第八話 聖堂の天使

第8話 聖堂の天使1



 今年もまたこの日が来た。

 冬の寒い一日。

 この日、天使になった少年がいる。

 ワレスがもっとも愛し、その死に対して深く罪の意識を背負う、かつての恋人。


 ルーシサス——


 死と死後の安息の神デリサデーラの神殿の鐘が鳴る。

 あれから五年。

 神殿には遺族が集まり、祈りを捧げているのだろう。


 だが、ワレスは一人離れ、その鐘の音を聞いていた。

 ルーシサスの両親アウティグル伯爵夫妻にはあわせる顔がない。せめて遠くから祈るのだ。


 ルーシサス。たった十五で逝かせてしまった君。

 あの日の朝まで、愛をささやいていた唇も、今は冷たく朽ちはて、土の下で眠っている。


 ワレスが一人、深い懺悔ざんげに暮れていると、ハアハアと息を切らしながら、ジェイムズがかけてきた。舌をたらす大型の犬みたいに、おだやかな目をしている。


「きっと、君がどこかにいるんじゃないかと思ってた」

「……」


 以前なら、ルーシサスを失ったこの日に、誰かと会いたいなどと思いもしなかった。だが、今、ジェイムズの顔を見るとホッとする。


「神殿で祈りの儀式をしてるんだろ? おまえも行かなくていいのか?」

「ルーシサスならゆるしてくれるよ」

「……」


 ジェイムズはきわめて親密な態度で肩を組んでくる。


「神殿と言えば、おぼえてるかい? 昔、学校の聖堂で天使が降臨したって、ものすごいさわぎになったろう?」

「ああ……」


 もちろん、おぼえている。

 あれは学校じゅうのウワサになったし、何よりも、ワレスが深く関係した事件だ。



 *



 皇都の貴族のほとんどすべて、あるいはユイラ全土の領主の息子までもが通う騎士学校。それが、ユイラの帝立第一校だ。基本的には貴族しか入れないが、特別な事情で、随行ずいこうをゆるされた召使いの生徒もいた。


 ワレサレスはそうしたなかの一人だ。あるじのルーシサスが病弱な少年なので、その看病やお世話のためについてきている。お供をしながら、いっしょに学んで知識をつけ、将来的にはルーシサスに仕える家臣になってほしいというのが、アウティグル伯爵の意向だ。


 だが、伯爵は知らなかっただろう。じっさいには、少年たちのどちらがあるじで、どちらが従者だったのか。魂の立ち位置には、必ずしも身分が関係しないのだと。


 まだワレサが騎士学校に入学して、しばらくたったころだ。

 ルーシサスは初等部の最初から通っていたが、病気のため休学している期間も長かった。そのため、寮は特別に二人部屋をあたえられていた。ほかの生徒たちは、ほとんど四人か六人部屋だ。


 部屋のなかでは二人きり。

 誰の目もないから、当然、主従の立場は逆転する。


「なんだよ。また熱を出したのか。おまえはほんと、ダメだな。これじゃ音楽大会どころじゃないな」

「ごめん……」


 ルーシサスは生まれつき体が弱い。ちょっとムリをすると、すぐ熱を出して寝込む。ほんの少し重いものを持ったり、風の冷たい日に薄着をしたり、なんなら、とくに理由がなくてさえ。

 ユイラに昔から、まれにいるタイプだ。そういうタイプはどういうわけか、見ためはとても美しい。華奢で、年より幼く見えて、そして、たいていは成人する前に死ぬ。


 ルーシサスも年より二つは幼く見えたし、少年というより、どこから見ても美少女だ。プラチナブロンドに若草色の瞳をして、風にそよぐ草原の儚い花に見える。


「今日は授業は休めよ。おれがかわりにノートをとっとくから、あとで教えてやるよ」


 ひたいに手をあててワレサが言うと、ルーシサスは熱でうるんだ瞳で、下からのぞきこんでくる。もっとも、ルーシサスはベッドに寝ていて、ワレサがその枕元にすわっているから、どうやっても、のぞきこむ形になるのだが。


「行くの? ワレサ。一人はさびしいよ」


 ねだるような目つきだ。キャンディみたいに甘ったるい。


「……休み時間には戻ってくるから」

「うん」と言いつつ、ワレサの手をにぎって離そうとしない。


 ワレサはあいている片手で、ルーシサスの白金の髪をもてあそんだ。甘ったるい瞳に誘われるように、唇を重ねる。


「いいか? おれが出たら内から鍵をかけて、絶対に誰もなかへ入れるなよ?」

「うん。わかってる」

「おまえは可愛いから、病気で寝込んでるなんて知れたら、狙われるぞ」

「うん」


 なぜか、ルーシサスは笑った。


「ワレサ。妬いてくれるの?」

「……」


 うるんだ目で微笑されて、ワレサはなんだか腹が立った。


 今でこそ、こんな甘っちょろい関係になってるが、自分たちは恋人なわけじゃない。ルーシサスは奴隷だ。ワレサがこれまで大人から受けてきた、さまざまな理不尽や暴力を再現してみせるための生贄。


 最初のころは、ルーシサスだって、ワレサを恐れてさけていた。


 ワレサがアウティグル伯爵家にひきとられる前、数年に渡って、地方のある神殿で、神殿長から虐待を受けていた。毎日、規則を守らなかった罰だと言って、体に針を刺された。刺青するための針だ。神殿の紋章をワレスの体に刻むため……。


 ほかにも言葉にできない数々の拷問にも等しいおこないを。


 今現在、そこからは逃がれられた。アウティグル伯爵に出会い、救ってもらえたのだ。

 ワレサはとても強い意志を持っている。だが、それでも、ときには悪夢にうなされてとびおきた。まだ、心は闇に囚われている。


 だから、同い年で生まれたのに、貴族の息子というだけで、なんの苦労も知らず、無垢のまま守られたルーシサスに、そのとき受けた屈辱のすべてをぶつけた。


 ルーシサスは内心、ワレサを嫌っているはずだ。嫌って、恐れている。服従するのは、もういじめられたくないからだ。


「妬くわけないだろう。おまえはおれの奴隷なんだ。おれ以外の誰かのものになることはゆるさない」


 ワレサは言いすてて部屋を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る