第20話 オタクの祭り1
「おおー! 朝早いのに人がすげぇ!」
同人即売会イベントの会場に到着すると、吉鷹晶は人の多さに目を丸くさせていた。朝早いというのに、元気が有り余っているようで羨ましい。横でけいちゃんが「朝から元気だねぇ」とあくびをしながらつぶやいた言葉に全力で同意した。
「この後まだまだ増えるよ」
一方私は階段から落ちて痛む体でひぃひぃ言いながらなんとか脱稿し、昨日も夜遅くまでイベントの準備に明け暮れていたので絶賛寝不足である。緊張で胃も気持ち悪い。
吉鷹晶は私の体だった時も元気そうだったが、元の体に戻った今は更に元気だ。羨ましい。
吉鷹晶の体だった時に筋肉がある体の楽さを知ってしまったので、私も何か運動した方がいいだろうな。落ち着いたら何か考えよう。今はとにかく目の前のイベントだ。
「イトヨシさん、大丈夫ですか?」
そう言って不安そうに私の顔を覗き込んでくるのは環ちゃんだ。
今回は吉鷹兄妹が私のあまりの修羅場具合を心配し、イベントの手伝いを申し出てくれたのである。
「大丈夫……イベント始まれば元気になると思うから……」
階段から落ちた体の痛みと、この一ヶ月間吉鷹晶の無双すぎる体で常に調子が良かった為、常にどこか調子が悪い自分の体に付いていけない。
それに加えて連日の深夜までの作業。体調が悪くならないはずがない。
会場に入り、自分達のスペースに向かうと新刊の入った箱が机の下に置いてあってホッとする。
吉鷹兄妹にはダンボールの開封などを手伝ってもらい、私とけいちゃんでスペースの設営に取り掛かる。
「なんか、同人誌を売るスペースって言うより百貨店の化粧品売り場みたい」
「顔面偏差値が爆上がりしてる」
けいちゃんと少し離れてスペースの前に立ち、ディスプレイのバランスなどを見ているのだが、スペース内で話をしている吉鷹兄妹のおかげでそこだけ世界観が違う。
「神の新刊……! はわわわわ……!」
環ちゃんの今日のお手伝い報酬は私の新刊がいいと言われたので、一番最初にお渡しする。目を輝かせて頬擦りしていた。
「ここで読むと使い物にならなくなりそうなので、家帰ってからじっくり読みます!」
「目の前で作品を読まれるのは恥ずかしいので、そうして頂けると助かります」
環ちゃんが同人誌を大事そうにカバンにしまっている様子を見ると、「頑張って作って良かったなぁ」としみじみ思ってしまう。
ちなみに私と吉鷹晶は売り子、けいちゃんと環ちゃんは買い子という役割分担だ。
環ちゃんはともかく、私やけいちゃんは吉鷹晶に自分の性癖がバレるのは絶対嫌だ。いや、私は自分の部屋を見られているので今更感がすごいけれども、それはそれ、これはこれだ。
無事にスペースの設営を終え、それぞれの持ち場につく為に身支度を始める。
「では、各々ご武運を」
「行ってきます!」
宝の地図を手にしたけいちゃんと環ちゃんを見送り、私は吉鷹晶に頒布の流れを説明する。
「フリマみたいで楽しいな!」
売られているのは人の欲望のを具現化したものであるが、吉鷹晶は周りを見渡してニコニコしている。
「……吉鷹くんは、私みたいなのなんで気持ち悪いって思わないんですか?」
吉鷹晶と再会してからずっと思っていたこと。
多分、吉鷹晶は「思わない」って言うんだろうけど、率直に聞いてみたかった。
正直言って私は自分と真反対の吉鷹晶の思考は意味が分からない。気持ち悪いと言うより怖い。自分と違う考えや行動をする生き物を怖いと思うのは人間の本能だから仕方ないっちゃ仕方ない。
でも、吉鷹晶はそうじゃない。自分と違う人の考えや好きなものに興味を持ち、否定することは決してなかった。どういう風に思っているのか、純粋に気になったのだ。
再会した時なら聞けなかっただろうけど、こちとら事故とはいえ一ヶ月吉鷹晶として過ごした身である。今更怖いものなど何もない。
私の問いかけに、吉鷹晶はゆっくりと瞬きをして口を開いた。
「気持ち悪いとは思わないかな。いつも楽しそうで羨ましいとは思う」
予想の斜め上の回答に、開いた口が塞がらない。
「楽し、そう……?」
「えっ、楽しくないのか?」
改めて聞かれると首を傾げてしまう。
「いや、楽しいけどさ、普通の人からすればなんでそんなことして楽しいの、って思うんじゃない? 生活の足しにもならないことに全力を注いでるのって、どうかしてるでしょう?」
自分で言っていて悲しくなってきた。でも、これは常々自分でも思っていた事でもある。
プロになるわけでもないのに、仕事と関係ないことにお金をかけてやってなんになるのか。
楽しいからやっている。その一言に尽きるけれど、人に「いい歳して何をしているのか」と言われると辛いのも事実だ。というかそもそも人に言えないけれど。
「役に立つことばかりが人生の全てじゃないだろ。どれだけ人生楽しむかに手段は選ばなくてもいいんじゃないか? たとえそれが想像のものでも、俺はいいと思うけどなぁ。だって、柴村さんもけいちゃんさんも環も、みんな楽しそうだし、俺も推しいたらもっと人生楽しくなんのかなって思うよ」
「吉鷹くんの推し……」
パワーワードすぎる。
どっちかっていうとあんたは推される側の人間でしょ、と言いたかった。
「それに何かを生み出せることは柴村さん達が思っている以上にすごいことだと思うけど。だってさ、環みたいに柴村さんの描いたもので明日も頑張ろうって思える人がたくさんいる。俺には逆立ちしたってできないことだ」
いや、あなたのブロマイドがあれば生き延びる命もあるよ、と言いたかったが、せっかく吉鷹晶がいいことを言っているので一生懸命黙った。
「……何かを作ることはさ、時にはすっごく虚しく感じる時があるんだけど、そんな時は環ちゃんみたいな人が私たちの命を救ってくれる。明日も頑張って描こうって思えるんだよなぁ」
「その柴村さんが明日頑張って描いたやつでまた環の命が救われるんだろうな」
オタクの命の循環公式ができてしまった。
同人誌即売会で吉鷹晶と並んでしみじみと語る未来を、高校生の時の私は想像もしていなかった。人生どうなるか分からないとはよく言ったものである。
たとえ彼と話していなくても、私はきっと同人誌を描き続けただろう。
でも、これからはもっと心から楽しんで描けると思うのだ。
誰かに認められたくて同人誌を描いているわけではないけれど、誰かの元に届いたと分かるのは純粋に嬉しい。
描こう、という気持ちを十倍にも百倍にもしてくれる。
「次は何描こうかな」
まだ今日のイベントも始まっていないのに、次の原稿に思いを馳せていると、テンション高めなイベント開始のアナウンスが流れる。
馴染んでしまった習性で拍手をすると、吉鷹晶が首を傾げながら同じように拍手をしていた。
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