第6話

       ◆


 生命維持槽はステーションの混乱と喧騒などどこ吹く風で、問題なしの青いランプを点滅させている。

 中身は見えない。操作パネルを見てみると透過素材ですらないらしいと分かってきた。つまり中を検めるには開封しないといけない。

 俺に腕を掴まれたままのアッシュが恨めしそうにこちらを見てくるが、まだ聞くべきことがある。

「お前は中を見ていないよな?」

「当たり前だろ。見れないし、客の荷物を物色するのはマナー違反だ」

「大した職業意識だな。感心するよ。ここにあるこいつ、外付けのバッテリーはどれくらい保つ? いや、それはどうでもいい。この生命維持槽を運びたいんだが、コンテナに戻せるか?」

「あんたが帰ってきたら聞こうと思っていたけど、こうなったら、積めないよな。重機を用意しなといけないし、コンテナの方の電源をいじらなくちゃいけない」

 重機はいらん、人工重力を切れば持ち上がる、などと馬鹿げたことを口走りそうになった。胸の内で冷静になるように自分に言い聞かせる。仮に人工重力を切れば、生命維持槽の一つや二つ、自由に動かせるが、その時には無数の重機や工具が浮遊し始めて目も当てられない。まともな整備施設や補修施設なら非常事態に備えて危険なものは床や壁、柱に固定されるが、このステーションでそんな常識が通用するかは怪しかった。

「ということは、俺は生命維持槽をどうやって持って帰ればいい?」

 アッシュは鼻を鳴らして何度目かの俺の手を振りほどく動作をしたが、やはり失敗した。それでも声だけは強がってまだ意志は挫けていないことを示していた。

「簡単だろ、ここで開けてみればいいんだ。それで機動重機に乗せればいい」

「もしこの生命維持槽の中身が、メメリア星系に生息するジャーヴァだったらどうする?」

「液体生物って言われているあのジャーヴァがこんな生命維持槽に入っているわけあるかよ。そもそも、見るからに地球型人類用の生命維持槽じゃないか。ビビることはない」

 少年に煽られて熱くなるのも馬鹿らしい。そう、冷静になろう。

 その少年がそわそわしているのは、すでに補修施設で作業を行っていた船舶がおおよそ宇宙へ出て行ってしまっているからだろう。宇宙警察のガサ入れの方法はよく知っているが、それ以上に悪党どもが根城に手入れがあったらどう対処するか、そちらの方を知りすぎている俺だった。

 ここに長居はできない。

 生命維持槽を放っていくべきか。それとも一か八かで開封するか。ジャーヴァが出てくるなんていうのは冗談だが、しかし、危険物が出てこないとも限らない。

 落ち着いている余裕もなさそうだ。

 少年整備士を放り出し、俺は生命維持槽の操作パネルに指を走らせる。何が入っているかはわからないが、とりあえずは生きている。生命維持槽の中の環境は地球環境に限りなく近いようだ。ここで開封した瞬間、中身が即死したり異常変化することはない。たぶん。

「俺ももう逃げていいかい」

 アッシュの言葉に、「さっさと行きな」と声をかけてから、思わず呼び止めていた。

「待て、アッシュ。お前、拳銃、持っていないか?」

「整備士がそんなものを持っているわけないだろ。ドンパチとは縁がないんだ」

「悪党どもに料金を踏み倒されそうになったらどうする?」

「懇意の悪党に取り立てを代行してもらうよ」

 最悪な持ちつ持たれつだ。

「もういい。さっさと行け。気をつけてな」

「トウコこそ、気をつけて」

 実に健気じゃないか。もし場面が場面、状況が状況なら、少年の頭を撫でてやったかもしれない。しかし今は緊急事態で、暇もなければ、余裕もない。

 ままよ、と思わず呟きながら、自分に自身の決断を再検証する間を与えないために、操作パネルの「開放」の表示を俺はタップした。

 棺じみた生命維持槽は実に仰々しく、聞こえないはずの荘厳な背景音が錯覚されるほど、緩慢に開いていった。もし中から白い煙が溢れ出してきたらもっと印象的な光景だっただろう。

 しかし背景音はサイレンで、煙は出ない。

 それよりも、俺には中に入っているものに意識は集中していた。

 ものではなく、人だ。年齢は十代ほどで、髪の毛は栗色で短い。また瞼が閉じていて瞳の色は不明。肌は白に近い。地球型人類だ。純地球型。

 問題は、その女が何も身につけていないことだった。

「少年には刺激が強すぎたな」

 冗談を言うしかない。

 女は目を覚ます様子もなく眠りこけている。冷凍されていたわけじゃないが、薬物によって眠らされている影響だろう。生命維持槽のパネルから覚醒用の薬物を使用するという選択をするが、開放前でないと不可能、という表示が出た。

 くそったれ。てっきり旧型の生命維持槽と同じ仕組みだと思ったが、この生命維持槽はガスを使って覚醒させるらしい。ではもう一度、蓋を閉じるか。もう時間はない。

「まさか女を拾うとは」

 冗談ばかり口をついて出る。それだけ俺も参っているということだ。

 このままこの女をここに放っておいて、どうなる? これから起こる悪党どもの摘発逃れのやり口で、下手をすれば宇宙の塵になる。そうでなければ、宇宙警察に保護されるだろうか。それはそれで安全かもしれないが、その時は俺の仕事はかなりきわどい事態になる。

 荷物を確保し、開封し、しかし捨ててきた、というのは信用問題どころか、自分を囲んでいる爆薬の起爆スイッチの上を指で軽く叩いているようなものである。

 もう姿が見えないが、アッシュにコンテナの固有信号について聞いておくべきだった。履歴はどうなっているのだろう。開封したこと、生命維持槽を動かしたことも履歴に残っているのか。残っているとなると俺は選択を誤った途端、荷物を横から掠め取った犯罪者だ。

 仕方がない。目の前で熟睡している女を回収し、それで潔白を示すとしよう。示せるかは判然としないが。

 女を生命維持槽から引っ張り出し、俺は素早く上着を脱いで女に着せた。これで最低限は隠せる。見ている奴などすでにいないが。それにしても小柄で軽い。どう見ても年齢は十代半ばで、これはこれで犯罪だな。

 どうにかこうにか機動重機に乗り込み、女は狭苦しいスペーズに無理やり乗せた。一人乗りなのだ。二人分のスペースはない。

 ハンドルを握り、ペダルを踏む。生体認証で機体が息を吹き返す。全ての電子機器が立ち上がり、ステーションからのサイレンが操縦席にも流れてきた。それをキャンセルしているところで、ステーション側からの人工知能の通知があった。

『第三十七番固定具をご利用のお客様。当ステーションは構造の維持に問題が発生し、緊急避難命令が出ています。早急な脱出と離脱を推奨します』

「今から出るよ。固定具を外へ出してくれ」

『了承しました。それでは四番リングからの放出となります。良い旅を』

 どうも、と返事をした時には通信は切れている。実にそっけない。

 機動重機がわずかに震え、動き始める。固定具が回転を続けるリングに戻り、そのリングが機動重機を補修施設から宇宙空間へ運んでいく。

 宇宙が見えた、という時には、タイミングを譲渡するという表示が操作パネルに出る。

 もっとも安心はできない。ステーションの周囲には機動兵装が飛び回っている。数は一個小隊、八機のようだ。赤と青のランプの明滅がよく目立つ。母艦も少し離れた所に隠れもせずに待機している。

 それ以上に、無数の船舶が右往左往していて、まるで宇宙船の展示会のような有様だ。悪党どもが逃げるタイミングを探しているのは明らかだが、警察の機動兵装は正式に武装している。粉砕されないために逃げるには、まさにタイミングが重要だ。

 俺も様子を見ているとどの警察の機体からかは知らないが、通信が強制的に割り込んできた。ノイズがひどすぎて聞こえづらい。普通の通信状況ではないな。

『機動重機の操縦士、ただちにこちらの指示に従いなさい。リングを離れたら、指定座標へ向かうんだ』

 誰が従うものか。

 俺がそう答える前に、変化が起こった。

 機体が不自然に流される、そう思った。しかし違う。周囲の光景からくる錯覚だ。

 ステーションが変形していた。ステーション全体の輪郭がズレた。見間違いではない。そのままさらにズレていく。

 俺の目と鼻の先で、ステーションの構造物がバラバラに分割され始めていた。

 これが悪党どもが使う、証拠隠滅の手法だった。



(続く)

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