第7話 アンシニカの瞳5
「ほんとはそうじゃないんだろう?」
断言するワレスを、伯爵は陰鬱な光をおびた目でにらむ。
「どういう意味だね?」
「ただの妻の情事なら、あんたがヤキモチを我慢すればいいだけだ。最初は、あんたも自分の浮気を楽しんでいるから、妻のやりたいようにさせているだけだと思った。でも、あんたはおれを殺そうとした。あのとき、気づいたんだ。あんたたちはグルなんだって」
「私は妻が妄想を楽しめるように協力してるだけだよ」
ワレスは三本の指を伯爵の前につきつける。
「答えは三通り考えられる。一つは、アンシニカはほんとに彼女が言うとおりの身の上で、あんたに監視されながら、ひとときの恋を楽しんでいる。二つめは、あんたの話が真実。アンシニカは恋と妄想の世界でしか生きられない女であり、あんたがそれを許容している。ただね。ここに三つめの考えがある。あんたとアンシニカはグルだ。アンシニカは宝石店で男を物色し、自分たちの罠に誘いこむ。そして、あんたは妻の奇行をゆるしてるふりをして、その実、浮気相手を脅迫し、多額の金品を得ている。出会いの場が高級宝石店なら、そこに出入りする男はそうとう裕福だ。その上、不倫相手を貴族が殺すのは罪にならない。ことに相手が庶民の場合。間男を成敗すると言って切りかかれば、相手は命乞いするだろう。金は好きなだけやるからゆるしてくれと。思っていたより金のない男なら、ほんとに殺してしまったのかもな。だから、おれに対しては本気で襲ってきた。そうだろう?」
伯爵は答えない。
「あんたたちは夫婦で
その瞬間、伯爵が剣をぬき、切りかかってきた。今度はワレスも心の準備ができている。即座に剣で応戦する。二度、三度、打ちあい、たがいの腕をはかる。
だが、そのときだ。扉がひらき、アンシニカがとびこんできた。
「やめて。お願い」
アンシニカは夫の腕にすがりつき、ひきとめる。
「早く、逃げて」
ワレスはためらった。このまま逃げれば、あとでアンシニカが夫になぐられるかもしれない。それを見すかしたように、彼女は微笑んだ。
「この人は、わたしに乱暴はできないわ」
「アンシニカ……」
「あなたはほんとの紳士だった。ありがとう」
アンシニカの目に涙が浮かんでいる。
できれば、自分の推理が外れていてほしかった。アンシニカのためには、二番であればよかった。美しい夢の世界で生きる彼女と、それを陰から見守る夫。それがダメなら、せめて一番。
だが、現実にはもっとも、そうであってほしくなかった三番めの答えが正解なのだ。
「早く! 行って」
ワレスはうなずいて外へ出た。伯爵は追ってこない。今ごろはアンシニカとモメているんじゃないか。仲間割れして、彼女が殺されたら……そう思うと、じっとしていられず、ワレスは裁判所へ走った。
「ジェイムズ! 来てくれ!」
「あれ? ワレス。血相変えて、どうしたんだい?」
「いいから、早く! 何人か部下をつれて」
「うん。うん」
わけのわからないようすのジェイムズをひきつ」て、とってかえしたときには、屋敷はもぬけのからだった。のちに調べたところでは、そこはル・ヴェドール伯爵の夏の別荘で、シーズン以外は無人なのだという。
「ジョスリーヌ。この前、パーティーでル・ヴェドール伯爵夫人を紹介してくれただろう?」
「そうだったかしら?」
「あんたとどんな関係なんだ?」
「知らないわ。わたしは、あの日のホステスに紹介されたから、そのまま告げただけ」
おそらく、詐欺師が空き家を利用して、ル・ヴェドール伯爵になりすましていたのだろうということで決着した。
アンシニカがその後、どうなったのか、ワレスは知らない。今もあの男の片棒をかつがされて、どこかで美人局を続けているのか。それとも、心を入れかえて、男から離れたのか。
ただ、一度犯罪に手を染めた相手とは、そうかんたんに手を切れないだろう。
惚れた男だから従うのだろうか?
彼女はそれで幸せなのか?
今でもときどき、彼女の悲しげな瞳を思いだす。
願わくば、ヘマをして処刑台にのぼることがないように。
ワレスにできるのは、それだけだ。
了
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