羞恥の意識

 最後の戦いで仲間を失い、残ったのは自分と旅の中で助けた一人の奴隷。そして敵が命と引き換えにして自分へとかけた魂を蝕む呪い。

 呪いは生半可なものではなく、男の身体は人形のように固まってしまった。その間、肉体は激しい苦痛に苛まれ、魂はじわじわと傷付いていく。

 永遠に続く地獄のような痛みに、男は自己を喪失し絶望に呑まれかけていた。

 

 ふと、何か温かい物が身体に触れる。

 

 それと同時に旅を共にした奴隷の背中が脳裏をよぎった。

 それは生気を失い抜け殻のように動かなくなった自分を背負い、ふらふらとした足取りで街まで運ぶ奴隷の背中だった。


 それからこの奴隷が自分を助ける為に駆けずり回り、寄り添い続けてくれたことを知っている。

 毎日食事をつくってくれたことを知っている。

 毎日身の回りの世話を欠かさなかったことを知っている。

 毎日優しく頭を撫でてくれたことを知っている。

 毎日語り掛けてくれたことを知っている。


 出会った当時からいつも自分以外を優先していたこの奴隷を、多くを失い絶望が心を覆う中で生き残ってくれた最後の仲間を、自分の命を投げうってまで誰かを救おうとする優しい彼女を。


 ずっと見てきたのだから。


 男は顔を上げた。


「アン。俺が今からする話で、もしかしするとアンは物凄くショックを受けるかもしれない。でも、どうか落ち着いて聞いてほしい」

「私はご主人様の奴隷です。お気になさらず何なりとお申し付けください」


 男の膝の上を堪能するアンが上機嫌に答えた。


「……そうか。ならちょっと失礼」


 男が後ろからアンを抑えるように抱きしめ、まるでアンの身体を拘束するような格好になる。


「え、え?ご、ご主人様?何を……」

 

 突然の行動に理解が追いつかず、顔を赤くしながら慌てるアンに向けて男は口を開いた。


「アン……俺は呪いで動けなくなっていた間もずっと意識があったんだ」


 アンの動きがピタッと止まる。

 

 耳まで紅潮していたアンの顔からは急激に血の気が引いていき、あっという間に真っ青になる。


「え……それはどういう」

「だから、アンが俺を助ける為に必死に呪いを解いてくれた事も知ってるし、こうして長い間、世話してくれたことも覚えてる」

「で……では、も、もしかして私が喋ってたの聞こえてたんですか……!?」

「ああ、眠る事も出来なかったから全部聞こえてた」


 アンの身体がカタカタと震え出し、冷たい汗が全身から吹き出している。

 

「アン大丈夫だ、落ち着いてくれ。アンの声は凄く心地よくて、ずっと俺の心を癒して……」

「そういう問題じゃないですッ!」


 アンは若干涙目になりながら、これまでしてきた自らの言動を振り返る。


「え?うそ…………あれもこれも、全部聞かれて……!?う、うわーッ!し、死にたい!3日も待てません!今死にます!欠片も残さず消え去ります!」

「待て待て待て!」


 両足をバタバタさせて暴れるアンを男は後ろから羽交締めにして抑える。


「離してくださいッ!私はもう駄目ですッ!きっとご主人様も”うわ、こいつ一人でお喋りして痛い奴だなぁ”とか”妄想やばすぎ、引くわー”とか思ってたんだーッ!」

「そ、そんなことないって!俺は自分のこと奴隷ちゃんって言うアンも可愛いと思ってる!」

「ギャーッ!死ぬッ!死にますッ!死んでやるーッ!」

 

 アンの絶叫が家中に響き渡り、男はアンを必死に宥めた。

 

 暫くして、暴れ疲れたアンが息を切らしてグッタリとしていた。綺麗な青色の瞳からはハイライトが消え、顔は生気を失っている。


「……ご主人様。私は今、世界一不幸かもしれません」

「…………落ち着いたようで、よかった」


 男はアンを優しくベットに寝かせる。


「それでアン、俺は全部聞いてた。だから俺にも心当たりがあるんだ」


 ベッドに腰掛け、アンが自分にしてくれたように横になっているアンの頭を優しく撫でる。


「アンが助かる方法」

「…………」


 アンは無言のまま拗ねたようにそっぽを向く。そんなアンを見ながら、優しく微笑みながら男も無言で頭を撫で続ける。


 心地の良い静寂だけが部屋を包んでいた。街の喧騒すら届かず互いの体温だけを感じる部屋の中は、まるで世界にこの二人しか居ないように感じさせた。


 男の体温の高い手のひらがアンの髪をかき揚げ優しく撫で下ろす。

 本当に現実の出来事か疑ってしまいそうな心地よさに思わず目を閉じたアンは、今日に至るまでの100年間を思い出していた。

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