07.新装開店、その日のできごと(3)/あるいは、恋のおまじないにまつわること


 それぞれお目当ての『おまじない』を買った女の子達が、弾むように軽やかな足どりでお店の前から走り去っていく足音が遠ざかると――お店は急に静かになってしまいました。


 シオンくんも一仕事終えて、「何かあったら呼んで」とだけ言い置いて、表での薪割りに行ってしまいました。


 パペットくんも奥のお部屋のお掃除中で、お店の中はわたし一人。静かです。

 カウンターからちらと商品棚の方を見遣れば、最前の女の子達が買い求めていった香り袋が目に留まります。


「……………………ふぅ」


 ――実際のところ。

 あの香袋サシェのおまじないにどれくらいの効果があるものなのか、当のわたしにもよくわかっていません。


 さっきはシオンくんが上手に――わたしがすごく恥ずかしかったのを別にすればですけど。今も思い出しそうになると頭の中にぼわっと火がついたみたいにじたばた悶えてしまうのですけれど――あの場をおさめてくれましたが。

 実感が持てずにいるのは、わたし自身がああした『おまじない』を試したことが、今まで一度もなかったせいかもしれません。


 母がわたしへ伝承した、言い換えれば、いにしえの時代から脈々と魔女のに受け継がれてきた《魔女術ウィッカン》。あのおまじないがそのひとつであることは、もちろん疑いのないことなのでしょうけれど。


 でも、あの香り袋は子供のおこづかいでも買えるようなしろものです。

 母や姉が自分の天幕でお手軽に商っていたのを見たこともある、そんな――ささやかなおまじないです。


(いいのかなぁ……これで)


 ちゃんと、効果はあるんだろうか。あの子達をがっかりさせやしないだろうか。

 今更ながらに後ろめたさを覚えて、頬杖をつきながら溜息を零してしまいます。

 と――そんな風にしていたわたしがふと目を開けると、戸口のところに立つ女のひとがいました。


「ぁっ……い、ぃいいらっしゃい、ませ……!」


 いつからそこにいたのでしょう。入り口のベルが鳴る音にも気づかなかったなんて、恥ずかしいです。

 そういえば、昨日もシオンくんがノックしてたのに気づけなかったし、さすがにぼんやりしすぎなんじゃないでしょうか。わたし。結婚して浮かれてるのかな……。


 内心そうやってあたふたしている間に、女のひとは物色するように棚を眺めながら、ゆるゆると歩みを進めていました。


 二十歳――いえ、たぶんですが、もういくつか上くらい。大人の女性でした。


 スカートではなく、ぴったりと肌に吸い付くような厚手のパンツとブーツ。

 鎧や武器みたいに目立った装備こそしていませんでしたが、動きやすそうな旅装と足取りに引きずる雰囲気とでぴんと直感しました。


 このひとはです。シオンくんや、わたしと同じ。


「あの……な、なに、か……なにかお探し……お探しもの、ですかっ」


 呼び掛ける。いらえはありません。

 商品棚の中には、冒険者の役に立つような特別目立ったものは置いていなかったはずでしたが――そうこうしているうちに、彼女はひとつの棚の前で足を止めました。


 香袋サシェでした。

 さっき町の女の子達が買っていった、恋のおまじないです。


「そちら……おお、お求め、ですか……?」


 おっかなびっくり、念のために訊ねます。


 ――無言でした。

 とても気まずいです。


 わたしの声、聞こえなかったでしょうか。大きな声を出すのも上手ではないですし、今までもそういうことはありましたし、そうだったとしても何もおかしなことはないのですが。


 あんまり声をかけるのもしつこくて鬱陶うっとうしいでしょうか。

 でも、何か探しているものがあるのだとしたら、お店の店主さんとしてお力になるべきであるはずです。


 頭の中に石を突っ込まれたみたいな心地で、うーうー唸って考え込んだ末に。

 わたしはなけなしの勇気を奮って、もう一度話しかけることにしました。そう、決めました!


「あ、のっ――」


 ――と、その時でした。


 からんからん。

 ドアベルの音が軽やかに鳴って、はっと振り向いた先にいたのはシオンくんでした。もう薪割りが終わったのでしょうか。


「……フリス? どうした、何かあったのか?」


「ぇっ!? あ……ぁのね、シオンくん。そちらの」


 そちらの、女性の方が


 わたしが目を向けたその先。


「……え?」



 女のひとの姿は、影も形もなく消え失せていました。



 言葉を失うわたし。シオンくんはわたしの視線が向く先――香り袋のある棚のひとつを見遣って、それからあらためてわたしを見ました。


「――?」


 研いだ刃のような、真剣な顔でした。

 異変の気配をかぎ取った、それはの顔でした。


「ううん……」


 ふるふると、首を横に振ります。

 それで本当に心から納得してもらえるなんて、わたしだって思ってなんかいませんでしたけど。


 だってシオンくんのそれは、ことばこそ問いかけのそれでしたけれど――そこに在ったのは、わたしの身に起こった異変に対するでしたから。


 けれど、わたしはきちんと答えられませんでした。まだ。

 この時はわたし自身、さっきの女のひとがどこへ行ってしまったのか――彼女が何で、あれがどういうことだったのか。


 その全容に対する理解も。それを彼へ伝えるたしかなことばも。

 未だ形にすることが、できずにいたのでした。

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