第14話 たぬきときつね1

 

 

 

「ここが、私の聖地……!」

 大きな紙袋を両手で抱えた環ちゃんが、少しボロい神社を目の前に目を輝かせている。

 環ちゃんに入れ替わりが露見した後、どうしても源次郎たぬきに御礼が言いたいと熱望され、進捗具合も気になっていたので週末の休みに私と吉鷹晶と環ちゃんの三人で源次郎たぬきの神社を訪れた。

「なんで聖地?」

 環ちゃんの発言の意図を吉鷹晶が尋ねる。

「だってここでイトヨシさんと兄貴が入れ替わることがなかったら、イトヨシさんとこうしてお話しできなかったかもしれないでしょ! 私にとってはここは運命を変えてもらった場所よ!」

 入れ替わり事故の場所を聖地と呼ばれるのも微妙だが、一歩間違えれば死んでたかもしれないので確かにありがたい場所かもしれないというなんとも複雑な気持ちになった。

「わぁ~! そちらの方はどなたですか~!?」

 鳥居をくぐると、源次郎たぬきが拝殿から出て来る。とててて、と軽やかに階段を降りてお出迎えしてくれた。

 吉鷹晶がしゃがんで源次郎に目線を合わせると、源次郎たぬきは吉鷹晶の行儀良くちょん、とおすわりした。

「源次郎元気だったか?」

「おかげさまで元気でしたよぅ! 結子殿に貸していただいた漫画がとっても面白くって夜しか眠れません!!」

「それは良かった」

 源次郎たぬきが暇だ暇だと騒ぐので、前回神社に来た時に私のお気に入りの漫画を差し入れてみたのである。

「源次郎、俺の妹の環だ」

「吉鷹殿の妹君でございましたか~! ご兄妹揃って美形なんですね~!」

「???」

 吉鷹晶が源次郎に環ちゃんを紹介するが、環ちゃんには源次郎が見えていないので、はてなマークを飛ばしながら吉鷹晶の足元を見つめていた。

「ここに源次郎たぬきがいるんだよ。私と吉鷹くんをドジって入れ替えた張本人。普通の人には姿が見えないんだって」

「へええええー!! 本当に神様っぽい……!!」

 環ちゃんが吉鷹晶の横にしゃがんで源次郎たぬきがいそうなあたりを見つめる。吉鷹晶の目線でなんとなくいる場所の見当はつくらしいが、微妙に視線が合っていない。

「えへへ!!」

 源次郎たぬきは嬉しそうに胸を張る。

 私やけいちゃんはあまり源次郎たぬきを神様扱いしていないので、環ちゃんの尊敬の眼差しが嬉しいのだろう。吉鷹晶は神様扱いというより友人扱いだ。

「源次郎たぬき様のおかげで、私とっても幸運に恵まれました! これはほんの御礼の気持ちです!」

 そう言って環ちゃんが抱えていた紙袋から取り出したのは、桐の化粧箱に入った日本酒の一升瓶だった。

 源次郎たぬきは尻尾をピーン! と立てて目を丸くしている。

「こ、こんな立派なお供え物を源次郎に……!?」

 吉鷹晶が源次郎の様子を環ちゃんに伝えると、環ちゃんはにっこりと笑って頷く。

「はい。どうか、お受け取りください」

 源次郎たぬきはポカンとした表情を浮かべた後、ボロボロと涙をこぼし始めて思わずギョッとした。

「ど、どうしたの!?」

 環ちゃんは視えていないし、吉鷹晶はポカンとした表情を浮かべている。

 慌てて問いかけると、源次郎たぬきはすんすんと鼻を啜りながらポツリポツリと言葉をこぼす。

「こんなに多くの方が慕ってくださるのはいつぶりでしょうか……これから先はますます人から忘れられ、ひっそりと消えていくのだと思っておりましたので、嬉しくて嬉しくて……」

 確かに、ここに私たち以外の参拝者が来ているのを見たことがない。

「人が来ないと源次郎はいなくなるのか?」

「左様でございます。神は人に願われて産まれるものです。願われなくなった神は、消えてしまうのです。悲しいことですが、それが自然の摂理です」

 チーン! とその辺の落ち葉をティッシュ代わりにして源次郎たぬきが鼻をかむ。

「申し訳ありません。しんみりしてしまいましたね。せっかくの素敵なお供え物ですから、みなさんでいただきましょう!」

 源次郎たぬきは鼻をかんだ落ち葉をぽいっとそのあたりに放り、ぽん! と前脚を合わせて提案してくれる。

「源次郎たぬきがもらったものなんだから、私達が貰うのは悪いよ」

「源次郎のお酒が飲めないと言うのですか!?」

 遠慮したらたぬきにアルハラされた。

 結局源次郎に押し切られ、拝殿の中で酒盛りをすることになった。

 吉鷹兄妹がおつまみなどの買い出しに行ってくれるとのことで、私は源次郎たぬきと二人で拝殿前の階段に座って二人の帰りを待つ。

「神様の世界も楽じゃないんだね」

「そうなんです! 人気商売ですし、日々生き馬の目を抜いておりますよ! 源次郎は戦線を離脱したに等しいですが」

 呑気に暮らしている様に見える神様もなかなか大変らしい。

「人にしろたぬきにしろ、生きるのって大変だよねぇ」

「本当に。ままならないものです」

 たぬきと並んで座って人生について考えた、冬の始まりであった。

「三日後には満月を迎えます。源次郎の力も順調に戻ってきています。この一ヶ月間大変だったでしょう。源次郎の不手際でご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした」

 源次郎たぬきがこちらを向いて三つ指をつく。社会人の癖で慌てて源次郎たぬきの方に体を向けて頭を下げながら、たぬきって三つ指つけるんだな……と思った。

「元の体に戻られたら、結子殿や吉鷹殿にも源次郎の姿は視えなくなってしまうでしょう」

 その言葉にどきりとする。

 入れ替わってから非日常のハプニングに忙殺され、驚くばかりだった。

 源次郎たぬきが視えることは非日常で、元の生活にはなかったこと。

 一ヶ月前は存在すら全く知らなかったのに、あと三日で視えなくなってしまうと思うとなんだか悲しくなる。

「もし源次郎のことが視えなくなってしまっても、是非会いに来てくださいね。たい焼きはカスタードのやつが源次郎は好きなので、手土産に迷われた時は参考になさって下さい」

「…………」

 口調は謙虚なのだが、言っている内容は図々しいことこの上なく、しんみりとした空気は秒で霧散した。



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