第3話 レディの面影7



 夜間になって、アラン代筆屋の裏口に男が立った。コツコツコツと三回、男がドアをたたくと、内側からひらかれる。ロウソクを持つ男はウェズヌだ。心労のつきないような顔には見おぼえがある。


「ワレス。やっぱり、君の言ったとおりになった」

「しッ。まだ油断できない」


 裏口を見張るワレスたちの前で、やってきた男は代筆屋のなかへ入っていく。二人の男の姿が見えなくなると、さらに建物に近づいた。

 表口はジェイムズの部下が見張っている。パトリスとロマンだ。ジェイムズの腹心である。


 壁ぎわまで近づくと、室内の話し声が聞こえた。代筆屋はとても小さいので、部屋数も少ない。表側の店舗と、裏の物置だけだ。店主のアランは近所のアパルトマンに住んでいて、夜は無人になる。


 だが、今、その店内から女の泣き声がもれていた。


「やれ。ほら、書くんだ」

「でも……」

「ちゃんとやれば帰してやる。やらないと殺すぞ」


 ワレスのイヤな予感が当たってしまった。やはり、そうか。探しても見つからないはずだ。カースティは監禁されていたのだ。


 裏口をあけようとしたが、ドアには鍵がかけられている。悪事を働くのだから当然の用心だ。

 しかし、ワレスは手段を選ばない。剣の柄で窓ガラスをたたきわると、そこから乱入した。思ったとおりだ。物置に男が二人。それに、ロープで縛られたカースティがいる。


「カースティ!」

「な、なんだ? おまえは——」

「や、役人だ!」


 ワレスを追って、ジェイムズやパトリスたちもやってくる。ウェズヌと客は逃げだそうとしたが、あっけなく捕まった。


 机の上に書きかけの文書がたくさん置かれていた。文面はできあがっているが、契約者の署名だけぬけている。


 ワレスはカースティの縄をすばやくといた。うしろにかばいつつ、男にむかって真実をつきつける。


「おまえはウェズヌから他人の書体を完璧に写せるカースティの話を聞き、自分の計画に利用しようとした。最初はウェズヌが協力者だった。だが、彼の技術では署名を完全には再現できない。裁判所に怪しまれてしまった。だから、家出してきたカースティを監禁して、これ幸いと署名させようとしたんだろう? もっと大きな金額の借用書を今度こそ本物そっくりに作るために」


 男の顔は蒼白だ。

 だが、まだ黙りこんでいるので、ワレスはさらに続けた。


「はなから、すぐに偽造とバレるような文書で銀貨十枚なんて小銭を集めることが目的だったわけじゃない。それは計算のうちだった。バレて、捜査の手がマーレーン商会に伸びることこそが、あんたの目的だった。なぜなら、裁判所や治安部隊が調べれば、すぐにある人物の悪事があばかれると信じていたから。そうだろ? ドナシアン」


 マーレーン商会の長男は悔しそうなおもてをふせる。両側からパトリスとロマンが押さえ、縄で縛る。


「ここにある文書はすべて、マーレーン商会の不動産や財産にまつわるものだ。カースティにノーランドの署名をさせて、彼が不正を働いている証拠をでっちあげようとしたんだな? 裁判所が調べても、ノーランドの捕まる気配がいっこうになかったからだ。あたりまえなんだよ。ノーランドはただ商才があるだけ。まっとうに商売してるんだからな」

「そ、そんなわけない。アイツは絶対、裏でなんかやってるんだ。親父はすっかり信頼しきってるし、弟は口ばっかり威勢がいいから、おれがやらなきゃ。今にアイツが本性見せて、店ごとアイツのものになってしまう!」

「おろかだな。誰もが自分ていどの才気しか持ちあわせないと、なぜ思うんだ?」


 これはドナシアンの劣等感を深くえぐったらしい。ドナシアンはおとなしそうな顔を紅潮させる。


「お、おまえなんかに何がわかるんだ! おれはやれる。今までは失敗だったけど、ちゃんとやれば商売だって……ノーランドがおれから、どんどん役職をうばうから! アイツが、アイツが悪いんだ!」


 わめきながら、ドナシアンは連行されていった。ウェズヌもひっぱられていく。


「ワレス。じゃあ、アランは事件には無関係なのかな?」と、ジェイムズが言うので、

「彼は何も知らない。カースティが夜中にたずねてきたとき、アランがいれば、こんなことにはなってなかった。文書を偽造中のウェズヌがいて、捕まってしまった。そうだろ? カースティ」


 カースティはうなずきながら、ワレスの背中にしがみついてくる。

 ワレスはそのオレンジ色の髪をくしゃくしゃになでた。


「怖かったな? もう大丈夫だ」

「ワレス……」


 ぶじでいてくれて、よかった。ワレスの運命が彼女を殺したら、たぶん、もう二度と誰ともふれあう気になれなかった。人間のいないこの世の果てへ旅立っていただろう。



 *



 その夜、ワレスはアパルトマンの質素なベッドで、カースティとまどろんだ。それが少女の望みだったからだ。


 カースティにとって、ワレスは初恋の人であり、世界中でただ一人の仲間でもあった。

 同じ罪深さを内にかかえる仲間。

 世界の裏側をひっそりと歩いていく影人。

 拒絶し続けるのは、あまりにも酷だ。


 そのあと、人前では兄妹のふりをして、夜になると恋人どうしになる。そんなガラス細工のような暮らしをしばらく続けた。


 なんとなく、予感があった。

 ある日、ジゴロ稼業から帰ると、カースティはいなくなっていた。荷物がなくなり、手紙が一つ置いてあった。



『親愛なるワレス


 急にいなくなってごめんなさい。あなたといられて毎日が幸せでした。でも、そろそろ一人で生きてみる。心配しないで。信用できる人のもとへ身をよせます。ありがとう。さよなら。

 そして、どうか、あなたにも、わたしと同じくらいたくさんの幸せがおとずれますように。


 あなたの妹レディより』




 了

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