第19話 たぬきときつね6

 

 

 

 なんか、体のいろんな所が痛い。

 意識が戻るのと比例して痛みが増している気がする。

「……いたい」

 ゆっくりと瞼を持ち上げると、前に見た病院の天井が目に入る。

「結子殿!」

 名前を呼ばれた方向に向こうとするが、体が痛すぎて向くことができない。

「源次郎?」

 え、ていうか私今、声戻ってない?

「結子殿~! 目を覚まされましたか~!」

「ぐえっ」

 腹の上に何か乗った。源次郎たぬきがずいと顔を覗き込んでくるので、この重みはおそらく源次郎たぬきのものだ。

「一時はどうなることかと思いましたが、無事目を覚まされてよかったです!」

 源次郎たぬきがおいおいと私の腹の上で泣くので、痛む体をなんとか動かして起き上がり、源次郎たぬきを横にどかせる。

 その時に手を見ると、最近見慣れた吉鷹晶の手ではなく、ペンだこができた自分の手だと分かった。

「私、元に戻ってるよね?」

「はい! 階段から落ちた時にお二人の魂が抜けそうになっていたので、ちょうどいいタイミングだと思ってお戻ししました! 月が昇っていて本当によかったです~!」

「……そう、ありがとう」

 めちゃくちゃついでに、しかもあっさりと戻されたな。

 色々思うところはあるものの、無事元の体に戻してもらえたので良しとしよう。

 源次郎たぬきは私達が文字通り体を張って守った鏡で、私の顔を映してくれた。

 確かに、二十数年連れ添った平々凡々な私の顔が映っている。

 鏡に顔が映ってもびっくりしない。自分の平凡な顔を見れてこれほどまでにホッとしたのははじめてだ。

「吉鷹くんは?」

「吉鷹殿は先に目を覚まされておりまして、今美山殿とお話しされておりますよ! お呼びして参来ますね!」

 源次郎たぬきは元気よくベッドからジャンプして病室の出入り口の方へと駆けていく。

 その時、源次郎たぬきの体がうっすら透けている様に見えた。

 気のせいかと思いたかったが、確か源次郎たぬきは私たちが元に戻ったら源次郎たぬきの姿が視えなくなってしまうと言っていた。

 元の体に戻ってしまった今、源次郎たぬきとの別れの時が近づいているのだろう。

「よっ」

 吉鷹くんはひょっこりと病室の扉から顔を出した。

 最近毎日見ていた顔だが、本来のあるべき魂が入るとやはり表情筋が違う。笑顔が眩しすぎる。私と入れ替わった時、顔面が筋肉痛にならなかったか気になった。

「柴村さん体大丈夫か?」

「ところどころ痛いけど、なんとか……吉鷹くんも大丈夫だった?」

「俺も擦り傷くらいだから大丈夫だ。柴村さんがうまく受け身とってくれたお陰だ。源次郎の鏡も割れなかったし。な?」

「はい!」

 吉鷹晶の足元におすわりをした源次郎たぬきが相槌を打つ。

「そういえば、源次郎はなんで急に娘さんに飛びついたりしたのよ。いや、めちゃくちゃ怪しかったけどさ」

「その事については俺から説明させてください」

 吉鷹晶の顔に引き続き、最近聞き慣れてしまったウィスパーボイスが会話にカットインしてきた。

 白衣に白袴姿の美山さんだ。

 そのがっしりとした右腕には、金色のもふもふな狐がホールドされていた。

 見間違いでなければ、狐はシクシクと絵に描いた様に泣いている。

「はじめまして、と言いたい所なんですけれど……」

 突っ込むべきなのかどうなのか分からず、とりあえず狐以外の話をする。

「はい、全て吉鷹の方から事情は聞きました。なんとなく異変を感じていたのに、あまりお力になれず申し訳ありませんでした」

「いえいえいえ! こちらこそ騙してしいた様なものなので、謝るのはこちらかと……あの、すみません、そちらの狐大丈夫ですか」

 一度は狐から目を背けたが、シクシクと鳴き声が大きくなり、無視することはできなかった。

 美山さんは苦笑を浮かべ、左手で狐の頭をポン、となでる。

「この狐はうちの秋里稲荷の御祭神の秋里です」

「え」

 たぬきに続き狐が登場した。いや、たぬきがいれば狐もいるか。

「源次郎様の鏡を盗んだのはこちらの秋里です。ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした」

「ええええ」

 予想外すぎる犯人に間抜けな声が止まらない。

 それにしても神職に首根っこを掴まれている御祭神というのは色々大丈夫なのだろうか。

 吉鷹晶と源次たぬきの方を見ると吉鷹晶は苦笑を浮かべ、源次郎たぬきはオロオロとした様子で美山さんを見上げていた。

「源次郎殿がお二人と仲良くしている姿が羨ましかった様でして」

「源次郎が、羨ましい……?」

「源次郎とてそこの部分が謎なんですよぅ!」

 信じられないものを見る目で思わず源次郎たぬきの方を見れば、私の思っていることを察した源次郎たぬきが声を上げた。

「源次郎の方が、秋里稲荷様のことが羨ましいです。多くの参拝者に恵まれて、遠い未来まで将来安泰。人から忘れ去られる心配などしなくて良いでしょう?」

 源次郎のすごいところはこういう所だと私は思う。

 嫉妬しながらも、素直に相手を羨ましいと認められる所。大体の人間なら「ずるい」という言葉にすり替わるが、源次郎は真っ直ぐに「羨ましい」と言う。

「だって……」

 秋里稲荷はすんすんと鼻を啜りながら、ポツポツと話し始めた。声を聞く限りでは女の子らしい。

「源次郎様が楽しそうだったんですもの」

 源次郎たぬきが戸惑った表情で私と吉鷹晶を見上げて来る。

「確かに私にはたくさん参拝者や氏子がいます。でも、みな私に何かを叶えて欲しいだけ。本当に私を慕ってくれている人なんていやしない」

「そ、そうですかぁ~……?」

 源次郎たぬきが首を傾げながら曖昧に答える。自分ではそう思えないが、全面的に否定するのも気が引けているのだろう。

 本人はそう思っていなくとも、他人から見れば羨ましいと言うのはよくあることではある。

「私にはお酒を一緒に飲んだり、楽しくお話をして下さる方はいません。好きな本を貸してもらったことも今まで一度もございません」

「いや~秋里稲荷様の方がもっといいもの頂いてません?」

 源次郎たぬきの言いたいことも分かるが、それでは私達との交流や漫画の貸し借りが「あんまりよくないもの」にざっくり分類されていないか? と思った。話がずれてしまうのでとりあえず黙っておくが。

 私達も源次郎たぬきに元の体に戻してもらう為に様子を見に来ているだけなのだが、それは彼女の言う「叶えて欲しいだけ」に入らないのだろうか。いや、普通の参拝者や氏子は神社に願い事に来ても酒盛りをしたり漫画の貸し借りはしないな。

「人と一緒に、楽しそうに日々を過ごされているのが、私には羨ましいのです」

 一見不敬に見えることが、秋里稲荷にとっては羨ましいらしい。

 価値観というのは実に不思議なものだなぁ、とその場にいる人間全員はなんともいえない気持ちになって、さめざめと泣く秋里稲荷を見つめた。

「人の持ってるものが羨ましい時はあるよな」

 うんうん、と腕を組みながら感慨深そうに頷いている吉鷹晶がいた。

 いや、全てを持ちうるあんたがそれを言うのか……? と言う気持ちになり、ちらりと美山さんの方を見ると、彼も遠い目をして吉鷹晶を見つめていた。今までちょっと苦手だな、と思っていたけれど、吉鷹晶に対する感情が同じようで少し親近感がわいた。

 吉鷹晶は秋里稲荷の前にしゃがみ込んで目を合わせる。

「でもさ、気付いてないだけで、みんな良いもの持ってるんだよ。現に、源次郎はあんたのことが羨ましいって言ってるだろ? 自分が持っているものを大切にできる方が、幸せになる為の近道なんじゃないのか?」

 ハリウッド映画の一発逆転サクセスストーリーに出てくる、重要な事を言って物語の起点となる人物のような事を言っている。

「要は二人とも寂しかったって事だろ? だったらさ、二人が友達になって一緒に色々できたら寂しくなくなるんじゃないか?」

 圧倒的陽キャ……!! 私ではそんな考え三徹した後に踊り狂ってでんぐり返しをしたとしても思い浮かばない。

「そうですね! 吉鷹殿のおっしゃる通りです! 秋里様がお友達になってくださったら、僕もとっても嬉しいです!」

「そんな……私の方こそ嬉しいです……よろしくお願いいたします、源次郎様」

 陽キャが超絶陽気な方法で万事解決してしまった……。こんな解決方法、少年漫画でしか見た事ないぞ。

「美山さんは源次郎や秋里さんの姿が視えるんですね」

「一応神職ですから。最初源次郎様が吉鷹……あの時はまだ柴村さんですかね。柴村さんの頭に乗っかっていた時も、二人は視えていないと思って知らないふりをしましたが」

 美山さんに対してものすごく苦手意識があったけれど、元の体に戻って他人として普通の距離感に戻ればそうでもない。

 距離感って本当に大事なんだなって改めて思った。

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