第3話 レディの面影6



 マーレーン商会のふんいきは悪くなかった。なかへ入ると、やり手だという番頭のノーランドが出迎えて、丁寧に応対してくれた。


「何度も悪いな。ノーランド」

「ティンバー次期子爵さま。いえいえ、お役めですからね。本日は何用でしょう?」

「例の借用書の件で、彼に説明してほしい」

「うちとしてはまったく身におぼえのないことです。説明と言われても困りますが、たとえば、これが白紙の借用書です。うちの商会の家紋が入っています。これによって、捏造ねつぞうはできないはずなのですよ」


 金銭の貸し借りに専用の用紙を使っている。よくある羊皮紙だが、上部のどまんなかに、かなり目立つ印がある。印刷ではなく、ちゃんと一枚ずつ判を押されている。これによって商会に無縁の者が偽造できない仕組みだ。


 ワレスはたずねてみた。

「この家紋の印はどこで保管されているんだ?」

「旦那さまが保管しています。代々、家長だけがご存じの場所に隠されていますから、外部の者には持ちだせません」


 だとしたら、完全に内部の犯行だ。商会がらみでの詐欺か、または白紙の借用書を持ちだせる者が独断でやっている。


「しかし、変な話だな。この借用書は上等の羊皮紙だ。しかも、一枚ずつ押印する手間もかかっている。それを銀貨十枚やそこらの貸しつけに使うのか? 紙代だけで採算がとれない」


 そう。上質紙は高いものだ。もっと安価の植物繊維を使った紙は、庶民にも使われているものの、高価な羊皮紙は誰にでも持てるものではない。


「薄くて丈夫なレバソン紙なら、もっと高級だしな。銀貨十枚なんて借用書には、木くずの再生紙で充分なんだ」

「ごもっともですな。わが商会ではそもそも銀貨十枚なんて貸しつけはいたしません」

「でも、じっさいにそういう訴えが出てるだろう?」

「それがおかしいのでございます。わが商会では、他の商会または貴族への貸しつけにかぎりおこなっております。ですので、貸しつけの額が異なりますよ。最低でも金貨百枚からですな」


 ワレスは思案した。

 これはノーランドの言うとおりだ。本来、マーレーン商会では庶民を相手に金を貸してはいない。訴えが起こる前には、いっさい、そうした記録がない。


「ジェイムズ。前に見せてくれた偽造文書、持ってるか?」

「これかい?」


 ジェイムズがふところから出す紙をひろげて、白紙の借用書とくらべてみる。まちがいなく、マーレーン商会の専用紙だ。紙の質、判の摩耗まもうぐあい、さらには押しかたのクセまで同一だ。


「ノーランド。あんたは誰が犯人だと思う?」


 試しに聞いてみる。

 この紙が使われている以上、個人にしろ商会ぐるみにしろ、内部の誰かが犯人であることは確実だ。やり手と言われる彼がどう答えるのか興味があった。


 ノーランドは考えこんだあと、慎重に答えた。

「私には見当つきかねます」

「じゃあ聞くが、この白紙の借用書は、店の者なら誰でも持ちだせるのか? たとえば、店頭の見習い小僧にでも?」

「それはできません。便宜のために、さきに旦那さまに押印していただいてはおりますが、鍵つきの箱に入れてあります」

「その鍵は誰が持っている?」

「店の奥の旦那さまの仕事部屋にかけてあります。その部屋に入れるのは私をふくめ、一部の者だけです。むかいがすぐご家族の住居になっておりますので、使用人は勝手に通れません」

「あんたもか?」

「私はそれはできますよ。商売の相談で、よく旦那さまのお部屋にも行きますので」


 ほかにも、あれこれとたずねたが、ノーランドは多忙なので、だんだん中座が目立ってくる。ほどほどのところで商会をあとにした。


「どう思う? ワレス」というジェイムズに、ワレスが口をひらこうとしたときだ。

 商会の窓のなかから話し声が届いた。興奮しているのか大きな声だ。


「兄さんはこのままでいいのか? マーレーン商会の名前が親父の代でなくなってしまうんだぞ」

「……だからって、証拠もないのに」

「このままじゃ、ノーランドに乗っ取られておしまいだ。あいつは絶対、裏でなんかやってるんだ。おれにはわかってる」

「まあ、落ちつけよ」

「兄さんは手ぬるいんだよ。おれなら、ノーランドと差し違えてもこの店を守るね!」


 商会の裏へまわると、ちょうどマーレーン家の住居だ。話しているのはさっきの次男と、年は少し上だが気の弱そうな男だ。


「マーレーン商会の長男ドナシアンだね」と、ジェイムズが言う。

「ちなみに、ノーランドの評判は?」

「すごくいいよ。使用人にも優しいし、がんばったぶんはちゃんと見ててくれるって、みんな言うね。もちろん、商才はあるし、取引さきにも悪く言う者はいない」

「マーレーン家の長男と次男は?」

「長男は人はいいが、だまされやすくて、商売人にはむいてない。次男は横柄で使用人から好かれてないね」

「なるほど」


 だいぶ、事件の構造が見えてきた。偽造文書というから心配していたが、どうやらカースティは無関係だったようだ。


 ワレスがホッとした瞬間だ。とつぜん、脳裏にひらめいた。


「思いだしたぞ。来るときに次男と話していた男。あれはアラン代筆屋の代筆師だよ。名前はウェズヌだったかな」


 とたんにイヤな予感がする。

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