8話 かがりって言う天然くるんメロンさん
鏡の前には、ゼ・清楚っていう感じの白いワンピースを着た僕。
僕もそうだけど男って何で白いワンピースと麦わら帽子な女の子が好きなんだろうね。
髪の毛も両手でばさっと出して引っ張り出したり絡まったりしてるのを手ぐしで軽く整えて身だしなみ。
さらに裾とかを引っ張ってささいな引っかかりとかズレてるところとかそういうものもおしゃれじゃないから修正。
念のために鏡の前で右を向いて左を向いて振り返ってお尻を見て。
女の子ってこういうのが大切なんだって。
まぁ布1枚……いや、下着が上下に1枚ずつだから3枚って言うのかな……っていう薄着な女の子が乱れた服装だったらそれを見た男たちにやらしい妄想させちゃうからしょうがないよね。
「よし」
もう何度も着ているからこの服も僕にまた馴染んできたような気がする。
鏡越しで見てみるとたまーに僕自身じゃない気がする程度には似合ってるらしい。
……僕がこうなるんじゃなくてこんな娘が欲しかった。
そんな感想出て来ちゃうのが20代の男だ。
10代のそれとは違う。
銀色の長髪がマントみたいに……ケープとかフリースとかの春とか秋とかに女性やおしゃれな男の人が上にふわっと羽織っているような、そんな感じのふわふわな感じを1枚乗せている感じになっている。
なんなら髪の毛のキューティクルってのが光でちかちかしてラメが入ってる感じになってる。
眉毛ももちろん銀色で肌も薄くって、顔に比して大きいけど近くでじっとのぞき込んでも水晶みたいに透き通るこれまた薄い色の目。
その上半分がまぶたで押されていて、眠そうでほっぺたがぷにぷにで口がちっちゃくて。
本当に日の光を求めて北国から来ているどこぞの令嬢って感じ。
かなりのなで肩で鎖骨の下にはほのかな膨らみがちゃんとあるって信じてて、腰のところからふわふわと膨らんでいてちらって見えるふとももと全部見えているふくらはぎ。
女性的には「かわいい」で男としてはこんなに幼かったとしてもちょっと扇情的。
そういうものだ。
女性だって汗かいて臭そうな男でも格好良ければ男の魅力とか言うし、顔が良ければ文句言わないし……異性ってそういうもの。
うん。
◆
静かな室内。
かりかりかりと書いては止んで、ちょっとしたらまたかりかりする音。
ときどきのため息。
頻繁にぺらぺらと紙をめくる音。
そして時計の針の音だけが響いている。
なにか言いたげな視線を感じてもぜったいに顔を上げてはならない。
でも「だけど」「ねぇ」とか「ちょっと」とか言葉を言われたら反応してあげないと不機嫌になる。
「…………ねぇ、響ちゃん」
「ねぇ」が来たからお返事。
さっきから感じていた視線へ答えてあげるといつもの覇気はどこへやら、げっそりとしている下条さんのにごった目が怖い。
「ねぇ。 そろそろ……もうたくさんがんばったから休んでもいいかしら……」
「まだ始めて15分。 あと10分はがんばってみようか」
「そんなぁ――……本当にまだそれだけしか経っていないの? お勉強を始めて……あ! ひょっとしたらそのタイマーが」
「壊れるはずないよね? スマホのアラームだからね?」
「あぅ」
「いいからさっさとやるんだ。 じゃないと僕は帰るよ?」
「うぅ……響ちゃんひどいの……」
「ひどくない」
かがりの勉強会という名の見張り役をしている僕は、ぼんやりと普段読まないジャンルの漫画を読みふけっていた。
そこでは小学校高学年になった少女漫画の主人公の子が初めてブラジャーをつけるどきどきのシーンだった。
だから僕の無い胸のことばっかり考えてたんだろうな。
くるんさんの家は少し大きめだけど……まぁどこにでもあるふつうの戸建てだった。
家の内装も彼女の部屋もよくある感じ。
あと親御さんはいなかったからちょっと拍子抜け。
ふだんの調子だからてっきり自室にはファンシーな人形が敷き詰められていたりピンクピンクしている壁紙だったりするんじゃないかって思い込んでいたんだけど、実際に入ってみるとちょっと小物が目立つほかは意外とシンプルな感じだった。
ものすごく意外。
どうやらこの子のメルヘンチックな雰囲気の由来は幸せそうな頭の中から来ているらしい。
「……響ちゃん、またここも分からないの」
「む。 …………これはここのページの……」
中学の範囲の勉強はつい最近終わったばかりだから僕の敵じゃないし、僕がこの子に勝っているのは精神年齢と知識と経験だけだからここぞとばかりに年上ぶってみる。
「響ちゃんの教え方って優しいし分かりやすいわー」
「分からないところがあったら呼んでくれ。 それ以外では呼ばないでくれ」
「響ちゃんって結構冷たいわよねぇ……」
そんなことはない。
でも……ふむ。
やっぱりこの子、別に頭は悪くないじゃないか。
むしろ良い方だって思うし、分からないところだって知らないだけか忘れてるかみたいだから1回言えば分かる。
なのにどうしてこの子は……本当にどうして普段から……。
「はぁ――……」
くるんさんのくるんくるん……何でも美容院でパーマとやらをかけているらしいその髪の毛を見ながら思う。
にしてもこの子の本棚の漫画がすごいことになっている。
こういうところだけは几帳面なのか、それとも親御さんがしょうがなくしているのかは分からないけどもタイトルごとにきちんと整頓されているしどれもほとんど新品。
案外に綺麗な読み方をするらしい。
僕はそういう人が好き。
僕自身が本屋さんで折れたり引っかいた跡がない綺麗な本を買うのが好きだし、それをほとんどそのままの状態で読み終えてそのままの状態で本棚に並べて行ってたまに読み返すのが好きだから。
◇
「ぴぴぴぴぴ」
「!?」
「!!」
毛穴がみんなぶわっとなる。
タイマーの音でびっくりした……よく考えたら僕がセットしたのにすっかり忘れていたから心臓に悪い。
こういうの嫌い。
もう嫌だ。
「おしまいね!」
「ただの休憩だよ」
試験期間が終わった瞬間みたいな表情だから釘を刺しておこう。
「あー、疲れたわっ! もうこんなにがんばった……、えっ。 ……まだたったの2時間……?」
「休憩を除いたら90分だね」
ものすごい重労働したような態度だったくるんさんが固まる。
「……まだそんなに……? もう丸1日勉強したみたいな感じよ……」
ぼふんっとベッドに飛び込んだ彼女はさっきまでの僕みたいにだるっとしている。
……その衝撃で上がった風で、彼女の脚が。
スカートの裾が。
ふとももが。
太いところまで。
……白いのまで見えてるし……平気なの、この子……?
平気だよね、知ってた。
というか白なのか、ぱんつ。
普段は僕にピンク色とか黒とか勧めてくるクセにさ。
もー、はしたない……。
普段からこうだったら大変だな。
多分こうなんだろうけど。
クラスの男子諸君は大丈夫なんだろうか?
多分大丈夫じゃないんだろうけど。
「かがり。 …………脚を開いてはしたないぞ」
「あら。 女の子同士なんだしいいじゃない?」
「いやまぁ確かに…………………………、ん?」
「響ちゃんが気にしすぎなのよ。 ふだんの動きが男の子っぽいというか大胆なところあるくせに私には厳しいんだからっ」
なんかぷんすか始めたから追求は止めておこう。
……女の子同士って言われて違和感を覚えるのに一瞬のラグがあったのはまずい気がする。
でもこの子が言うってことは僕も気が抜けると見えちゃったりしてるんだろう。
「あら。 その漫画……響ちゃんも好きなの?」
君がひぃひぃ言ってるあいだに満喫してたよ?
「おもしろいわよね! 私ももう何回も読み直しちゃったわ! いろんな要素があっていいわよね! 技のネーミングだとか主人公とライバルの因縁とかちょっと大変なことになっている恋模様とかっ!」
急にエンジンかかってきたくるんさんがくるんっと飛び起きて駆け寄ってくる。
動きが素早い。
目が追いつかない。
さっきまでは僕みたいにぐでーってしていたのに急に元気になったかって思ったらよつんばいでにじり寄って来ているメロンさんがいる。
重力の力を借りるとそこまで形が変わるのか……でかいな。
じゃなくって……近くない?
こっちへ来ないで?
「かがり」
嫌な予感がして懸命に後ずさるけどすぐ後ろは本棚。
「かがり」
逃げられない。
そう思った数秒後には――僕の上にはかがりの肉付きのいい体の重さが乗っかっていた。
「むぐ」
重い。
柔らかい。
……温かい。
………………最近慣れてきた、女の子のいい匂い。
嗅ぎ慣れたかがりの匂いが濃くなった。
僕はびっくりすると猫みたいに目をまん丸にして固まるらしい。
そういう僕自身が知覚できる程度には止まっていた時間。
天井の光が下条さんの髪の毛だけを照らしていて彼女の顔は……光っている目以外は暗くなっている。
蛍光灯がまぶしい。
……あー、女の子が「電気は消して……」って言うのの真相が分かった気がする。
あくまで資料による情報だけども。
くつろいだ姿勢だったところにすすすっと来られたから猫どころかライオンに近づかれてしまっていたネズミのような心地な僕。
「響ちゃんはやっぱり変わってるわね」
そう?
君には負けるよ?
「あ! ならこっちの恋愛ものとかはどうかしら? 響ちゃんがおもしろいって思うのかどうか前から気になっていたのよ!」
うん、漫画に夢中でこの状況をしでかしたって思っちゃいない。
この子大丈夫……?
危機感なさすぎじゃない……?
「むぐ」
「あらごめんなさい」
……自分の体重を僕に乗っけてるって自覚してるじゃん。
僕の両方の肩に重力が加わって視界が服という布で遮られる。
というか2個のお胸がちょうど両目を包むように乗っかってきているのって、これぜったいにわざと……なわけないよなこの子だし。
うん、絶対だ。
「僕を台代わりにしないでくれ」
「だってちょうどいいところにいるんですもの」
何が「だって」なんだろう……。
「響ちゃんの肩と頭で支えてもらったらちょうどいい場所にあるのよ、取ろうとしてるの」
彼女の思考パターン的には何らおかしくない反論だけど世間一般的にはおかしい反論。
と、まぶたからこめかみに感じていた弾力とぬくもりが離れていく感覚。
目を開けてみるとものすごく近いところに彼女の両目があってもう1回びっくり。
くるんヘアがこしょばゆい。
彼女の前髪が僕のおでこをくすぐる程度の距離感。
いやいや近いでしょ……これはさすがに女の子同士の距離感……なのかもしれない。
最近そう思うようになって来たけど……いやいややっぱり近すぎるよね?
「…………?」
なんで君が不思議そうな顔してるのかな。
あ、けど、こうして近すぎる距離で見てみると、たぶん15センチくらいだと顔の印象はなんだか普段と少し違うように感じる。
なんて言うか、なんだか普段の幸せそうもといふんわかしているのとはちょっと違うような。
目元が厳しいというかなんというか野性みを感じるって言うか。
気のせいだろうか。
気のせいだろうな。
「それによ? それに響ちゃんって普段スキンシップしようとしてもすーぐに逃げちゃうし。 まるで人に懐かない猫さんみたい」
僕は今の意識外からのにじり寄り方とか飛びかかり方の方がよっぽど猫っぽいと思うけど。
猫というよりはネコ科のナニカだけど。
ついでに僕は袋のネズミだ。
齧歯類なんだ。
「だからさっきは珍しく響ちゃんが無防備な感じになっていて警戒、いつもみたいにしていないみたいだったからつい近づいてしまったのよ」
良く分からない論理で弁論するくるんさん。
「ね? 近づくと引っかいてくる猫さんだって落ちついているときならおとなしく撫でられてくれるのよ」
つまり君は猫を撫でようとすると逃げられるって自覚してるんだね。
「……だから言っているだろう」
早くどいて?
重いの。
「僕はそういうのが……近すぎる距離感も肌の触れ合いも苦手なんだよ」
猫でも人懐っこくなかったり苦手な人相手だとふしゃーってなるでしょ?
「………それは病院でずーっとひとりだったから…………でしょ?」
彼女はさらにずずいっと近くなって来て、さっき食べていたケーキの甘い匂いがぶわっとくる。
……唇、やけにぷるんとしているな。
僕みたいにめんどくさくてリップ塗らないとかないんだろうし、努力の結果だ。
そんなことを思うくらいに近い。
柔らかそう。
ぷるぷるしてる。
僕みたいに鶏がらじゃなくってしっかりと女の子らしい女の子な彼女の唇はぷっくりしていてうらやましい限り。
「……かがり」
「何? 行っておくけれど」
「重い。 どいてくれ。 潰れる」
「響ちゃんひどいわ!?」
いやだって本当に重いし。
「君が特別に太っているというわけじゃないよ? けど体格差を考えてくれ……体重だって身長に比例しているんだから太っているとかじゃなくて」
「……私は太ってもいないし重くもないわ!! きちんと適正体重のぎりぎりをがんばっているんだから!! ほら響ちゃん! ねぇ響ちゃん!! もういっかい乗ってあげるからしっかりと確認してちょうだい!! 私は太っていないから重くはないの!!」
その理屈はおかしくない……?
「ま、まて…………わぷ」
今度は思いっ切りのしかかられた。
どうやら体重の話は地雷だったらしい。
女性に体重は禁句だったということを忘れていた。
メロンさんに飛びかかられるようにして押し倒されて上からぎゅーっと抱きしめられることで、僕はそのメロンも体の柔らかさも全身で、息ができなくなるまでずーっと味わわされることになった。
目の前が砂嵐になって行く。
酸欠。
……口は災いの元。
そう思った僕は真っ暗になった。
◇
もしゃもしゃもしゃと買ったばかりのお菓子を平らげつつある下条さんはすっかり元通り。
「ねぇ響ちゃん!」
「かがり、音量を落としてくれ。 僕はうるさいのが苦手なんだって何回か言ったよ」
いちいち声がおっきい。
2人しか居ない空間でどうしてそこまでボリューム出す必要があるの?
「あらごめんなさい、つい」
しゅんとなるくるん。
自覚はあるらしい……っていうか何回かクレームつけたもんな。
「ところで響ちゃん」
適正音量になっているのは偉い。
でもそろそろデフォルトの音量を覚えてね?
「ここのところ聞くのを忘れていたのだけど、響ちゃんには今のところ気になっている人も好きな人もいないのよね? 初恋もまだだったわよね? 私とお揃いで」
「そうだね。 同じ話題を唐突に振ってくるのもいつものことだけども回答は変わらないよ。 出会いなんか無い生活だから」
まーた始まったって思っていい加減な返事になる。
「今まで家と病院の往復しかしていなかったんだし……そもそもがそういう状況じゃなかったんだ。 まともな生活じゃない。 今だってそう変わらない。 前から言っているだろう?」
ニートは世間一般には理解されない、まともじゃない存在なんだ。
孤高の存在なんだ。
「それに……僕の家のこともある。 さらに言えば……いいかげんに分かってほしいんだけど、かがり。 僕は恋愛には……少なくとも今はまだ興味はないんだよ」
これだけ強調してもどうせ素通りされるに決まっているのが悲しい。
また次に会ったときにおんなじようにして聞いてくるんだろう。
君は親戚のおばちゃんか何かか?
「……そう言うかがりはどうなんだ? いつも僕にそんなことを聞いてくるけど、君自身が誰を気になっているとか好きだとか、そういう話は話してくれたことがないと思うけど?」
「あ、わ、私? ……えっと、私は」
む?
……なんか予想外に考え込んだ……不思議だ。
何か悪いもん食べたのかなこの子。
ほら、夏場だし……。
「……恥ずかしいんだけど、でも私。 いつも響ちゃんにも言っている素敵な恋というもの、とっても甘酸っぱいような感じの恋をしてみたいんだけど、でもまだ気になっている男の子さえいないの。 どうしてなのかしらね」
「実に意外だね」
「……響ちゃんが珍しくみんなと同じ反応をしているわ……」
きっとみんなもそう思ってるんだな。
でももったいないなぁ。
僕みたいにそういうのにかけらも興味ない男子なんて……それなりには居るって思うけど、それでも大半はぽんやりしている系くるんでメロンなかがりならきっと、よりどりみどりだろうに。
せっかくのチャンスを台無しにすると僕みたいになるから気をつけてね?
「君なら告白のひとつやふたつどころかもっとされているものだと思っていたんだけど、違うのか?」
「……たしかに小学校のころから学期の終わりとかお休み前とかに男の子から呼び出されて告白されるけれど」
良かった、少なくとも告白してきた男子を振る以前のことをしていなくって。
小学校のころから成長、早かったんだなぁって思う。
たぶん全体的にまんべんなくすくすくと成長していたんだろう。
ちょっとお花が頭の中に咲いている感じだけど、いつも笑ってて楽しそうだしモテないはずがないもんね。
「……だけどね?」
珍しく真剣な意味合いが含まれている気がする声。
「私……告白されても好きなおはなしでみんながしているみたいに胸がきゅんとしてきたりどきどきしてきたり、嬉しいって感じたり思ったり怒ったり泣いたりしたことないのよ。 何かおかしいのかしら、私って」
情緒が育ってないだけじゃない?
とはさすがの僕でも言わない。
思うだけだ。
「だから……彼氏とかの恋人。 これまで居たことないの……みんなからは『今は居ないだけなのね』って言われるのに……」
しゅんとなるくるんさんのくるんくるんもといしゅんしゅん。
「だから恋愛相談とかよくされてしまうの。 『分からないわ』って言うのも可愛そうだからって思って『恋愛ものだったらこうだけど……』っていうのしか答えてあげられなくって。 でも、なぜかみんなそれでうまく行くのよ」
「ふーん」
当てずっぽうもすがすがしければ逆に真実を言い当てる感じ?
「なんでかしら。 響ちゃんは分からない?」
「さあ」
僕に聞かれても……。
くるんさんのますますと弱ってきているくるんをなんとなく見ながら思う。
この子、恋愛が好きなだけあって理想を追求しているのかもって。
「ねぇ、響ちゃんには分かるかしら?」
「なにが?」
「何がって、恋って何かってことよ」
「恋か。 難問だね」
まさかこの子からそれを訊ねられる日が来るなんてってびっくり。
人生って何があるか分からないね。
「……恋なんて、……少なくとも。 したいと思ってするものじゃないと思うよ。 僕だったら、ね」
「……え?」
ベッドでぐんなりしていたらなんだかセンチメンタルな気分になったからかは分からないけど……僕でも考えたことがないような言葉が、ぽろっと出ていた。
「……僕もしたことがないから分からないけど、たぶん。 たぶんだけど、少なくともしたいと思ってするものじゃないと思うよ、恋というものは」
首をかしげてお口もくるんとしているかがりはかなりレアでおもしろい顔。
いつもこれくらいなら僕も気軽に近づけるのにな。
この子には1日中でも適当な妄想をして過ごしてもらって無害で居て欲しいところ。
「たぶんだけど。 ……人を好きになるって言うのは、みんなが言っているように出会いを探したり好きな人を見つけたりするものじゃないんだ」
僕の中にある言葉をひとつひとつ丁寧に取り出してみる。
「近くにいる誰かを見ているうちに……あるいは初対面でか途中からかは知らないけど、『気がついたら好きになっていた』。 『自分がその人のことを好きになっているって気がついた』。 そういうものじゃないのかな、好きって言うのは」
ぽかんと口を開けている下条さん。
そのお口から僕の言葉を吸収しているんだろうか。
ちゃんとそのお口から吸収できるように言い含めるように言って……ちょっと経つけども返事が返ってこない。
あれ、まだ僕の言ったこと飲み込めない?
そう思って彼女を見てみると……なんでそんなに顔赤くしてるの?
この部屋そんなに暑いかな。
僕の幼女ボディは結構暑いのも寒いのも平気らしくってなんともなってないけど、かがりはなんか真っ赤だし暑いんだろう。
もー、子供だなぁ。
ぴっとリモコンを操作してやる。
これも年上の務めだ。
「………………………………ふぇ」
電子音に変な鳴き声を発して反応するのがおもしろい。
口をおにぎりみたいにしているかがりが普段よりも良い感じ。
「かがり?」
「ひゅいっ」
僕もよくびっくりして変な声出るから気がつかないフリをしてあげる優しさを発揮する。
「これも僕が読んだ本や映画や人が言っていたことの受け売りだけど。 わかりやすく言い換えると」
今度はちゃんと聞いてね?
できるだけ簡単に言ってあげるから。
そう思って彼女のベッドの上でちょっとだけ膝立ちになった僕は、くるんを少しだけ上から見下ろす感じに……しようとしてバランスを崩しそうになって両手を着いたらなんか彼女の肩に手が乗ってたらしい。
あ、ごめん。
でもこれ、さっきと逆パターン?
相変わらずに真っ赤な顔と三角形に開いたままのお口。
見開いたままのお目々。
少し垂れた感じのそのお目々はなんだか潤んでる。
花粉症?
いや、でも今真夏だしなぁ。
「ふとしたときに顔が浮かんでくる人。 いつでも見ていたいという人。 その人がどれだけ喜んでいたり悲しんでいたり輝いていたり黒ずんでいても、それでも見ていたい人。 たとえ他のすべてを捨ててでも、何時間も何日も何週間も考えてみても、それでもその人だけを見ていたいって思えるような人」
じーっと僕の目に合い続けているかがりの瞳。
……ちゃんと理解してくれてるかな。
こう言っておけば「情熱的な告白だったからオッケーしたの!」とかにらならないはずって思いたいんだけども。
「そんな人が見つかれば、その人に対して抱いている感情が『恋』とかその先の『愛』。 そういうものじゃないかな。 そう言いたかったんだ。 だから今すぐに探すものじゃないよ、きっと。 分かったか?」
「ひゅっ」
……これくらいの表現でオーバーヒートしないで欲しいんだけど……まぁくるんさんだししょうがないか。
「……ふひゅう」
お返事を待っていたら、ぽさっと倒れかかってくるかがり。
……知恵熱か……憐れな。
僕の顔に張り付いている彼女のくるんくるんからむわって漂ってくる彼女の汗の匂い。
それにはさっきので慣れたんだけど、そんなことより……その……ほら、夏場ってことで薄着で?
なんか汗かいてるもんだから水分を吸った服が反対側をくっきりさせるから……つまりはシャツが透けているのに気がついたんだ。
白いシャツの下の、さっき押し付けられて痛かったブラジャーが浮き出ているんだ。
これはまずい。
僕たちは他人の男女……じゃなくなってたんだけど僕の気が休まらない。
けど水色か。
今日の僕のぱんつ・1つ500円の高級品とおんなじ色だ。
さすがに白ばかりだと色気もないからと手に入れた大切な逸品とおんなじ。
なんかおんなじだと気分良いよね。
「かがり」
「へ……平気。 ただ少し……と、とにかく平気なの」
「かがり」
「ひゃひっ!?」
びくってなってくるんってなるかがりが見ていておもしろい。
「冷房なんだけども」
「はいっ! 私もたぶん……え? れい、ぼう……?」
む。
この反応……もしかして今どきの子は「エアコン」じゃないと通じない?
「エアコンのことだよ」
「え、エアコン……」
「うん。 とにかくもう1、2度は下げたほうが良いと思う。 これだけ外が暑いんだ、数字で出ているよりも冷えないんだよ」
「…………………………………………」
「熱中症は怖いからね。 気分は悪くなっていないか?」
「え、……ええ……たぶん……?」
「そうか、なら良いんだ。 あと今気がついたんだけども、たぶん寝ているときに顔に風が当たっているよ。 風向きは夜だけでも変えたほうが良いと思う」
「…………………………………………えっと…………はい……」
意識ははっきりしているようだし、だんだんと赤みも収まってきているから大丈夫だろう。
良かった良かった。
「それで、どうかな」
「えっ……ど、どうって」
「君が聞きたがっていた恋愛について……普段人に話したりしないから分かりにくかっただろうけど、とにかく言ったよ。 今みたいな感じで良かったか?」
「あ……………………ぇ、えぇっ!」
ちょっと元気になってきた下条さん。
ぶんぶん顔も振ってるし、きっと勉強とおやつのあとで眠気が来ちゃってたんだろう。
ほら、中途半端な眠気で寝ちゃうと体が火照ったりするからきっとそれなんだ。
「……あのね? 今の……恋や愛について語っている響ちゃん」
ふぅっと息をついてぱっと上げた彼女の顔は、すっかり元通りだ。
でもまだちょっとだけほっぺたが赤い。
「……その…………そう、映画。 映画とかの良い場面で静かに語りかけているワンシーンみたいって思って。 それで……その。 私、とっても…………どきどきしちゃっていたの」
「ぴぴぴぴぴ」っとスマホが鳴る。
「さあ、かがり。 勉強の続きだよ」
「これがこい……え?」
「え?」じゃないよ……僕が何のために来たのか、この子もう……忘れちゃってたんだろうなぁ……。
「来たときから言っていたように今日中に2科目。 そのうちの今分かっているところまで、つまりは自力でできる分だけをなんとしても片づけるぞ?」
「…………――もうっ、響ちゃんの鬼! あと鈍感!」
「?」
僕、すっごく優しくなかった?
あと室温と体温の変化に敏感だったよ?
「……とにかくひどいわっ! もうちょっと感傷に浸らせてくれてもって…………」
「感傷? なにを分からないことを。 宿題からは逃げられないよ」
そうやって隙あらば雑談に持ち込もうってするんだから。
「………………………………もうっ…………」
きっとメルヘンからリアルに引き戻された怒りだろう。
僕はそっと、僕のお皿に載せてあって1口しか食べてないお菓子を譲ることで機嫌を直そうとした。
◇
とんとんとん。
机の上に良い感じの音が響く。
「……初日でがんばったね。 基礎とはいえ、このペースはいい。 この調子だよ」
これでもかというくらいに褒めちぎる。
はいつくばるようにして机に乗っかりながらだるだるしているかがり。
でも完全には体重を乗せきれないらしくって微妙に浮いている上半身。
胸があると大変そうだなぁ……ベッドに寝そべってスマホとか漫画とかつらそう。
「響ちゃんは厳しかったけど、おやつをエサに釣られた気がするけれど……ありがとう。 おかげでなんとかなりそうって思えてきたわ!」
そうじゃないと困るもん。
この子も僕も。
最後の方なんか机に突っ伏しながらだったくらいのだるだるだったから、気力をなんとかするために1ページでひとつまみのお菓子をあーんとかしてあげたからね。
この子の方から「してくれないとやだ」って言ってたから事案じゃない。
なんでか知らないけど僕の指まで食べようとしてたのは幼女じゃなければ事案だった。
やっぱり女の子はスキンシップが好きらしい。
僕の指でお菓子をつまんでできるたびにご褒美として直接口に入れて欲しいって……子供か。
ただ手渡すのとじゃやる気の上がり具合がまるで違ったし、ある意味安上がり。
「……響ちゃん、そのぉ……できたらまた、明日とかあさってとか……」
「もちろん今日みたいに見てあげるとも」
この子はちょろい。
おだてたらなんでもしてくれるのは分かってるんだ。
だから気分が乗ってるだろう近いうちに……学校の先生がため息をつかない程度に「なつやすみのしゅくだい」をさせておいてあげるんだ。
僕なりの優しさだよ?
「……響ちゃん、ちょっとはその……私のこと信用してくれても」
信用……?
いやいや、絶対しないでしょ。
もし自主的にするんだったらこんなに残念なことにはなってない。
「……宿題、きれいに終わらせられたら何かお礼をしないといけないわね!」
……ぱっと顔が明るくなったと思ったら唐突に抜かすくるんさん。
もう先延ばしにするのは諦めたらしく、その次にしたいこと考え出したらしい。
便利な頭してるよなぁ。
「なにがいいかしら……響ちゃんが喜びそうなもの……」
「僕は別にいらないよ?」
「そういう訳にはいかないわ……あっ! そうだわっ!!」
そう唐突なボリュームで叫んだくるんさんの表情がいつもの……僕をかわいく仕立てようとしているときのものに戻ってしまっている。
なぜだ。
一瞬前までは確かに、平穏で安寧で天国みたいな状態になっていたのに。
僕の中に一気に緊張が走る。
じわっとにじむ手汗。
「いつも思っていたのよ! 響ちゃんって、せっかくのそのきれいで長ーい髪の毛……きっとお母さんとかお家の人にお手入れしてもらっているのよね? その美しい銀色の髪の毛!」
口の回転が速まっている。
非常によくない兆候だ。
なんとかしなければならないことだけが理解できる。
「かがり」
「響ちゃんを響ちゃんたらしめているその輝いている髪の毛!」
「かがり」
「いっつも下ろしたままだし恥ずかしがって隠しちゃうくらいだし……そんなのもったいなさ過ぎるって思っていたのよ!!」
机をばんっとされてびくっとなった。
「大丈夫よ! 心配しなくたってお嬢さまっぽい髪型とかにはしないわ! 響ちゃんはそう言うのが苦手だってこの前言っていたものね! まかせて!!」
任せたくない。
「かがり、僕は何も要らな」
「少し待って頂戴! 今すぐに試してみましょう! 大丈夫、私のがあるからいっぱい試せるわ!」
対話を試みるも僕の頭と口の回転がかがりのそれに遠く及んでいない。
……違う、僕はそんな心配なんてしてないんだ。
だからにじり寄ってこないで。
お願い。
僕自身の性格と体格差とで目の前に来られると動けなくなっちゃうの。
「かがり……頼む、僕の話を」
「響ちゃんっ!」
最近覚えた「どや顔」というやつをしている彼女はたいそう満足げ。
そうして雑誌を何冊かと髪留めとやらが入っているらしきでかいポーチを両腕と両方のお胸を使って包み、ぺたりと座り込んでいた僕の頭上から僕にとっての死の宣告をする。
スカートの裾から見えそうなのも気にしない彼女は仁王立ち。
そうして「ふんっ」と意気込んだかがりの胸元から1個のポーチがぽとりと落ちてくる。
それは僕の、最近のクセで女の子座りをしていたふともものあいだの形に凹んでいるスカートの上に綺麗に収まっていて、僕は失敗したことを悟った。
……僕、これ以上女の子になっちゃったら戻れなくなるからほどほどにお願いね……?
僕はそう願って――意識を放棄して、されるがままのお人形さんと化した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます