3話 ハサミの襲撃と、萩村今井さんと、ゆりかと

「くぁ――……」


この体になってから寝起きがどうもだるい。

前はそんなことなかったのに。


僕はのろのろずりずりとベッドの隅まで這いずって行って枕元に置くようになった鏡をのぞき込む。


もう僕自身の顔だって感じられるようになってから久しい、寝起きでまぶたとほっぺたが腫れて普段の何割か増しで幼さの感じられる、静脈が透けて見えるくらいの薄い肌を持っていて眼球の奥までがくっきりと見える大きな目。


寝起きで眠気が残っていて厚ぼったくて髪があっちへこっちへとぼさぼさの状態、しかもパジャマはあのときに買わされたガラこそないものの明らかに子ども用のもので。


鏡に映っている今の僕に関しては幼女だって呼ばれても文句が言えない。

いつものように服装を整えてどうにか数年はサバを読まないとな。


さすがに幼女扱いは勘弁だ。


「はぁ……」


戻っていなさそうなのは分かってた。

そもそも視力が違うんだし分かってたけども。


……もう諦めてきているんだけどな、起きたら元に戻ってるっていう素敵な展開を。


――僕がこの体へと「変身」してから今日でちょうどひと月。


外見、感覚……変わらず。


これ以上変わるという変化も異常も無し。


僕はまだ、この少女の体から逃れられないでいる。


◇◇


あれから1ヶ月。


結局なんにもなかった。


この体になるってこと以上の何かが起きることも……戻ることも。

なんにもまったくこれっぽっちも、その気配さえもない。


もはや写真を見ないと「僕だった顔」を細かくは思い浮かべられないくらい。

その写真でさえ……確か免許だったかの更新で撮った数年前という体たらく。


そういえばこの体になったばかりのころに買った服とかを元に調べてみたら、今の僕の体は身長体重ともに小学生の中ほどから……がんばって高学年の範囲でしかなかった。


がんばっても。

さばを読んでとも言う。


あくまで平均、それも数あるサイトの中から恣意的に選んだ数字で小学3、4年生。


個人差の範囲でがんばって2年くらいはサバを読んでおきたいところ。

数字のマジックで小学校高学年ってことにして、内面の充実でさらに2年で中学生って言い張っておく。


いくらなんでも小学生扱いは嫌だし。


「さて」


1ヶ月引きこもったけど、さすがにそろそろ外に出たくなった。


僕の家に幼女な僕が居るって知られたらおしまいだからカーテンも窓も開けられないのに家から出ないんだもんな、そりゃあそうだ。


いい加減に外に出たいけど……最近はちょくちょく真夏日も出てきたし、今日も多分暑くなる。

あのときみたいにフードの中に髪の毛をぎっしり詰め込んで出歩くのにはかなり難しそうだ。


かといっていくら男の格好をしたとしても、さすがに腰まで伸びている髪を出しちゃうとご近所の目がなぁ……。


万が一にでも見られちゃったらお散歩中のご老人とかママさんネットワークを通じて数日後にはみんな知っているということにもなりかねない。

お隣にまで届いてしまったら……僕を母さんたちごと知っているあの人だ、絶対に突撃してくる。


それほどまでに口コミとは恐ろしいもの。

用心しすぎてもしすぎることは決してない。


それならどうすれば……。


「!」


なんで今まで思いつかなかったんだろう。


腰まで伸びる髪の毛、そりゃあ鏡で見ればきれいだし触り心地も良いし首筋とか肩がしゅるしゅるして気持ちいいけど……めんどくさい。


毎朝毎晩の手入れに外出のときにどうするかって、そもそもが邪魔な存在なんだ。

それならいっそのこと思い切ってばっさり切っちゃえばいいじゃないかって。


男のときの短さにするのはさすがにやりすぎだけど、肩くらいの長さ……ミディアム何とかとかいうんだっけ、くらいならいけるだろう。


それなら男でも女でも通用するしな、むしろちょうど良い。


「よし」


引きこもりすぎて対人恐怖症を患っていたときに自分で髪を切るために使っていたハサミとかの道具を軽い足取りで探しに行くことにする僕。


洗面所の下のほうかな。

思い出しながら歩く。


切ったあとの涼しさと軽さを想像して心なしか体も軽い。

ささっとさっぱりしてさっと外に出てさっと歩いてこよう。


◇◇◇≡≡←


「ぴぃっ!?」


どっから出たのか分からないようなもはや電子音にも近いような叫び声。


それが僕の口から出たものだって気がつくまでに時間がかかったほど。

「こんな声出るんだ」って思った。


無意識でお風呂場の隅に縮こまるように張り付いていたらしい僕の反対側の壁に刺さる、さっきまで持っていたハサミ。


僕の指から抜け出て水平飛行してタイルに衝突してそれを割って奥の壁にまで刺さったそのハサミは、まだびぃぃぃんって音を発しながら動いている。


動いたんだ。

飛んだんだ。

刺さったんだ。


ハサミが。

無機物が。

刃物が。


落っことしたとかそう言うわけじゃなくてよく分からない力で。


数分前の僕はシャツとパンツを脱いですっぱだかになって鏡をセットして、髪の毛を思いっきりすっきりさせようっていい感じのところに差し込んだんだ。


切ろうとして指に力を込めて、でもなんでか切れなくて「なんでだろ」ってさびていないことを確認して……きっと今の僕は指の力までが衰えているんだって思って力をかなり込めて切ろうとしたんだ。


そうしたらハサミが生き物のようにうねうねと動き出してもがき出して指から抜けたかと思ったら、見えなかったけどたぶん……飛んで刺さった。


壁に。

タイルに。


しかも薄いとはいってもタイルっていう石を粉々にして深々と。

あんな力、どれだけびびってても今の僕からは絶対に出ない。


「…………????」


野生動物とばったりこんにちはしたときの知識が浮かんだから刃物に背中を向けないようにしながらドアまでたどり着いて、刺激しないように音を立てずに体を滑り込ませて……ぱたんと閉める。


浴室の外に敷いてあるタオルに座り込む、というよりは崩れ落ちる。

脚ががくがくしてる。


……本当に怖いときはこうなるんだ。


僕は今までこうなったことなかったから知らなかった。


髪の毛が落ちるだろうからとすっぱだかになっていたけど、刺さったあとに跳ね返ってきたり衝撃でタイルの破片とかが飛んできたりしなくてケガをしなかったのが幸いだな。


――ここにきて予想外の出来事が起きたことで、今さらながら分かったことが最低でもひとつ。


僕の姿が変わったこと――これは紛れもなく超常現象の類い。


でもそれは僕をこの姿にしただけで終わったわけではなかったらしい。

その効力はまだ僕にかかり続けているらしい。


そんな嫌な事実を知った。

理解せざるを得なかった。


……なんで今さら新しいことが起きるんだ。


勘弁してよ。


僕が何か悪いことしたの?

ニートするってそんなに罪なことなの?


「…………ぐす」


くしくしって腕で目じりを拭う。


……泣いてなんかない。


泣いてなんかないんだ、びっくりして出ただけなんだ。

20にもなった男が怖くて泣くはずなんかないんだから。



無機物に襲われるっていうポルターガイストどころじゃないハプニングだ、ホラーもスリルものも大の苦手な僕はたまらずにばばっと身支度を済ませてさっさと家を出た。


世界はあいかわらずに静かで変わりがないみたい。


むしっとしてて真っ青な空を眺めながら、僕っていう物理的にちっぽけな存在が実感される。


……さっきのはどういうことなんだろう。


まず、こんな危ないのはこの体になってから初めてってことと、その前にももちろんなかったってこと。


だから逆にこんなことが起きたのは……封筒を開けるときのハサミとかカッターとかじゃならなかったってことで、つまりは髪の毛を自分で切る、それも今の体のをって言うのが推測できる。


日常生活で行う範囲の飲食だったり入浴だったり髪を纏めるとかそういったものはトリガーにはなりえない。

じゃないととっくにこんな目に遭っているはずだから。


だってもう1ヶ月なんだし。


でも髪の毛を切るってことが日常の範囲から外れるかどうかっていうと疑問がある。


いくら僕がだめなニートだって人間である以上新陳代謝はする。

事実今までだってトイレにも行ったし涙や鼻水も出たし爪も伸びた。


その爪を切ったり紙で指を切ったりしてケガをしたりしたからただ体を傷つける行為とか傷つける刃物が原因だとは考えにくい……はず。


料理だってして包丁も使ったしな。


……料理で反応されたらそれはそれでこんなもんじゃなかっただろうな。

空飛ぶ包丁とか怖すぎるもん。


それなら髪を短くするっていう「この見た目を大きく変える」ってことに反応したのかな。


そんなんでハサミをすっ飛ばすなんてバカじゃないのって思うけど、それ以外の深い理由が無ければこの思いつきくらいの原因しかない。


だってそもそも僕を女の子にして小さくしてそっくり変えちゃったって言う「変身」っていう最初にかかった力は、他ならぬ「僕の見た目を変える」ものなんだ。


不思議な力が2回ってあったらまずは関連性を疑う。

そうすると僕の見た目のことしか思い浮かばないんだ。


ぐるぐるって回ってた僕の意識がぴったり止まる。


――時間が経ってもこの見た目を変えないようにするんだったら、こんな子供の姿から「成長する」っていう当たり前のことももしかして――。


……気がついたら立ち止まっていたからそろそろと歩き始める。

なんだかすぐ後ろから追いかけられてる気がしてちょっとだけ早歩きで。


……とってもイヤなこと思いついちゃった。


この幼い姿。


身長体重は小学校低学年の全国平均で薄い色の髪の毛は腰まであって、おんなじ色の目は夏が近づいて来た日光で痛くなって、肌がとっても薄くて白くって……知らない顔の「幼女」って呼ばれる存在の姿。


成長して大人になるという前提で考えて動いているわけだけど、もしこれがまちがっていて「そもそもこの姿から変われない」んだとしたら。


そこまで思い至る。

思い至ってお腹と胸が痛くなる。


……保留しとこ……今すぐに結論を出しても意味がないしまちがってるかもしれないし。



家の中で転がっている怖いハサミから必死に逃げてきた僕は駅前のビルに駆け込んで……初夏で暑いのに長袖プラスで帽子にフードって言う格好だったから暑くって。


だから汗だけでも乾くまでって、パーカーの中に隠していた髪の毛を外に出してほへーってしてた。


「あの、すみません。 ……すみませんそちらの方。 あの、美しい髪の……そう、あなたです」


誰?


見上げると……でかいなこの人。


スポーツしてるんだろうなって感じにガタイが良い……前の僕より少し年下の男。

こんなに暑いのにスーツを着ているのはきっと社会人って言う僕とは対極の存在だから。


「私は萩村と言って……こういう者です。 芸能活動……ご興味はおありでしょうか」


その萩村と名乗る彼はかがむようにして……それもわざわざにひざを下ろして僕と無理なく視線を合わせられる高さまで下がってきて名刺らしきものを渡してくる。


ごめん、芸能活動とかこれっぽっちもご興味ない。

いわゆるスカウトってやつかな、これ。


怪しい系のしか思い浮かばないけど……さすがに子供にそんなことを白昼堂々としてくるわけはないから純粋なそれだと思う。


「ご興味は」

「ないです」


「歌とダンスとトーク……どれかだけでも」

「だからありません」


こういう営業や勧誘に慣れている手合いには感情的にならずとことんセメントでばっさりの応対が鉄則。


「どうか1度だけ」

「残念ですが」


しばらく問答して見込みがないって分かったらしく、諦めた雰囲気だったからお付き合いしたちょっとだけの話によると、この人はどこぞの事務所で、いわゆるアイドルとか呼ばれる人たちを育成しているらしい。


今日用事があって駅ビルなんかに通りかかったところでたまたま僕を見かけたってことらしくて、たまたま移籍っていうのがあったから新しく人を探していたところにタイミング悪く顔を出した僕がいたって形だとか。


これは声をかけなくちゃって思った次第なんだって。


そこまでしつこくなく、本当にただ通りがかって僕をスカウトするだけだったらしい彼は……まぁ親とか見える範囲に居ないしね、見込みなさそうならやめるよねって感じで立ち上がる……でかい。


「間違いなく、少ない準備期間でのデビューを確信しているのですが……今回はこれでお暇します。 ……その名刺だけ受け取っていただけるでしょうか」

「いいですよ、受け取るだけなら」


すぐ捨てるチラシとおんなじ扱いで良いんだったら。


「ありがとうございます……親御さんにも、ぜひ」

「そうですね」


「――わぁっ! 萩村さんすごいじゃないですか!」


「!?」


変な声出さなかった僕は偉いって思う。


「こんなにオーラある子を見つけるなんて! それに今はいないタイプの子ですし……しかもこんなに幼くてぴったりじゃないですか! 次期のユニットの件いけますよ!」


そうまくし立てながら無理やりに割り込んできた女の人。


今度は誰……って思ったけども萩村さんって言ってるし同僚なんだろう。


さっと距離を取ったその人は……社員証をぶら下げていてもおかしくない感じに派手なところがないオフィスビルから出てきそうって印象の私服を着た女の人。


ものすごく曖昧だけど元引きこもりなんだからしょうがない。

社会に出てないニートの精いっぱいの観察力と理解力だ。


この人の歳も、たぶん元の僕と同じくらい……だと思うけど化粧ってすごいから確かじゃない。

まぁ話し方はまだ大学生が抜けていないって感じで僕より子供っぽいって感じるあたりきっと若いんだろう。


今井さんって言うらしい。


「アイドルしましょう!」

「しません」

「同級生の女の子にも……男の人たちからも、みんなからモテモテですよ!」

「興味ないです」


「みんなの憧れになりますよ! あなたならきっと輝けますっ!」

「僕は憧れていませんし輝きたくもないです」


「僕っ子なんですね!! 良いです! 属性いっぱいですね! 話し方も雰囲気もクール系ですし将来有望ですっ! ……あぁその目つき、表情! いいです!! そういう子は満遍ない人気が……!」


相手をすればするほどに切り口を見つけてきて同じような会話を何度も何度もで僕はたじたじ、あとさっきの萩村さんって人もたじたじ……いや同僚なら平気でしょ……。


食い下がるっていうか、僕がYESって言うまでは絶対に諦めないというのが見えている。


今どきこんなに強引で問題は起きないんだろうか、いろいろと。


「はぁ……」


僕はわざとらしくため息をつくけど今井って言う人には通じない。


「ですから是非一度スタジオの方まで来てみてください! きっと気が変わりますからっ!」


僕は女の子じゃないし憧れなんかしない。

そうは思うけど口が動かないんだからじっとするしかない。


口下手ってこういうときに損するよね。


って言うか萩村さん、こんな危なっかしい同僚はきちんと管理した方が良いよ?


「萩村さん! 私の勘がささやいているんです! ここで最低でもスタジオ見学のOKをもらわないとこの子が……響さんが私たちの元に来ることはもう無いんだと! 今、このタイミングが命なんです! 袖触る縁ですよ!」


僕の右側でそう断罪する女の人。


「……私としてはあくまでご本人がご自身からという意思を尊重したいんです。 学業や部活、親御さんの意向もあるでしょうし……」


僕の左側でそう弁護してくれる男の人。


あとはその真っ正面で耐えている僕。

まるで裁判所にいるみたいな感覚だ。


……この組み合わせも会話も人の注目を引くには充分だったみたいで、とにかくまぁ見られる見られる。


やめて見ないで。

僕は目立ちたくないんだ。


警備員さんはどこ?


困ってる幼女がいるっていうのに頼れる人たちが来る気配がないんだけど?


「そうなんですけど、そうなんですけど……今じゃないとダメなんです。 なんとか抑えて一緒に説得を!! 他の子たちを応援に来させても!」


「今井さん声、声! 声を抑えてください」

「今はそんなことを言っている場合じゃないんですっ」


そんなこと言ってる場合だよ。


頭の中だけで反論。

そういうのだけが得意。


たぶん大人に叱られた子供みたいに見えるだろう僕はうつむくしかない。

こういうところで大声で堂々と発言する元気があればニートはしていない。


ニートをなめないでほしい。

なめられた結果がこれなんだけども。


「でも1回! たった1回で良いから来てください! 来て、現場を見てください! ぜひ、ぜひぜひ、どうか、なにとぞ……」


どうしてって思うくらいの食いつきな今井さん。

強引すぎるとかえって引かれるって分からないんだろうか。


「……あ、あー、おまたせ、ひびき!」


ん?


今誰か僕の名前呼んだ?


……いや、そんなわけない。

だって僕の知り合いなんてお隣さんくらいしかいないんだもん。


「遅くなっちゃってごめんねー」

「……え、あの」


一瞬視界が真っ黒くなる。


……今の僕よりちょっとだけ年上、中学生くらいの女の子の背中と髪の毛が割り込んできたらしいって気が付く。


「でもなんで連絡出てくれないのさー遅れるって伝えたかったのにー。 メッセも既読つかないしさって、よく見たら何ごとっ!?」


突然何かをされるって言うのは人の行動をキャンセルするらしい。

そんなのをどこかで読んだ覚えがある。


おかげで目の前の大人2人が繰り広げていた言い合いっぽいのがいつの間にか止まってるし。


「あ。 あ――……この感じ。 もしかしてまたお誘いなの? ほんっといつ見てもモテてるけどどこ行っても大変そうだねぇ」


「……あ、あなたは響さんのお友だちの方でしょうか? それに、またって」


あ、僕への注目が逸れた……ほっとする。


「そーですよ? しょっちゅう声かけられたり写真撮られたりしてて大変そうでー。 でもひびきはそういうの興味ないどころか」


ふぅ、ひと安心……いやいや年齢が半分くらいの子供に守られて何ほっとしてるんだ僕は。

男としてのプライド……そういえば女になってたんだっけ。


「――ねぇ。 女の人だからって事案にならないわけじゃないんですよ? あんましつこいとケーサツ、呼びますよ? いいんですか? このボタン押して。 困るんじゃないんですか?」


非常にドスが利いている声だ……怖い。


どうして女の人も女の子もこんな風にいきなり声が変わるんだろうか。

そういう生物なんだろうか。


そうしてとうとう折れたらしい、年下の子供に負けた憐れな今井さんは頭を下げる。


僕はとても嬉しくなった。


「響さん、それにお友達の方、ご迷惑をおかけしました。 ……もし少しでも気になっていただけたらご連絡ください……ぐすん」


涙ぐむほどじゃないだろうって思うけど、とにかく諦めてくれた様子。


「あい、わっかりましたーじゃあ私たちはこれで――……ひびき、行こ?」


……ん?


「ジャマが入っちゃって遅くなったけどとりあえず上の階に行こっかー。 まだお腹は空かないしカフェにでも入ってお茶しよお茶ー」


「……んん??」


ずりずりと引きずられるイメージ。

僕はドナドナされている。


実際にはたぶん年上の、姉かなにかに先導される妹的な存在に見えるだろう感じでぐいぐい連れて行かれる。


「???」


……もしかしてこれ、連れて行かれる先が変わっただけなんじゃ……。



その人たちから救い出してもらってエスカレーターで数フロア上がった先の奥まったところにある喫茶店。


ずっと手を引かれて行った先でイスに座れてほっとした僕は口を開く。


「さっきはありがとう……ございます。 助かりました、ああいうのは本当に苦手で」


何の変哲もない肩まで気ストレートな髪型……なにかをつけているわけでもないし、なんていうかこう……地味な子って印象なのが良い。


ささくれだった心が癒やされる気がする。

いやいや恩人をそんな風に言っちゃダメか。


「いやいやぁー、たいしたことはしてないよー? 人の多いところに行くとたまーにあーいうことがあるから慣れてるしっ。 ……しかもこのお店って飲み物だけでも結構するじゃん! おごってもらっちゃって本当によかった? 私の分払うよ?」


「お世話になりましたし手持ちはありますから」


これくらいのお礼はしないとね。


「おー、お大尽じゃのー。 でも……んー、しっかしこの前もそう思ったけどやっぱりすごいビジュアルだねぇ。 でも断り慣れてないってことは、もしかしてあんまりひとりで外とか出ない感じ?」


「えぇ……まぁ、はい、そうですね………………?」


会話のテンポが速いっていうよりは口がものすごい勢いで動くし、息継ぎが短い。

追いつくって言うか返事をひねり出そうって努力するだけで精いっぱいだ。


あと「この前」って何だろう。


「あ、敬語いらないってー。 タメでいいよ、同じ学校の先輩後輩じゃないんだし。 ……なによりもう1回だけだけど一緒に食べた仲だしー? これはもう『友だち』ってことでもいいんじゃないかにゃー? なんちゃってー……えへへぇ……」


僕は首をひねる。


一緒にって何のこと?

覚えが全くないんだけど?


「……やっぱ覚えられてなかったかー、なーんか反応がおとなしすぎると思ったら……がっくりだよ」


突っ伏すくらいにしての落ち込む演技をする恩人の子。


「えっとさ、ひと月くらい前にさ? この近くのお店でなーんか余ってたポテトくれたじゃん? 私が君の顔見てたらいきなりさ」


「……あ」


「そんなことあったっけ?」って記憶をクローリングして数十秒から数分、ようやく思いだした僕。


「ひどくない!? まー、ほんの数分だったし目もほとんど合わなかったから、もしかしたらそうかもしれないとは思っていたけどさぁ……」


っていうか突っ伏したときにカップに髪の毛入りそうになったけど大丈夫?

髪の毛からいい匂いしない?


「あー、いーのいーの気にしてないからーそんなに真剣になんなくても。 大げさにしてみただけ!」

「……はぁ」


けろりとしている。

切り替えも早いな。


「ところでさー、君、歳いくつ? 最初は2年生とか3年生くらいかと思ってたんだけど話してるともうちょい上そうだしー。 ……新6年生とかと見た!」


自信たっぷりに断言する演技派JCさん……いや、小学校の歳で表すってことはJSさんかもしれない。


けど大切な情報が手に入ったな。

ふむ、同世代からでもそのくらいに見えると。


「それは、えっと………………、あ。 ところで、えっと」


「あ、名前は関澤ゆりかでーっす! そういえばさっき聞いちゃったけど君は響っていうんだよね? 私も呼んでいい? 響ってさ! イヤじゃなかったら!」


「はぁ、いいですけど……じゃあ、関澤さん、は、いま何年生ですか?」


ため口苦手だし肉体的には年上なんだ、敬語というか丁寧語でも問題あるまい。

その辺は大人相手は楽だな。


「おおぅ……ガード堅いですなー……先は長い。 んで私は今年で2年だよ、もち中学の。 ……いい? 中学のだからね? 確かに私背ぇ低いけど」


「……え?」


「ホントよ?」

「あ、はい」


なんか地雷っぽかったから追求はしない。

「小学生に見えますね!」なんて言わない。


「いえ、ちょっと。 ……それで僕も、たぶん、同い年です。 中2になります」

「うぇ?」


せっかくだしこの子の設定……じゃない、個人情報……でもない、ただの情報を借りよう。


そう決めた。


この歳で小学生扱いもやだし、ちょうどいいやって。


「……ぶふ――っ!?」


しぶきで目をつぶってちょっと。


……汚い。


恩人だった子が勢いよく吹き出したのを見て「漫画みたいだな」って思う。


同い年だって言ったタイミングが悪かったのかな。

僕が考え込んでいるあいだにお茶、口に含んでいたしな。


「……え、マジ? マジで同い年?」

「マジです」


「ホント?」

「本当です」


僕の心の中ではせめて中学生なんだ。

それも新しい人ばかりじゃない2年生あたり。


一応サバを読むギリギリの線を攻めてみているところだけどいかがだろうか。


「えへっ、えへっ。 ……ちょ、ちょい待ち……」


げほげほとむせているのを見るとちょっと罪悪感がある。

だけど僕の顔にかけたのは絶対に忘れない。


「……えっとごめんね? ヘンな風になって。 私、つい最近ロリっぽいってコンプレックス刺激されたばかりだからつい思わずで言っちゃったんだけど、よく考えたら響は私以上……以下だもんね。 ふだんからコンプ刺さりまくりだよね。 ……つまりは小さいもの同志というわけか……!」


「……同志?」


「同志よ! おんなじ志の!!」

「はぁ」


「……でも、本当に……?」


む、早速僕の年齢詐欺について疑惑が核心になりそうな雰囲気だ。

しょうがないから今浮かんだいいわけを並べておこう……どうせこの場限りだし。


「……小さいころから最近までずっと病気で入院していて、ろくに体を動かさなかったことでの発育不良……と言う感じで」

「お、おおぅ」


すらすらとそういうことばかりは口から出てくる。

どうでもいいことばっかり出てきて肝心なことは思いつかないのが僕。


だから初対面の人と適当に雑談をするのだけはこうして得意なんだ。


「これはまたさらっと重いこと言うねぇ。 響、茶化してごめんね?」

「初めて会うと必ずと言っていいほど言われますし、本当に気にしていませんから」


わりと疑っている感じはない様子だしひとまずは成功かな。


「……そっかー、病院でずーっとねぇ」


25のニートがいきなり中学生を演じるのは無理がある。

って言うことでちょっとだけ引きこもった期間を拡大解釈して入院してたってことにしてみる。


「深窓のナントカとか憧れるけど実際には大変そうだなぁ。 退屈すぎてダメになりそう。 ……けど、あー。 それでこの前もやけにしんどそうだったのね? 何か買い物した帰りっぽかったけど。 今は平気なの?」


「……さっきのもあったので少しだけ疲れが。 飲み物で先ほどのお礼ができたのならそろそろ…………」


朝はハサミが襲ってくるし、ここでは悪魔の手先とその仲間に襲われたし、ほぼひと月ぶりの会話だし。


「そうだったの!? ダメじゃん、元……かもしれないけど病人がそんなことじゃ! お礼とか言って一緒にお茶しておごってもらっちゃったけど、それで悪くなっちゃったら私が困るよ……大丈夫? 送ったりタクシー呼んだりする?」


「いえ、帰るだけなら平気です。 いざとなったら……家の者を呼びますし。 今日は助けていただいてありがとうございました」


ちょうど良いからって頭を下げておいて帰るモード。


病弱設定は良さそうだな、その場をしのぐだけなら使えるし。

とにかくこの子の気分が変わらないうちにさっさと離れたほうがいいだろう。


「やっぱり心配だから」って着いてこられても困るし、なるべく変なルートで帰ろう。


お店の外まで着いてくるかって思ったけどそうでもないらしく、ぼーっと座ったまんまだ。


まずはお会計を済ませて……っと。


「……む」


さりげなく持って来た伝票を差し出そうとするも固まる。

……お会計の台に背伸びして腕だけ上げるしかないだと……!?


僕は愕然としている。


「あのさ、響!」

「…………何?」


ようやっとの思いでかたんって伝票を置けた音がしたら後ろからあの子の声。


「あのさ……んと、響が。 もし響がよかったらなんだけどさ。 番号とか交換しない? ときどきでいいからまた会えたらなー、なーんて思って。 ほら、もう私たち友達じゃん?」


連絡先が聞きたいってことだよね?


なんでそんなに回りくどく話すんだ。

文字数を節約した方が良いって思う。


ほら、早口すぎて酸欠になって顔真っ赤になってるじゃん。


けど……同い年で同性になる子の連絡先。

ただの設定だし全部合っていないんだけど状況的には全部同じことになっている子の。


……損はしなさそうってことでさくっと交換。


「よし、おっけー。 登録したよ」

「ん、……ありがとう、ございます」


「んじゃヒマなときテキトーに送るね? ムリに返事する必要ないよ、いっつもムダに送るなって友だちから言われるし! なんなら既読無視続いてもいいから! だから見てね!! それで満足するから!」


がっちりと握られていた手をほどいて顔を上げるとなんだか優しい顔をした店員さん。


よく分かんないけど良いことあったんだろうか。

あれだよね、動物系の動画見るとこういう顔になるよね。


けど待たせたのに怒られなさそうだからお金を出してさっさとお会計を済ませて逃げる僕。


「まったねー響――――、じゃーね――」


あの子は……周りの人に迷惑でしょ。


たまらず早足で距離を取る。


「……送ったの見た? …………うん本当。 リアルじゃありえないような、まるで――――――みたいな――――――でしょ? …………うんうん、もちろんだよ。 連絡先も名前も。 自然な感じにゲットしたからさ、今度さ――――――……」


また彼女は……そういやこの前も同じだった気がするな……僕と別れて早々に電話していた。


女の子だもんね、起きてる間ずっと誰かとおしゃべりしたい性別だもんね。


そう思って大して気にもしなかった僕は……もしかしたらまだあの萩村&今井って言うめんどくさい人たちがいるかもってびくびくしながら帰った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る