第16話 たぬきときつね3

 

 

「源次郎様の鏡、本当に誰が持ってっちゃったんでしょうね」

「私は源次郎がどこかに置いてきたに一票だけど」

「あれだけ探してないんだから、流石にそれはないですって」

 当たり前だが環ちゃんとは現在帰る家が一緒なので、最寄駅で解散してから二人で帰路を辿る。

 なぜか源次郎たぬきを崇めている環ちゃんは源次郎たぬきを様付けで呼んでいる。まぁ、何を信仰するかは他人に強制しなければ自由ですからね。

「……あの、差し出がましいことだとは思うのですが」

「うん?」

「今度のイベントの原稿、大丈夫ですか?」

「残念ながら締め切りデスロードまっしぐらです」

「ひえええ……」

 遠い目をして私がつぶやくと、環ちゃんは悲鳴を上げた。

 元の体の時も仕事をしながらなのでそこまで余裕のあるスケジュールではなかったが、土日の休みはほぼ原稿作業に充てられていた。

 しかし、今は慣れない仕事で平日は疲れ切って寝てしまうし、休みの日は飲み会や遊びのお誘いが凄まじく、吉鷹晶であることに疑惑を持たれないようにする為にもある程度は参加しなければならない。

 これまた慣れないというか苦手な部類の陽キャのコミュニケーションの連続に、疲れ果てて帰ると結局寝てしまう。

 どれだけ習慣化していても、一度習慣が外れてしまうと戻すのは難しい。人間は楽な方、楽な方へと行ってしまう生き物だから。

 同人誌を作ることは自分がやりたくてやっていることだけれど、それが辛くないかと言われればそうじゃない。

 もちろん、同人誌を作っていて楽しいことや嬉しいことだってたくさんあるけれど、悩むことも多いし、お金だってかかる。

 でも、自分が見たいと思ったものは自分にしか作れない。つらい「生みの苦しみ」にも耐えられる。

 どれだけ拙くても、世の中にどんなに優れたものが他にあったとしても、自分にしか作れないものがある。

 それが見たくて、私は同人誌を描き続けていると思う。

 まぁ、その気持ちと、「何やってるんだろ……」という気持ちのせめぎ合いが延々続くのだが。

「同人誌は、企画自分、本文自分、校正自分、表紙自分、入稿自分、営業自分、販売自分、とか単純に狂気の沙汰だよね。同人誌はそこまで営業とか必要ないかもしれないけど、それでも自分の作品をアピールするのって難しいし、吉鷹くんの仕事をやってみてやっぱり大変だなって思ったよ」

 自分の作品は好きだ。でも、自信があるとは別だと私は思う。

「私は絵も描けないし、文章も書けないから、自分の好きなものを形にしてくれる方達のご相伴に預かることができて、本当に果報者です。いろいろありますけれど、良い時代に生まれて来れて、よかったです」

 環ちゃんの言葉にぎゅうっと胸が苦しくなる。

「環ちゃん、きみ、本当いい子だねぇ……」

「えっ」

 私のしみじみ呟いた言葉に、環ちゃんが目を丸くする。

「いや、私はあんまりフォロワーもいないからまだ気楽な方だけど、たまに色々言ってくる人もいるからさぁ、全面的に自分の描いたものを肯定してくれる人って本当に貴重なんだよ」

「色々って、その人達は何言うんですか?」

 私の言っている人達と環ちゃんは全く正反対の人種だから、その人達の言うことが全く予想ができないらしい。軽く眉間にシワを寄せて、環ちゃんが首を傾げる。

「うーん、ここをこうすればいいのにとか、夢が崩れるからやめてとか、このCPは自分が嫌いだから描かないで、とかかな」

 私の言葉を聞くにつれ、環ちゃんはあんぐりと口を開けて呆然とする。

「なっ、なんなんですかそれ……!? 何様なんですかその人達!」

 そして顔を真っ赤にして怒り始めた。

「好き嫌いがあるのは分かりますけど、それ、描いてる人に向かって言います!? そこら辺歩いている人に向かって「その服、自分の嫌いな色なんでやめてもらえますか?」って言ってるようなものですよ!」

 環ちゃんの例えが面白くて、思わず吹き出してしまった。

「わ、笑い事じゃないですよ! 私は怒ってるんですよ!」

「ごめんごめん。私よりも環ちゃんの方が怒ってくれてるからびっくりしちゃって」

 なんだか環ちゃんの姿に源次郎たぬきの姿が被る。口調が似ていたからだろうか。環ちゃんに源次郎たぬきの姿が視えないことが本当に残念だ。

「二次創作はグレーな部分ですけど、お約束や規範を守った上で好きなものを表現する場で、自分の気持ちを押し付けるのはナンセンスです。それなら自分の好きなもので対抗すべきです」

 さっきまでの荒ぶっていたオタクとは思えないほど、環ちゃんは冷静に反論を述べる。

「確かにそれだと自分の好きな界隈が賑わっていいかもね」

「ですよね! 負の感情ぶつけても、負の感情しか生まれません」

 暗い影すら強い光で照らして蹴散す様に、吉鷹家の強すぎる光の遺伝子を感じた。

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