05.新装開店、その日のできごと(1)/最初のお客さんを迎えたこと


 新装開店した《魔女》の薬屋さん。


 シオンくんお手製のお昼をいただいて――ベーコンや卵なんかがいっぱい入った、ホットサンドでした――午後いちばんの開店です。


 表の札を『開店OPEN』に変えて少ししたくらいに、からんからんと軽やかにドアベルを鳴らす音と共に扉を開けて、最初のお客さんが来てくれました。


「こんにちは、フリスちゃん! お久しぶりねぇ」


「あ、マテルおばあちゃん……っ」


 みっつお隣のご近所さん。マテルおばあちゃんです。

 と言っても、このあたりは一軒一軒の間がだいぶん空いているので、みっつお隣だけどそれなりに歩く距離になります。


「あらためて、ご結婚おめでとう! 新婚生活はどう? 素敵な旦那さまなのは知ってるけれど、ちゃんとうまくやれてるかしら?」


「ぁ、はい。な……ん、とか。なんとか、してますっ」


 ああ、ごめんなさいマテルおばあちゃん。わたし見栄を張りました。

 ほんとは結婚から二日目にして、お嫁さんスキルの差に打ちのめされています。


「え、と……おばあちゃんは、処方箋。処方箋、ですよね。こちら、あります」


「いつもありがとう。フリスちゃんがいなかった間も、ちゃあんと言いつけどおり毎日飲んでましたからね」


「あ。ありがと……ござ、ます。マテルおばあちゃん」


 薬師として信用してもらえてるみたいで、ちょっと嬉しかったです。

 マテルおばあちゃんは長年腰を悪くしていて、痛み止めと施療のお薬を処方していました。


 診察――《解析》系統の魔術を使いました――したときに、血管があまり強くない方だというのがわかってしまって、そのせいで身体を賦活するにもあまり強い薬が使えず、長い時間をかけての治療をしないといけませんでした。


「ところで、どう? シオンくんは。ちゃんと優しくしてもらえてる?」


「ふへぇっ?」


 えっ。そこ、戻るんですか!?

 ああ、変な声出ちゃった……ええと、いえ、べつにどうとういうことじゃないのですけれど。


「優しい、です。よ? いつも。シオンくんは、わたしに」


「それは知ってますとも。彼が優しい青年なのは私だって。でもそうじゃなくて」


 ふふふ、と含み笑う口元を手で隠しながら、耳元に口を寄せてきます。

 ひそひそと、耳打ちする声で、


「――『夜』の方よ。フリスちゃんは初心うぶみたいだし、シオンくんも遊んでる感じじゃないでしょう?……お互い誠実なのはいいことだけど、ふたりがちゃんとできたか心配で」


「ふわぁ!?」


 そそ、そそそそういうお話でしたかっ!?


 あっ。や……それはその、それって話していいことなんでしょうか。

 たぶんそれってシオンくんに関するお話でもあるし、わたしの口から勝手におしゃべりしていいこと?


 ああ、でも変に口籠ってると変に誤解されそう。というか、不満なんてないしでもどこまで話していいんだろう話していいの? えっ? どうなの?


 ――と。

 そんな感じに真っ赤になってあわあわしていると、わたしの後ろ――店の奥の方から「あれ?」と弾むような声がかかりました。


「マテルさん、いらっしゃい! マテルさんがお客さん第一号ですよ」


「あらぁ、まあまあ、シオンくん! このたびは結婚おめでとうねぇ!!」


 感激を露に親愛の抱擁をするマテルおばあちゃん。

 シオンくんもおばあちゃんの身体を抱き返して、朗らかに笑います。


「ありがとうございます。マテルさんも、一昨日は式に参列までいただいて」


「当たり前じゃない、同じ町の人間なんだから! 私なんて以前はシオンくんのご両親ともご近所づきあいさせていただいてたし、お互い知らない仲じゃないでしょう?」


 ほほほ、とご機嫌で笑いながら、マテルさんは奥から出てきたシオンくんを頭のてっぺんからつま先までためつすがめつします。


「まあ、まあまあ――素敵ねぇ、ぴかぴかのエプロンなんかかけちゃって! ルクテシアで一番の立派な冒険者さんが、すっかりお店の店主さんじゃないの!」


「褒めていただけるのは面映ゆいんですが、ここの店主は前と変わらずフリスですよ? 俺はその助手みたいなものです」


「ええ、ええ、わかっていますとも。ここはフリスちゃんのお店だって」


 ふふん、と上機嫌に鼻を鳴らして、マテルおばあちゃん。


「でも……そうねえ、何ていうのかしら。フリスちゃんも男性がいると、こう、何をするにも頼もしいでしょう。ねえ?」


「あ。はい。そ……ですね。はい」


 それは本当にそうです。

 朝からのいろいろはもちろんですし、気持ち的にもだいぶん。


「うちの旦那もむかしは頼もしかったのよ? まあ……今は脚を悪くしてだらだら楽隠居だから、差し引きで帳尻が合っちゃうくらいなんだけど。こればっかりはねぇ」


「え――そうなんですか? オルジーさんの脚、よくないんですか」


 表情を厳しくして、シオンくんが訊きます。

 それは、わたしがお薬屋さんだった頃には聞いたことのなかった話でした。


 マテルおばあちゃんの旦那さんは健康がとりえみたいなひとです。おばあちゃんの腰が悪くて歩くのが辛い時は代わりに処方箋を取りに来たりされていて、とても健脚そうな足取りをしていたのを覚えています。


「前の冬に無茶して足の骨を折っちゃって。骨はもうくっついたんだけど、それ以来なんだか痛むことがあるみたいなの。困った話よねぇ」


 頬に手を当てて、マテルさんは溜息をつく。


「でも、こればっかりは歳のこともあるし……治りが悪いのは仕方ないわよねぇって」


「あのっ」


 がたん、と椅子を蹴って。

 わたしは身を乗り出していました。


「今度っ、うう伺います。その……診察、にっ!」


「あら、いいの? でも、そんな大げさにするようなことじゃ」


「診察っ! したい……マテルおばあちゃんのも、ですし。腰、よくなってたら、やめていいです。かも、です。お薬」


 マテルおばあちゃんはなおも頬に手を当てて考え込んでいましたが。

 程なく笑って、頷いてくれました。


「そうねえ……フリスちゃんがいいのなら、お願いしちゃおうかしら」


「っ、はい! うかがい、ますっ」


 さっそく診察の日取りを取り決め、手帳にスケジュールを書き込みます。

 お店は診察に使えるお部屋がないので、わたしの診察は基本的に往診です。


 どことなく一仕事を終えたすっきりしたような顔をして、マテルおばあちゃんは帰ってゆきました。

 その姿が見えなくなると――急にどっと疲れがきて、わたしはくたくたとカウンターに突っ伏してしまいました。


「お疲れさま」


「ぅん……」


「マテルさん、話好きだから大変だったろ。今のフリスは――俺もだけど、突っつきやすい話題も抱えてるし」


「そ……だよ、ね」


 結婚したばかりのふたりだから。

 祝い事、だから。


 だからそれは、心置きなく話の種にできるということなのかもしれません。それが時に、深く踏み込んだ、言いようによっては下世話な話題に転げ落ちることだって、あるということなのでしょう。たぶん。

 ただ――


(困る……)


 恥ずかしくて、話しづらい話を振られると困ってしまうというのも、偽らざるわたしの本心で。ただでさえおしゃべりは苦手なのに、どう答えたらいいかさえわからなくなってしまいます。

 正直、さっきのは今でもまだ顔が熱いくらいで……。


「接客、代わろうか? フリスは売り物を作る仕事もあるだろ」


「ん……」


 ……ひととお話するのは、やっぱり苦手です。

 わたしのおしゃべりはへたくそだし、かけてもらったことばへ上手に返すこともできないから。


 一頃にゆえあって、わたしはこのトスカの町で四年ほどこのお店を、薬屋兼魔法屋みたいなお店をやっていました。

 わたしの作る附術工芸品アーティファクトは、みなさんからの評判がとってもよくて、贔屓にしてくれる方もたくさんいました。


 そう。評判よしだったんです。道具は……あと、お薬も。


 けれど、お店の様相や、店主だったわたし自身の評判がどうだったかというと――恥ずかしい話だけれど、少なくともわたしの作る附術工芸品アーティファクトやお薬みたいには、よくはなかったみたいでした。


 前の時、お店を構えたばかりの頃には、他所から移ってきた魔女わたしをうさんくさがったひとも少なくなかったみたいです。

 薄暗いお店にいつもひとりで籠ってる、暗くて変な娘だと思われていたのかもしれません。


「……マテルおばあちゃん」


「ん?」


「前の時も、お客さん……だったの。はじめて。最初に」


 腰を悪くしていたマテルおばあちゃんが、どこから聞いてきたのか――あの頃うさんくさがられてばかりだったお店を訪ねてきてくれたのが、最初でした。

 診察して。痛み止めと治療のお薬を渡して。


 そしたら翌日になって、


『びっくりするくらい痛くなくなったわ! あなたすごいのねぇ!!』


 ――なんて、大感激で握手を求められて。握った手をぶんぶんとめちゃくちゃに振り回されたりなんかもして。


 何となくなんですけど、それからだった気がします。

 あのころ、ちょっとずつだけど――お店がうまくいきはじめるようになったのは。


「そっか。……そうだったんだな」


「うん」


 ――と。カウンターに顎をつけたまま、わたしはもぞりと頷きます。

 そう――そういうことだってあるんだと。わたしはもう知っているから。


「がんばりたい、の。なるべく……だけど」


 ぺたりと溶けていた間に、少し力が戻ってきました。

 突っ伏していた体を上げて、でも――おずおずと、シオンくんの方を伺って。


「おしゃべりダメで、困ったら……その。助けて……くれる?」


「もちろん」


 頷いてくれました。そうするまでに、一瞬だって、躊躇いなんてなくて。


「まあ、今の俺は助手みたいなものだから。雑用ならいくらでも引き受けますよ、お嫁さま?」


 ……もう。

 そういう、いじわる言うんだから。


 でも、


「ありがとう……ね?」


 胸の中で重たくなっていた何かが、ふわっと軽くなって。

 そしたら、もう少しちゃんとがんばってみよう、って。そう、思えるのです。


 男のひとだから――というのとは、たぶん、ちょっと違くて。


 シオンくんがいてくれると、とてもとても、頼もしいのです。

 ――わたしは。

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