第9話
◆
操舵室には席は三つしかなく、そのうちの一つは常に空席だ。
親父はとっくにステーキを回収したはずだが、操舵室には来ない。少女の面倒を見ているか、そうでなければ俺が行う通信に遠慮しているのだろう。俺としても、親父がいたところで助力が得られる見込みはない。
あとは俺が口八丁で丸め込めるかだ。
通信は公共の通信網に乗り、惑星の一つの周囲を回り続ける衛星基地の一つにつながった。もちろん、最初から相手が出てきたりはしない。帝国宇宙軍の事務員の制服の女性が出て、俺は目当ての人物を呼んでもらった。用件を聞かれたので、「親父が急に亡くなりまして、その件で」とできるだけ消沈している様子で答えておいた。
同情したのか、事務員は一度、通信を保留にした。次に彼女が戻ってきたときには、本来の目的の人物と通信を繋げてもらえた。
兵器管理局に所属し、階級は大佐の男で、名前はルーテベルトという。画面に映った彼は五十になろうかという年齢のはずだが、剽悍な顔つきをしていて、第一線の戦闘部隊の指揮官だと言っても通るだろう。
俺は腰を下ろしている席から立ち上がり、敬礼した。
「ご無沙汰しております、大佐殿」
『誰かが死んだと聞いたが』
ルーテベルト大佐の声は俺の記憶の中の声そのままだった。通信状況でざらついているのも気にならない。
『きみの嘘はつまらんな、ガリア』
「申し訳ありません。どうしてもお話ししたいことがありまして」
『私には今の仕事がある。手短に頼む』
本当に彼は忙しそうな雰囲気だった。彼は指揮していた隊の下級将校の不祥事で詰め腹を切らされた経歴の持ち主だが、事務仕事に事務仕事なりの熱意を向け、使命感も持っているようだ。
俺は自分の身に起こったことを、要望通り手短に伝えた。裏道を飛んでいた輸送船の不運、奪われたコンテナとその中身、生命維持槽から出てきた少女とその刺青、そして輸送船の二度目の不運と破滅。
俺が話している間、ルーテベルト大佐はほとんど微動だにしなかった。一度だけ、顎の辺りを軽く指で撫ぜただけだった。話し終わっても、彼はしばらく沈黙し、視線はわずかに斜め上で固定された。
何かを考えている、というのは俺にとっては吉兆だ。もちろん、突っぱねる算段をつけている可能性もあるが、そういう男ではないのは知っている。突っぱねるなら説明させるような無駄は許さないだろう。事務員からの取次ぎの段階で通信を拒否するはずである。
想像通り、ルーテベルト大佐は視線を俺にまっすぐに向け直し、話し始めた。
『強化人間計画のことは知っているな。きみの除隊の一因でもある』
「忘れることなどできません、大佐殿」
そう答えるのが精一杯だったが、表面上は余裕たっぷりだったはずだ。ルーテベルト大佐を騙せるかはともかく。大佐はこの時も、ほとんど感情を見せず、ただわずかに顎を引いただけだった。実に落ち着いている。親父といい勝負だ。
『様々な紆余曲折はあったが、あの計画は続行されている。兵器開発局の主導で、試験体と専用の機動兵装の試験機も出来ているそうだ。私は兵器管理局にいるが、それでも噂でしか知らんが、実在するのだろう』
そこまで言われれば、子どもでもわかる。
「大佐殿、では、コンテナの中身がその試験体と試作機だったということでしょうか」
『知らんな。私は実物を見たことがない。また、見ることもないだろう。かなり高い機密レベルの情報だ。それくらいは指摘するまでもないだろうが』
俺は答える言葉を持たなかった。
強化人間計画を俺は少しだけ知っていて、その結果、宇宙軍を抜けることにもなったが、あの時、計画を実行していた連中は容赦なかった。まったくのでっちあげで俺を貶め、体良く軍から追い出したのだった。俺が下手なことをメディアで口走らないように手を打つことも忘れなかった。結果、俺はこうして親父の元へ戻り、鉱物採掘事業などをして、何も知りませんし何もありませんでした、という顔をしているわけだ。
その秘密計画が、また俺に絡んでくるとは、最悪だ。
大佐は明言しなかったが、ヌリィーク船長とその船が消滅したのも、軍の長い手の結果だともわかってきた。二度目の襲撃は海賊の襲撃ではなく軍による証拠隠滅だとすれば、俺の状況は極めて危険と言える。試験体の少女を手元に置いているのは、危険極まる事態以外の何物でもない。
待てよ……。違うんじゃないか? 大佐は別のことを示唆している。
二度目の輸送船の襲撃が軍によるものだとして、その大前提として、ヌリィーク船長の船に軍の秘密装備の輸送を依頼した奴がいるわけで、それはまちがいなく軍だ。おかしい。自分で依頼し、不手際があって自ら慌てて揉み消すのでは、非合理的だ。
では、一度目の襲撃とは何だ。深読みしていくと、海賊はコンテナを持ち去らなかった。持ち去ったが、推進剤を取り上げられた輸送船の目と鼻の先で、その場でコンテナの中身を漁っていた。これも非合理的だ。
なら、一番、ありそうな筋はなんだ?
隼号を撃沈した奴がいる。一方で、隼号に荷物を任せた奴がいる。この二つは、同じ組織だろうか。隼号の撃沈は荷物を任せたこと自体を消し去る意味がある。
では、コンテナを奪い、中身を奪った連中は、海賊か。ありえないことではないが、ステーションでのことが気にかかる。あのバーテンダーは、海賊の縄張りや活動に不規則な事態はなかったと話していた。それなら、隼号への一度目の襲撃は、海賊ではない?
海賊ではないとすると、その行動がコンテナの中身を知っているようであることを加味した時、新しい展開が見えてくる気もする。
コンテナの中身が軍の機密に関するもので、それを知っているとすれば軍の関係者以外にいない。
だいぶ歪ではあるが、隼号には軍に関する立場のものが二つ、別々の立場で関与しているということになる。荷物を任せておきながら不祥事を隠蔽したものと、荷物の存在を知っていてそれを横から掠め取ったもの。
それならこのゴタゴタは、軍の内部の揉め事か。
俺が黙り込んだせいだろう、ルーテベルト大佐も黙っていた。俺が顔を上げると、彼は少しだけ口元を緩めた。
『一般人では軍の相手も辛かろうな。その上、軍に目を付けられているのでは尚更だ』
辛いなんて表現では足りないが、そんなことも俺は口に出せなかった。助けを求めたいが、目の前にいるもはや出世とは無縁の軍人を頼ることができるのか、そもそも彼にどれだけの力が残されているのか、想像もつかなかった。
彼が自分に残されたキャリアを危険に晒してまで俺を助ける理由はない。
理由はないが、逆の理由はどうか。
キャリアを少しだけマシなものに変えることができるなら?
俺はじっと通信の相手を観察した。兵士として機動兵装に乗るようになる前、訓練学校自体に、初老の教官が繰り返していた言葉がある。目を逸らすな、見落とすな。俺はルーテベルト大佐から示された真実の可能性に気づいたように、今、その大佐の内心を見ようとしている。それは対面していても困難だが、通信でのやり取りではなおのこと困難だった。
しかしそこにしか希望はなかった。
「大佐殿、提案させていただいてもよろしいでしょうか」
必死の努力で、俺は平静を装い、それ以上に自信に溢れているように自分を演じた。
その演技がルーテベルト大佐に通用するかは賭けだったが、大佐は乗ってきた。もっとも、大佐は見抜いた上でわざと乗ってきたのかもしれない。
『聞くだけは聞いておこう、ガリア』
鼓動が早鐘を打ち、体が震えそうだった。しかしさすがに通信相手から見えるこちらの映像では震えは見抜けなかっただろう。その点では俺に有利だった。
有利だったが、わずかなリードに過ぎない。このリードがなくなれば、俺は本当に孤立無援になる。なるとしても、さらにベットしないといけないのが俺の立場だった。
「大佐殿、試験体らしい少女を、引き取っていただけますか」
返事はすぐにはなかった。
『面白いことを言うな、きみは』
超然としていると言っていいその返事は、まるで一軍の将のような貫禄があった。
俺は黙った。もう言葉を重ねる必要はない。重ねる言葉がない、とも言えた。
面白い、ともう一度、ルーテベルト大佐が繰り返す。
正直、俺は少しも面白くなかった。重圧で今にも座り込みそうだった。
大佐はもったいぶるように、また沈黙している。
しかし気づいたときには、それまでとは少し種類の違う沈黙に変わっていた。
(続く)
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