第2話 お嬢様とお勉強、肩もみ、肩叩き

「この数字をここに代入して、こっちの公式を使って……解けましたね。あなたはどうですか?」


 こっちも解けましたよ。

 お嬢様はやっぱり勉強が得意ですか?


「身体を動かすよりは余程。得意の座学も画面越しでしか受けられませんけれど、わたしとしてはありがたい限りです」


 オンライン授業があって本当に良かったと思う。

 これならお嬢様のお世話をしながら俺も授業を受けられる。


 まさか俺だけ授業を受けに学校に行くわけにもいかない。


「あなたとも一緒にいられて安心です。申し訳ないことに、わたしはいつ倒れるかもわかりませんから」


 それはお嬢様のせいじゃありません。

 身体が弱いのはどうしようもないことで、俺はそんなお嬢様をサポートするためにいるんです。


「……そうですね。ですが、こんなわたしにも出来ることがあるんですよ?」


 隣に座って勉強していたお嬢様が俺のノートに指をさしながら、


「ここ、間違ってますよ」


 耳元で間違いを指摘して、間近で微笑む。


 ……あ、ほんとだ。

 お嬢様、よく間違いを見つけられましたね。


「あなたのことはよく見ているつもりですから」


 俺のことばかり見ていないで授業に集中しませんか?


「……わかっていますよ。あなたこそ、授業に集中してくださいね?」



 ■



「んっ…………ずっと座っていると身体が凝り固まってしまっていけません。合間合間で解しておかないと」


 俺も伸びをするとパキパキと音が鳴った。


「……あなた、疲れがたまっているんじゃないですか? 四六時中、別荘に泊まり込みでわたしのお世話をしている訳ですし」


 疲れを溜め込んでいる自覚はありませんが……。


「そうです! 授業も終わったことですし、日頃の労いも兼ねてマッサージをしましょうか」


 ……まさかお嬢様が、俺に?


「それ以外に何があるんですか?」


 いやだって、俺は使用人ですよ?

 普通は俺がお嬢様にマッサージをするのでは?


「わたしがすると言っているんですから細かいことは気にしないでください。それともなんですか? わたしの力ではマッサージにならないとでも?」


 それはまあ、思っていないと言えば嘘になる。


「……わたしはあなたに付きっ切りで守られないといけないような非力な存在ではありませんよ。力こぶだって……ほら、この通り――」


 出来てませんね、残念ながら。


「…………うるさいですね。とにかくベッドに座ってください。わたしにもマッサージが出来ることを証明してあげますから」


 使用人としては断るべきなのかもしれないけど、ここまで言われたら仕方ない。

 お嬢様はなにかを言い出すと止まらない頑固さがある。

 こういうときは好きにしてもらった方がいい。


 お嬢様のベッドに座ると、後ろにお嬢様が陣取った。


「……背中、大きいですね。いつの間にこんなに成長していたんですか? 子どもの頃はわたしと同じくらいの背格好だったのに……」


 何年前の話ですか、それ。

 今ではもう頭一つ半は俺の方が高いですよ。


「見上げるわたしの身にもなって欲しいです。首が疲れて仕方ありません。ですが……いえ、なんでもありません」


 何を言おうとしたのだろう。

 考える俺の背にお嬢様の手が重ねられ、そっと撫でられる。


「筋肉もついていて硬い。男性の身体ですね」


 やめてくださいって、お嬢様。

 ちょっとこそばゆいです。


「そうですか? ごめんなさい。では……マッサージといきましょう。まずは肩もみから始めますね」


 お嬢様の手が肩に乗り、肩もみが始まった。


「力が強かったら、教えてくださいね? ……どうして笑うんですか? そうですよ、わたしはどうせ非力ですよ。でも、精一杯肩もみしますからね。いつもわたしのために頑張ってくれているあなたのためですから」


 正直、お嬢様の力は弱い。

 肩を揉まれているというより、ちょっと押されているくらいの感覚だ。


 でも、お嬢様が俺のためにしてくれていることが伝わってきて、精神的に癒される。


「よい、しょ……よい、しょ…………ふふっ、わたしの手、こんなに小さいんですね。あなたの肩、全然上手く揉めません」


 そうは言うけれどお嬢様は楽しそうだ。


「でも……なんだか癖になってしまいますね。握力のトレーニングにちょうどいいかもしれません。わたしもリンゴも素手で砕けるくらい強くなれれば……」


 それはちょっと強過ぎです。


「冗談ですよ、冗談。そこまでは求めていません。もう少し欲しいのは本当ですけれど。今も肩を揉んでいるだけで凝りを解せている気はしませんし……」


 そんなことないですよお嬢様。

 気持ちはじゅうぶんに伝わっていますから。


「……では、今度は肩たたきにしましょうか。音もあって雰囲気が出るはずです」


 お嬢様はまだ続けるつもりらしい。


 大丈夫ですか? その、疲れとか。


「これくらいでへばるような鍛え方はしていませんよ。毎日腹筋もしているんですから。なんと十回です! 凄いでしょう?」


 ふふん、と得意げに語るお嬢様。

 顔は見えないけど、きっと可愛らしい顔をしている。


「あとでわたしの見事な腹筋を見せてあげましょう! ふっふっふ……油断していられるのも今だけですよ。いつの日かあなたを守れるくらい強くなってみせますから」


 楽しみにしておきます、お嬢様。


「……なんだか内心、バカにされている気がします。こうなったら目いっぱいの力で肩を叩いてあげますよ。泣いても知りませんからねっ」


 泣きませんよ。


「いきますよ」


 声がかかって、肩叩きが始まった。


「結構いい音が鳴りますね。気持ちいいですか?」


 気持ちいいですよ、すごく。


「それならよかった――じゃなく、こんなものではありませんからねっ」


 お嬢様は力を込めているつもりなのだろう。

 俺からしたら軽めの力しか伝わってこない。

 凝りは解れないだろうけど、お嬢様が俺のためにしてくれているというだけで心地よく感じる。


「……なんだか、太鼓を叩いている気分です。本物を叩いたことはありませんけれど、こんな感じなんでしょうかね」


 どうでしょう。

 今度、家に太鼓を取り寄せてみましょうか?

 なれないことをするのは良い刺激になると思います。


「それも面白いかもしれませんね。あなたと一緒に一から学ぶのなら楽しいと思います。太鼓だけでなく、なんでも」


 そうかもしれませんね。


「…………ふぅ。どうですか? 少し楽になりましたか?」


 お嬢様の肩叩きが一時的に止む。

 肩を回してみると、気持ち軽くなっているような気がした。


 ありがとうございます、お嬢様。


「いいんですよ。あなたが日々、わたしに尽くしてくれていることへの、ほんのささやかな気持ちです。身体の弱いわたしには、これくらいしか出来ませんから」


 お嬢様は寂しそうに笑うけれど、そんなことはない。


 俺はお嬢様といられるだけで本当に嬉しいですよ。


「……本当に、あなたという人は。そんなあなただから、わたしは――」


 お嬢様は何かをいいかけて、留めた。


「…………ごめんなさい。なれないことをしたからか、少しだけ疲れてしまいました。夕食の時間になったら呼んでもらえますか?」


 それは構いませんが……もしかして俺のせいで――


「あなたのせいではありませんよ。肩もみも、肩叩きもわたしがしたいからしたことです。思いのほかわたしの体力がなかっただけですから気にしないでください」

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