第9話 魔女イネス4



 魔女の小さな寝台で、二人、舟をこいだ。ギシギシときしむ不安定な小舟は、情熱の高波に翻弄ほんろうされ、あがり、さがり、頂きまでのぼっては、また落ちる。目のくらむような荒波の乱高下。


 やがて、嵐がおさまると、裸の胸を重ねながら、夢を見るまでのわずかな時間に、たがいの寝物語をかわす。


「おれが最初に恋人を亡くしたのは、八つのときかな。美神の白い病って奇病があるんだ。もともと、それにかかってて。全身が動かなくなる前に殺してくれって懇願されたんだ。願いを叶えてあげるしかなかった。でないと、あの人は狂っていただろう」

「わたしは大人になってからだわ。これでも裕福な家庭に生まれたのよ。十八で結婚したの。幼なじみのベルトランとね。彼の実家は香辛料を外国から輸入していてね。貿易船に乗って出ていったきり、帰ってこないのよ。嵐にあって船は沈没したんですって。遺体は見つからないけど、みんなは死んだと言うの」


 だから、あんなに勢いよく扉をあけはなったのだ。もしかしたら、行方不明になった夫が帰ってきたのではないかと考えたから。


「今でも待っているの? 夫の帰りを」

「もうあきらめたわ。いえ、そのつもりだった。あきらめて二人と婚約したけど、すぐに亡くなって。だから、やっぱり、ベルトランを待つことにしたのよ。それなら、もう誰も死ななくてすむでしょ?」

「わかるよ。自分が死神なんじゃないかと、ときどき思う」

「そうよね」


 でも、イネスとなら、きっと長くつきあえる。彼女は仲間だ。本音を言いあえる相手。恋人じゃない。


「ところで、表通りにある占い館。女の子がすごい行列になってたな。知ってるか?」


 イネスは笑うばかり。眠そうに何度かまばたきして、そのまま目を閉じた。

 イネスがあの占い師なのは間違いないはずだ。なぜ隠そうとするのだろう?


 翌朝。ワレスが寝たふりしながらベッドで見張っていると、イネスは部屋の奥へ行ったあと、表口の扉から帰ってきた。


(ふうん?)


 裏から出て、表から帰る。

 この謎はかんたんに解けた。

 イネスの寝室の奥は厨房で、さらにその奥にある扉をあけると、居間があった。すでに丸テーブルに女がすわっている。紫色のヴェールをつけた占い師だ。


 占い館とイネスの住居は、同じ一つの建物なのだ。


 イネスが朝食を買いに行っているあいだにのぞいてみたが、占い師とイネスは同一人物ではなかった。なぜなら、今まさに客とやりとりしている占い師の背中を、細くあけたドアのすきまからワレスがのぞいているときに、イネスが帰ってきた。


 ワレスは扉をそっとしめ、水を飲んでいるふりをした。厨房にいるワレスを見て、イネスはチラリと居間へつながる扉を流し見る。


「ここへは入っちゃダメよ」

「どうして?」

「厨房は女の場所だから」

「そう」


 しかし、寝室で朝食を食べるわけにもいかないので、厨房の調理台にイネスが買ってきた料理をならべる。揚げたシュリンプにアボカドを使ったサラダ。ほかほかのポテトパイ。カリカリに焼いたベーコンつきだ。


「朝から豪華だな。すごく美味い」


 高級料理店の味だ。イネスは困窮しているわけではないのだろうかと考えていると、彼女は笑いながら、こう答える。


「シュークレールさんのお店で、前の日の残り物を安く買わせてもらえるのよ」

「でも、パイは焼きたてだ」

「それはサービスなの」


 変だ。あの店主はイネスを悪く言っていたのだが? 恋人に呪いをかけて殺しているのだと。


「あの店はとても美味いな。でも、かなりの高級店だ。いくら残り物でも安値で売って採算がとれるんだろうか?」

「シュークレールさんはベルトランの幼なじみなのよ。だから、わたしにはとても親切にしてくれるわ」


 イネスは照れくさそうに、ちょっと赤くなる。

 なんとなく、構造が見えてきた。でも、それだと、ワレスにとっては悲しい結末になるに違いない。


「ねえ、イネス。ちょっと聞きたいんだが、ベルトランがいなくなってからできた恋人二人」

「ええ」

「二人とも、あなたが看取ったの?」

「いいえ。わたしと別れてすぐに、事故や病気で亡くなったそうよ。申しわけないことをしたわ。ベルトランを忘れるために、安易につきあった人たちだったから」


 やはり、そうだ。そういうことなのだ。


「じゃあ、イネス。また夕方に来るよ。美味しい朝食、ありがとう」


 イネスの家を出ると、ワレスは表側へ移動して、占い館のむかいの店へ入る。ジェイムズが一人で困りはてていた。


「ワレス。来ないから、どうしようかと思った。どこへ行ってたんだ? 自宅にもいないし」

「ちょっと、事件を調べに……」


 そう。それだけのことだ。だから、嘆く必要はない。むしろ、これは喜ばしい事実なのだ。

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