5話 女の子にされた僕とおでかけ今井さんと
髪の毛を自分で切ろうとしてた、すっぱだかの僕に向かって。
いや、僕にじゃなくて壁に向けてハサミがすっ飛んでみじんになった、あのときのあの怖いの。
そのときに読んでいた本のどこかに似た言葉があったから僕は勝手に「ハサミ事件」とかものすごく適当なネーミングで呼んでいるけど、あの魔法の力を再確認することになったあの時期は大変だった。
家に引きこもれば刃物が襲うわ外に出たら強引な人たちに付きまとわれるわ。
ニートに無茶な難題だったって思う。
でも、そんないろいろがあってすっかり疲れていたけど季節はもう梅雨。
じとじとと静かな空気でこれだけじとっと休んでいれば充分にエネルギーも戻ってくるというもの。
雨って良いよね。
きのこが生えそうなくらいの湿度で静かな雨の音を聞いて雨の匂いを嗅ぐのが好き。
そんなわけで僕は元気になった。
だっていろいろ吸われてたんだもん。
口と体が動く人と一緒にいると……なんというか生命エネルギー的な何かが吸われる感じしない?
エネルギーっていうか気力とかMPとかそんな感じのもの。
目には見えないけど確かにある感じのそんなもの。
ああいう人たちに言っても意味分かんないだろうけど僕の仲間には分かるんだろう。
……む、今日はこれでいいか。
鏡の下半分に映っているのは、ケアをしているおかげでつやっと伸びる銀の長髪と前髪をそろそろ切ろうとして忘れていたのを思い出した眠そうな顔に、白のワンピースに黒のタイツ。
「うむ」
今日の僕は「お嬢さま」に見えなくもない。
タイツって暑そうだと思っていたけど、いざ履いてみると風がいい具合に抜けるから1枚多く着ているのに涼しく感じるんだよなぁ……不思議だ。
ぱんつを穿いているはずの股とお尻まですーすーと実に気持ちが良い。
すべすべするから動いても気持ちいいし手で触っても気持ちいい。
ポーズを取っているときに理解した「しな」を作る感じにしてみる。
まるで僕じゃないかわいらしい子供がいるような錯覚を覚える。
……似合っているなぁ。
JKさんが着せ替え好きなの、ちょっと分かった気がする。
幼いのもこれはこれで悪くないって思うし。
僕もなかなかにかわ――――――――――
僕はおもむろに頭を振りかぶって「ごんっ」と鏡に……ちょっとだけ痛い程度に打ち付ける。
……やばい。
ごんっごんっ。
……こんな格好で外に出て誰かに褒めてもらいたいなんてバカげたことをちょっとだけでも思うだなんて。
ごんっごんっ。
僕は男なんだ。
男だからスカートとかタイツに惹かれるのはしょうがないんだけど、それを自分で着ている姿を見せたいって思うのはやばいんだ。
しばらくのあいだ、僕の頭からはごんっごんっと音が響いていた。
◇
悲しいことに今の僕は幼女で、だから腰から上も腰から下も短い。
イスに座ってご飯を食べるにはクッションでかさ増ししなきゃいけなくって、だから座高は補える代償として足の裏は完全に宙ぶらりんだ。
「ごちそうさま」
そんな感じで適当にテレビの画面を見ながら朝食を済ませる。
何もかもがめんどくさがりでほっとくと何日もじっとり座り込む性質があるもんだから、さっさと家事を済ませちゃう。
で、幼女だって人間だ。
だから……まぁ、その。
男のときほどじゃないけどでもやっぱりきちゃないものとかが服に着いちゃう。
洗ってない犬の臭いとかがして来ないように毎日洗濯しておくことにしてる。
その合間合間にもスマホがぴろぴろ。
『こっちは中間試験が終わったばかりで、もう期末だよ――……ほーんとめんどいよね?』
『学生はなぜ勉強をしなければならないのか』
『社会の授業やるよりかストラテジーゲー配るほうがよほどためになると思う。 ね?』
『あ。 私平均越えした! ほめてほめて!』
JCさんからの学生らしいチャットに癒やされる。
しつこいけど。
メッセージの割合はいつもだいたい1対10くらい。
もちろんあの子から10を投げつけられて僕が1を返すって言う感じ。
モチベーションにはなるからこうして勉強に関することだけは返しているけど基本的には既読だけだ。
それでいいって言ってたもんな。
テレビの声を聞くともなしにしばらくスマホいじいじしながら思う。
おっきい子のJK下条かがりさん。
全体的にすべてが大きい子。
なにがとは言わずに全部が。
彼女は高校生だとばっかり思い込んでいたんだけど、なんと中学2年生。
つまりは設定上の僕と同い年だそう。
んな馬鹿な。
初めに聞いたときはてっきり冗談かなにかかって思っていたんだけど、疑いすぎたら怒りだして学生証をぐいっと突きつけられたから本当だったらしい。
あの体で本当に中学2年生だった。
あの体で。
あの体で。
あの体で。
いやらしい意味とかじゃなくって背も高いし胸もでかい。
あの大きさだと何カップになるんだろうな?
くるんプリン下条さんとちょっと話してみれば、確かに顔は中学生くらいの幼さだし精神年齢が年相応だってのはすぐに分かるんだけども、高校生だろうって思ってから話すと案外分からないもの。
思い込みって怖いね。
話を聞いている限り、どうも勉強にあまり向いていないっていうかすぐにぽんわかするっていうか、たぶん学力は同学年の中でちょっと……な様子の子。
本とかは普通に読んでいるみたいだし地頭は悪くはないと思うんだけど勉強のやりかたと習慣ってのは難しいしな。
とにかくあの身長と胸では年齢詐欺にもほどがある。
ちょっとは分けてほしいくらいだ。
どっちもな。
……下条さんとの会話は正直苦手。
だってほとんどが学校とか部活とかテレビとか雑誌とか漫画……もちろん少女漫画的なものとかのはなしをほとんど一方的にされるという感じだし。
だいたいいつもファッション雑誌とかネットの記事とかを見せてくるし。
生きている世界が完全に違う。
例え同世代でも話なんて合わなかったって思う。
脳みそゆるゆるだもんな。
けどそういうのがいわゆる今どきのJK……じゃなかったJCっていう存在らしいからちょっとがんばって付き合ってみてるんだ。
あんな中学生の女の子に我慢して付き合っているんだ、僕は偉い。
つまりニートは偉いんだ。
続いては関澤ゆりかさん。
ちっちゃいほうのJCさん。
けど1回覚えたJKさんとJSさんのうちのJSさんでも良い。
JSとかJCとかJKとかも普段使わないから使いたいだけの言葉だしな。
で、彼女は僕と同じ側の人間だ。
僕よりは数段マシではあるけどやっぱり外見が中身よりも数段幼い気がする。
ちっちゃいのとは意見が合う。
主にちっちゃいのがコンプレックスって面で。
事あるごとに「小さい体あるある」をメッセージでつぶやいてきて結構同意できるくらいには。
髪型はぱっつんに近い感じのきれいに整えてある感じで肩に軽く触れるくらいの長さ。
しかし関澤さんは外見に合わず何でもできるタイプらしい。
勉強もスポーツも人並みよりひとつ抜けてできるらしいけどモチベーションが遊ぶことに向いているからそこまで目立った成績ではないっていう、才能と意欲とがズレているパターンの印象を受ける。
まぁその逆で全部人並み以下だけど真面目にこなしてるから先生の評価で平均より少し高めだった僕と比べたら、きっと何十倍も快適な学生生活だろう。
僕は早生まれとかじゃないけど飲み込みがものすっごく遅い方だから、きっと2年くらい遅いくらいでちょうど良かったんだろうな。
そんな思い出も卒業しちゃえばなんだか良いものに思えてくるから時間って不思議。
できたらその要領を少しは大きいのにあげてあげて、代わりにあふれんばかりの胸と交換してもらったら良いのにね。
あ、女の子だったらお尻も大きい方がモテるからもらったら良いのにね。
けどそんなことはできない。
人って産まれながらにして平等じゃないんだ。
……連絡先をいただいてしまった以上には芸能関係な萩村さんと、萩村さん経由の悪魔もとい今井さんとの連絡も一応は取っている。
「あんまり返せませんよ?」って念を押したおかげか萩村さんのほうとしかやりとりしないおかげで激しい勧誘はされないで済んでいるから今のところ無害。
とはいっても1、2週間に1回くらいってわりと多いんだけど「ライブとか撮影とか見に来ませんか?」っていうお誘いも来る。
当然ながらお断りしている。
誰が人混みにいくもんか。
僕は元引きこもりのニートだぞ?
行ったら最後、子役の契約書にサインでもしなければ帰してもらえなさそうだし。
だけどいざとなったら親戚以外でこの状況をどうにかできる……可能性のあるところ。
対価は僕のアイドル化だけど……今の僕が拉致監禁虐待の末の孤児経由の養子になって前の僕が悪逆非道な行いをした男ってことになるよりかはずっとマシだ。
◇
そんな感じでひたすらだるだるした梅雨もあっという間。
梅雨が明けて夏になったらしいってテレビが言ってた。
4時台から明るくなってきて朝日にきちんと起こしてもらえるしあわせ。
幼女だろうがニートだろうが虫けらだろうが糸くずだろうが嬉しいものは嬉しい。
明るさの代償に外はうだるようになって湿気が相対的にマシになってセミが朝から晩までうるさくなる。
嬉しさでつい準備もそこそこに家を出て夏な朝を20分くらい歩く。
最近は半強制的な引きこもりモードだったから気持ちいい。
ときどきごくたまに、たまーにだけど、女性の服に慣れるための練習ってことで家を出るときはいつもの男装……野球帽にパーカーにズボンにリュックっていう少年らしい格好をしておいて、繁華街のビルの中のきれいなトイレの個室で女の子の服に着替えるときがある。
つまりは女装の練習だ。
けども肉体的にはむしろこっちが正常。
玄関まで来て「やっぱりいいや……だるいし」ってなって引き返すのも多いから勢いも重要みたい。
もう通算で4回くらいはしたんじゃないかな?
外での女装。
まだ女性用のトイレに入るのには抵抗感があるし、そもそも入るときには少年の格好だしとこれまた困ったことになるから上の階の人が来ないような共用トイレが狙い目。
最初は「外で女の子の服を着る」って意識しちゃって心臓がばくばくして着替えるだけで汗をどばどばかいて手が震えて「やっぱり今日は調子悪いみたい……」って帰っちゃったりしていたものだけど、今日くらいになるともう平気だ。
目立たない服で出かけて出先のトイレでいちど服を脱いでから女の子らしい服装に替えるっていうのにも慣れてきた感がある。
このくらいの年の女の子は……いや子供はみんなそうか、だいたい母親に選んでもらっているだろうしディスプレイで似たものが多かったし、髪の毛と全身のカラーリングさえ無視すればどこにでもいる年相応の……できれば中学生の女の子に見えると思う。
多分。
夏ってことでつばがぐるんと広い帽子もどんな格好にでも合うしな。
未だに慣れない人からの視線を切りつつそれでも見られていることを意識しながらの女の子の格好……女装の練習にはぴったりなんだ。
この帽子、本当に便利。
視界が極端に悪くなることを除けばそのほとんどが気にならなくなるし、滅多なことでは顔も見られないしな。
見上げたときだけ、つまり僕が見せたいときだけっていうのはとてもいい。
快適。
パーカーっていうこんな真夏でも必需品なアイテムが使えないし、日の光でよけいにつやつやして目立つだろうこと間違いなしな銀色の長髪を隠せない中で普通の格好をするんだから、こうでもしないとね。
なるべく人通りが少なくて日陰の多い道を選んで歩いて、この体だとそこそこの距離にある広めの運動公園に着く。
もう疲れたけどまだまだ大丈夫。
この体は体力が無いんだけど休んだら案外動けるってのは把握済みだ。
おとといから毎食何口分かずつ多めに食べてきたし汗拭きタオルも替えの下着も手元にある。
どうしても疲れた場合に備えてタクシーの番号も登録済み。
「よしっ」
適当にゆっくりとトラックをぐるっと歩いて回るだけなんだし、たいしたことじゃない。
どれだけがんばったとしてもせいぜいが数キロだろう。
それにしても人がいないなぁ……素敵だ。
いや居はするんだけどみんな町中に比べて距離があるし人の数そのものが少ないし、そもそもあんまりじろじろと見てきたりはしないから快適。
帽子のつば越しでも視線っていうのはなんとなく感じるよね。
不思議なことに。
いるのもほとんどはスポーツウェアなスポーティかお年寄りばっかりだしな。
おかげでぼーっと歩いていてもぶつかられる心配もないし迷う心配もない。
疲れてきたとき用に座る場所をちらちら探しながら歩くめんどくささもない。
◇
だいぶ歩いた。
体が重い。
汗が髪の毛伝いに染みこんでいくのを感じながら自販機のそばへ惹かれていく。
「ふんっ。 ……ん――……っ」
自販機に向けて精いっぱいに足先から指先までを伸ばしてみたけど、それでも上の段の飲み物を選べないっていうのを今さらながら知ってもやっとしつつ、いちばん下の段の適当なジュースをがこんって買う。
つま先で立ってぎりぎりでボタンを押して買ったジュースを「しゃがむのは楽だな」なんて思いつつ冷たいのを取り出して飲もうと思って気がついた。
「うげ……」
これ、プルタブが硬いやつ。
つまりは僕の敵だった。
指の力すらない僕にとってプルタブってのは天敵だ。
僕は自販機の前でぼけーっと立ち尽くす。
「困った」
困った。
僕は困っている。
「よし」
誰か適当な人に開けてもらおう。
そう思ったら今度は一向に人が通りかからない。
日陰でのベンチを選んだからかちょっとトラックから逸れているせいか。
しかたなくのこのことトラックのほうへ歩く。
いくら少ないとは言っても視界には何人かは居たんだ、こうしてちょっと待っていれば……と、来た来た。
よし、ここは新技で行こうか。
喉の奥を調節して、高めかつちょっとだけ甘えた感じの声で営業用の笑顔を作って。
さらに小首をかしげつつ上目づかいを演出しながら両手を差し出すようにして。
うむ。
これで見た目どおりの幼女な演技は完璧だな。
「すみませぇん、あの、このフタ、開けられなくって。 開けて欲しいんです」
僕の喉から信じられないくらい甘えた声が出る。
家で散々練習したから耐性は着いている。
けど甘えられたら男の僕なら何でも買ってあげたくなる声だ。
ロリコンとかじゃなくったってたいていの人なら絆されるだろう声。
僕もがんばればできるじゃないか。
これなら舞台とかに出てもイチコロだろう。
なんてどうでもいいことを考えながら視線を上げてみる。
……その人は事務職の格好をした女性でスニーカーを履いているらしい。
表情筋と喉の筋肉をがんばりつつ顔を上げていった先には――ワイシャツの上の膨らみの上にはどこかで見たような顔があった。
「え?」
え?
……え?
あ。
あの、この人って。
「け、ど」
何を言おうって考えてたのか分からなくなって僕はフリーズする。
僕からたったの1メートル足らずのところで立ち止まってくれてしまったのは――思い出したくもない、あの人だったらしいから。
「すみません勘違いで」
「あら! あらあら、かわいらしい格好だと思ったら響さんじゃないですか!! わー、かわい――!!!」
その声にびびって後ずさるも遅く、悪魔さんはすっと歩いてきたかと思うとかがんできて僕の両手を缶ごと包み込む。
やめて。
離して。
お家に返して。
「お久しぶりです! お元気でしたか!? おひとりで運動ですか? こんなに暑いのに偉いですねー! 夏休みのトレーニングとかでしょうか? それにしてもこんなところでお目にかかれるなんて思ってもみませんでした!」
うん。
僕もまさかって思った。
なんで居るの……?
「あ、このプルタブですね? 硬いですよねぇこういうの……けど私なら大丈夫です!」
僕は大丈夫じゃない。
10秒前の僕の愚かな行動を無かったことにしたいって願う。
どっか行って?
「あとそのスマイル……とっても素敵です! その甘え方もとってもキュートで、私……やられてしまいました!! メロメロです!!」
そのまま気を失ってくれたら良かったのにな。
缶を取り上げられた代わりに手を握られて、さらにはがっちりとホールドされた。
このまま走ってでも逃げたいんだけど近距離で話されているからうまく声が出ないし、そもそもびっくりしすぎているのと疲れが一緒に来て体がうまく動かない。
た、助け……。
◇
手元には、頷くだけで返事をしているように見せかけるためにってちびちび飲んでいるうちに半分を切ってぬるくなったジュース。
そして隣からは鬼もとい今井さんの気配と声。
あいわらず僕は逃げられない。
「そのときのその子の顔がまたとても嬉しそうで達成感にあふれていてですねー。 あのようなすばらしい笑顔を見るとこの仕事をしていて、一緒にがんばってきてよかったなって感じるんですよ!」
「そうですか」
さっきから似たようなことを言い続けるのに一向に飽きる気配がない。
目もほとんど合わさないのに平気そうにしながらずーっとこんな感じだ。
いや、僕がマジメに聞いてなくて返事も「そうですか」オンリーなのに気がついてないだけだこれ。
まぁ今日はこの前みたいに「そのまま連れて行ってでも!」っていう殺気みたいなのは感じないし無理やりっていう様子でもない。
ちょっと拍子抜けだ。
僕が嫌がっているって自覚したのかも知れない。
そんな奇跡。
「……そういえば響さん。 先日は大変失礼しました」
ん?
さっきまでの落ちついた感じがさらに落ちついている。
「あのときはいつになく……私の『勘』が働いてしまって抑えたくても抑えられなかったんです。 迷惑でしたよね……自覚はしてるんです。 私、ああして『勘』が働くと歯止めがきかなくなって……あのときもお別れしたあとで初めて思い出して気がついた次第で。 面目ないです」
両手で持っていたペットボトルをことんとベンチに置いて姿勢を正した今井さんは……なんと、軽くとはいえ頭を下げていた。
……いきなり何言い出すのこの人。
困るじゃん、僕が。
困るじゃん、そういうのってさ。
僕にはウソを見分けることなんて到底できないから演技されていたらどうしようもないけど……ここまでの変わりようが気にはなる。
その「勘」っていう意味深なワードに反応した僕。
なんかこう「魔法さん」に近い印象だし。
「いえ、過ぎたことなのでもういいです。 萩村さんに止めてもらいましたし。 けど『勘』……ですか? そのせいで僕を執拗に? あの群衆の中で?」
「あぅ」
さりげない牽制を放ちつつ聞いてみる。
勘。
女の勘ってことはないだろうしこの前みたくオーラとかそっち系かな?
「そうなんです。 えっと、こういうの、経験したことのない人には分かってもらいづらくってうまく表現できないんですけど……『勘』って知り合いには言っています。 誤魔化してるとかじゃないんです」
なんだか遠い目をしながらぐいっとしたペットボトルから、ぐっと喉を鳴らす今井さん。
今井さんの口からの「ぷはぁっ」っていう気持ちよさそうな声を聞いて僕もジュースの残りをちびり。
「うまく言えないんです。 けど別の言い方をするなら第六感とかインスピレーションとかそういう感じのものなんです。 妄想とかじゃないって思いたいんですけど……私だけが感じる感覚なので。 あの、済みません、分かりにくくって」
「いえ」
まぁ僕も魔法さんの実在を知っている以上ごまかしてるとか妄想とかって言えないよね。
「……私。 少し前までは霊感みたいなものとか一切なくって、そういうのを信じていなかったんですけど……働き始めてしばらくしてからもう何回か。 人目を引きつけるなにかを持っている人を目の前にすると、こう、どこかのアンテナにびびっと来るんです。 あの感覚はちょうど……どこか知らない別のところから来るような『なにかの力』。 そういった感覚なんです」
電波。
電波さん。
そういうことか。
……冗談だ。
今井さんが頭がぱーな電波さんだって思いたいんだけど、この変わりようだしな。
今のぐてっとした今井さんを見ているとあそこまでエキセントリックな言動こそが特殊な、その「勘」とやらによってヤバい人にさせられていたって考えるほうが自然だと思えてくる。
ハサミが飛び回るのに比べたら現実的だしな。
こうしていれば普通に話しやすい人なんだってのも知った。
「響さんを見たときのそれはそれほどに強烈だったんです……響さんが迷惑そうにしているのにも気がつかないほどに。 気がつけなかったんです。 まるで……なにかから体を動かされているような……」
なにそれこわい。
けど多分魔法さんより怖くないって思ったら平気になった僕。
「あ。 そういえばこの『勘』、今日もうっすらと働いていた気がするんです。 だから響さんに会えたのかも」
ほ?
なんだか急に運命論的なことをほざきだした今井さんからちょっと距離を取る。
今さんと僕のお尻のあいだが拳1個分くらい遠ざかる。
いや、僕そういうオカルティックな話はもうお腹いっぱいなんで……。
「ここに来る前に……事務所に断りを入れてまでなんとなく置きっぱなしだった運動靴を履いて。 いつもは同僚と食べるお昼をひとりで食べてそのあとに歩いてここへ、理由もなく来たくらいなんです。 その最中も『そうしなきゃいけない』って気がしていて……」
やだなぁ、背筋がぞくっと……あ、汗のせいだろうきっと。
うん。
でもずっと聞き流していたけどちょっと待って。
それ、とっても怖いものじゃない?
良く平気だね?
そんな勘とかいうものが働いちゃったら、僕だったら怖くてびびって引きこもるけど?
「でも、今はもうなんともありません。 ですからこの前みたいにはなりませんから安心してくださいね」
「そうですか」
そうだといいね。
そうじゃなかったら備え付けの防犯ブザーで撃退してあげる。
◇
「……そうですよねー? ……くす、それにしても今日の響さんはおしゃれしていますよね。 あのときみたいなストリート系でボーイッシュなのもかっこよくて好きですけど、今のように可憐な感じもまたお似合いです!」
「どうも」
話が長いから聞き流す。
「どうです? 読者モデルなんかから」
「お断りします」
聞き流すこと数分。
「……響さん? なんだか雑になってきていませんか?」
「気のせいです」
「ほんとうでしょうか……」
「ほんとうです」
ばれてきた。
まぁいいけど。
でもボーイッシュなストリート系……そういうファッション用語になるのか。
いつもみたいにぼーっと別のことを考えたり返事に悩んだりしないで即答を続けていたらそういう印象に映ったらしい。
「普段はどちらの格好をされることが多いんですか?」
「?」
「今みたいなガーリーと、この前のボーイッシュ。 私はどちらでも似合っていると」
「あのときのです。 これは知り合いに勧められて仕方なく」
「この前のお友達……あら残念」
ぴぴぴっとアラームが鳴ってびくってなったけど、僕のじゃなくて今井さんのだった。
「すっかり長話しちゃいましたね。 そろそろ戻らないといけません……っていうかちょっと遅刻です」
てへぺろってのをするあざといさん。
「今日は響さんとお話しできてすっごく楽しかったので時間、忘れちゃいましたっ」
僕が普通の男だった状態で普通に出会って普通の会話をした後だったら多分どきっとしただろうセリフも、幼女な僕には効かない。
そう言えば今井さんは髪の毛を後ろで結う髪型。
ポニーテールの短いやつ。
名前はよく知らないけど。
今日は右寄りに結っているらしい髪の毛がなんとなく犬の尻尾に見える。
これからは犬さんと呼んであげようかな。
略してわんこ。
「では失礼しますね。 また何かありましたら……何もなくてもお話しするだけでもいいのでご連絡を!」
そう言いつつ何回も振り返って小走りでお仕事に戻っていく偉い社会人。
……会話って言うものに疲れた僕はぐてーってベンチに寝そべる。
「帰ろ」
ふとももの付け根くらいまで上がっていたスカートの裾がベチャってふとももについて、なんかヤな気持ちになったからそそくさとスカートを下ろしながらベンチから腰を上げる。
なんだか休みすぎてやる気がなくなったし話して精神的に疲れたもん。
幼女の身での運動なんてここまでで充分だろう、うん。
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