4話 萩村さんとかがりと
さて。
姿を変えたりハサミを飛ばしたりする魔法がはたして現実の物理現象の範囲に入っているのかとかはおいておいて、今さらだけども考えなきゃ行けない。
仮にこの魔法が、時間が経てば自然に来るはずの「自然な成長」にまで干渉する……成長できないとかいうものになると、何年経ったとしても大人の姿になれない可能性が出てくる。
幼女じゃなくて女の子でも、身分を証明するものがないんだから普通の仕事には就けない。
だけど世の中には軽い仕事……バイト程度っていう身元がはっきりしていなくても「はっきりしてますけど?」って言い張ればできるお仕事もあるんだ。
でもここで大人になれないとなると、そういう身分がなくても働けるような仕事でさえムリになる。
もちろん働きたくはない。
プロのニートやってるくらいだからその意志は固い。
でも貯金だっていつかは尽きる。
だから20代のうちにいやいやしぶしぶに働くつもりだった。
それがこうなっちゃって、ついでに肉体年齢的に寿命がプラスで10年くらいで生活費も10年くらいプラスな今の状況なわけで。
「………………………………」
こうなっちゃった以上、社会保障っていうものにもお世話になれない身だ、そうなる可能性もあるんだからせずにはいられない。
だって身分がないんだから。
この見た目だから僕の名前と戸籍は通用しないしな。
身分がないっていうのはそれだけ現代においては特大の厄ネタなんだ。
バレたら終わりっていう厄いやつ。
「………………………………あ――」
頭の中がごちゃごちゃしたからって何となく出した声がお風呂に広がる。
小さい子だって分かる声。
正直男か女か分からないくらいに幼さが勝っている感じ。
くらくらする。
のぼせてきたらしい。
あがるか。
幼くなったことで浮力をつかみにくいせいで何回かすっ転んだ苦い経験から、湯船の底に敷いているマットをしっかりと踏みしめて湯船の内と外に置いている踏み台を使って、慎重に慎重にってそろそろとお湯から這い上がる。
もわっとした湯気と一緒に洗面所へ出て髪の毛を、そして体を拭いているときにお股のところにさしかかる。
何となく悪い気がするから汚れがたまらない程度に拭うようにして洗って拭くその場所をじっと見てみて、ふと思う。
……成長。
したほうが僕の好み的にも今後の生活的にもそりゃあいいんだけど……女の子、いや、女性になるんだったら生理っていうものとか。
……来るんだろうか?
……来るよなぁ……。
普通の女の子の体なら早ければこれくらいの年から……小学校高学年から遅くても高校生までには来るはずだし。
生理って、人によってはとっても辛いっていうよな。
それこそ、その期間だけものすごく機嫌が悪くなるくらいに。
あれ、その前だったっけ後だったっけ……まぁいいや。
とにかく憂鬱だ。
うつうつする。
単純で便利で都合がよくって使い慣れていた男の体のほうがずっとよかったのにな。
本当、つくづく男って単純だから楽だったんだって思う。
そう思って僕はまた凹んだ。
けども僕は弾力性には定評があるからそのうち元気になるだろう。
◇◇◇◇◇
落ち込んだまま数日を籠もって過ごしてみたけどとうとうに連続ドラマとかで気を紛らわせられなくなってきたから、今度はちゃんと人の少ない平日に家を出た。
またしても晴天。
しかも今日は雲ひとつない青空。
おかげで以前にも増してじりじりする。
暑い。
暑すぎる。
太陽光で死ぬっていういにしえの吸血鬼のような気分を味わいながらとぼとぼと炎天下を歩き続ける。
そういえば結局この体になったばかりのときに買った女物の服、外で1回も着る機会と勇気がないまま夏が近づいてきたんだな。
家の中でならスカートとかワンピースとか短パンとか下がパンツのことも多いけど……それでも慣れるためなのと目が楽しいのから結構な割合で着ているけど……しょせんは春物。
生地は厚いし汗は吸わないしで空調の効かない真夏日にはキツそうだ。
まぁ先は長いんだし女物を外で着るのはその気になってからでいいか。
なんなら女の子らしい体つきになるまでは……なれるとして……どうせだしなれるといいな……なってからスカートデビューしてもいいんだし。
スカートっていうのはハードルが高いんだ。
だって破廉恥な格好だもん。
下からまる見えなんだぞ?
強い風に煽られたら見えるんだぞ?
なんでこんなのが普通の格好として成立してるんだ。
世の中の女の人はみんな痴女なの?
スカートとかを着ることを想像するだけで恥ずかしくて顔が火照ってきたり着ているとむずむずして脱ぎたくなってくる。
肉体的には正常なんだけど精神的には完全な女装。
女装。
創作で楽しむのと実際に体験するのとでは全然違う。
空想と現実は別物なんだ。
今と同じような男装をするにしたって、そろそろ夏物をそろえないと出かけるたびに汗だくになりそう。
通い慣れて楽だったいつもの店が魔界になっちゃったから別のところを探さないといけないのがまためんどくさい。
あのビルのフロアに同じような店もあるけどあのときの店員の人のうちの誰かがいたら見つかりそうだって気づいて止めた。
近くにも2、3軒ああいう安い店があるからそこを狙って……いやダメだ。
つい最近タイミングに見放されたばかりじゃないか。
油断しちゃいけない。
僕は運が悪いのは分かってるんだ。
こんな体になってる時点で幸運じゃない。
だからあのフロアに行ってあのときの誰かがたまたま通りがかってアウトになるんだ、きっと。
少し離れた駅の同じようなところを調べよう。
いくらなんでも数駅離れれば大丈夫だろう。
そこまで運が悪い覚えはない。
運の悪さにも限界はあるはずだ。
◇
「ん」
もうちょっとで駅に着きそうになってきたから日陰をぬいぬいしつつ歩いていたところ、前のほうの大きなビルの前に見るからに高級車な黒塗りが2台すらりと止まった。
なんか熱い日差しの中で真っ黒って言う非現実的な光景。
その片方からはこんな暑いのにスーツをがっちりと着た人たちが一斉に降りてきて止まったままの方の車のドアを開ける。
ドアの中からは女性……学生くらいの女の子がふたり。
パッと見てきれいだって印象で動き方もなんだかふつうじゃない感じ。
ひとりは学生服でもうひとりは私服。
学生服のメガネな子と私服な……ポニーテールみたいな子は車の中の運転手かなにかと会話をしたあと、ドアの前で待っていた男の人たちに囲まれつつビルの中へ入っていく。
ふたりとも高校生か大学生くらいだと思うけどなにかの送迎?
顔は全然違うし家族というわけでもない……仕事かなにかだろうか。
学生なのに仕事?
あ、ファッション関係というのもありうるか。
その子たちは通りに面した商業ビルの中に入っていく。
にしてもでかいな、このビル。
なんとかプロダクション?
そのビルがまるまるその会社らしい。
日陰を追い求めていたせいで普段は選ばない大通りを歩いていたから、家から徒歩圏内なのに初めて目にした気がする。
そう思っていたら近くで車の止まる音。
顔を上げてみるとさっきのつやっとした車が前のほうで止まっていて、すぐにそのままバックでそろそろと戻ってくる。
なんだろ?
なんか怖い。
少し不安になったから車道側から離れようとするあいだにその車は僕の近くまで下がって来ちゃう。
運転席のドアが開く気配。
ぐるぐるする頭を抱えていると、出てきたのは背が高くてガタイが良いスーツ姿の男の人。
だけど……あれ?
この顔、どっかで見た覚えが。
その人は会釈しながら近づいて来る。
「あなたは先日の……響さん、でしたね。 お名前に間違いはないでしょうか……よかった、失礼にならなくて。 こんにちは、ご無沙汰しております」
相変わらずに全体的にでかいこの人には見覚えがある。
悪い人じゃない人だ。
そんなことよりも警戒すべきはあの人。
あの人のせいで僕は1週間くらいぐてってしてたんだから。
女の人……今井さんだっけ。
悪い方の名前を先に思い出してあわてて周囲を見回してみる。
「あぁ、今井ですか。 今日は一緒ではありません、今は私だけです。 頼まれてうちの所属の者を送っただけですからご心配なく。 ……あと、先日は本当に失礼しました」
ぺこりとしたらしいけど僕からしたら上空からでかい何かが降ってくる感じ。
1メートルくらい離れてくれてるから……あ、つむじ。
あの人のこと……今井って人のこと察されたけどいないらしくってほっとする。
ほんとによかった。
本当に。
「私は今井とは違って響さんからご連絡をいただくまで勧誘は一切しません。 今日もただお見かけしたからごあいさつをしたまでで」
ふーん。
やっぱりこの人はいい人だな。
で、なんでも「ついでだから乗ってく?」ってことらしい。
「ふむ」
男のときの僕も旅行先で駅とかまで送ってもらったりしたことあったしな。
最初は抵抗あったけども何回かいろんな人に乗せてもらうと人情ってのなんだって分かるあれだ。
でも今の僕は幼女、襲う意味もカツアゲも意味のない男じゃなくって女の子。
だからどうしようかって思うけど……まぁこの人なら大丈夫だろう。
今井さんのような何が何でもって感じはないし、なによりあのあとに名刺に載ってた情報は調べたし。
なんとかプロダクション……あ、さっきのビル……のHPにでたらめしか書いていないんじゃなければ信用はできる人たちだろう。
人と話すと疲れるから本当はすぐにさよならしたいし、この前までの僕なら断固として拒否していたけど……今は事情が変わっているって言うのもある。
引きこもっているだけじゃなんにも分からないのは幼女歴1ヶ月半くらいで外出3回目な今が保証しているんだしな。
……準備もできているし、ちょっとだけ探ってみよう。
大丈夫、ハサミの方がずっと怖いから。
「ではお願いしてもいいでしょうか。 今日は暑くて」
「もちろんです。 ではこちらへ」
◇
革張りって感じの良さそうな車の中で適当な相槌を打つことしばし。
行き先だけ伝えてあって後はお任せって感じだ。
それにしても乗り心地がいいなこの車。
サイズがあれだけど。
そういえば乗ったときから気になっていたけど、至る所に小さなマスコット的なぬいぐるみが置いてあったり充電ケーブルとかペットボトルとかとにかく高級車に見合わないものが散見している。
荘厳な雰囲気が台なしだけど安心する。
おまけに僕の使っているのとは違う匂いのシャンプーとか香水とか……つまりは女の子の香りが充満している気もする。
考えて変態っぽく思ったけど、なんだか匂いがやけに鼻に残るんだからしょうがないよね。
今の僕は男じゃないからセーフだろう。
「……ところで響さん、私から誘っておいて今さらですが少しよろしいでしょうか」
「あ、はい」
振り向いてきた彼を見た印象は……やっぱり肩幅があるなぁって感じ。
どれだけ鍛えようってしても僕は筋肉がつかなければ太りもしない感じの体質だったらしくって、ジムとかでがんばってみてもなんにも変わらなかったから萩村さんみたいな体質は羨ましい限り。
「以前お会いしてはいますし、こちらの身分を明かしている顔見知り……と言うことにはなります。 ですが深くは知らない人間……しかも私のような男性の車に少しのためらいもなく乗るというのは避けたほうがよろしいかと。 もっとも送ると言ったのは私の方ですし、本当にご説明した通りに私のついでで駅前にお連れするだけなのですが」
「あ、はい。 言いたいことはなんとなく」
なんだかばつの悪そうな声の調子になったから分かってますよアピール。
ドのつく正論だしな。
実際この体じゃ成人男性に連れ込まれたらどうしようもない。
ああ、だから女性は普段から歩くだけでも気をつけなきゃって話になるんだな。
実際誘拐とかの事件は女の人の方が巻き込まれやすいんだし。
僕とは全く縁がなかったからこれっぽっちも意識しなかったけど……たしかにやばいよな。
なにがやばいって、いざとなって全力で振り切って走って声出せば何とかなるっていう自信が完全にないってことが。
……そう思うと本当にやばいな。
女で子供ってすっごくやばいんだ。
長い信号待ちで、ちらちら前を見ながらゆっくりと語りかけてくるように言ってくれている。
……いい人なんだな。
2回しか会ってない僕みたいな子供に対してわざわざ送ったりしようって思ったり、この状況でこんな話したらまるで萩村さん自身が危ない人って思われてもしょうがないのに言ってくれている。
「これもまた私から誘っておいて……なのですが」と自分から言い出しておいてばつの悪そうなまんまの萩村さん。
うん、まぁ良い人そうなのは分かる。
この前今井さんっていう悪魔を止められなかったのもきっとその悪い面が出たんだろう……NOって言えなさそうな感じに。
「……考えなしに乗ったわけじゃないので平気です」
「本当ですか?」
「はい」
名刺の情報からいろいろ確かめたって言ったらなんかびっくりしてる彼。
まぁこんな見た目でここまで調べてるって思わなかったんだろうね。
間違い電話のフリして電話もしてみたりしたけども何人も女の人が出たんだ、いかがわしいところじゃないのは分かってる。
「失礼しました……先ほども今も。 その、そこまでとは思っていませんでしたので……その」
「いえ、むしろ想像通り誠実な人というのが分かったので安心しました」
親切は受け取っておこう。
ありがた迷惑なことも多いけど。
この見た目に対するお子ちゃま言葉とかね。
それにしてもシートの絶妙な柔らかさとクーラーの冷気と匂いが気持ちいい。
もう帰ってこのままごろごろしてたい気持ちになった。
「そういえば先日もそう感じたのですが、響さんは……その、悪い意味ではなく見た目よりも大人びて見えますね。 女性に尋ねるのは失礼ですが、歳はおいくつでしょうか?」
子供扱い。
女の子扱い。
……どっちも間違ってるのにどっちも正解なのが悲しい。
一応据えかねたって感じで拗ねた感じで言ってみる。
「僕は低学年でも小学生でもありません。 今年で中学2年、歳は……13です。 子供じゃありません」
あ。
14歳の方が良かったかも。
けど、今は春だから多分大丈夫なはず。
……大丈夫だよね?
ほら、20過ぎると自分の歳ですらたまに分からなくなるし……。
「……職業柄、見かけよりも歳が上だったり下だったりする方をたくさん見てきましたが……そうですね、中学生の方に小学生に見えるとお伝えしたら気分を害されるのは当然ですね」
「え、いや別に良いです」
なんかすっごく申し訳なさそうな声になったから良いですって言っておいてあげる。
ほんとどうでもいいことだし。
さっきの拗ねた感じ?
ただの演技だけど?
この萩村さんの場合も……驚きはするんだけど、僕の話し方とかこの前のJCさんみたいな年齢詐欺な人と会ったことがあるからこそ信じるっていう感じなのかな。
「ええと、それでしたらついでにもうひとつだけよろしいでしょうか。 身長や……その、失礼ですが……体重など。 ……その、……以前から変わってはいないのでしょうか……」
「???」
今度は何言いだしてるんだろこの人。
「はい、小学校の途中から伸びなくて」
仮に本当に中2で小学校低学年な身長ならこんな感じだろうって言っておいてあげる。
「……そうですか。 いえ、何でも……失礼なことを聞いてしまいました」
◇
「途中の運転や話題で失礼しました」
「いえ。 僕のせいもありますから」
そうしているうちにまた雑談チックな話を振ってくるようになったらしくってぼんやりしているあいだに着いた様子。
「ちょうど行きがけでしたし時間にも余裕がありましたから。 それに移動中に私たちの活動を紹介できましたし響さんのことも教えていただきましたし。 ……これであのときに勧誘を止めたこと、今井にしつこく言われないようになると思いますので……」
一瞬だけ顔が曇るかわいそうな萩村さん。
あれだけ激しい人が同僚だと大変そう。
ぐいぐい来る女の人は怖いよね。
うんうん、分かる分かる。
つくづく社会は厳しいらしい。
やっぱりニートでよかった。
そんな誇らしさでどやってしそうになる。
「すぐにとは言いませんので」
「?」
「この前の通りに何年後でも構いませんので、ご興味が湧くのをお待ちしています。 私たちと一緒にたくさんの人を元気にするお仕事……少し気になる程度でも結構ですので、もし何かありましたらお気軽にご連絡ください」
「そうですか」
ここで「分かりました」とか「はい」とか「はぁ」とかのニュアンス次第で肯定にも取られかねない返事は厳禁だ。
萩村さんはまじめでも悪……今井さんとか、その上の人とかに「そう言ったよね?」って言われると困るもん。
適当にお礼を言いつつ車を降り……ようとして、さっきは閉めてもらったドアが予想よりずっと重くて、あと地面までの段差が大きくてよろけたりしつつ苦労して降りて慎重にドアを閉める。
運転席から窓を下ろして僕に挨拶もそこそこに、後ろから来た車からの無言の圧力で高級車は走り去っていった。
「ふぅ」
話し疲れたって気がついて脱力。
じりじり焼かれるのは勘弁だから日の光を避けるために帽子とフードを深く被り直して、目の前のモールへと急ぐ。
さっさと薄着を調達したい暑さで熱さ。
サイズとかはこの前のでもう分かっているし、どの辺に行けばどの服があるのか……は分からないか、あのときは全部持って来てもらっちゃったしな。
「♪」
1ヶ月ぶりの外出。
連休とは言っても平日だしお昼は微妙に外れているしそこまで混まないだろうし、外に出た記念になにかを食べて帰ってもいいかも。
残しちゃうだろうけども……この前みたいに残飯処理を任せられるJCさんがいるわけじゃない、しょうがないって思っておこう。
――そんなことを考えつつ急いでいたせいか周囲の索敵がおろそかになっていたらしくって、気がつくとすぐ目の前……上に誰かがぬっと出てきて危うくぶつかりそうになる。
今の僕、視点が低すぎて正面を見ているだけだと見える範囲が狭いからなぁ……。
「あの、えっと。 すみません」
女の人だったか。
怒って無さそうで良かった。
「あの……その。 えーっと……」
あとからもたもたって感じで声をかけてきているらしい。
僕の方を向いて話しかけようとしているらしいからってとっさに返してたけど……あ、これ、めんどくさいアンケートとか地域の子どもの見回り隊とかだったらやばいんじゃって気づく。
お巡りさんだけじゃなくって補導とかでもアウトだよねって。
思わず足を止めちゃって背筋がひやっとしたけど一応はその人の顔を確認だ。
なんとか隊の人だったら全力で逃げよう。
そう、思ったけど……その人の顔、いや、その子の顔を……僕は知ってしまっていた。
「……わぁっ、やっぱりっ! 先日に私が服を選ぶのをお手伝いさせてもらいましたあのときのきれいなお客さまですよね?」
え?
……あっ。
「こんなところでまた会えるなんて! まぁ!! お久しぶりですっ! あっ、あのときの服! 着てくれているんですねっ!」
近くで見上げるとでっかい胸と顔が同じくらいの大きさに見える、髪の毛の先がくるくるしていて体に見合わない童顔で、でも子供相手でも上がりやすくって噛み噛みだったあのときの……服のお店の店員さん。
蘇る恐怖。
……黙るしかない僕に向かって再会の喜びをこれでもかってまくしたててくる。
なんでこの子がこんなところにいるんだ。
僕は他でもない君を避けるためにあえてこんなところまで来たっていうのに。
こんなことなら何も考えないであの店でまた人形になっておけばよかった。
それなら……少なくともいちばんの強引なこの子には会わなかっただろうにな。
あぁ、終わった。
僕の貴重な外出が。
ぼんやりとその子のJKさんらしい格好を眺めるしかない僕だった。
◇
「ん――! おいしい……このためにおこづかいを貯めてきてほんっとうによかったわっ!」
「そうですか」
僕のいい加減な相槌に満足しているらしい目の前の大きい子は、それはもうおいしそうな顔をしてケーキとお菓子のセットをむさぼる。
子供が一生懸命食べている姿は見ていてほほえましいけど僕が巻き込まれてるからほほえましくない。
「早く目の前のおっきな子が食べ終わらないかな」って願いながらちみちみとフォークと口を動かしている僕。
……ここは駅ビルの最上階にあったカフェ。
萩村さんに送ってもらって片道とはいえ人混みと暑さをしのげて楽ができたって喜んでいたのはつかの間の奇跡だったらしくって、その奇跡が終わった瞬間にこの子に連れ去られ「再会した記念に!」とか「あのときの服の感想を聞きたい!」とか……僕が良いよだなんてひと言も言ってないのに勝手に解釈して連れて来られたのがここだ。
「えっと」とか「あの」とかしか反抗できなかった僕も悪いかも知れないけど。
でも女子とお姉様たちとおばさまたちとおばあさまたちに囲まれている僕の気持ち。
まさに地獄。
早くお家に帰りたい。
帰らせて。
帰して……。
「……ふぅ、あぁ……おいしいわかぐわしいわ……。 それにしてもあのとき私たちが選んだ服を着てくれていて嬉しいわぁ。 ……あ、私たち今はもうお客さまと店員という関係ではないのだし普通に話してもいいのかしら?」
「どうぞ」
さっきから微妙に丁寧だったり砕けたりしてたし今さらだもんな。
「変だなー」って思ってたけど子供ががんばってる好感はあったから気づかなかったことにしてあげてたけど流石に気づいたらしい。
「それにしてもそれにしてもっ、あのときに最初男の子だってみんなが思っていたくらい本当にボーイッシュな服装も似合うのねっ。 男の子の服も女の子の服も楽しめるなんてうらやましいわー」
「そうですか」
まぁその胸とおしりじゃあな。
絶対に口にしないけど頭の中じゃ好き放題。
「私は下条かがりっていうの。 改めてよろしくね? ……えっと、あなたは?」
「…………響です」
言いたくなかったから一瞬偽名にしようかって思ったけど反応できないから止めておいた。
嘘って言うのは頭が良くなきゃつき続けられないもの。
僕には無理だもんな。
「響ちゃんね! やっとお名前を聞けて嬉しいわっ」
僕の名前を知ったことがそんなに嬉しかったのか、ぱんっと合わせた手のひらに合わせて肩と一緒に髪の毛の先もぴょんと跳ねる。
「でも、またこうして会うことができるなんて! 先輩たちに自慢できそうだわぁっ」
「……お知り合いのことですか?」
「あ! 先輩っていうのはね、あのときに響ちゃんのコーディネートをした人のうちのひとりのことでね?」
あ、その辺で良いです……あ、良くないんですか。
「私の部活の先輩たちなのよ! あのとき、人手がどうしても足りないっていうから私までこっそり働いていたの」
「……えっと、それにしても。 あのときと比べると、その……雰囲気、だいぶ違うように感じるんですけど。 何かあったんですか」
どうせ食べ終わるまで話してくれないだろうしってそう聞いてみる。
「あ――……あれはね――……。 響ちゃん覚えていたのね、恥ずかしいわぁ……」
予想外の反応。
下条という名前の子は髪の毛のくるくるしているところに指を巻きつけながら、あのときほどじゃないけど少しだけ顔を赤くしていた。
あ、その仕草って結構落ちつくよね。
分かる分かる。
僕もこんな体になって髪の毛触るようになったから。
……なるほど。
これが女性同士の「わかるー!」なんだね。
またひとつ知らなかったことを知ることになった。
まぁどうでもいいことだけど。
「……あのときはね」
あ、これ長くなりそうな気配。
やっぱ聞かなきゃよかった。
「先輩たちもそうだったのだけれど、それ以上に社員の人のプレッシャーがすごかったのよ……」
たかがバイトだろうにって思うけど女社会は分からないからなぁ。
「響ちゃんがお店に近づいてきたときから働いていた人たちがみーんな騒いでいてね? それでね、ある人が響ちゃんのこと芸能関係とかどこぞのお嬢さまとか……とにかくそういう普通ではない子が来るのって言い出してね?」
「は?」
変な声が出たけど下条さんなJKさんは気にする気配もない。
なに言ってるんだろう。
この子もその人も。
その後はどうでもいいことを熱弁していたけど、イスにすとんって座った下条さんは紅茶を少しだけ飲んで「ほへぇ」ってため息をついている。
「それでね、その人はオーラっていうのが見えるらしいの! テレビでたまに見る超能力みたいなものかしらね! よく分からないんだけどその人がね、響ちゃん聞いてる?」
「……はぁ」
目を逸らした一瞬を目ざとく指摘されて目線すら避けられない様子。
「『あの子は普段からずっと相当の人の視線を集めている子だ』って言い出したの。 それだったからみんな、響ちゃんの顔と髪が見えた瞬間から他の人もはしゃぎだしちゃってもう大変な騒ぎだったのよ!」
なるほど、そのとんでもなくとんちんかんなことを抜かしおった人があのフロアを地獄に変えた元凶と。
「そんな中で響ちゃんから私に声をかけてくれたじゃない? 私てっきりそのオーラの人とか社員の人が相手をするものだと思っていたからぜんっぜん意識していなくて!」
「オーラの人」
「あ、ちゃーんと響ちゃんの男の子でも女の子でもどちらでもきれいなお顔と手入れの届いた立派な髪の毛は見ていたわよ?」
「そうですか」
僕はたたみかけてくる言葉にくらくらしながらbot役を務めた。
飛び飛びでしか理解できなかったけど、要するにそのばばあ……口が悪いのは行けないね、おばあさんがとち狂ったことを言い出したせいで、僕があの場所限定でものすごく目立っていたらしいのは分かった。
絶対にヒマつぶしで適当なノリで適当なこと言ったに違いない。
そのせいで同じくヒマだった店員の人たちの悪ノリが過ぎたんだろう。
で、バイトの初日だったこの子がそれに乗せられてしまったと。
なんだか天然っぽい雰囲気だもんな、この子。
からかいたくなるのはよーくわかる。
胸でかいしな。
関係ないか?
いや、女性の嫉妬はすごいって言うし。
「それで?」
「?」
今度は何?
「あのときは店員という立場があって聞けなかったけれど響ちゃんの正体は何かしら? 私は多数派のお嬢さま派だったんだけど」
「多数派」
多数派とは?
「そうよ! だって自分からお店に服を選びに来るような子が、どう見てもサイズが合っていない変な服を着ていて!」
「うぐ」
「なのに妙にそれが似合っていて」
「?」
「しかも普通の女の子の服を自分で着るっていうのに慣れていなかったもの」
「む」
「試着のときもシャツがはみ出していたり髪の毛を挟み込んでしまっていたりリボンがほどけていても気にしていなかったし」
「ほう」
「おまけに……下着だって! あんなに安いの買っちゃダメよ!」
「おおう」
「あらごめんなさい、こんなところでつい大声を」
大丈夫、他の女の人たち全く聞こえてないから……きゃっきゃうふふって感じですっごくうるさいからね。
「そんな感じで着たって言って出てきて……そのまま私たちに整えられるのを待っていたのも証拠のひとつよ! 両手を広げてじっと待っていたもの!」
え?
服屋ってそういうものじゃ?
「………………………………」
……違ったな、そういえば。
最近観たなにかの映画に影響されていたかな。
ああそうだ、貴族っぽい身分の女の子が服屋で採寸とかされるの観たっけ。
「『あれはマネージャーの人とかメイドさんとかに毎日着せ替えさせてもらってる』って言い合っていたのよ!」
お、おう。
妄想たくましいね。
「……そうよ! さっきも響ちゃん、車で送ってもらっていたじゃない? あれ、お付きの運転手の方だったりして! そうよ、もしそうなら響ちゃんをひとりで歩かせるわけにはいかないから今でもすぐそばでSPの人とかが響ちゃんを守っていたりして…………!」
「あー」
その話の流れからだと見事な推理になっている気がするな。
こじつけもここまで華麗だとそれはそれでお見事。
「お嬢様……憧れるわぁ――……」
僕が「そうだよ」とも「違うよ」とも言っていないし「勘違いもはなはだしいよ」とか「妄想癖あるの?」とか言おうとしそうになるくらいに勝手に結論づけてトリップしたらしい下条さん。
なんかこの子……いや、うん。
悪い子じゃないのは分かる。
無害そうなのも分かる。
なんにも考えていなさそうだもんな。
アパレルショップとかいう場所に生息していたんだから当然か。
「響ちゃんはお嬢様……深淵のご令嬢……」
この子、頼んだケーキに入っていたアルコールで酔っ払ってるの?
そう思うほどのだらしない顔つき。
まぁ相手しなくてよくって楽だしどうでもいいか。
体が変わっているっていうやんごとない事情があるっていうのは事実だし簡単には人に言えないっていうのも本当で、お金が……今は使えないけど、どうにかすれば使えるお金が普通の人よりはあるのもウソじゃない。
おこづかいって言えばおこづかいなんだからな。
そう思えばあながち嘘でもない気がしてきたね、世を忍ぶお嬢様。
僕が中学のときに両親がうっかり死んじゃったんだけど、そのときにワケのわからない額の見舞金が、誰か分からないけど合法的らしいところから振り込まれたりしたとかいういわく付きのお金でなんか悪いことしてそうだし。
悪徳貴族ってやつ?
あとついででいろいろめんどくさくなって引きこもっていたこととかも含めたら「人に言えない事情」ってことになるのかも。
グレーではあるけど嘘じゃない。
嘘じゃないならそこまで気に病むこともない。
じゃあ使っておこうかな。
この子、答え聞くまで解放してくれなさそうだしなぁ……。
へんなうめき声が聞こえなくなったから顔を上げると合う視線。
僕が答えを口にするのを待ち望んでいる様子のじーっと見てくる探偵下条さんを見返して「あー、そんな感じ」って言っておく。
「よく分からないのだけどお嬢さまも大変なのね? いいことばかりじゃないのかしら」
どんな反応が返って来るのかって前を向くと……ケーキを熱心に頬張る髪の毛くるんさんが。
もむもむと口元だけが動いている。
……せっかく静かになったんだし、今のうちにさっさと食べ切って帰りたいアピールをはじめよう。
通じるかは分からないけどな。
◇
通じなかった。
知ってたよ。
「おいしかったわね――……はふ。 久しぶりだったけど味がぜんぜん変わっていなくて嬉しかったわ。 おこづかいが足りるのなら毎日でも来たいくらいよ」
カロリーと食費が大変そうになるんだけど大丈夫なんだろうか?
「でもさすがお嬢さまなのね! ブラックカードなんて私初めて見たわ!!」
お腹をなでさする、心なしかもっと全体的に大きくなった子が心配事のなさそうな声を発する。
それにしてもさっきからブラックカードを連呼して幸せそうだ。
これ、ただの黒いデザインなだけの無職でも作れるようなカードなんだけど……幸せのままにしてあげよう。
僕はなにひとつ言っていないんだし、勝手に勘違いするぶんには心にも来ないからいいや。
本当のことを言い損ねているだけ。
それだけなんだもん。
「でも響ちゃんの残っていたケーキ、けっこう分けてもらってごめんなさいね? とってもおいしかったけど……無理に誘ってしまったかしら?」
「いえ、僕は少食なので」
お昼を食べるつもりでいたのに期待していたのとは違う方向の食べものが来てしまったせいか、どうやら僕の小さくてもっと繊細になった胃はケーキとかいう砂糖のかたまりを受け付けなかったみたい。
それを見つめていた彼女に「いる?」って聞いたら「いる!」っていうから餌付けしておいたんだ。
なんだかデジャヴだけど最近の学生はこういうノリなのかなって納得しておいた。
でもこのまま話が続くとさらに疲れそうだし、そろそろ逃げよう。
「それでは。 これから行くところがあるので僕はこれで失礼しま」
「あら、これから何か用事?」
「はい、これから夏物を見に――」
「!!!」
「あ」
何かがきらりって光ったって思ったら目の前に胸が迫ってきてぽよんと押しつけられてぽよんと離れて、次にはかがんで来たらしくって僕の目からほんの20センチほどのところに胸さんもとい下条さんの、顔だけ見れば中学生にも見える童顔がどアップに。
シャンプーの匂いがする。
あと両肩もしっかりとつかまれている。
もはや逃れられないらしい。
きっと今の僕の目は曇っているだろう。
「……じゃあ今日も、いえ、今日は私が! 服を……響ちゃんにお似合いのお洋服を選んであげるわ! 今年の流行はかわいいデザインが多いのよ!」
「?」
「この前は先輩たちのオススメを優先して試着してもらったせいで私がいいなーって思ったデザインのものはあんまり試してもらえなかったのよ! なによりあのときはたったの1軒でしか試せなかったでしょう?」
「??」
1軒でしか?
普通服は1軒のお店で買うものでしょ……?
違うの……?
「あのときはあのお店の店員だったんだから仕方がないのだけど……でも別のお店のブランドだったらもっと似合いそうなデザインが合ったのにーって、ずっと気になっていたのよ!!」
「いや別に僕は」
「だから今日は私がプロデュースして綺麗過ぎなくてお洒落で可愛い服を探してあげるわ!」
話を聞いて。
そう思う僕にNOを突きつけるようにして至近距離にある口からケーキと紅茶の匂いがまとめて飛んでくる。
「……い、いえ。 時間もかかるでしょうし、あのときもご迷惑をおかけしましたし、これ以上は」
「迷惑だなんて! むしろかわいい子の着せ替えができていろいろなお洋服を着ている姿を眺められて選ぶことができるんだから私にとってはご褒美なのよ!」
どうやって息継ぎしているんだろう。
「そうよ! さっきもケーキ、結局半分近く分けてもらっちゃったしそのお礼にもなるし! あのときのは私も楽しかったのだしそもそも店員としてのお仕事だったのだから、なにも気にしなくてもいいのよ!?」
「いえ、でも」
「服を選ぶのってとっても楽しいもの! 私はその、体型的に似合わないものが多いし、これいいなって思ったものがあっても諦めることが多いの。 だけど響ちゃんならちょっと子どもっぽいものが多くなるのは仕方ないけどそれでもいろいろなデザインが合いそうだし! 今から楽しみね!!」
「あ……ちょっと待っ」
いつの間にか肩から腕へとつかまれている場所が変わっていて連れて行かれ始めている。
「…………はなして……」
なんとか勇気を振り絞って伝えようとしてみてそっと目線を合わせようってした。
けども僕の声小さすぎて、アナウンスとかの環境音にかき消されてるっぽいね。
幼女だからしょうがないって思っておく。
「早速行きましょう? まずはフロアをぐるっと回って響ちゃんに合いそうなデザインのお店を確かめてそれからひととおり試着よね? そのあとに……」
あ、ダメだやつだこれ。
またしてもデジャヴな感覚。
どうあがいても何を言っても、もうムリな段階に入っているやつ。
体格差は圧倒的だ。
もう逃れられない。
やっぱり外は恐ろしいところだ。
引きこもるのは僕の本能だったんだ。
だって、この体で外出するとほぼ100%、こうしてひどい目に遭うんだから。
「次のフロアよ! 楽しみね響ちゃん!!」
「はい……」
僕はずるずるとどなどなされていく。
もはや抵抗する気はなくなった。
もうどうにでもなーれ。
そうして限りなく抵抗を失った僕はされるがままの人形だ。
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