6話 2人とのデート……っていうよりは子守

季節は梅雨から夏になった。


僕はなぜかあの子たちに呼ばれることが増えた。


なんで?


いや、理由は分かっている。

夏休みっていう期間に入ったからだ。


……良い大人なんだから「やだ」って断れないでのこのこ出かけるしかない僕自身が悲しい。


けど肉体的にも逆らえないからしょうがないよね。


「やあやあひびきんひびきん、おっはよー!」


僕の名前を「ひびきん」って呼ばれたのは学生時代を通り越して初めてだ。

どういう言語センスをしているんだろ、この子。


「って、やっぱいつ見てもそのカッコ大変そうだねぇ――……肌を出せないってこの季節はほんとうにつらそう」


「慣れだよ」

「そんなもん?」

「そんなものだ」


そんなどうでもいい会話をしながら、改札の近くで先に待っていた……夏だっていうのに心なしか髪の毛が伸びている関澤さんのところにたどり着いた。


そんなわけで今日は関澤さんと会う。


僕たちには中2にしては小さすぎるっていう共通点はあるけども、こうして真正面に立ってみると身長差は歴然としている。

真ん前を見るだけだとちょうど彼女の慎ましい胸元になるしな。


……見ようとしてるんじゃない。

視線がデフォルトでそこになるんだ。


僕は悪くないし僕に少女趣味は無いから大丈夫。


髪の毛が肩にふわりと乗っている感じになりつつあるレモンさんはとにかく涼しげな格好。

肩から胸元まで結構大胆な、汗を吸うと下着が透けるくらいのシャツと短めのスカート。


それにしても……いくら準子供体型だからとはいってもそのふとももはあんまりよくないんじゃない……?


僕は心配で不安になる。

見た目は弟かなにかだろうけども心の中は父親だ。


「じゃあさ、とりあえずビルん中に入ってまた適当なところでいい? 私、お店とかスイーツとかあんま詳しくないからいっつもおんなじようなとこでごめんね? 女子力低いのよ」


「別に。 僕も同じだしそうしようか」

「うんっ」


そしてさりげなく僕の袖をつかもうとする関澤さ……ゆりかさん。


いや、さすがに下の名前にさん付けは変か……同い年設定だし呼び捨てにしておこう。


惨めな思いはしたくないしで僕もまたさりげなく手を引っ込める。

手を繋がれて歩くのはやだもん。


「ケチー」


ケチって。


この年ごろの女の子だからお姉さんぶりたいんだろうか。

多分この子より背が低い同世代なんてほとんどいないだろうしな。


そうして僕よりも背の高い女子中学生のあとを着いていくっていう妙なことをしながらエアコンの効いた屋内へ向かう。


そんな僕の服装はいつもの通りな夏バージョン。

夏バージョンでも長袖長ズボンにパーカーと帽子っていう厚っ苦しいことこの上ない格好だ。


おまけに髪の毛もしまい込んでいるし真夏だというのにもこもことしている。


何回かは女装して外に出る感覚に慣れてきてはいるけど、それはあくまで人の少ないところでしかも知り合いに会わないような場所限定の話だしな。


まぁわんこな今井さんには見られたんだけどあれは事故だしな、防ぎようがなかったんだ。


あれは不運な事故だったんだ、野良犬に噛まれたって思って諦めよう。

そう言えば野良犬って僕、海外に行ったときくらいしか見たことない。


「お肌が弱いんだったよねぇ、その格好。 帽子だけでいいの? サングラスとか要らないの?」


「まぁね」

「ふーん」


エスカレーターで一気に身長差ができた彼女の背中の肩甲骨の上のヒモを見るともなく見ながら返事を返す。


僕もブラジャーっていつかは必要になるのかな。

めんどくさそうだしごわごわしそうだからやだなぁ。


そう言えばお肌うんぬんはこの前の病弱設定の流用。


なるべく髪の毛を隠すためにはフードのある上着と帽子が必須で、それを正当化するためにはそういう感じの言い訳が必要で、だから必然的に長袖長ズボンになっちゃう。


暑いけど耐えられないわけじゃないからこのままでいいや。


それにこの真夏にあえての長袖長ズボンとフードと帽子。

目立ちはするけど「肌を出せないんです」で納得してもらえるのが楽。



学生が外で集まるといったらたいていはカフェかファミレスと決まっている。

時間は余りあるのにお金はないもんね。


「響は宿題ないんだっけ?」

「うん」


「いいないいなー。 私たちはけっこう、けっこうーな量出ててさ。 学校なんてなくなればいいのに。 てかこういうのない学校ずるくない? 不公平じゃん!」


そう言いながらドリンクバーを満喫しているゆりかは炭酸の泡に合わせてぶくぶくしている。


そういうところが幼いんだと思うよ?


「響のとこは家庭教師が来てくれてるんだっけ? 学校行けないのは大変そうだけど、でも自分のペースでやれていいなぁー。 自由研究とかはた迷惑なモンないし」


「大変そうだね。 まぁ楽だけど、その代わり夏休みみたいなものはないよ? 1年中同じペースだ」

「うげー、それもやだー」


そういうことになっている。


今の僕の状況を意訳してみるとそういうことになるから嘘じゃない。


休みしかないしペースは完全にフリーで期限も試験もない。

だけど自由過ぎて自分でぜーんぶ管理してスケジュール立ててやらないとまったく進まないって意味では大変なんだ。


何もやらなければだらしないニートになるからね。

僕はなったし。


「私、勉強のほうの宿題はなんとか超がんばって終わらせたんだ。 けどさ、自由研究ぅ……何にするかなぁ? できるだけ楽で時間かからなくて無難なやつないかなー」


「……勉強、もう終わらせたのか?」


まだ夏休みに入って確かまだ何日……から10日くらいでしょ?

その前の期間で引きずり回されすぎて体感的にもっと長く感じはするけど……すごくない?


「けっこうな量があるって言っていたような」

「私、先にイヤなことぜんぶ片づけて後を憂いなく楽しむ派だからね!」


「えらいな」

「えへへー響に褒められたー」


それが分かっていてもできる子とできない子がいる現実の中、ゆりかは確かに偉い。


要領のいい子はこの辺が違う気がする。

学生時代の僕とは大違いだ。



「ところでさー」

「うん?」


「響って近距離苦手な感じ? もうちょい離れた方が良い? ガマンしないでね? そういうの」

「……いや。 ただ急なことに驚いてしまうだけなんだ」


「そ? あ、でさ、これもう食べないの?」

「ん? ……あぁ、食べきれないからね」


身を乗り出してきているゆりかの指すのは僕の食べ残しのサンドイッチ。


「……いつものことだけど、ほーんとびっくりするくらいの少食だよね、響って。 そんなんじゃ体力戻るの時間かかるんじゃないの? もう退院して……何ヶ月なんでしょ?」


「うん、まぁね。 けど、どうしても胃が受け付けないから」


「……じ――――――――――……」


そんな彼女がわざとらしい声で伝えてきたのは……もういっこ残ってる僕の食べ残し。


半分以上食べちゃったやつ。


……本当に食べるの?

ていうか食べたいの?


そんなにはらぺこなの?

そんなに成長期なの?

いやしんぼなの?


「……これも? いや、違うのなら別に」

「ありがと――!!」


しょうがないからまたナイフとフォークで僕の口が突いた部分を切り分けようとする。


「響ってば潔癖?」

「……一応他人の口がついているのは食べないほうがいいんじゃないか?」

「んむ――…………………………」


なんでそこで不満そうなの?


「!」


困った。

尿意だ。

突然の尿意なんだ。


「?」


ゆりかが見てくるけど気にする余裕が無い。

全身がアラートを発しているんだ。


この体になってから本当にいきなり襲ってくるようになっている気がする危機感。


「済まない……少しトイレに。 食べるぶんは自分で切ってくれるか?」


かちゃかちゃとお皿とかを押しやるとイスから飛び降りるようにして……何でもない風を装いつつ全力でトイレへGO。


なんだか変な視線を感じるけどとにかく今はトイレだトイレ。


「……うわ」


僕は絶望した。


トイレは片方だけに行列ができている。

もちろん女性のほうだ。


ドアの外に……えっと、何人かが群れを成している。

その全員がうつむいてスマホを操作している異常風景。


見回しても残念なことに共用トイレはない。

まぁただのファミレスだからな。


……男のほうはいつものようにがら空きだし、こっちでいいや。


いちいち髪の毛を出して整えてしまって整えてがめんどくさいから、あと恥ずかしいからこうして屋内で会っているときとかもずっとパーカーとズボンでぜんぶ隠しているのが役に立つ。


並んでいる女の人たちを尻目に入っていくと……そういえば最近は毎回共用トイレを選んでいたからひっさしぶりな男のトイレ。


「あ」


僕の足が止まる。


……立ってしている人のおしりとアレがちょうど目の高さになることに気がついたんだ。


僕は嫌な気持ちになった。


とても不快だ。

すさまじく気分が悪い。


僕はなんだってこんな目に遭うんだ。

世の中は理不尽に満ちあふれている。


かちゃり。


「ふぅ」


個室の鍵を下ろしてひと安心……した僕だけども。


「…………………………………………」


じゃぁぁぁぁぁーっと水の音が響く。


僕のおまたの下から、水面から。


…………すっごく恥ずかしいんだけど、これ?


男のときだったらそもそも立ってできたし、座ってするにしても向きを調節できたから消音できていたのに……ホースが無いもんだから方向も勢いも自然のままだ。


なるほど、音姫さん機能は必需品だな。


しゃぁぁぁぁぁぁ。


反響してる気がする。

天井を伝って外まで。


ふとももにびしびしと生暖かい感触。


……終わったら拭くのも大変そうだな。


女って不便だ。



「あー……おなかいっぱい。 ごちそーさまー……」


結局男子トイレには誰もいなくてよかったって安心して戻ってきたら、関澤さんが僕のぶんまで平らげてぐてーっとしていた。


「1.5人前……いや、もうちょっとか。 さすがに苦しくないか?」

「へーきへーき、私、食いだめとか得意……うぷ」


「…………………………………………」

「ちょーっと時間経って、動いたらすぐ消化されるって」

「……そうか」


ちょっと心配だけど別に顔色も悪くないし、単純な食べ過ぎの様子。


……これが若さか。


本物の子供だもんな。


成長期。


羨ましい限りだ。



別の日。


僕はもうひとりのJCさんな下条さんに呼び出されていた。


もちろんカツアゲ……じゃなくって一緒に歩きたいんだって。


なんでなんだろうね。


「今日もまたいっそう暑いのねぇ……。 夏休み入ってからずーっと真夏日じゃないの、も――……」

「なら、もっと涼しくなってから歩かないか……?」


「それとこれとは別よ!」


そんなくるんさんの横を歩く僕は不快感でいっぱいだ。

いや、正確には不快感よりも羞恥心だけども。


ちょっとだけ下を見るとひらひらひらひらしているスカートの裾。

それも僕の腰の周りでひらひらひらひらひらひらひらひらしている。


布だ。


僕自身のことながらふとももと鎖骨がまぶしい格好なんだ。


下条さんの主張に根負けして指定されて断れなかった、肩出しのシャツに短めのスカートっていう服装なんだもん、しょうがないんだもん。


かろうじて……かろうじて「お肌が敏感肌で弱いんだ」って言ってその上から羽織るものとタイツで肌を隠すっていう機転が利いたおかげでなんとか致命的な羞恥心は感じずに済んでいるけど……やっぱり致命的な気がする格好。


そんなことを考えながら僕の目の真横で揺れるそれの圧を感じつつとぼとぼと歩き続ける。

だって目線で動くものがあれば自然と視線が向くて意識するのは仕方がないだろうし。


ゆっさゆっさと動いてるし。

なんなら音すらしてるし。


一応事案的な感情も衝動も無くって、ただただ気になるだけだから許してほしい。


「はぁ――……」

「楽しいわね!」


これ見よがしなため息もまったく通じない。

僕に演技の才能は無いらしい。


今日は下条さんの呼び出しのせいで電車でちょっと行ったところの大きめの繁華街。

テレビで最近よく見る女性に人気のスポットとやらだ。


当然ながら歩いているのは女性が圧倒的。

男は少なめで、ただ通りがかっているだけか女性の付き添いできているって感じ。


「やだっ!」

「……なに?」


「やだっ!」の「やだ」の発音は悲鳴とかじゃなくて鳴き声だ。

そう理解しておかないと疲れる。


「見て見てほら! 見て見て響ちゃん!」

「うん」


「これもかわいいわよ!」

「そうだね」


「やっぱり!? そうよねー、かわいいわよねー!」

「はぁ……」


めんどくさい。

投げやりな返事でも満足するからまだましか。


いちいちなにかを見つけては急に立ち止まっていちいち僕に同意を求めてくる。

個人の意見というものを聞きたいのか聞きたくないのかどっちなのかって問い詰めたいところ。


「これも欲しいんだけど、ちょーっとお高いのよねぇ……。 厳しいわー」


この子に裏は無い。


「買って欲しいなー」って言うのじゃ無くってただ本当に「これも欲しいんだけど、ちょーっとお高いのよねぇ……。 厳しいわー」っていう思考が口から出て来ているだけだ。


なんなの?


本当に感情でしか生きてないの?


頭と2個の胸と2個のお尻の中にはわたあめでも詰まってるのこの子??


こんな子を見て親御さんは平気なの???



「うん、いいな」

「うん、似合っていると思うよ?」

「かわいいね」


微妙にニュアンスを変えながらの返事。


たったのこれだけでもう30分くらいは稼いでいる。


「……あ! あそこの屋台、あのジェラート!! 並んでるわよ!?」

「人気みたいだね。 暑いし、冷たいの食べたくなってきたな。 並ぼうか」

「そうね! なら響ちゃん、早く早く!」


しばらく並びながら華麗に会話を回避した先の僕の手元には、いつの間にか買ったアイス。


僕のコーンの上にはふたつの丸いのが、そしてメロンさんの手には4つが乗っている。


そういうことになったらしい。

そう言えばそうだった気がする。


周りの女性たちに習って適当なところに腰掛けて、ぎりぎり足がつく高さで口の中に冷たい味としゃりしゃりとした感触が来る。


しゃりしゃりしゃりしゃり。

しゃくしゃくしゃくしゃく。


アイスとシャーベットか……なるほど。


「あ――――……。 冷たくて甘くて。 おいしいわね……」


それだけには同感しつつものすごい勢いでしゃりしゃりしゃりしゃりしゃくしゃくしゃくしゃくと食べ続ける音が耳もとで聞こえる。


ちょっとこそばゆい。


流行りのASMR的な?

とか思っていたらピタリとそれが止んでなにやらのうめき声を発し始める。


「……――――! ……キーンってするわぁ……。 響ちゃんは大丈夫?」

「僕は奥歯で噛まないようにしているし、それほどは」


「そうなの!?」


経験則で口の前のほうだけで食べるようにすれば平気だと知っている。

なんでかは知らない。



「ところで下条さん」

「かがりよ?」


「下じょ」

「むー、かがりだってば響ちゃんっ」


どうしても下の名前じゃなきゃ嫌なんだって。

関澤さ……ゆりかもおんなじだけど、どうして女の子ってそういうのにこわだりが強いんだろう?


男ならその辺どうでもいいのにな。


「…………かがり」

「なーに? 響ちゃん。 あら、アイスおいしかったわね!」


「そんなに買って食べて……お小遣いのほうは大丈夫なのか? いつも随分と使っているけれど」

「……あら」


「今朝親御さんにねだったと言っていたけど、いったいいくらだ?」

「あの、えっと」


「ひとつひとつは安いものだけど僕が見た限りでは7、8千円くらいにはなっているんじゃないか? 今日の買い物だけで」


「違うわ、6千と……」

「6千円。 大学生が真面目に働いて6時間の金額か。 毎回そんなに使って何も言われないのか?」


こういうときはたたみかけるに限る。


「まだ夏だよ? 今年はまだまだ残っているよ? 次のお年玉まではかなりあるんだけど、ほんとうに残っているのか?」

「あぅ」

「毎回の外出で毎月の小遣いを使っているように見えるけれど? それはもう、夏休み前からだな」


くるんくるんとした髪の毛の先がしおれて行ってアイデンティティを失うかがりさん。

微妙な表情になって目線は外したままな元くるんさんは指をもぞもぞしたりしている。


……悪いことできそうな子じゃないのは良いんだけどなぁ……。


「毎回服を買っていたらいくらお金をもらっても終わらないよ? 大人ならまだしも、君たちの年頃はまだ背が伸びるだろう? 来年には今日買ったものも使えないかもしれないよ?」


身長は充分高い……多分160超えてるんじゃないかな、中学生の女の子なのに……どうも食べたものの栄養が胸とおしりに行く体質らしいし、その服もぱっつんぱっつんになりそうだよ?


「……実はね」

「うん」


「けっこう……そのね?」

「うん」

「まずいの……」


だろうね。


しおれた毛先をいじいじしだすしおしおさん。


あ、髪の毛そうやると気が紛れるよね、分かるー。


……じゃなくって。


「夏休みに使うはずだったお金も……あとお年玉も……秋までのおこづかいも」

「…………………………………………」

「もう、ほとんど残っていないの」


使い切るどころか前借りにまで手を出していた様子。

それなのに今日みたいにお金をあげちゃう親も親だな。


「でもね響ちゃん!」

「うん」


「でもでも、夏休みじゃないとこんなふうに出かけられないし! 今使っておかないと当分使う機会もないのだし!」

「貯めておけばいいじゃないか。 欲しいものはキリがないんだから」

「でもっ!」


なんか元気になって来たらしい。

しゃべってるだけで元気になれるとかすごい才能だよね。


くるんっと髪の毛が立ち直る。


「響ちゃんと出かけていると、その……小さいのに立派な男の子と一緒におでかけしているみたいでなんだか新鮮だし、他のお友だちとはまた違う感じでなんだか楽しくって、つい……普段はこうじゃないのよ……」


一瞬どきってしたけど初めのころのかみあわなさとか気まずさを思い出したら当然か。


今だって服装だけはかがりに合わせてやっとの思いで来たスカートだけど話し方とかまでは変えていないしな。


肉体はどう見ても女だけどって言うか着替えのときに下着まで見られたから女だって知ってるんだけど、でもそれ以外は成人男性がにじみ出しているんだろう。


「でも、ありがとう」

「ん?」


「私、いつもお金のことになると怒られてばっかりなのよ」

「そうだろうね」

「だから響ちゃんみたいに優しく言ってくれる人は……あっ!」


下条さんのたれ目が向いた方向に続くと……そこには女性客がわんさかなお店。

あぁいう雑貨の店、女性はほんっと好きだよな。


「響ちゃん! あのお店行きましょう!!」

「かがり?」


「この前テレビで見たのよ! 配信の人も言っていたわ! 有名なんだって! またいいもの見つかるかもしれないわ!」

「はぁ…………」


「分かるー」or「いいね!」以外の選択肢が無いみたいだからのそのそと立ち上がる。


「ほら早く早くっ」

「待ってくれ……」


せめてもの抵抗でわざとゆっくりと歩く僕。


……彼女や奥さんの買い物に付き合わされるっていうの、こういう気分なのかもな。


うんざりしてきてからが本番だというやつ。

しかもそういう関係だから機嫌悪くさせたくないって言うどん詰まり。


なまじ距離が近いぶんその辺で待っているとかできないの。


結婚とかするにしても……相手に大きな希望を抱かない冷めた関係が理想だな。



それから30分。


「僕はもう疲れたよ……」ってどうにか説得してやっと入った喫茶店。


ふんわり系な彼女の会話はボディランゲージが激しい。

そのたびに揺れるぷるるんはさぞかし目の毒なんだろう。


学校や家であったこととか見聞きしたことをストーリー仕立てで最初から最後まで、強調したいところはそのあとでもういちどって感じで声音も使い分けながらの演出は見事なもの。


楽しそうでなにより。

毎日が幸せそうだ。


「あれは申し訳なかったってちょっと思ったりしてるの……」

「それはしかたないさ」


しょうもないことは意識にも引っかからない。


こんな僕だけど、別にかがりみたいな幸せな子について思うところは特にない。


「……あーあ」


ふとくるんさんの何音か下がった声。


おっと、これは聞かなきゃいけなさそうな声の調子。


歩いているときには身長差のせいですごく見上げる感じになるから体相応の顔に見えなくもないけど、真っ正面から見ているとやっぱり精神年齢相応の顔。


童顔の女性って見えるけど……やっぱりつい最近まで小学生だった子供だよなぁ。

ちょっとだけ厚ぼったい感じの目元と肉付きのいいほっぺた。


「今年の夏休みも半分が見えてきたわねぇ……。 長いって感じていたのに気がついたらあっという間に終わってしまいそうだわ――……」


それで落ち込んでたらしい。


なんだ、心配して損した。


「ん。 そう言えばかがり」

「なぁに?」


「勉強、というか宿題は……大丈夫なのか? 毎日どこかしらへ出かけているしずいぶんと忙しいみたいだと今日も聞かされたけれど」


「やだ響ちゃん先生みたいなこと言ってー」って言われる覚悟で言ってみる。


「……あのね? 響ちゃん、実はね、あのね?」


僕が訊ねてから回答を引き出しかけるまでに数分かかった。


不安で心臓がばくばくしてきた。


他人の分かりきってる答えを聞くのでここまで心配になるなんて初めて。

ある意味すごいね、この子。


「……その。 もし、もしよかったらーなんだけど……宿題、手伝ってもらえないかしら……?」


明確な回答を逸らして譲歩を引き出す術は身に付けているらしい。

そうやって親御さんとか先生のお説教から逃げているんだろうな。


「ひ、ひびきちゃん……? そ、そうやって無表情でじーっと見つめられると照れちゃうわ――……? ほら、また今度、次は秋のお洋服も一緒に選んであげるから……」


ごまかせないと悟ったか汗をかきながら全然嬉しくない提案をしてくる。


「……まぁいいけれども」

「ほんとう!?」

「それで?」

「?」


僕のうながした問いにくるんっと首をかしげるだけの反応。


「……あとどのくらい残っているんだと訊ねているんだよ」


最初の質問事項に戻ってあげる優しい僕。


「科目とか何ページ分とか。 それくらい言えるんだろう?」


沈黙。


返事がなくて不思議に思うと……目がさまよいはじめている。


え、嘘でしょ?


いやいやさすがに……え?


「……ほとんど」

「ほとんど?」


「……手をつけていないの」

「あぁ……」


脱力。


ものすごい勢いで僕の体から力が抜ける。


だってこの子……夏休みの宿題って言う結構なボリュームあるのを完璧にほっぽり出して毎日ふらふらしてるんだよ……?


なにやってるの……?


いやまぁ中2なんてそんなもんだって言えばそんなもんなんだけどさぁ……ちょっと前にゆりかが勉強系は終わらせたって聞いちゃったから余計になぁ……。


あと、うっかりとはいえ補習受けてるって聞いてるからなおさら心配なんだけど……?


「そもそも……そもそもね……?」

「うん」


「私だってこのままではいけないかもしれないって思ったのよ」

「うん、このままではいけないね」


よろしくないね。


「でしょう? だからなんとか立ち上がってお部屋の中をがんばって探しても……プリントもなにもどこかへ行ってしまっていて」

「えぇ……」


「あ、でも、昨日お友だちに! お友だちにお願いって言って撮ったものを送ってもらってようやく分かったのよ?」


それはいばるところじゃないって思うよ?


……なんか言い訳してるけど僕の耳にはもうなんにも入って来ない。


「……君はここで僕と話をしている場合じゃない。 すぐに帰ってさっさとできるところから手をつけるんだ」


イスっていうかシートをずりずりしながらテーブルから抜け出て自然な感じで着地して席を立ちながら言う。


断固とした姿勢だ。

僕の決意は固い。


おっと、スカートがめくれてる……。


さっさっとホコリを払うフリをしてさりげなくふとももをガード。


「響ちゃんっ」

「僕が一緒にいてもこうして話をしてしまうだけだろう?」


「え――――! 響ちゃん、一緒にしてちょうだい! お勉強会よ!」

「嫌だ」


NOと言える僕に驚いたのか下条さんの体の動きが激しくなる。

頭を振れば髪の毛がくるんくるんして腕を使って話せば揺れる揺れるでとにかくすごい。


「勉強会とか言って1問ずつ僕に聞くつもりだろう?」

「だって、そうなんだけど!」


え、そうなの?


「……でも、響ちゃんなら遊んでしまいそうになったら止めてくれそうだから……それでもダメ、かしら? ちゃんと言うことは聞くから……お願いよ……」


……まぁ、勉強会なら外を連れ回されないだろうし……こうして外に出るたびに補習や勉強のグチを聞かされるのも不快だし、やだって言っても諦めないだろうし……。


それに、ここまで聞いてほっとくのもなんだか寝覚めが悪い気がする。


「……いいよ」

「ほんとう響ちゃん!?」


「でも今日は僕、そろそろ帰らないと行けないから。 君も早く帰ってできそうなところから手をつけてみてほしい。 それで別の日に……」


というところでいつもの尿意。


尿意は突然に。

そんな映画無いかな。


「……と、済まない、少しトイレに行ってくるよ。 先に外にでも出ていてくれないか?」

「あ、じゃあ私も行くわ!」


「は?」


「テーブルのコップとかを片づけてしまえばいいんだし。 ちょっと待っていてねっ」


なんか変なことを言い出したかがりがるんるんな感じでお片付けを始める。


いやいや、さすがに一緒にはないでしょ……。


個室だったとしても隣同士っていうのはちょっと……ねぇ?


まだ女性トイレでも抵抗感があるのに知り合いがそばにいると困る。

大変に困る。


「……えっと、僕は。 ……そう、事情があって。 言い辛い事情があってそういうのが苦手なんだ」

「? そう? 残念ね」


どんな返し方したら納得してくれるんだろうって思って考えてたらあっさりと納得したらしい。


……やっぱり僕はこの子のことがよく分かんない。


「じゃあここで待っているわ。 ちょっとお友だちとかお母さんからのメッセージがたまっているからお返事したいところだったし」

「……すぐに戻るよ」


そうしてお店のすみっこのトイレの前に着いたけどもこの前と違って誰もいないみたい。

こういうのって本当タイミングだよね。


ぱたんって扉を閉めてオシャレなトイレ空間でタイツを膝の上までするっと下ろしてぱんつを脱ぎながら考える。


……そうか。


人と外に出るときにはいずれそのうちなんだ。


しゃあああという音が音姫さんキャンセル。


たった今危なかったみたいに連れションってのもすることになるのか。


まぁ冷静に考えたら男同士だって学校に限らず駅とかでちょっと一緒にとかよくあるんだし、なんなら男は真横に立ったまま出して出すんだから考えようによっちゃ男の方がやばいし。


うん、冷静に考えてみればごくごく普通のこと。

こっちには音姫さんもついているんだしそこまで必死になることじゃない。


男みたいにお互いのがすぐそばに見えるっていうのも物理的にないんだもんな。


でもなぁ……。


「はぁ――……」


こういうのに過剰反応してるって理解はしてる。

理解はしてるんだけど……僕の気持ちは動揺するんだ。


どきどきするんだ。

相手は子供なのにね。

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