第4話 お嬢様の髪を梳かして、夜のティータイム
「お風呂で停電に見舞われたときはどうなるかと思いましたけど……一時的なもので助かりましたね」
本当にそうですね。
ブレーカーを上げたら電気も着きましたし。
「もしも停電のままだったら……ああ、非常電源があるんでしたね。だとしても電気がつかないよりはつく方がいいです。いつまでも持つものではありませんし」
それに、停電のままだとお嬢様が怖がってるままですからね。
「……ここぞとばかりに意地悪な指摘をしてきますね。誰にでも苦手なものくらいあるでしょう? わたしの場合、それが雷や停電、暗闇というだけで――」
そうですね。
「話を流された気がしますが……いいです。それはともかく髪を梳かしてもらえませんか? ……着替え? 濡れた髪のままではできませんよ。バスタオルを巻いているんですから目を逸らす必要もありませんよね?」
そういう問題ですか?
「わたしが良いと言っているのでいいんです。それより、早く髪を梳かして乾かしてもらえませんか? 病弱なわたしはこのままだと風邪をひいてしまいますよ」
言い出したらお嬢様は止まらない。
俺に髪を梳かせと言っている本当の理由は雷と停電が怖かったから落ち着くためにも一緒にいてくれ――ってことだろう。
素直に言えないのもお嬢様の可愛いところだ。
櫛とドライヤーを片手ずつに装備し、お嬢様の長い髪を梳かしにかかる。
「わたしの髪、長いでしょう? 毎日手入れをするのは大変なんですよ。油断するとすぐ枝毛になってしまいますし」
だったら短くすればいいんじゃないですか?
「……はあ。あなた、やっぱり鈍感です。女心を全く理解していません。わたしが髪を伸ばしている理由はあなただというのに」
俺、ですか。
「忘れてると思いますけど、昔あなたが言っていたじゃないですか。髪の長い女の子が好きだ――って」
すみません、全く記憶にないです。
でも、それでどうしてお嬢様が髪を伸ばす理由になるんでしょうか?
「わかりませんか、そうですか。あなたはそういう人でしたね。人の気持ちに鈍感で、そのくせ誑かそうとしてくる天然もののジゴロです」
……えっと、もしかして罵られてます?
「罵ってはいません。わたしが勝手に嘆いていただけです。気にしないでください……と言わなくても、あなたが気づくことはないのかもしれませんが」
いつになくお嬢様がツンとした態度だ。
知らずのうちに粗相をしてしまったのだろうか。
お風呂で肌を見てしまったのは不可抗力だと信じたい。
「それにしても……あなたに髪を梳かれていると眠くなってしまいますね。なんででしょう。不思議と落ち着きます」
こんなところで寝たら風邪ひきますよ。
というか着替える前に寝ないでください。
もし寝たら勝手に着替えさせますからね?
「わたしはそれでもいいのですけど……ふふっ、あなた、顔が赤いですよ? いったい何を考えていたんですか?」
なんでもありません。
「そういうことにしておきましょう。髪もありがとうございます。サラサラでしょう? これでやっと着替えられ――くちゅっ」
お嬢様が肩を震わせながら可愛らしいくしゃみを一つ。
もしかして湯冷めしてしまいましたか?
脱衣所の温度は一定に保っていたのですが……
「……風邪をひいていなくてもくしゃみくらいします。髪も梳かしてもらったことですし、流石に着替えます。ありがとうございました。ああでも、着替え終わるまでは脱衣所の外にいてくださいね? また停電したら大変なので」
そのつもりですよ、お嬢様。
■
「雨も雷も止みませんね。予報では明日まで続くとのことですけど……こんなに降られては眠るのも一苦労です」
それはつまり、寝るまで傍にいろということですか?
「そうは言ってません。言ってませんけど、まだ眠れそうにないですし……あなたも一緒にお茶でもどうですか? 夜のティータイムです」
いいですよ。
淹れるのは俺ですけどね。
「あ、待ってください。わたしも一緒に行きます。一人の時に停電になったらどうするつもりですか」
素直に怖いって言ったらいいんじゃないですか?
お嬢様が泣いても怖がっても俺は離れていきませんから。
「それはわかっていますけど……恥ずかしいじゃないですか。この歳になって雷も停電も怖いなんて」
それでもいいと思いますよ?
自分でも言っていたじゃないですか、誰にでも苦手なものはあるって。
「……そう、ですね。ならもうはっきり言います。今夜は一緒にいてください」
なんか言葉が足りない気がするけど……まあいいか。
もちろん、お嬢様が眠るまでお付き合いしますよ。
「なんなら一緒に寝てくれてもいいですよ?」
添い寝、ですか?
……それはちょっと、どうなのだろう。
「寝相は良いので迷惑はかけないと思います。それに……あなたが近くにいてくれた方が安心して眠れますし、何かあっても大丈夫でしょう?」
お嬢様に他意はない。
わかっているけど、納得するかは別の話。
……しても添い寝までですよ。
お嬢様が寝たらベッドを出ますから。
「それでいいです。とりあえず、お茶にしましょう?」
お嬢様と一緒にキッチンへ向かい、お茶の準備をする。
紅茶と角砂糖、お茶菓子は甘さ控えめのしっとりしたバタークッキー。
それらを用意するのを、お嬢様は何が楽しいのかわからないけど微笑みながら見守っていた。
お茶の一式を部屋に運び、テーブルを用意してお嬢様の向かいに座る。
「夜にお茶をするなんていつ以来かしら。わたしはすぐ風邪をひくからと夜は早い時間に寝ていましたからね。それこそ、前も停電していたときだった気がします」
そういえばそうですね。
「雨風が強くて月が見えないのは残念です。ティータイムには最悪な空模様かもしれませんが、ささやかに楽しみましょう?」
あんまり飲み過ぎたら眠れなくなってしまいますから気を付けてくださいね?
「大丈夫です。だって、あなたが添い寝してくれるんでしょう? だったら安眠確定です。何も怖くありません」
俺はあまり眠れなさそうですけどね。
「それはどういう意味ですか? わたしと一緒に寝るのは緊張する、とか?」
まあ、否定はしません。
「……こんなわたしでドキドキしてくれるのはあなたくらいなものですよ」
真っすぐ向けられるお嬢様の目。
どこか仕方なさそうな微笑み。
どうしてそんな顔をするのだろう。
「それよりも……あなたが淹れてくれるお茶はとても美味しいですね。こちらのクッキーもしっとりとした舌触りと優しい甘さで、紅茶によく合います」
本当ですね。
「お砂糖はあまり入れない方が良さそうです。あまり運動をする方ではありませんから、気を抜くとぶくぶくと太って――……まさか、それが目的ではありませんよね?」
違います。
太るのが怖ければ一緒に運動でもしますか?
気分転換にもなってちょうどいいと思いますよ。
「一緒に、運動? わたしが、あなたと? ……ついていける気がしませんけれど一考の余地はありますね。自分のペースで初めてみましょうか」
それが良いと思います。
「台風が去って、晴れの日に始めましょう。縁起がいい気がしませんか? あんまり日差しが強いと日焼けしてしまうかもしれませんね。ちゃんと日焼け止めを塗っておかないと、お風呂の時にヒリヒリしてしまいます」
お嬢様、全く外に出ないから肌真っ白ですもんね。
「雪みたいな白さ……と言えば聞こえはいいかもしれませんけど、病的な色味ですよね。あなたと比べると……ほら。こんなに白いんですよ?」
あの、お嬢様、ちょっと近いです。
「いいじゃないですか。こんな距離、いまさらでしょう? わたしが倒れたときは身の回りのお世話だって――けほっ」
大丈夫ですかっ!?
急に咳込んだお嬢様を支えると、俺を安心させるためかぎこちなく笑みを浮かべた。
「……慌て過ぎですよ。ちょっとむせてしまっただけで…………けほっ」
本当ですか?
ちょっと失礼しますね。
お嬢様の額に手を当てると――いつもより熱を持っている気がした。
まさか風邪? 湯冷めしたのが最後の一押しになったのかもしれない。
部屋に戻って熱を測りましょう。
「…………心配性ですね、あなたは。でも、そうですね。自分が思っていたよりも疲れがたまっていたのかもしれません。すみませんが……部屋まで運んでもらってもいいですか?」
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