第10話 迷いの森5
*
ジェイムズは悩みながらも、さきへ進むことにした。森のなかに一人で朝まで寝てはいられない。壁のない場所ではどうも安心できなかった。
馬は疲れているようだ。しかたないので、手綱をにぎって、ひいて歩いた。
真夜中の森は暗いし、ガサガサと変な音や、よくわからない獣の鳴き声に満ちている。
進んでいくと、街道のわきに、ようやく集落が見えた。意外と近い。村のそばまで来ていたのだ。
だが、今、その小さな集落はとてもさわがしい。深夜なのに、何事だろうか?
ジェイムズが急いで行ってみると、理由はわかった。
村人らしき数人の男が一人の少年をかこんでいる。もちろん、ジャスミンだ。
「こんな夜中にどうしたんだ? 何かあったのか?」
村人たちは手に手に丸太棒など持って、ただごとではない感じなのだ。まあ、捕まっているのがジャスミンだから、なんとなく理由はわかるのだが。
案の定、村人たちはだいぶ腹を立てている。
「コイツはいつも村から野菜や卵を盗んでいく盗人小僧だ。やっと捕まえたから、サボチャ村に送って、役人に裁いてもらう」
「いくらみなしごと言えども、これ以上は黙っちゃおけない」
「こっちだって、みんな、やっと食っていけるほどしか収穫がないんだ。これ以上とっていかれたんじゃ、こっちが冬を越せなくなっちまう」
たしかに、小さな村だ。あばら家のまわりに、なけなしの畑がある。あとは森で獣でも狩ってきて生活しているのだろう。子ども一人とはいえ、よぶんに面倒を見てやるだけの余裕はなさそうだ。
「わかった。では、私がこの少年が盗んだものを買ってやろう。いくらだ?」と言ったあと、ジェイムズはふところに手を入れて、ハタと気づいた。財布はジャスミンに盗まれて、ないのだった。
「どうなさった? お若いかた?」
「あ、いや。それが……」
金はない。しかし、かと言って、剣や指輪をさしだすのも、あまりにも現実的ではない。見れば、ジャスミンがにぎっているのはカボチャ一個だ。それも、かなり小ぶりなやつ。
これに金貨百枚もする指輪は、はたして妥当だろうか? いや、少年の命がかかっているのだから、惜しんでいる場合ではない。
ジェイムズが決心して、そう言いだそうとしたときだ。ジャスミンがバツの悪そうな顔でひらきなおる。
「なんだよ。言ってやればいいんだ。おれがあんたの財布を盗んで逃げたんだって」
とたんに村人たちのジャスミンを見る目が冷たくなった。
「ほら、見ろ。コイツは心の底から卑しい性悪なんだ。あんたもわかってたんなら、かばう必要はないだろう?」
「いや、まだ子どもだからな。役所にひきわたせば、死刑になるとわかっているものを、哀れじゃないか」
「そんなこと言って、コイツが大人になったら、強盗にでもなって、たくさん人を殺しますぜ? あなたは見るからにお貴族さまだから、生っちょろいことをおっしゃるんだ」
バカにされてるんだか、敬われてるんだかわからない口調で言われて、ジェイムズは苦笑する。
「まあまあ。じゃあ、こうしよう。ジャスミンが盗んだ私の財布を今ここでとりもどす。ほら、これで、この財布は私のものだ。そして、この金で、おまえたちが盗まれた野菜のすべての支払いをしよう」
財布ごと渡すと、なかをのぞいた男がゴクンと息をのんだ。
「こ、これ、全部?」
「それで足りるだろうか?」
「へへへ。充分でさぁ」
「では、少年はもう自由だな? 私がひきとろう」
「かまいませんけどね。そんなやつ、つれていっても、なんのいいこともないと思いますよ? くれぐれもお気をつけなさい」
村人にしてみれば、精一杯の忠告だろう。
ジェイムズは笑って手をふると、ジャスミンをつれて村をあとにした。ほんとは泊まっていきたかったが、もう金がない。
「あんたのせいで、せっかくの大金がなくなっちまったじゃないか」
おどろいたことに、開口一番、ジャスミンが言ったのは、ジェイムズへの文句だ。
「何もバカみたいに全部渡してやる必要なかったんだ。おれが盗んだものなんて、金貨一枚でもお釣りがきたのに」
「まあ、いいんだよ。あの人たちの怒りをとくためには、あのくらいは安いものさ」
「あんたって、ほんとに世間知らずだな。じゃあ、これから、一文なしで旅してくのかい?」
「サボチャへつけば、仕事終わりに謝礼をもらえる」
「ふん」
「それに、どこかの街で指輪を売れば、当面の路銀以上にはなるだろう」
「ふうん」
『ふん』が『ふうん』になったのは、またよからぬことを考えたのだろうか? ジェイムズのふところがあたたかくなれば、盗んでいける、とかなんとか?
(ワレスもこんなふうだったのかなぁ? なかなか、手ごわい子どもだったんだな)
ジャスミンはそのへんにいくらでもいる黒髪黒い瞳のユイラ人だ。顔立ちはちょっと地味なくらい。ぬけた前歯が逆に可愛い。
ワレスがこのくらいの年だったころは、それはもう天使か妖精かというほどの美少年だっただろう。そのぶん、苦労が多かったのではないだろうかと推察する。
今はここにいない友を思って、ジェイムズの胸は痛んだ。
物思いにふけっていると、ジャスミンは両手を顔のよこでウジャウジャしつつベロを出して走っていった。
「あ、こら。ジャスミン。どこへ行く?」
「一文なしなんか用なしだぜ。あばよ」
「待ちなさい。おまえ、行くあてがないんだろう? 仕事をあてがってやるから」
「ベェだ」
暗闇になれているのか、少年のほうが速い。あわてて追っていたジェイムズは、いきなり足をふみはずした。道のわきが崖になっていたのだ。とりあえず、草をつかんだが、こんなもの、すぐにちぎれてしまう。足元を見おろすと、深い闇がひろがっていた。
もうダメか。
ジャスミンは行ってしまっただろう。
ジェイムズがあきらめかけたとき、誰かが手をつかんだ。
「ぼうっとすんな! 早くあがれよ!」
「ジャスミン……」
ジェイムズは嬉しさで涙が浮かんだ。てっきり、ジャスミンは自分を嫌っていると思ったのに。
そのあと、四苦八苦しながら、ジェイムズは崖からはいあがった。
「ありがとう。助かったよ。ジャスミン」
「言っとくけど、借りを返しただけだかんな。おまえなんか、どうなったって、ほんとは知らないんだ」
強がっているが、声がふるえている。もしもジェイムズが死んだらと思うと、怖かったのだろう。
少しはなつかれている。
ジェイムズはジャスミンの頭に、ポンポンとかるく手をのせた。
「くそぉ。いい仕事、紹介してくれなきゃ、ゆるさないからな」
「いいとも。三食おやつつきの仕事を紹介してやろう」
少年の頬に涙が光っているように見えたのは、月夜の魔法だろうか?
こんなふうに、もう一匹のなつかない猫も、心をひらいてくれたらいいのにと、ジェイムズはそっとひとりごちた。
そのときだ。
森のどこからか、人の声が聞こえる?
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