救世の魔術
撫でる手を動かしながら、静寂を切り裂くように発した男の言葉でアンの意識が戻る。
「俺が呪いで倒れて100年、アンはずっと世話をしてくれた。そう、100年間もだ……」
男は視線を自分自身の身体に移して続ける。
「俺は人間なのに」
男は自分の腕を見る。多少衰え、筋肉量は落ちているように見えるが倒れる前と大きな違いはない。
本来であればとっくに死んでいてもおかしくない時間が経過しているにも関わらず、自分の肉体は殆ど変化していないのだ。
「俺はもうとっくに死んでいてもおかしくない。逆に魔族のアンは俺より遥かに長く生きる。少なくとも俺と出会ってから100年じゃまだ死ぬ事はなかった筈だ」
今は人間のように見えるアンだが、初めて出会った時は頭に2本の大きな角があり、背中には翼が生えていた。
しかしこの100年の間でアンは全てを犠牲にしてきた。
効果があるかも分からない魔術の触媒の為に自らの手で角を落とし、翼を切り裂いた。身体はボロボロになり、最後は自らの寿命までもを差し出したのだ。
「だけど俺は…………」
それを見ている事しか出来なかった。声は出せず、身体も動かせず、目の前でただ苦しんでいるアンの姿を見ている事しか。
自責の念が男を襲う。胸が詰まり、呼吸が苦しくなる。
「ご主人様、手が止まっています」
「…………ん?あぁ、悪い」
アンの言葉で意識が戻る。
男は平静を装い、相変わらずそっぽを向いたままのアンの頭を撫でた。
「女性に年齢の話をするなんて、ご主人様はデリカシーがないです」
「アンはいくつになっても綺麗だ」
「そ、そんなのじゃ誤魔化されません!」
そんな軽いやり取りで男は心が軽くなるのを感じた。
この素敵な奴隷にはいつだって助けられてしまう。
男は目を細め、笑みを浮かべる。
「アンが俺の呪いを解く為に自分の寿命を使ったのは知ってるよ」
「…………」
「だけど、それはあくまで解呪の為であって俺の寿命を伸ばした訳じゃない」
「…………その通りです」
「つまり俺が死んでないのは、この呪い自体が俺の身体を生きながらえさせたからだ。肉体が死ねば魂は解放される。それをさせない為の、永遠に苦しめる為の、呪いの効果だったのかもな」
男は撫でる手を止め、名残惜しそうにアンの頭から離す。
「でも、それを使えばアンの命を救える」
その言葉を聞いたアンがベッドから身体を起こす。
「…………それではご主人様は私に永遠に苦しめと言うんですか?酷いです。絶対に嫌です。やめて下さい」
アンは男の顔を見ながら、ハッキリと拒絶の言葉を口にした。
しかし、男は気にした様子もなく言葉を続ける。
「俺が起きて直ぐにアンに助かる方法がないか聞いて、アンがないって答えた時、首輪は光ってた。という事はあの時アンは嘘をついてたんだ。本当は助かる方法を思い付いたのに」
「…………」
「多分俺と同じ考えだよ。俺にかかっていた呪いだ。あれならアンは助かる。魂を傷付けてしまうし、身体は苦痛に苛まれるけど、それでもアンの肉体が寿命を迎える事はなくなる」
「ご主人様」
「だから奴が俺にしたように、俺の命と引き換えにしてアンに―――」
「やめて下さいッ!」
アンの悲痛な声が響き少しの間、無言の時間が流れた。
「…………ごめん、冗談だ。そんな事考えてないよ」
「…………冗談でもそんな事を言うのはやめて下さい」
男は震えるアンの手を握り、会話を続ける。
「悪い…………アンも気付いてると思うけど、あれは本来呪いではなく、魔術の失敗作のようなものだ」
「……そうですね。だからこそ私は魔術で対抗して消し去ることが出来ました」
アンの寿命を使って、男は喉まで出かかった言葉を飲み込む。
そのことを感謝こそすれ、責めることは出来ない。
しかし、その決断をさせてしまった、アンの人生を奪った自分は許せなかった。
「そういえば、まだお礼を言ってなかったな」
「お礼など不要です。私が勝手にした事なので……」
「それでもアン、俺を救ってくれてありがとう。そして今度は俺が救う番だ」
「…………ご主人様」
アンが不安そうな声を上げる。
「はは……大丈夫。俺の命と引き換えに、なんてことは言わないよ」
男はアンの肩に手を置き笑顔で口を開く。
「だからアン、俺と不老不死になってくれ」
「…………はい?」
部屋の中に間の抜けた声が響いた。
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