第18話 たぬきときつね5
「もし彼女の言うことが本当なら、今から振り出しに戻るのですか……?」
「まぁ、そうだね……」
私の頭の上で不安そうに源次郎たぬきがつぶやく。
とにかく豆腐屋の娘さんのアリバイの証拠を確かめることが急務だろうと判断し、私達は秋里稲荷へと向かうことにした。
彼女が嘘をついている、または何らかのトリックを使ってアリバイを作っていない限り、捜査は振り出しに戻る。
だが、そこまでする動機が彼女にあるかはかなり疑問だ。
「ま、秋里稲荷で話を聞いてみてから次のことは考えよう。何も分かってないのにもしもを考えすぎるとしんどいぞ」
ごもっともな言葉に源次郎たぬきと二人で返事をする。
「それにしても立派だねぇ」
人で賑わう参道を歩いていくと、天に刺さりそうな程高くて立派な石の鳥居を見上げる。鳥居の横には分厚い石碑に「秋里稲荷」と達筆な文字が彫られていた。
鳥居の向こうには長い階段が果てしなく続いており、今からこれを登るのかと思うと登る前からしんどくなってしまう。
見ていても仕方ないので、意を決して大階段の制覇に取り掛かった。
「結子殿ー! ファイトでございますー!」
ぜえぜえと荒く息を吐きながら登っていると、頭に乗っかかっている源次郎たぬきが呑気に声を掛けてくる。
いや、あんたは自分で登ろうという気概はないのか、とツッコミたい所だが、息が上がってそれどころじゃない。
吉鷹晶の体での私ですらこんな感じなのだから、私の体の吉鷹晶はさぞしんどいだろう。本当ポンコツな体で申し訳ない……と思って横を見たら、涼しい顔をして階段を登る私、もとい吉鷹晶がいた。
「えっ、吉鷹くん、しんどく、ないの……」
「ん? まぁ、少しキツいけど、良い運動だな」
弘法筆を選ばず、とはこの場合も言うのだろうか、と思った。
自分の体の身のこなしとは思えないほど軽い身のこなしで、吉鷹晶は風のように階段を登っていく。
やはり体のスペックではなく、扱う側のセンスが重要らしい。
あちらが弘法筆を選ばずなら、私は本当に豚に真珠だ。自分で考えて悲しくなってきた。
一段一段階段を上がるごとに足が重くなる。最後は体を引きずるようにして、階段の上にある御本宮に辿り着いた。
御本宮に社務所、能舞台や絵馬堂があり、参道と同じように多くの参拝者で賑わっている。
境内は綺麗に履き清められていて、正常な空気で満ちている。息が上がって苦しかったが、不思議と息をするのが楽になった気がした。
「おお、すげぇ」
振り返って階段の下を眺めた吉鷹晶が感嘆の声を上げる。その声に釣られて後ろを振り返ると、階段の下に広がった街並みが一望できて息を呑んだ。
視点が変わるだけで普段見えているものがこんなにも違って見えるとは。
「吉鷹?」
街並みを眺めながら上がった息を整えていると、背後から吉鷹くんの名前を呼ばれて思わず振り返った。
最近ようやく吉鷹と呼ばれて反応できるようになった。ちなみに吉鷹くんの方が私よりも少し早く同じ方向に振り返っていた。
振り返ると白衣に浅葱色の袴をピシッと着こなした美山さんがいた。
「えっ」
「えっ」
予想外の人物が予想外の格好をして驚いたが、吉鷹晶も驚いていた。ちらりと吉鷹晶を見下ろすと、小さく首を横に振る。
「み、美山!? どう、し、たんですかその服」
気が動転して敬語になるし、変なところで言葉に詰まりまくる。私の動転具合に美山さんは小さく吹き出した。
「なんでそんなに慌ててんだよ。言ってなかったか? ここ、俺の家が代々神主をやってるんだ」
思わず隣の吉鷹晶と目を合わす。
スーツ姿は筋肉のせいでパチンパチンだが、和服姿は非常に威厳に満ち溢れている。
いや、スーツも似合ってはいるのだが、筋肉を見せたいという欲望のせいで若干のサイズミス感が否めないだけだ。
「こちらは吉鷹の彼女さん?」
そう言って美山さんは私の隣に視線を移す。
それ吉鷹晶ご本人様です、と言いたいところだが、そうもいかない。
「いえ、吉鷹さんの友人です」
にっこりと愛想よく私の顔で吉鷹晶が微笑む。そんな表情もできたんだな、私の顔。
「あの、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど」
一応初対面を装って吉鷹晶が美山さんに斬り込む。
「私達、この近くにある源次郎神社の鏡を探しているんです。鏡がなくなった時間にお豆腐屋さんの娘さんが目撃されていたので、彼女にお話を伺いに行ったらその時間はこちらの神社で巫女舞の練習をしていたから、こちらの神社の方に話を聞いてくれと言われました」
分かりやすく淀みなく吉鷹晶が言い切った。カンペもなくよく簡潔に言えるなぁと心の底から感心した。私ならカンペがあっても噛むぞ。
「え、ええ。確かにその時間はうちの神社で巫女舞の練習をしていました」
見知らぬ女(中身はとっても見知っている男だけども)から突然問い詰められ、さすがの美山さんも少し目を丸くさせていた。
美山さんの答えに全員揃って肩を落とす。
せっかく繋がりそうだった証言がここで途絶えてしまったのだ。
残された時間も少ない。もう一度振り出しに戻るのは体力的にも精神的にもキツいものがある。
「力になれなくてすまん」
「いや、彼女が犯人じゃないって分かっただけでも収穫……」
人の気配がしてなんとなく振り返ったその刹那、思わず言葉が止まった。
階段を登ってきたのは、さっき見た豆腐屋さんの娘さんだったのだ。
まさかの張本人の再登場に、思考が止まった。
え、なんで? 私たちが何か変なことを言っていないか確認しにきたのか?
豆腐屋の娘さんもこちらを見て少し驚いたように目を見張った。しかし、すぐににっこりと笑みを浮かべる。
「こんにちは」
娘さんはそう言って私たちの隣を通って社務所のある方へ向かおうとしていた。
さっき会ったばかりなのに、初めてあったかのような反応。いや、胡散臭い私たちと距離を取っているのかも知れない。
でも、さっき会った彼女は私たちが神社に行くのを知っている。彼女がそうする様に促したと言っても過言ではない。それなら、ここで何かしらのリアクションをするのが普通じゃないか。一体これはどういうこと……? と混乱していると、もう一つ不可解な事に気づく。
黄色のワンピースを着ているのだ。
さっきはセーターにジーンズだった。この短時間に着替えたのか? でも、なんでわざわざ?
「お前かー!!」
私がうるさく脳内会議を繰り広げていると、彼女がすれ違った瞬間に源次郎たぬきが突然大声を上げて彼女に飛びかかった。
「きゃあああああああ!?」
「源次郎!?」
娘さんの頭に源次郎たぬきが飛び移り、しがみつく。娘さんは必死に頭を振って源次郎たぬきを振り落とそうとするが、全く落ちそうな気配がない。
人間たちがどうするべきか迷ってオロオロしていると、ボフン! と娘さんが煙に包まれ、煙の中から勢いよく鏡が階段の方へ向かって飛んでいく。
「えっ、あれ!?」
「源次郎の鏡だ!」
吉鷹晶が叫んだ。
あのままだと階段の上から真っ逆さまになり、鏡は砕け散る。
私と吉鷹晶は元に戻る手段を永遠に失うこととなる。
そんなことあってたまるか。
「でええええい!!」
「やー!!」
吉鷹晶と二人で駆け出し、リーチが有利な私の方がなんとか鏡を掴んだ。
だが、
「げえ!?」
階段最上段のところでなんとか鏡を掴んだが、バランスを崩し、そのまま体が空中へ傾いていく。
吉鷹晶が私の上着を掴んでどうにかしようとしてくれたが、元々筋力の少ない私の体で成人男性の体を重力に逆らってどうにかすることなど無理だ。
つまり、
「のわあああああああ!!」
「っ!!」
二人揃って階段のてっぺんから落っこちた。
「ででででででで!!」
鏡を割るまいと懐に抱き込み、丸まった姿勢のまま右手を下にして階段の段差でリズムよく右半身を打ちつける。その度に視界に星が散った。
階段の踊り場のところでようやく落下が止まり、そろりと懐に抱え込んだ鏡を取り出す。
鏡はひび一つなかった。
鏡に傷一つ付かなかった事に心の底からホッとしていると、昇りかかった大きな満月が見え、そこでぶつりと意識が切れた。
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