その希薄さゆえのことか、総じて霊という存在は『自分を見つけてくれる誰か』に寄ってゆくものなので、もしかしたらあの女性もまたこの店に――わたしのところへ来てくれる可能性はあるでしょう。

 けれど、


「フリスはそれを、望み薄だと考えている訳だ」


 つたない話を要約し、問い返してくれる彼に。

 こくん、とわたしは頷きました。


 あの女性はお店に入ってきてから一度もわたしの声に応えてくれませんでしたし、ずっとお店の商品棚を見ていました。わたしはあのひとをいたけれど、あのひとはお店にいる間ずっと、わたしのことなんて見てはいませんでした。


 わたしが彼女を見出すことができたのは、わたしの『目』がそうしたものだから。

 けれど、彼女がどうして、は、わたしにもわかりません。


 もしかしたら、自分が死んでしまっていることにさえ、彼女は気づいていないのかもしれません――何となしにふらふら表の道を散歩していたら、たまたまわたしのお店が目に留まって、ちょっとした好奇心で入ってみたというだけで。


「……当面の害はないとはいえ、気付いてしまった以上は放置するのもな。今は無害なただの霊かもしれないが、それでも彼女には、この世に縫い留められるだけの『何か』はあるんだ」


 難しい顔で、シオンくんは眉根を寄せていました。

 そして、そう――シオンくんの言うとおりなのも、やはり間違いのないのです。


 今はただの霊であったとしても――自分をこの世界に縫い留めた情念の正体に気づいてしまったら。

 その瞬間から、彼女は自分の抱いた末期の苦しみにとらわれ、怨霊と化してしまうかもしれないのです。


「もう一度……次に、会えたら、その時は。わたし、その時は……やって、みる」


「何を」


「……おはなし?」


 シオンくんは小さく笑って、なんだか急に気が抜けてしまったみたいに。こわばっていた肩の力を抜いたみたいでした。


「いずれにせよ、次を待つしかないってことか――食器、片づけちまうな」


「あ。わたしも」


 わたわたと椅子から立ち、シオンくんに倣ってテーブルの食器を重ね、片づけていきます。


「べつに、後片付けくらいやっとくぞ? フリス、この後もまた調薬なりなんなりするんだろうに」


 気遣う声音での勧めに、わたしはぷるぷると首を横に振りました。


「夜更かし……昨日は、夜更かしさんだった、から。今日は早く……早寝、するの。今日は」


「そっか」


 並んで食器を洗ってゆきます。

 わたしが溜めた水と洗剤で水洗いする係。シオンくんは、洗った食器から布巾で水気を取る係。


 シオンくんには、昨日もおとといも気遣ってもらいっぱなしです。

 少しは自分の面倒を自分で診れるくらいにしないと、いつまで経っても申し訳ないです。


「じゃあ、これ終わったらもう寝るか」


「うん」


 お風呂は晩御飯の前に交代で入りましたし、明日からのこともあります――お店のことはもちろん、あの女性の再訪がないかも気がかりです。なるべく、万全の状態を整えておくべきでしょう。


「けど……そっか。今日は早寝か。、と」


「ふぇ……?」


 何を言っているのかよく分からず、食器を洗う手を止めてきょとんと隣の彼を見上げてしまいました。


 けれど、その意味するところに、遅れて理解が追いついて。

 その瞬間――わたしの顔はぼわっと火がついたみたいに熱く、真っ赤になってしまいました。


 びっくりした猫みたいに竦んでしまうわたしの反応に気づいてでしょう――それまでしれっと素知らぬ顔をしていたシオンくんは、くくっとちいさく噴き出しました。


「っ、シ……オン、くんっ……もぉ……っ!」


「ははは。ごめんごめん。ごめんって。いや、残念なのはだいぶん本当だけど――うわ冷たっ」


 冷たい水で濡れた手で、ぽかぽかと袖のところを叩きます。

 シオンくんは「あはは」といっそう軽やかに笑いながら、「濡れる。冷たい」とか、「泡が飛ぶ。泡が」なんて言っていましたけど、そんなのわたしは知りませんし聞こえませんっ。


 それは、その――わたしたち、お婿さんとお嫁さんですけれど。

 でも、でも、その。そういういじわるはよくないよって、思いません? 思いますよね?


「ああ、おっかし――すみませんでした。今日はもう言いません。降参、降参です」


「知ら、ないっ。知らないっ、もの……もうっ」


 ほっぺたを膨らませて拗ねてる自分は、まるでちいさい女の子みたいだ――なんて、自分でちょっとみっともなく感じてしまったりもしたのですけど。


 でも、気がついたときにはなんだかすっかり胸が軽くなったみたいになっていて。

 そのことを、素直に「ありがとう」なんて言えないけど。けれど――「ありがとう」の代わりに、ぴとっと自分の腕を彼のそれにくっつけて、


「……濡れてる」


「そりゃあね」


 仲直りのしるし代わりに、消え入りそうな声で「ごめんなさい」って言って――それで、おたがいさまということにしてもらったのでした。

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