第7話

       ◆


 遥か遥か昔、遠い彼方の銀河系で。

 このフレーズはたまに引用されるが、今もそれを使いたい心情だった。

 遥か遥か昔、遠い彼方の銀河系で、というほど遥か昔でもなく、遠くもない、地球という惑星では宇宙ゴミが一時期、問題になった。しかし今では宇宙ゴミの除去技術も発展したし、そもそも果てしない宇宙において問題になるほどの宇宙ゴミはありえない。

 何年か前、宇宙コロニーが丸ごとひとつ、重大な事故によって宇宙ゴミに変わったことがあったが、そのコロニーでさえ宇宙ゴミとしては問題にならなかった。今頃、無人の巨大構造物として、宇宙のどこかを漂っているだろう。

 というわけで、悪党どもの根城のステーションがバラバラになり始めても、それは宇宙の汚染などとは無縁であり、重大な問題ではないわけだが、俺としては緊張を伴わずにはいられない。予想通りだが、ここから先はアドリブだ。

 ステーションのリングの一部に付属する小型の円錐型の固定具に、俺の機動重機はまだくっついている。分解したリングの一部だけで小型の船舶ほどの大きさがあり、そこには固定具が他に二つあるがどちらも空席だ。一人というのは気楽だが、操縦席にもう一人がいることを忘れてはいけない。下手な機動をすると狭い空間が悲惨なことになる。

 何にせよ、今は待ちだ。

 警察からの正規の通信は黙り込んでいるが、どこのいつの時代でも、悪党は警察の通信を傍受し、警察は何故かそれを防げない。今もまさにそうだった。激しいノイズと一緒に、警察の機動兵装八機とそれを指揮する母艦は、筆舌に尽くしがたいやりとりを展開していた。罵り合いと言ってもいい。

 今は誰も俺のことを気にしていない。それよりも一人でに分解し、漂流を始めた大量の障害物から身を守るのに必死だ。数人の操縦士が後退するべきだと進言し、指揮官は公共メディアでは絶対に聞けない放送禁止用語混じりの返事をしている。それに操縦士が理性的に答えられるわけもない。

 いいぞ、その調子で揉めていろ。

 俺もただ彼らの会話劇を拝聴していたわけではなく、ソナーを調整し、周囲の状況を把握しようと努めていた。固定具の円錐のせいでメインカメラはほとんど意味をなさず、ソナーからの情報を人工知能が解析し、見えないはずの場所の状況をイメージで補っている。それを元に、俺は自分が取るべき行動を思案していた。

 悪党どもの船舶は、警察の停船命令に従っていたのも忘れて、崩壊し、飛び散っていくステーションの残骸とともに逃亡を始めていた。警察の機動兵装は発砲こそしないが、真面目ともクソ真面目とも言える数機が必死に停船を呼びかけている。

 船を止めろ、さもないと発砲する。警告ではない。許可は下りている。

 そんなことを口にする操縦士もいるが馬鹿げていた。何せ、その通信を聞いていた指揮官が横合いから「やめろ、許可は出ていない!」と割り込むのを、悪党どもが聞いていないわけがないのだから。事実、停船命令は無視された。

 俺もその群れに加わりたかった。ステーションの一部に紛れ込んでいれば、逃げることもできそうだった。

 そうしない、できないのは、ステーションが崩壊する寸前に、俺に通信を向けてきた機動兵装が気がかりだからである。俺のことを混乱の中で失念してくれていれば問題ない。しかし、そんなことがあるだろうか。

 何かが奇妙だ。

 この宇宙警察のガサ入れは、俺の仕事と関係ないのか。関係ないかもしれない。十中八九、そうだろう。しかし、一割の可能性で相手の筋書きということがあり得る。一割は低い確率ではない。

 ではどんな筋書きか。

 警察を動かしたのは誰か。何故、動かしたのか。何が目的か。

 俺が飛び込んだステーションで俺を気にかける奴がいるなら、俺が目的かもしれない。

 俺の持っている荷物。それもコンテナではなく、まさに今、操縦室に押し込められている、セクシーなお嬢さんが目的かもしれなかった。

 自意識過剰ならいい。例えばここで宇宙警察に拘束され、未成年の女子を誘拐したとか、そういう罪状で罪に問われるならまだ納得がいく。事実に反するどころか事実無根だが、少なくとも外見上はそう見られても仕方がない。何せ上着一枚羽織っただけの女の子が俺と一緒に機動重機の操縦室にいるわけだし。これはごまかしようがない。

 ただし、別の罪状を被せられるとなると、状況は俺にとって不利どころか絶望的だ。

 輸送船である隼号から奪取されたコンテナの中身を、喉から手が出るほど欲しがっている奴がいて、そいつが宇宙警察を動かしているのなら、俺の罪状は誘拐や性犯罪などでは済まないだろう。そもそも公の場で裁かれないかもしれない。

 宇宙コロニーがどこともしれないところを目指して宇宙を漂流するように、俺も生身で、宇宙を漂流させられるかもしれない。

 この被害妄想を現実にさせないためには、状況を整理しないといけない。状況を整理するとは、まずは安全な場所へ行って考える、ということだ。今いる場所は安全ではないし、考え事をするには騒がしすぎる。

『そこの機動重機、聞こえているか』

 不意に通信が入る。もちろん、宇宙警察だ。モニターをチェック。機動兵装がこちらへ近づいてくる。不吉なことに、メインの武装である十ミリ機関砲の銃口がこちらを向いている。軍用ではないために副砲は装備していないが、十ミリ機関砲でも機動重機を無力化できない理由はない。

 俺の機動重機が接続されたままの固定具は、リングとまだ繋がっている。

 実は少し前からリングに付属しているだろう制御装置にアクセスし、円錐とリングの一部を分離させようとしているのだが、こちらの人工知能からの接触は制御装置に弾かれている。非正規アクセスには応じられない、の一点張りだ。非常事態のはずだが実に頭の固い制御装置だ。

 非正規の、違法な手法でなんとかしようとしているが、まだ時間はかかりそうだ。

 警察の機動兵装がすぐそこまで近づき、確かに十ミリ機関砲の照準を調整した。

『返事をしろ。主機関を停止させるんだ。聞こえているか?』

「聞こえている」

 そう返事をすると、警察は何か言葉を続けようとしたらしかった。

 この直後の激しい展開は簡潔に表現するなら、綱渡り、だ。

 まずステーションを構成していた一部の部品が、爆発した。これは予想できたことだ。悪党どもが自分たちの悪事の痕跡を、ステーションの解体などで済ませるわけがない。徹底的な破壊行為で消滅させたのだ。

 予想していたとはいえ、俺にはタイミングはわからなかった。

 爆発によって無数の大小さまざまな宇宙ゴミが吹き荒れた。それは俺の機動重機にも、警察の機動兵装にも等しく襲いかかった。損傷の度合いは運による、としか言えない。

 俺がほとんど損傷を受けなかった理由は固定具の円錐のお陰だった。それが宇宙ゴミの嵐のほとんどを引き受けてくれた。一方、警察の機動兵装は装甲パネルの一部を失い、推進剤のタンクの穴から煙を吐きながら、横へ滑っていった。

 それでも警察の機動兵装は俺への執着を捨てなかったと見え、際どいところで十ミリ砲弾を雨あられと俺に吐き出してきた。

 機動重機の装甲が耐えられるわけもなかったから、警察の方でも俺を仕留めた気になっただろう。

 そうならなかったのも、やはり偶然だ。

 ステーションの一部の爆発ですっ飛んできたらしい大きめのゴミが、俺と固定具と繋がったままのリングの一部に衝突した。その結果、俺の機動重機は振り回されて俺の守護神たる円錐状の固定具もろとも、吹っ飛ばされていた。

 十ミリ砲弾の大半は、頑丈な固定具に命中して跳ね返された。

 もちろん、十ミリ砲弾の着弾の衝撃でリングごと固定具は更に回転し、すっ飛んだわけだが。

 もし俺のリングと固定具を切り離す働きかけが失敗していれば、俺はリングと心中して宇宙のどこかへ旅立ったに違いない。

 事実は、リングが固定具を切り離し、リングだけで深淵へ旅立った。

 固定具とともに別の方向へ飛び始めた俺の乗る機動重機だが、その速度は目が回るほどだった。制御しようにも、自分がどちらを向いているのか、全くわからない。そんな対象を狙い撃てる腕前の操縦士は軍にもいないし、警察の機動兵装ももう俺を照準するのは不可能だった。

 人工知能でさえも照準不可能な速度は、あっという間に俺を問題の宙域から遠ざけてくれた。安全な場所という奴に運良く飛び込めたが、あまりにも勢いがつきすぎたのは大失敗だ。

 宇宙空間では飛ぶ速度も、きりもみする速度も滅多なことでは減速しない。気分が悪くなりそうだったので、星々の光点が飛び交うメインモニターの映像は切っておく。その代わり、機体にかかっているベクトルを数字で表示させた。

 オーケー、落ち着いてきたぜ。乙女を扱うように操縦桿を丁寧に握ってやる。

 推進剤の量は万全だ。アッシュはちゃんと仕事をしたらしい。固定具はまだ保持しているが、これも幸運だ。もっとも、機動重機側のアームが負荷で破損寸前だとエラーが幾つも表示されている。

 タイミングは、全くわからない。こんな局面は初めてだ。

 直感が全てだった。霊感、インスピレーションと言ってもいい。

 こういう時、決断することを決断しなければいけない、不可思議な感慨がある。決断を決断する何かは、決断を決断する何かをさらに決断する何かを感じさせる。そうやって遡っても、答えは見当たらない。

 決断とは、〇を一にすることだろうか。

 思考が果てしなく加速し、時間は置き去りにされ、感覚は肉体を抜け出す。

 快感とも、脱力とも言えない何かが、俺を支配する。

 しかし決断など、刹那のことだし、大げさなことではない。

 トリガーを一つ、引けばいい。

 機動重機が固定具を切り離す。

 それだけのことで、機動重機のきりもみが緩やかになり、進行方向も変わる。

 イメージ通りではない。構うものか。固定具を切り離した後のアームの収容を中断、そのままアームを切り離す。反動で回転の制御がだいぶ楽になった。コントロール可能な機体の挙動には安堵しかない。

 推進剤を噴射して、さらに減速させ、機動重機の動きはガラリと変わる。制御不可能なそれから、管理された挙動。

 ついに機動重機は静止し、宇宙空間を漂い始める。ソナーは正確に周囲を把握している。何もない。少し宇宙ゴミが飛んでいる程度だが、問題になる濃度ではない。

 星海図でも自機の座標をすぐに把握できない。あまりにも動きが不規則すぎて人工知能が混乱しているからだが、どこかとのデータリンクが成立すればすぐにわかるだろう。

 シートにもたれかかった時、何か柔らかく、生暖かいものが肩に落ちてきて、俺は死ぬほど狼狽えた。友人が見ていれば、俺が死ぬまで、いや、死んでも話題にされただろう。

 一人で助かった。

 俺の肩にもたれているのは、女の片手だった。触れてみると、暖かい。死んではいないということだ。手首を握り、脈拍を調べるが、確かに脈はある。機動重機の操縦室はだいぶひどい状況だったが、まだ生きている。どこにも異常がないか、調べてやる空間的余裕はないが。

 電子音と共に復活した星海図に現在の座標が表示された。思ったよりも飛ばされてはいない。通信装置は生きているし、追加で装備している長距離通信用の装置も機能する。星海図には親父の輸送船の座標も表示された。まだ通信は不可能だが、位置がわかるだけでも助かる。向こうにもこちらが見えているはずだし。

 短いテキスト通信で、親父に合流座標を送ってみる。返信までの時間が長く感じられたが、返事はあった。無事を確かめる訳でもなく、了解と伝えてくるだけだ。

 よし、これでなんとかなりそうだ。

 俺は推進剤で機体の向きを変え、推進装置を念のためにゆっくりと噴かした。ここまで来て推進装置の不具合や破損で事故死はごめんだ。

 推進装置は正常に機能した。

 巡航モードで機動重機を飛ばしながら、俺は一つ、息を吐いた。

 息を吐かずにいられるか、といったところだ。



(続く)

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