13話 「魔法さん」の力
「夢じゃない……」
どれだけイヤだったとしたっても朝は来る。
ムダにアルコール耐性があるからどれだけ飲んだっていつもどおりの時間に目が覚める僕。
「……よしっ」
一晩寝て覚悟は決まった。
……なんとなくかがりに連絡して今日のラッキーカラーというやつをコーディネートしてもらう。
よさげな服装を思いつかなかったから男のプライドとかちっぽけななにもかもを投げ捨てて、おすすめだっていう服をそのまま着て。
夏休みに買わされた、あのふりっふりの真夏仕様の白いワンピースを着ていて。
下着はもちろん色を合わせて目立たないようにして、けどやっぱりいくらかは恥ずかしいから下はスパッツで気持ちだけガードして、併せて買わされた真っ赤でつるんとしたサンダルを履いていて。
その上にかぶせるように、銀色の長い髪の毛をただただふぁさあっと乗せて麦わら帽子を被って。
だから僕は、どう見ても現実世界……いや、ここにはふさわしくない、明らかに異質で遠く離れたどこかの世界にでもいそうな、そんな姿になっているんだ。
◇
通勤時間になってきたから家を出て近所を徘徊していたら、運良くすぐに見つかった顔見知りの奥さん……たしか猫を飼っている家だ……とご挨拶。
「……おはようございます」
「あらあら、お久しぶりねぇ。 聞いていたとおりに雰囲気変わったのね? でも、とっても似合っているわよ! まるで『お姫さま』みたいで!」
まずはひとり。
僕が女の子の格好をしていることについてもこの低身長にも、なにも疑問に思われない人がいることを確認した。
「おやおはよう。 最近見なかったけど元気かい?」
「えぇ、……おじいさんもお元気そうで」
前は見下ろしていた関係のおじいさんが、今ではおんなじところに視線がある関係になっていて。
「うちの子もいつもこのへんで君に撫でてもらっていたから、なんだか不思議そうな顔をしていてねぇ」
「ちょっと忙しかったもので」
「わふっわふっ」
「お手」
「わふん」
町内一周な散歩を朝晩にしているおじいさんは特に見た目には言及しなかったけど、それでも僕を「僕」だって認識していることがわかって。
体感的に7、8割……というよりはスマホとかで下を向いていたりいつもの僕みたいにぼーっとしながら歩いているらしき人以外からは、珍しい色彩でまず1回、それでもって髪の毛と顔と服と振っている脚とで2回目、そして人によってはじーっと3回目と、それはそれはじっくりと見られる。
……やっぱ目立つよね。
黒髪の中の銀色と、夏休みも終わっているのにおしゃれをしているこの格好。
今までパーカーさんと帽子さんのセットのおかげでどれだけ人目を避けられていたのかがよーくわかる。
それでも誰も、僕を……特段おかしなことをしているようには考えないみたいで、珍しいものを見たって顔はするものの立ち止まったり話しかけてきたりなんかせず、そのまま駅へと吸い込まれていく。
「……やっぱり」
彼らは僕を見た目通りの女の子だと認識している。
それが結論だ。
僕が深く突っ込まなければ今の僕の見た目にも格好にも違和感を持ったりはせず「ちょっと雰囲気変わった?」程度止まりで、前の僕と今の僕とを半ば同一視しているみたいで。
女装とか以前に、たとえば髪の毛を少し伸ばしたとか丸刈りにしたとかひげをちょっと蓄えているとかコンタクトにしたとか……その程度の認識のようで。
あちこちからぴらぴらしてうっとうしいからみんな縛っちゃったリボンチックな装飾が逆にアクセントになっちゃっている、今のロリータな格好なのにね。
町中の人だって僕には注目……カラーリングと格好のせいだろうけど……するけど、だからってどうこう思うわけでもなく「ただ幼い女の子が近くにいる」って程度の認識のようだった。
僕がこんな格好をして、こんな時間にこんなところでたったひとりぼっちでぼけーっとしていても、変だとすら思ってもらえない。
駅前のスーパーに寄ってぷらっとそのまま中ほどまで行って1本の缶を両手で持ってそのままレジへGO。
「お願いします」
「……えーっと」
うんまぁ、困るよね、これは。
でもあえて当たり前だって顔をしながら顔を上げて。
「お願いします」
「……ごめんね――、お父さんのかな? おつかいだよね? わかってるんだけど、そのね? こういうの、お酒って子どもには売っちゃいけないんだー」
じっと見上げた先のお兄さんが困った顔をしている。
たぶんこんな銀髪幼女がビールだけを買いに来たっていうので魔法さんとか関係なく混乱しているんだろう。
「……すみません。 僕、こんな見た目ですけど……成人、していますよ?」
「◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆……、あ」
僕を見ている青年の目がどす黒くなる。
僕が彼に差し出しているのは免許証。
僕が僕だって言う証。
ほんの数秒の硬直が過ぎる。
周りから音と光がなくなったような、そんな感覚。
「……◆◆◆ ◆◆失礼しました。 お若く見えたもので。 はい、確認しました。 袋のほうは――――」
――実験の結果、僕は、シールを貼られた缶ビールっていう見慣れないモノを手に入れてしまった。
白昼堂々ふりふりの白いワンピと赤いサンダルの銀髪幼女にしか見えない姿でも、免許で男だって伝えたら――魔法さんの効果が立証されちゃったんだ。
◇
「……ではもう一度ご確認いただけますか?」
「はい」
何度か来たことのある大きめの銀行の応接室のひとつ。
「今回は……定期預金のうちの一部のご解約でよろしいでしょうか? 前回と前々回にお引き出しがなかったので手数料などは……」
「はい。 少し入り用なので。 残りはそのまま継続で結構です」
こうして引き出すのが大学の学費とか以来だからちょっと聞かれたけど「生活費に使うから」ってだけでオッケーだったみたい。
まぁ大人って認識されたらそうなるよね。
そこまでの金額でも無いしな。
「承知しました。 それではただいま書類のほうを」
「あの。 このとおりカバンなどを持ってきていないので家に届けていただいても?」
試しに両腕で袖のリボンをひらひらさせてみる。
「……もちろんです」
その反応は……生暖かい……ほほえましい感じで見られただけだった。
目の前に座っていたレンズが分厚くって色がかすかについている……この部屋に入ってからしばらくの雑談で老眼がきついって言っていたっけ、そんなメガネをしている初老の銀行員のおじいさんに近いおじさん。
相続とかのときからの付き合いだからかれこれ10年以上の顔見知りの人。
顔を合わせたのは数回くらいでしかないけどいろいろと衝撃的だったからなんとなく覚えている感じのおじさん。
僕がちゃんと覚えてる数少ない人のうちのひとりだ。
「……あの」
「はい? なにか疑問点など」
「……僕。 前……10年前のときと比べて、どう…………ですか?」
受け付けで用件を伝えて免許や通帳を見せたときも、待合室で別の人に案内されたときにまた見せたときも、このおじさんに会ったときに僕の名前と父さんたちの件とそしてもう1回通帳とかを見せたときも、おんなじ反応。
「あのときも好青年だと……突然のことに見舞われた中学生の方にしてはとても落ちついた話し方をされてご立派だと思っておりましたが。 今も変わらずに……いえ、ずいぶんと『かわいらしく成長されていて』……えぇ、きっと亡くなられたお父様がたも喜んでいらっしゃると思いますよ」
「…………そう、ですか」
男がかわいらしく成長。
立派じゃなくて、かわいらしく。
それを、両親が喜ぶ。
どう見ても小学生に遡っていて性別が変わっていて、脱色していてふりふりなワンピをきた僕に対してごく自然な感じで言っていて、それがおかしいって思わないらしい。
◇◇
あの子たちと過ごした、どうでもいいけどほのかに楽しかった夏休みを振り返りながらとぼとぼと残暑の中を歩く。
持って来た通帳……そこにはしっかりと、贅沢しなければ次の次の期限まで何もしなくても生きていけるだけのお金が数字でばっちりと記録されていた。
……ここまでのお金がちゃんと動いたんだ、どう考えてみたって否定できる要素がなくなった。
魔法さんの効力は確かで、僕が幻聴とかそういうわけじゃないんだ。
「なんだかなぁ……」
この半年間の苦労は何だったんだろう。
なんか気が抜けた感じの僕は気だるげな銀髪の少女っていう形になって、ガラスの向こう側から見つめ返してきていた。
今の僕はふりふりで目立つ格好をしている。
帽子で顔を隠していないしフードで髪の毛も収納していない。
だから注目されて人が勝手に離れてくれるから歩くのがとっても楽。
「ふぅ」
昨日の夕方からさっきまでのことが歩いていてちょっと消化できてきたからかため息が出る。
この、いかにも女の子女の子している姿で外に出ても……今までの生活に支障はまったくなくって、もちろんお巡りさんたちの世話にもならなさそうで。
たぶんお役所関係も……そういえば税金のこととか今でもみんな叔父さんに丸投げだな……とにかくふつうにできてしまっていて。
ここまで徹底しているんだから、きっと病院とかだって平気だろう。
たいした病気とかしたことないし。
多分これからもよっぽどのことがなければお世話には……いや。
今の僕は女の子。
ということは……たぶん、その
やっぱり、いずれは血が出てくる感じになっているんだろうか。
もはや洗うときたまに意識する程度のそこからのとかで。
「……やだなぁ……」
今は機能していないはずのそれが、男女の決定的な違いがあるんだろう。
本格的に成長できたとしたら何年でそういうのも気にしないといけなくなるのかも。
女の子っていう女「性」なら避けては通れないもの。
男ってそういう意味でもほんと楽な存在だよね。
女の子になったからこそ思う。
まぁそのときが来たらでいいや。
魔法さんのせいで来ない可能性もあるんだし。
とぼとぼと一路家へと、人通りが少なくなってきた住宅街を進む。
「あら、こんにちは響くん」
声を掛けられてはじめて下を向いていたって気がついたけど、向こうからやってくるのは昨日振りのお隣さん。
今の彼女は普段通りに戻っているらしい。
「こんにちは。 お買い物ですか」
「夕食の準備でねー」
ぱたぱたと手を振っているしゃれっ気のない奥さんは今日もまたラフな格好で、それがまた大学生っぽい雰囲気を醸し出している。
ぽんわりした感じの表情もあるかもしれないな。
つまりはケバくない大学生……JDに見えるんだ。
「涼しくなってきたわねぇ……もうすぐ夏も終わりかしら」
「そうですね」
ぶるっとしたのをなんか勘違いされたけどいつものことだから適当に合わせておく。
……いつもどおりだ。
姿が変わろうが変わるまいが何年も続けてきたような、僕の、だらしのない生活という日常。
「また今度、娘の勉強見てあげてくれるかしら? もちろんきちんと家庭教師ってことで。 ほら、親が言うより知り合いの響くんからの方が……ね?」
「……考えておきます」
バイトをしてしまう時期にはフリーター、それ以外はニートとしてただただ好きなように生きてきた生活が続いていくんだ。
「それにしても今日はいちだんとおしゃれさんね! お出かけしてきたのかしら?」
「いえ……いえ、そうですね。 少しだけ」
少しだけ、ほんの少しだけは変わっているんだけど、結局「僕」って言う存在は変わっていないらしい。
魔法さんもさぞ驚いているだろう。
幼女になったのに僕がこれまでと全く変わらないんだから。
まぁ意志があるかどうかは分からないけども。
◇
「ふぁ――……」
そんなやな気持ちはお酒で吹っ飛ばすに限る。
だからテレビの音も光もぼーっとしている。
体の感覚も頭の中もみんなぼーっとしている。
テーブルの上にはわざと並べたお酒の瓶たちの群れ。
よく考えたらわざわざこんな風になにかに対する当てつけみたいにして並べる必要はなかったんだけど、たぶんこうでもしないと収まらないくらいにはさっきまでの僕の心はちくちくしていたんだと思う。
普段からローテンションな僕もお酒を呑んでるときだけはちょっとハイになれる。
「む――……」
さすがに長時間呑み続けているからか思考力とかが遅くなってきてるのが分かる。
でも、大人にはこういう時間が必要なんだって誰かが言ってたからいいや。
まだ呑めそうってのは分かる。
限界を知らないから「やばそう」って思ったら止めれば良いんだ。
体はこんなにちっちゃいのにここまでお酒が呑めるってことは、やっぱりこの体にも魔法が掛かり続けているんだろうなって思う。
そんな感じでぐだぐだしてトイレに行った回数が10を超えてわからなくなったくらいで、テレビはいつの間にかまた知らない番組になっていて、見ているようで見ていなくって聞いているようで聞いていないまま夜になってたらしい。
お酒が入ってくるとこうなるよね。
僕は誰かと話しながら飲むってことがないからこうやって時間を潰すんだ。
「まわるー」
ちょっとぐるぐる回る感じになってきたからもうほとんど飲んでないけどアルコールは何時間も続く。
「……ん。 なんで、脱いだんだっけ」
……ついでに僕はどうやら酔うと脱ぐらしい。
「……どうでもいっか」
遠くのソファにワンピが掛かっていて、つまりぱんついっちょになってたらしい僕自身を再確認した。
体にまとわりつく髪の毛がこしょばゆいんだけど汗で毛先が張り付くからそうでも無いっていう不思議な状態な僕自身をぼーっとした頭で観察していた。
◇
僕は昔から、なんだか調子が悪かったりどっかを痛めたりヤなことがあったりすると必ずといっていいほど夢を見る。
夢。
悪夢。
10年も前の、その日のこと。
僕にとっての悪夢である、その日から始まった「それ」。
――僕はいつのまにか中学生になっていた。
今の幼女って意味じゃなくて、本当に元の体で精神年齢はそれよりももうちょっと低めっていうどこにでもいるような内気で静かなのが好きな、かつての僕。
その僕が、その日のその場面にいる。
そしていつもどおりにその場面をスキップすることも目をそらすことも閉じることも耳をふさぐことだってさせてくれないんだ。
僕の中のなにかが完璧に壊れた、その瞬間を。
『2年――組の――響くん。 至急荷物をまとめて教員室に――』
こうして夢の中でさえすべてがモノクロになって、すり切れはじめたビデオテープを古いブラウン管で再生しているみたいな、そしてそれを映画館のスクリーンで上映しているようなそんな具合だ。
……ビデオとかブラウン管とか、小さい頃家にあったのを見たくらいなのにね。
その日のその瞬間――教員室から校長室に連れて行かれた先で聞いた、その電話。
「父さんと母さんが死んじゃった」っていう連絡。
――その日もいつものようにだらだらと受けていた授業の合間に「ちょっと……」って呼び出されて、そのまま先生の車とか呼んでもらったタクシー……とかじゃなくって、荷物をまとめたらすぐに来たらしいパトカーに乗せられて。
そうして病院に着いて物々しい雰囲気で、おんなじように連れて来られた人たちがたくさんいて、泣いたり怒ったりしながらそれはもうすさまじいことになっていた。
「阿鼻叫喚ってこういうことを言うんだなぁ」って、「まるで映画みたいだなぁ」って思っていた気がする。
僕が入った両隣の病室では大騒ぎになっていたこともあって、僕と僕を連れてきてくれた警察の人と病室にいたお医者さんと空のベッドしかない部屋は、とさらに静かな感じだった。
「ご両親のことは残念でした。 手は尽くしたのですが、ここにいらしたときにはすでに、その……」
僕と目を合わせない……きっと合わせられなかったんだろうお医者さんらしき人が告げる。
「いえ、仕方なかったんですよね。 事故ですから」
そういう事実があったんだって認識はできていた僕。
ニュースっていう画面とか紙越しでしか知らなかった人の「死」ってのはこうもいきなりくるんだなーって思ってた。
けどいざこうして見ると、本当にいろんな気持ちがぐっちゃぐちゃになるんだってそのときに知った。
僕はそんな感じで妙に頭が冴えていて冷静で、朝まで顔を合わせていた父さんと母さんにはもう会えなくなったことをただの事実として認識しただけだった。
僕の目の前でお医者さんがもごもごと言っていたのから多分、まだ中学生だった僕にそれを見せるのは酷なことだってくらいにはひどい事故だったんだろう。
ドラマとかで遺族の人とかにする「酷だとは思いますが本人確認を……」っていうの、無かったし。
あのときは気づかなかったけど、多分そういうのは全部後見人の叔父さんがしてくれたんだろうな。
ともかく、父さんと母さんは死んだ。
生物は死んだら死んだままで生き返ることは無い。
エントロピーは失われたら失われたままなんだ。
そのストレスのせいでその後どころかその前のことでさえ……少なくとも中学に入ってから高校を卒業するまで周りが一切気にならなかったんだろうな。
「……んぅ?」
と、ここで。
普段の僕なら夢の中でこんなにじっくりと思い出すことも考えることもないっていうのをやっと自覚できた。
「なにこれ……こわわ」
頭の中でつぶやく声は聞き慣れた幼女のもの。
こういう精神異常系って怖いよな。
だって「おかしいのをおかしいって自覚できない」んだもん。
でも、昔のことが断片的に駆け抜けるように流れていくこれって……まさか、走馬灯?
「いや……ない。 ないない」
よくわからないけど、ともかく目の前は大学時代へと切り替わっていたらしい。
高校よりもずっとひどかった大学生活へ。
このあとにはのたうち回りたくなる記憶が待っているはずなんだ。
止まってくれない……?
「………………止まれっ」
……いろんな授業……講義とか大学特有の独特の懐かしい表現だよね……それを受けていた記憶がやって来ている。
なんかダメそう。
諦めるしかない。
大学って、出るのは簡単なもんだからそんな感じだったのに卒業できちゃって、とうとう最後の砦を自分で破壊しちゃったわけで。
慣れないスーツで卒業証書を持って帰ってきた僕に残っていたすべきことは、もうなくなっていた。
だからひきこもった。
別に理由なんてない。
ただただひきこもったんだ。
何ヶ月か卒業証書をテーブルに置きっぱなしで埃が被る程度には自堕落になっていた。
体はモヤシだけど健康で特に病気をする兆しもない20代。
家の敷地からゴミ捨て場までの往復以外じゃ、やろうってすればスマホひとつで食べものから娯楽までほとんどすべてのものが手に入る。
改めて便利すぎる弊害がここに出た感じ。
めんどくさがりには素敵すぎて堕落する時代なんだ。
だから僕はたいした理由もなく、特別のトラウマとか不幸があって……ってわけでもなく、ごく一般的な、誰にでも起こりえる範囲のちっちゃなきっかけのせいで、ただ、すべてを投げ出したんだ。
ただただめんどくさかったんだ。
――そうして1回投げ出して気がついたらもうあっという間に数年。
きっかけから換算すると実に10年。
10年っていう生まれたばかりの赤ん坊が今の僕と同じくらいにまで成長するっていう、途方もない貴重な時間を僕は無駄に過ごしてきた。
ちょうどあの子たちが産まれた頃から今までの時間。
生まれたての命が人らしく育つ時間に僕がしてたのは、ただ学校をそれらしく過ごしてお酒を覚えただけ。
「…………もしかして、だから僕はこの姿に……?」
ちょっとシリアスになってみたけど無い無い。
そんな偶然なんてありえっこないもん。
すべては魔法さんのごきげんだしな。
きっと魔法さんは銀髪幼女趣味なんだ。
引きこもりをちょっと堪能した後は「完全なニートも良くないかも……」って思って、やる気のある期間だけ適当に楽そうなバイトをして社会人もどきをしてみて普通の人にちょっとだけ近づいてみたりしてたらしい。
――――――そうしてあの朝になって「なんじゃこりゃあ!?」ってなってる場面まで追いついてる。
目の前で僕らしき幼女が女の子になって慌てふためいていて、それをすぐ近くで見ている僕自身は突っ立ってるだけ。
やっぱこれ……走馬灯じゃ?
走馬灯かも。
走馬灯な気がしてきた。
走馬灯じゃないって否定したいんだけどできる要素がひとつもないしな。
目の前はどんどんと切り替わる。
幼女と化して現実逃避しようとして試行錯誤の悪戦苦闘をして……その過程でかがりに目をつけられて、今井さんと萩村さんっていうムチとアメのペアに発見されて、ゆりかからは妙な親近感を持たれて。
そうかと思えば一気に時間が飛んで父さんたちのお葬式のときとか、最低限のものを残すっていう遺品整理とかに終われている場面が挟まれたり。
死にかけ?
やっぱり僕死ぬの?
幼女で?
幼女になって?
もしそうだったら、ひょっとしたら夢の終わりって父さんたちとの再会なんだろうか。
こんな終わりはイヤだなぁって思うけどこれが定めならしょうがない。
今週末にもみんなとの予定、あるんだけどなぁ……。
それにいきなり消えるのはなんだか後味が悪いし。
「どうしよう」
どうしようもないなぁ。
どうしようもないなら身を任せよう。
「うーん」
ただ過去に目にしたことを細切れにしてランダム再生しているみたいな感じだし、相も変わらず体の感覚もないし。
なんだか、◆◆◆◆◆◆◆◆◆いやいやなんだこれ?
明らかに目の前に◆◆◆……◆◆◆、じゃなくって、ノイズ。
そう、ノイズが走るみたいに、昔観ていた◆◆ ◆ ◆◆ ◆ ◆◆ ◆。
つまりはビデオテープみたいに、ざざっとした砂嵐みたいな?
そうなんだけど、◆◆ ◆ ◆◆って◆じな、そんな変なやつ。
あの山に登ったときからちょくちょくあった気がするやつ。
うーん………◆◆◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆ ◆◆ ◆◆◆ ◆ ◆◆◆
「……………………んぴっ!?」
やーっと砂嵐が引いてきてさっきみたいになったと思ったらお隣さんのどアップでどきっとした。
「◆ ◆ ◆………◆◆◆……◆◆……………あら大変」
「そうなんです」
いつもどおりのぽわんとした奥さんの顔を今のように、下からエプロン越しのふたつの球体越しで見ているような視点から見ていて。
これじゃまるでこの姿の僕がお隣さんに会っているときみたいじゃないか。
「まぁまぁ響くんったら、ずいぶんかわいらしくなっちゃって……。 ………◆◆ ◆……◆◆◆……………? 困ったことになったわねぇ……女の子にねぇ……」
「信じてくれるんですか」
ん?
家の前での立ち話してたらしい場面から、ときどきお世話になったから知っているお隣さんの家のリビングにお邪魔している場面になっていて。
「なるほどー、朝起きたら……目が覚めたら女の子にねぇ。 それも、そーんなにちっちゃくなっちゃったの。 それは驚き……なのよねぇー」
「なんか驚いてないみたいですね」
「これでも驚いているのよ?」
「知ってます」
んん?
「……よかった。 そう、なら朝ごはんとかも? ならうちの子が起きたら一緒に食べましょう? それで、そのあとは病院とお役所とー、あとは◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆」
「いや、今日は疲れたのでまた別のが良いです」
自然に会話しているらしいお隣さんと――――僕。
まるで――「僕があの朝そのまま家を出てお隣さんに助けを求めたかのような」そんなあり得ないシチュエーションでの捏造された記憶が再生されはじめる。
――――――ありえない。
だって僕はあのとき選んだんだ。
誰にも見つからないようにじっとしていようって。
「響くんのお父さんにもお母さんにもうちの子が小さいころによくお世話になったし、恩返ししなきゃね! まかせて! ……さんとも相談したし、家で面倒ばっちり見るわよ!!」
「いえ、適度で良いです」
かがりのような目線を浴びせてきている飛川さんと引き気味な僕の声。
……僕は、こうはしなかったんだ。
見つからないようにって、ただ隠れていたはずなのに。
「それにうちのさつきも響くんにたくさん遊んでもらってお勉強まで見てもらっていたし……困ったときはお互いさま。 ね?」
「……はい」
ああ……この人が魔法に掛からない状態で今の僕と会って話を聞いたらこうなるのかも。
その程度には違和感のない光景……だけども。
なのにどうしてこんなにも……昔の、本当の記憶なんかよりもずっと……かがりやゆりかと会っていたのと同じくらいにクリアで「まるで初日にお隣さんに助けを求めたのが事実だ」って感じで。
「っ……」
――――――体の感覚が無いはずなのに頭がくらくらしてくる。
これはなんだろう。
まるで「矛盾する正反対のものを同時に認識させられているような」――――――。
懐かしい感じのやりとりのあとにミニ飛川さんって感じの女の子が引きずられて来る。
飛川さんよりも背はちょっとだけ低くって雰囲気はそのまんまで、でも年相応の精神年齢と顔つきって感じの子。
飛川さつきちゃん。
いやもう中学生なんだから、さつきさん?
「あの……本当に響さん?」
「一応は。 僕の認識が狂っていなければね」
「あ、響さんですねこの感じ」
「ん? 分かってくれるなら有り難い」
なんだかちょっとした会話で僕って分かったらしい。
――そこからは早送りみたいにいろんな場面が来ては過ぎていく。
どうあがいても逃れられない運命だとでもいうのか、母娘にもみくちゃにされて着替えさせられていて。
見覚えのあるさつきさんの服とか……ふたりの言動からすると奥さんの昔の服とか、あるいはデパートへ引っ張られていってムダに高そうな服とか着させられて。
これが運命?
「あ」
初日から……昨日着ていたみたいなワンピース着せられてる。
「…………………………」
ご愁傷さまだな、「そっちの僕」も。
そうしてお隣さんに家ぐるみでお世話になって。
背が届かないからって居候みたいになって夏を迎えて。
……なんらかの理由をつけられてさつきさんの部屋に寝泊まりさせられて。
――そうしているうちに何かをきっかけにしてゆりかが、続けてかがりが、りさりんとさよが。
レモンとメロンとりさりんとメガネロングっていうあの4人と知り合ったらしい。
あの、夏休み最終日に「もう友だちなんだからみんな呼び捨てにして」って言われて下の名前でひとりひとり呼ばされた……なんでだ……そのみんなが、さつきさんを加えておんなじ場面で会話をしていて。
「…………………………」
夢って無意識の世界だし、だからつじつまなんて合わなくてもいいわけで。
だからこれは――僕の願望。
「誰にも嘘をつかないでよかった」っていう未来、いや過去か、それを妄想した夢なのかもしれない。
「……羨ましい」
そんな夢にいつまでも浸っていたいくらいに幸せな光景なんだ。
……でもなんだか急におかしくなってくる。
「……えっ」
今までのは……ちょっと思うところはあったりはするものの、けどただの仮想的な展開だって考えていつも見ている映画とかみたいにぼーっと見ていられたんだけど……なんだか様子がおかしなことになってきている。
夢の内容がおかしな方向へと転がりはじめてきているっていう感触。
だって今までは「今までのこっちの僕」が経験したようなできごとを「あっちの僕だったとしたら?」って感じにIFな空想として再現していた感じしかしなかったのに、なんだか…………そう。
なんだか、この夏休みを終えたような時点から夢の中の展開がひとり立ちしちゃっているかのようで。
だって僕の目の前のスクリーンにはすでに紅葉を迎えた山からの景色が広がっていて。
だからだから今の僕からしてみたら「2か月は先を進んでいるかのようなありえない未来」へと突き進んでいることになる。
そうして…………この感じは温泉かなにか。
そういうところによくある日帰り温泉っぽいところの更衣室。
僕がひん剥かれている光景。
もちろん当然ながら全裸だ。
そんな光景を「誰かの目から見ているような」そんな違和感。
その僕は珍しく羞恥心を感じているらしく……当たり前か、周りは肌をさらした女性ばかりだもんな……脚のあいだだけを隠して、指摘されてもう片手で胸も隠すっていうのを教わるようにしている場面だ。
どうしようかって戸惑っているらしい僕が貝の上にいるような格好をしてから少ししてようやく……文学少女さんがタオルを手渡してくれている。
あ、お風呂でもメガネするんだ。
まぁ僕もそうだったし見えないもんな……じゃなくて、その……彼女たちも、いるんだ。
既に下着姿になっちゃってるからどうしても視界に入っちゃって居心地悪い。
僕、こんな妄想するほどの男じゃなかったんだけどなぁ……罪悪感が。
あ、りさりんの大きい。
あ、眼鏡さんのも中々。
あ、メロンさんのがぶるんってなってる。
あ、レモンさんのは……揺れない安心感。
「……………………………………………………」
頭を全力で打ち付けたい衝動に駆られたけど体が動かないから起きたら自戒しておこう。
……なんで僕はこんなの見てるんだろう。
さらに傍にいたさつきさんまでが下着姿で、手がそれに掛かってゆっくりとあぁぁぁ目がそらせない。
あの子たちならまだしも……それでも充分に悪いけど、いくらなんでも小さな頃を知ってる知人の娘さんの裸を例え妄想だとしても見るなんて後味が悪すぎる。
まずいでしょ……いろいろと。
でも僕はこんなことを考えるはずがないのに。
◆◆
◆
だって僕は、◆◆◆◆
「あ」
……見えちゃった。
その……3人とも、ちらちらと、そしてはっきりと。
だってタオル……してないんだもん。
いや、タオルを体に当てては居るけど横から見えちゃうみたいな感じで。
もう思考をしたくない。
ひとまわりも年下の子たちの裸を……夢とはいえ意図的じゃないにしても妄想しちゃったなんて……それも細かく隅々まで。
……せめてもの気持ちとして彼女たちの言うことを何でも聞こう。
ゆりかには頼まれていた24時間耐久の映画とかアニメの鑑賞で、かがりには好きなだけの着せ替え人形、りさりんさんはグチに付き合うのと、さよは一緒に読書。
さつきさんは……こっちの僕は現実ではまだこの体で会っていないけど、きっとその内に。
「…………………………?」
いや、でも……少し変だな。
だって僕は僕以外の……幼女だとは言ってもぎりぎり女の子な僕自身の体以外に女の子の裸なんて直接目にしたことがないのに、どうしてここまではっきり……?
「っ!?」
唐突に視界がぶれて目の前が砂嵐みたいになる。
白黒になったり虹色になったりひとつの色しか見えなくなったりモザイクになったりして、まるでこ◆う◆い◆う◆も◆の◆ばっかりになって。
そしうてかろうじて見えていたみんなの裸体が完全に消えてほっとしたと思ったら、今度は空の中のなにかに吸い込まれるようにふわふわと引っ張られるような感覚で包まれて。
なにか白い/黒い球体?
それとも放射線状のなにか?
あるいはうずまき。
ぷつぷつぷちぷちという音が――――――唐突に消えた。
◆
◆
◆
◆
「◆…………………………?」
光と音と五感がまとめて刺激されているような不快なような心地良いようなわけのわからない感覚が僕の中を通過することしばらく。
次に目に映ったのは――くるくると飛んでいる白い鳥たちとその奥のもくもくとした雲と、そのはるか先の水色に近い青空。
つまりはどこかの海の砂浜の光景の中に僕はひとりでしゃがんでうずくまっていた、……らしい。
「…………………………」
振り向いてみれば見たこともない、けどひと目で南国だってわかるような植物がわんさかと生えていて。
「ぴっ!?」
不意打ちで足に冷たい感覚が来て口から漏れた僕の声が空まで響く。
どうやら波打ち際よりも少しだけ海の方にいたらしい。
あわてて何歩か下がる。
たしたし、と砂を踏みしめる音。
……あれ、はだしだ。
けっこうに熱い砂の感触が、濡れちゃったからか指のあいだに張り付いている砂の感触が、さっきの冷たい海の感触が、指の股に残っている。
「…………………………」
さっきまでと違って今度は体の感覚があって動かせて、視点も感覚もは完全に僕自身。
さっきみたいに近いところにあるスクリーンから僕とそのまわりを見ていたようなのとは別物だ。
それにびっくりすると今みたいな情けない声が出るのっていつもの僕だしな。
「……???」
さく、さく。
もやもやとしているまま突っ立っていたらしい僕の後ろの方から、なにか……いや、人の足音が近づいてきて。
でもそれを前もって分かってたらしい僕は別に怖かったりしなくって。
「……ありゃ? あなた、もしかして」
振り向いた先には……腰までの長い髪の毛を僕と同じようにだらんと流すようにしていて、不思議な感じの幾何学模様の入った服を着ていて、背が高くって、でも……服のせいもあるんだろうけど……でも、胸と腰回りからスレンダーって感じで。
……まるで「今の僕を色違いにしてからをそのまま成長させたような女の子」が、けど今の僕とは違ってくりくりっとした感じの濃い色の目を向けている、……中学生くらいの女の子がいて。
遠い南の島の砂浜に僕みたいにぽつんとふたりきりになっていて。
「もしかして…………『響』……なの……?」
「……さぁ?」
そんな彼女も僕も、おんなじようにかしげた頭からさらさらと髪の毛が風に吹かれるのに任せて立っていた。
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