11話 山登りで老夫婦と、そして……
ぷしゅーっと音がしながらちょっとだけ傾く感覚。
「ありがとうございましたー」
今朝は起きた時間こそいつも通り。
でも通勤時間より前っていう、日が昇るのが遅くなり始めてきたからちょっとだけ暗いままで涼しい風が吹いてる時間に家を出たんだ。
それは僕にとっては相当に珍しいこと。
夏休みっていう地獄が終わってからしばらくして静かになった喜びを堪能したから泊まりがけの旅行で温泉とか……はムリだからとりあえずは日帰りってことで静かそうな場所を探した先の、とある山に登るためなんだ。
耳に入ってくるのは僕の幼い息づかい、リュックの中のがさがさ、靴が地面を踏みしめたり石を転がしたりする音だけ。
それが反響するでもなく、ただただ真上までそびえている木々のすき間に吸い込まれていく。
僕こういうの大好き。
バス停が山の中腹まであって、そこからほんの30分くらい……僕の足なら1時間かな、がんばれば……頂上に着けるってだけの、たぶん近くの小学校とかの遠足でも人気のありそうな山。
辛うじて丘じゃないって感じの、けどしっかりと山々のひとつって感じ。
展望台からは山と町を一望できるらしいってそんなところ。
僕の家を出てから電車とバスで2時間くらいでそこまで標高がなくてところどころとてっぺんが観光地化されていてっていう割と近場だったらしい。
意外と近いところって行く気しないよね。
……夏休みも終わっていて、平日で、しかも午前。
がらがらだって言ってもやっぱり交通の便がいいからか、数分にひとりは僕と同じような格好をしたり町を歩くような軽装で歩く人を見かける。
それくらいには登山に至らない感じの場所の様子。
孤独っていいよね。
僕は最近人と会いすぎて話しすぎたから疲弊していたんだ。
それも現役JCたちとか言ういちばんうるさい年代の、しかも女の子たち。
後半なんて毎日のように何時間もへとへとになって「もういや」ってなるくらいだったんだ。
半年もずっと狭い家の中でうじうじしてたんだ。
こんなときくらい頂上の展望台からのすばらしい景色というやつを……◇◇◇◆◆◆。
ん?
なんか変な感じ。
なんだろ。
おしっこ?
「…………………………………………」
……地図でしっかりトイレの場所覚えておこう……。
こんなところで漏らして大人の世話になったらどうなるかわからないもん。
◆◆
「ん――……」
ちょっと疲れ出てるのかもなぁ……なんかぼーとするし。
思えばこの体になってここまで遠出したことなかったんだから気づかれもしてるのかも。
でも中途半端なとこだし登り切っちゃってから休もう。
良いところに立っていた案内標識と駅でもらった地図を見比べる。
もうここまで登ったんだよなって再確認。
地図を見ながらだしGPSで迷わないようにしてるけど念のため。
ほら、道って何気なく二股とかになってることあるし?
話しかけられるせいもあって休み休み来たせいかかなり遅いペースだけど、気がつけばもう◇◆……8合目。
「?」
……8合目だよな?
うん。
お昼前には山頂に着いちゃうからお昼のタイミングが微妙かな。
ん?
予定より遅く移動してるのに予定より早く着いちゃう?
なんでだ?
「??」
……やばい、本格的に疲れてるっぽい。
あー、精神的な疲労ってちょっと経ってから出てくるもんなぁ。
忘れた頃に風邪引いたりしてそれが分かるって言う。
けどどのくらいお腹減ってるかな、今の僕。
おもむろにお腹を触ってみる。
凹んでいる。
あばらがごつごつしている。
「………………………………」
あんまり空いてないっぽい。
持ってきた水とか手渡された和菓子とかちょくちょく口に入れていたし……計算ミスだ。
◇
◆◆◆
◇ ◆ ◆
「………………………………着いたぁー」
あっちこっちに寄り道をして結構疲れたけどおかげでちょうど良い時間と疲れ具合。
ぐーっと伸びをして気持ちがいい。
上を見上げると一面を遮るものがない水色に近い青空。
真上をずっと見ていると空に落ちそうなくらい。
いかにも整備されたばっかりの観光地って感じのきれいな地面とか、なのに古くさい感じのお店とか……そういうものが所狭しと、けど柵の先が空中で開放感のある高台。
とりあえず写真を何枚か撮ってっと。
こうすることで周りで「あの子どうしたのかしら……声かけてあげた方が良いかしら?」とか「親がいないみたいだけど……もしかして家出……?」っていう不安を払拭できるんだ。
こういう「らしさ」って大切。
こんな見た目でもちゃんとした登山的なカッコしてでかいカメラ構えてたら「そういうもんか」って思ってもらえるんだ。
人ってちょろいよね。
僕はそこからさらに高台へと急な階段を2、3分かけて昇って、とうとう本物のてっぺんへ。
木とか以外には鉄塔くらいしか高いもののない正真正銘の山の頂上だ。
こういうのって来ようと思わないと来ることがないからいつでも新鮮。
僕にとってはすごく幸運なことに、ガイドブックの一面に載っていた山のてっぺんの見晴らしがよくってほぼ360℃パノラマなこの展望台にはたまたま誰もいない様子だ。
真ん中にはちゃんとテーブルとイスがいくつかあって、風の音とその風に乗って飛んでくるはるか遠くの車の音とか電車の音とか以外にはなんにもない、がらんどうの空間。
「よっと」
テーブルにがさっとビニール袋とリュックを置いてぼすっとイスに腰を下ろしため息をひとつ。
◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇◇
◇
「……んぁ?」
……ばかみたいに口を開けてぼーっとしたらしい。
時計を見たら30分くらい進んでたからちょっとうたた寝でもしてたんだろう。
でもただのベンチだからちょっと腰というかおしりが痛い。
肉付きが悪すぎるからなぁ……女の子のおしりはもっと弾力があって柔らかくないと行けないんだ。
いつものとおりにどんなイスに座っても足がつかないしテーブルだって高すぎる環境でも気分は上々。
だから僕はこうして膝の上にお弁当を広げて食べているわけだ。
総合的になかなかにおいしい味付けの小さいお弁当。
やっぱり旅行の醍醐味はお弁当だな。
お店で名物を食べるのとはまた違った良さがある。
どうして外で食べるとこんなにおいしく感じられるんだろうね?
不思議。
まぁ遠足のときのご飯とか美味しかった覚えがあるしそんなもんなんだろうね。
麓の駅で「荷物にはなるんだけど万が一で頂上でやってるはずのレストランが閉まっていたりしたら困るから……」って念のために買ってきたお弁当。
山菜がメインで量が少なくて僕好みな感じだ。
お酒を呑む都合上胃に優しいモノを選ぶ習性が幼女になっても継続している感じ。
いちばん小さいやつなのにあいかわらずの胃袋のせいで食べ切れなさそうなのは残念。
まぁレストランはやっているだろうって思っていたから持って帰って家で食べるつもりだったし、食べきれずに余ったのは予定通りにお持ち帰りすればいい。
そう思って念のためで買ったんだけど……まさかほんとうにレストランが軒並みに休みだとは思わなかった。
張り紙を見る限り今朝に何かがあったらしく臨時休業だとのことで。
他のお店も足並みを揃えたのか平日だっていうのにほとんど閉まっていたし。
観光地ってそういうときあるよね。
まぁかき入れ時じゃなくなったしな、休みたくもなるか。
その気持ちは僕だからこそよくわかる。
「もむもむ」
こうして遠くに広がる景色を眺めながら食べるのは「知らないところへ旅行へ来ているんだ」って実感できるから好き。
でもなぁ。
これで軽く1杯……1杯だけで良いからお酒とかあったら最高なんだろうな――……。
「おさけ……おさけ」
両手が震える。
お弁当箱を落とさないようにって意識するので精いっぱいだ。
「ああ」
お酒。
アルコール。
「……すんっ」
まぁでもどうせダメだからいいや。
僕は諦めが良いっていう長所を備えているんだ。
◆◇◇◇◇◇ ◇◇ ◆◆◇◇ ◇ ◇ ◇◆ ◆◆ ◇ ◇ ◇◆◆◇◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆ ◆ ◆◆◆ ◆ ◆ ◆ ◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇
「!」
ぴん、と頭が認識するより先に体が反応する。
お酒への悲哀を感じながらやけ食いしようとして胃袋が悲鳴を上げたあたりで、遠くからコツコツって音。
この高台へここまで上がってくるための石の階段を杖かなにかを使いながら上がってくる音がする。
せっかくひとりぼっちで……温泉とかお酒っていう楽しみがないけどひとりぼっちというだけで至福だったのに、他人が入り込んでくる。
とっても残念。
ああ残念。
ここはてっぺんで頂上で行き止まりだったのに。
おじいさんとおばあさん?
うーん、外国の人の年齢ってわかりづらいからなぁ。
言葉が通じない以上話し込まれないのが確実になったから緊張が抜けて一気にだるってなる。
ほへーっとぼーっとしていたら先に登ってきたおばあさんと目が合うけど要警戒対象じゃなくなったから安心して見ていられる。
あ、顔はまだおばさん止まりだ。
ということは夫婦みたいな距離感だしおじさんの方もただ脚が悪いだけなのかな?
あ、いや、じっくり見たら……今の目がいいから近視じゃないからよーく見えるおかげで……なんというかいろいろとすんごいからやっぱりお年寄りなのかな?
うーん。
まぁいいか、僕に害がない種類の人たちなんだし。
「もきゅもきゅ」
安心してお昼を食べ始める。
おばあさんもといおばさんが僕をじっと見ていたと思ったら、ようやく登ってきたおじさんに話しかけている。
あれ、もしかして外国繋がりで話しかけられる?
いや、僕が聞き取れないってすればそうそうに諦めてくれるだろう、きっと。
こっちで育った子なら母国語を話せないっていうのけっこういるらしいし。
「……宜しいですかな、そちらのお嬢さん?」
「ほへ?」
想像もしていなかった感じに声をかけられてつい釣られて顔を上げると、ご年配たちが僕のまん前に……いや、上に、ふたり揃ってそびえていた。
あれぇ……今のすごく低い声もしかしてこのおじいさん?
下から見上げるとすごい迫力。
怖い。
さっきは気がつかなかったけどなんだかごつい眼帯もしているし……退役した軍人さんとかかな?
すごい。
格好いい。
あれ?
こっちの言葉、話してる?
なんで?
「はて。 親御さんや……引率の方はどうされましたかな? 儂たちは今登ってきたところなのだがそれらしき方たちは……目の届く範囲でお見かけしなかったのだが?」
吹き替え映画みたいな話し方と声……バリトンボイスっていうんだっけ?
「どなたかとはぐれたのなら下のレストランとか……あぁ、休みみたいだったがロビー……休息室というんだったか? そこには入れるみたいだしな。 一緒に行ってあげようかい? こんなところでたったひとりで食べていたら不安だろう? そんな小さいのに」
そしておばさんあ、この人もなんだか顔に傷とかあっていよいよ軍人さんっぽい……っていうかなんだかマフィアとかみたい……いやさすがに失礼か、考えるだけでも。
ともかくおじいさん?もおばあさん?もしゃきしゃきとしていて華麗に普通に言い逃れができないくらいに言葉が通じてしまっているらしい。
ああ、楽しかった時間……。
◇
「ほぅ……ずいぶんとまた使い込まれておるな」
「はぁ」
リュックにはしまえないし、なにより偽装のためのアイテムだし……ってテーブルに置いたままだった僕のカメラを目ざとく見つけたおじいさんまたはおじいさん。
うーん……おじさんとおじいさんのあいだくらいの年齢かなぁ。
つまりは近くで見ても判別がつかないともいう。
どこもぶっとくて頑丈そう。
僕なんかあっというまにちぎられそうな印象のお手々。
僕のを見下ろしてにぎにぎしてみる。
ぷにぷにとしている。
力込めすぎたら壊れそう。
「それにしてもその歳で写真撮影のためにたったのひとりで遠出とは……行動力があるというのかな? ずいぶん慣れているみたいで堂々としている。 良い子だ」
「えぇ、まぁ」
どんな返事したらいいんだろう。
分かんないときはあいまいにしておくのが秘訣。
「良い子だ」とか映画とかドラマでしか聞いたことないセリフ言ってきたのはおばあさんの方。
やっぱりちょっと外国語っぽいしゃべり方だって感じる。
お仕事柄なのかちょっと硬い感じの言い回しだし、話し方も硬い感じ。
なんていうか……やっぱり外国語って感じ?
声も大きいわけじゃないのに大きく感じるし、体が大きいからか威圧感まで感じる。
端的に言って怖い。
見た目も雰囲気もこの人たちそのものが怖い。
「反対側の席。 いいかね? 私たち年寄りは話し相手がいないと退屈でね」
「…………………………………………はい」
「済まないね。 嫌だったらいつでも言ってくれ」
イヤだけど、こういうのがイヤっていう人種は至近距離でイヤって言えないんだよなぁ。
僕が本物の幼女だったら気負わずに「やです」って言えるんだけど中身は大人だしなぁ。
テーブルはいくつも他にあるし誰ひとりとしていなくってがらがらなんだから、そっちに行ってくれたらよかったのに。
◇
自然な感じで話し始めたらそこまでのことはなくって、むしろ話し好きなお年寄りってだけだったから今は怖くない。
見た目にさえ慣れれば案外いけるもんだな。
世話好きなおばさんとかに話しかけられるいつもどおりに、僕のことを聞くのもそこそこに勝手に自分の身の上話をはじめられたからふんふん聞いてれば良くって楽。
聞かされてしまったところによると、この人たちは長いこと……ニュアンス的に少なくとも僕が生まれる前からずっとこっちに住んでいたらしい。
だから外国の人なのにほとんど違和感のない言葉づかいとかなんだろう……まあ語彙は硬いけど、そういう人もいなくはないしな。
「そのカメラも随分と使い込まれているが、君のものかね?」
「…………んぐ。 いえ、これは兄のものを譲り受けたんです」
「ほう、お兄さんがいるのかね」
僕自身のことだけどね。
でもこう毎回架空の僕を語っていたらまるで僕がもうひとり居る感覚になってくるよね。
「だがそのお兄さんは君のお出かけには着いてきてくれないのかな? いくらここが平和な国だとはいえ、ご家族は君がたったひとりで丸1日……心配されないのかね?」
「はい、僕がひとりが好きなのを知っているので」
このへんはもう今日だけで10回くらいした会話だ。
さすがに考えなくってもすらすらと出てくる。
定型句って大事。
定型句さえあれば口下手でもなんとか乗り切れるんだ。
「時にお嬢さん。 ひとつ聞いていいかね?」
「なんでしょうか」
スマホをおばあさんに……さっきから静かになってくれて助かっている彼女に手渡したおじいさんが、片目と眼帯とで僕をじっと見つめてきた。
「君は…………お嬢さん…………女の子で良いのだよね?」
「へ?」
なんかものすごく当たり前すぎることを聞かれてフリーズする僕。
…………………………………………。
……僕、ごく自然に僕自身のこと女でしょとか思っちゃってた。
それに気がついてさらに思考が止まる。
……アイデンティティの危機が迫っている。
帽子してるって言ってもいつもみたいにパーカーで隠してないし、そもそも今は取ってて髪の毛全部下ろしてるしだから顔も隠れていないし。
ズボンとシャツだけど登山なら普通だしな。
そうなるといくら「僕」って一人称を使って普通に話していても男だって思ってもらえなくなるってことで、つまりは男らしさが失われているってことだからしょうがないんだ。
そう考えてみると今初めて男か女か聞かれたっていうのは僕のアイデンティティ的にはものすごくいいことかもね。
だって僕の中から幼女と化した僕の中から男が染み出ているってことになるんだし。
「君は男性であって先ほどから呼んでいたように『お嬢さん』……レディー、つまりは女性なのではないのかと思ってな。 いやなに、さっきからずっとそのように呼んでしまっていたけれども間違えていたら申し訳ないと思ってね」
「いえ、合っているので構いません」
肉体的にはなにひとつな。
もう特段のこだわりもないし。
「ふむ、よかった。 いや失礼した、話しているとどうもそう感じたのでね。 儂らの故郷でも、その自分の流行りだったのだろうが髪が長い男子は多かったのでな」
あー、外国ってそういうイメージあるかも。
まぁ何十カ国の寄せ集めのイメージなんだけどね。
「いわゆる海外」ってやつだ。
「ずず」
お茶をすすりつつ思う。
そういえば最近は本当、ごく自然に男とか女とかそこまで気にしなくなっていたなって。
初めのころはあれだけモヤモヤしていたのに、今では特になにも思わないことのほうが多い……かも?
女装……いや、女の子としての格好。
スカートを履いて外に出ていてもそこまで恥ずかしくないもんな。
知り合いさえいなければ別になんということはないって感じ。
周囲にはそこそこ溶け込めているみたいだし。
まぁ、もう半年だ。
これだけ時間が経ったら……慣れるよな、そりゃ。
女の子扱いにも女の子として見られることにも、抵抗感なんてもはや皆無だ。
「……全く、男はデリカシーが無くて行けないね……失礼した。 話を変えようか。 こういうときは全く違うものがいいかな?」
いえ、そろそろお暇したいですけど?
「そうだな、それなら……これもまたぶしつけになって悪いが、君から見て私たちはどう見えるかね?」
「……えっと?」
感性の違いからか投げてくるボールが物理法則を無視してる感じ。
「別に難しいことではないんだ、ただ君の目から見て、明らかに外国人である儂らがどう映るのか気になっていてね……儂らのどちらも君くらいの子どもからはどうも遠巻きにされることが多くてな」
顔が怖いからです。
なーんて初対面の人相手にどこまで言ってもいいのやら。
「……おふたりは背も高いですし、体格もとてもいい、ので、その……威圧感……ありますね?」
「むう」
できる限りニュアンスを柔らかくって意識して言ってみてあげる。
「それは、私も……だな?」
「えっと、はい」
むしろお胸の威圧感でおばあさんの方がぶっちゃけ怖いです。
「分かっているとも、泣いて逃げられたことがあるんだ。 ……君よりも大きな子に」
しょげている初老夫婦。
「……僕たちが想像するような、女の人……とは、その、イメージというか受ける印象が、その」
「いや、わかった。 それ以上はいいよ。 ありがとう……」
特におばあさんがしょぼんとしている。
しょぼんとしていても肩周りのごつさとか大きすぎて圧力しか感じないお胸とか腰周りとか、ついでにって言うか怖い元凶な顔の……派手な傷跡とか。
傷跡。
切った張ったの世界の人みたいじゃない?
多分怪我とかなんだろうけど。
そういう身体的特徴って面と向かって言いにくいものだし。
多分それは外国の方が言いにくいんじゃないかなって思う。
「……ありがとう、お嬢さん。 さすがに近づいただけで泣かれるのはこりごりなんだ。 君くらいだよ、逃げたり泣いたりしなかったのは。 君は肝が据わっているね」
「そうですか」
だって僕大人だからね。
こういうときに自尊心が養われるんだ。
「で、だ。 お嬢さん、しつこくて済まないが頼みたい。 ――他にも『何か』無いかね?」
「何か、ですか?」
しつこいけど凄みがあるから「しつこいのでうざったいです帰ってください」って言えない僕。
「うむ、ついでだしな。 他にも何か、子どもに怖がられそうな要素があったら遠慮なく言ってほしい」
この食い下がりよう……普段よっぽど気兼ねなく言い合える対等な相手が居ないと見た。
まぁふたりの話しっぷりから会社とかのトップだった感じだもんね。
それで子供とか居なければ……話をする相手も限られるか。
……そう言えば結構経つけどなんで誰も来ないんだろ?
登ってくるときは結構な頻度で人を見かけたからちょくちょくここにも来るはずなのにね。
やっぱりレストランとか閉まってるからみんな引き返しちゃうのかな?
「……ええと、さすがに失礼かなって」
「はっきり言ってもらって構わないよ。 どうせ知人に当たっても君ほど気軽に教えてはくれないだろうからね。 なにを言われても怒ったりしない。 約束するよ」
なんだかおばあさんのほうも乗り気だし。
でも「怒らないから言ってごらん?」って怒る前フリじゃない?
そうじゃないよね?
信じるよ?
「…………身体的特徴なので言いにくかったのですけど。 それは仕方ないとは言っても、子供と触れ合いたいのなら……その。 『そちらがつけている真っ黒でごつごつした眼帯』は遠くからでもはっきりと目立ちますし、近くだと威圧感があります」
「――――ほう? 『眼帯』とな」
怒ってないよね?
「……それでそちらは、目からほっぺたにかけての大きな傷跡。 ……せめて髪の毛とかお化粧とかマスクとかで隠したほうが……いいと、思います」
「――――そんなに大きいかね?」
「え? あ、はい。 ぱっと見て分かる程度には」
でも言いかけたことだから言っちゃう。
言えって言われたんだから言っても良いよね?
「………………………………………………………………」
「………………………………………………………………」
どうして?
怒らないって言ったのに。
怒らないって言ったじゃん?
怒らないって言ったじゃん!
ああいや、この人たちときどき変なタイミングで黙りこくる癖があるみたいだからもしかしたら怒っていないのかもしれないけど……なんというか、あれだ。
怖いものは怖い。
「…………なるほど。 それには思い至らなんだ……」
「は?」
……聞き間違いかって思った途端に一気に力を抜いてしぼみ、背もたれに寄りかかって目の前のイスがぎぎいっと悲鳴を上げている声が聞こえた気がする。
「部下……召使……使用人、いや、友人」
友達って言うまでにものすごく遠回りしてない?
「皆、長い付き合いなのだが気にするそぶりがなかったし話題にもそうそう上らない。 そうか、このせいか。 …………盲点だったな……」
「そうか、言われてみればたしかに。 もう何年もカムフラージュの化粧もするのを忘れていたな」
露骨に落ち込むふたり。
無くしてたって思ってた鍵とかを30分くらい必死に探して、ふと目の前にあったときの脱力感的な感じ。
「子供に懐かれたいのなら……」
なんかかわいそうになったから、普段のかがりとかに習って言ってみてあげる。
「話し方とか以前に、特にあなたの眼帯とかは威圧感ありますし。 ……人ってギャップで笑ったりしますから、いっそのことウケ狙いで赤とかピンクとか……つけてみるとか。 普段使いでも、髪の毛の色に合わせてもう少し明るい色にした方が良いかって……」
「私はどうかね?」
「……お化粧で隠すのが手っ取り早いかなって思います」
人って普通じゃないのを見るととっさに避けちゃうからね。
普通すぎた前の僕かつ普通じゃなさ過ぎる今の僕だからこそ言えるアドバイス。
「やはり化粧か……そうしてみるよ。 厚化粧は嫌いだが若いころのようにせめてだな……」
「受け狙いという発想はなかった……! なるほど、花柄などでデコるというやつでいけそうだな……!」
まぁ喜んでいるみたいだし、いっか。
多分僕に合わせて大げさに喜んでくれてるんだろうけど悪い気しないし。
◇
「私たちはこれで先に失礼するよ。 貴重でありがたい君からのアドバイス。 ……ほんとうに貴重な、私たちを近くで見ても逃げ出したりしない子供の……あぁいや失礼、レディーから忌憚のない視点。 早速と試してみんとな」
レディーって言われてもぴんと来ないのは男だからなんだろうか。
脳味噌まで女の子になってたら嬉しいはずだもんね。
「それでは」
「はい」
ふたりとも帽子とリュック……あとおじいさんは杖っていう来たときの出で立ちに戻っていた。
「お嬢さん」
「……はい?」
そのまま行ってくれるのかと思ったらおばあさんからなにかをかさっと差し出され、貢ぎものをもらっていたさっきまでのクセでつい受けとっちゃってから「これなんだろう」って考える。
………………折りたたんだ、紙?
なんかやけに古風なものが僕の手に。
ここまで映画っぽいと現実感ないよね。
「これは相談に乗ってくれたお礼だ。 ……もし。 もし何かあったらここへ連絡するといい。 ささいなことから重大なものまで何でもだ」
「いえ、僕はそこまでのことは」
重いからやめて……?
「……私たちは君が『どんな状況』にあっても手を貸す。 約束しよう」
「……あ、はい。 そういうことなら……」
なんか有無を言わさない感じ。
手元の紙をがさがさ弄ぶこと少し、気が付いたら2人はとっくにいなくなってたらしい。
……なんだったんだ、あの人たち。
話の内容と言いあの肉食獣にがっしりとつかまれたみたいな雰囲気と言い、普通の人じゃないことだけはたしかなんだけど。
それこそこの前観たマフィアが出て来る映画に居たみたいな人たちだったじゃないか。
◇
「~♪」
夕暮れ。
最近は一気に日が傾いて色づいてくるのが早くなってきた。
季節ってこういう時に感じるよね。
もうすぐ……あの角を曲がれば家でぐったりできる。
あともう少しの辛抱だ。
「………………………………うげ」
それにしても気分が悪い。
さっきの反動じゃなくて単純にお昼を食べ過ぎただけだ。
あと調子に乗ってはしゃぎすぎたから疲れて気持ち悪い。
心なしか枝毛が増えている気がする。
そう考えていたからか、普段は何かを考えなきゃいけなかったのを思い出せない。
重たい胃と荷物を抱えながらふらふらになってぜえぜえ言いながらようやく家にたどり着く。
どさっと荷物を下ろしてカギを取り出す。
荷物の重さでとうとう指までが疲れ切っていてうまく動かなくってもたもたする。
でも頭がぼーっとしてるから特に急いだりしない。
急がなきゃいけない理由があったはずなのに、普段よりずっと遅い僕の脳味噌は動いてくれない。
手がかじかんだみたいになっているから、さっきからなかなか入らなかったカギがようやくドアに差し込むことができて「かちゃり」ってカギが空いて。
――だから、僕が気がついたときには遅かったんだ。
後ろのほうに、人の気配。
手のひらと靴の中の足から、どっとイヤな汗が出る。
「………………………………あら」
頭の上から降ってくる、声。
僕のよりもずっと大きい影法師が、僕からわずかのところに真っ黒にそびえている。
心臓がばくばくうるさい。
頭ががんがんする。
…………昔から聞き慣れた、女の人。
たしか中学生だったはずの娘さんのいる……お母さんの、声。
――僕はこの人を、知っている。
「――――――――――――――――響、くん?」
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