第9話 魔女イネス3



 美味しい料理を堪能したあと、食後のリンナール茶を飲んでいると、ようやく店主が戻ってきた。

 すかさず、ワレスはたずねる。


「イネスという魔女がいるらしいじゃないか。亭主がみんな死んでしまうんだって?」


 シュークレールは渋みのあるおもてに苦い笑みを浮かべる。


「イネスには近づかないほうがよろしいですよ。あの女は呪いで恋人を殺しているのです。ウワサですがね」


 それだけ言って、ほかのテーブルへ行ってしまう。


「呪い殺すだって? 恐ろしいね。ワレス」


 ふるえあがっているジェイムズに、ワレスは無言のまま、あいまいな笑みを送った。


 呪いで相手を殺すヤツはおまえの目の前にもいるじゃないか?

 おれがちょっと誘ったら、おまえは死んでしまうんだぞ?


 なんてことは、もちろん言えないので、調査の話でごまかす。


「じゃあ、そろそろ帰ろうか。明日は朝一番に占い館の前で見張っていたほうがいいな。あの周辺で姿を隠せる場所があったか?」

「むかいの店に断って、なかにいさせてもらうしかないんじゃないかな?」

「それがいい。レヴィアタンはうるさいから、明日は来ないように言ってくれ」

「わかった」


 料理店の前で手をふって別れた。ウワサを集めるだけじゃわからない。こうなったら、イネスにちょくせつ聞いてみようと、ワレスは思った。いつもなら、もっと慎重にしたかもしれないが、今回は特別だ。自分の運命にもかかわってくる。イネスはワレスの同類かもしれないのだから。


 イネスの家へむかうと、古くて傷みの目立つ建物には、ぼんやりと明かりがついていた。小さなランプか、ロウソク一本をともしているのだろう。イネスの生活はかなり逼迫ひっぱくしているに違いない。


(家を売って、もっと郊外に引っ越せばいいのに。ここは商売人たちにとっての一等地だ。小さな家でも、売れば十年か二十年は働かなくても暮らしていける額になる)


 ワレスは戸口のよこにある格子窓をのぞいた。イネスはこちらに背をむけて、何やら壁ぎわでうずくまっている。そのまま、数分待っても、まったく動くようすがない。神に祈りをささげているようだ。


 しかたないので、ワレスは扉をたたいた。

 すると、ほとんど待つことなく、扉が内からひらく。


「ベルトラン! ベルトランなの?」


 あまりの勢いに、ワレスのほうが臆して、二、三歩あとずさった。


 イネスはたぶん三十代のなかば。ユイラ人らしい黒髪と、とてもめずらしい明るい琥珀色の瞳のとりあわせが猫のようだ。顔立ちも皇都劇場で悲劇のヒロインを演じられそうな、どこか物悲しいふんいきの美人だ。


 ワレスを見ておどろいている。


「あら……ごめんなさい。どなた?」

「おれは、ワレス。ただのジゴロだよ」

「……」


 当然ながら、イネスはそそくさとドアをしめようとした。ワレスはその扉を長い手と足で押さえ、ニッコリ微笑む。


「おれを見てくれ。金にも女にも困ってない。そうだろ? あなたと話したくて来たんだ」

「……」


 イネスが困惑しているうちに、ワレスは室内に入ってしまう。

 裏手にある占い館によく似た感じの家だ。フローリング床にレンガ壁。質素だが落ちついた花柄の壁紙。思ったとおり、小型のランプが一つだけついている。


 家のなかにはイネス以外の人はいなかった。一人暮らしのようだ。


「あなたのウワサを聞いたよ。恋人が死ぬんだって?」


 イネスはため息を吐く。


「呪われた女がめずらしいの? だったら、帰って。話すことなんてないわ」

「呪いなんて、めずらしくないよ。おれだって持ってる」

「いいかげんにして。そんなわけないじゃない。呪いなんて」

「でも、あなたは呪われてるんだろ?」


 イネスは暗く沈んだ表情になる。


「わたしとつきあった人はみんな、死んでしまうのよ。世間ではわたしが呪いをかけて殺してるなんて言うけど、それは嘘よ。愛する人を呪うわけないじゃない」


 やはり、そうなのか。

 イネスはワレスの仲間だ。

 同じ呪いを背負っている。


「わかるよ。おれもだから。確信したのは五年前だけど、みんな、おれが愛したから死んだんだって」

「嘘でしょ?」


 ワレスはゆっくり首をふった。

 同じ苦しみをかかえている者同士だ。無言で見つめあうだけで、たがいの目のなかにあるかげりの正体を理解できた。


 イネスは耐えきれなくなったように、ワレスの胸にすがりついてきた。同時に、ボロボロ涙がこぼれおちてくる。


「もうイヤ。こんなの」

「そうだね」


 この人になら、魂の傷を見せられるだろうか?

 本気で愛しあえなくてもいい。仲間がいれば。

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