第13話 ファンの鑑3
「よっ! 環! 元気か?」
「兄貴……?」
呆然とした表情で環ちゃんが呟いた。
姿形は私だが、仕草が吉鷹晶そのものである。
環ちゃんにはとりあえず何も言わずに付いて来てくれ、と拝み倒して柴村家の近くのファミレスへと向かった。怪訝な顔をしながらも、環ちゃんは大人しくついて来てくれた。
自分の兄と、推している(自分で言ってて恥ずかしいけど)同人誌の作家がどういう関係なのか気になるのだろう。
吉鷹晶にはかいつまんで事情を説明しておいたので、待ち合わせに指定したファミレスへすぐに来てくれた。
私達を見つけた瞬間、吉鷹晶は片手を上げ、朗らかに笑う。
その姿を見た環ちゃんは目を丸くして呟いた。
「どどどどどういうこと!? えっ、いや……え!?」
「ちゃんと説明するから、とりあえず落ち着きましょう」
あえて吉鷹晶ではなく、自分の口調で話す。
姿形だけを信じるなら、吉鷹晶は私だ。
しかし、どう見ても姿形は違うのに、見たことのない女に自分の兄の成分を感じて、環ちゃんは混乱しているのだろう。
すでにバレかかっているし、できるだけ「違う」ということを強調した方が混乱は少なくなるだろうから、普段の自分の口調で話した方がいいだろう。
「ええっと……」
そこから私と吉鷹晶で環ちゃんに事の経緯を説明した。
「整理すると、イベント会場近くのたぬきの神様がおっちょこちょいで、事故で死にかけた兄貴と柴村さんを助けたのはいいけど、体を入れ替えちゃったってことでオッケー?」
「オッケーオッケー」
「しかも兄貴が入れ替わった柴村さんは高校の同級生で、私の推し絵師のイトヨシさんだったってこと?」
「そ、そうですね……」
私が首肯すると、環ちゃんは両手で顔を覆って天井を仰ぐ。
「なんてこと……」
そりゃあ家族だと思っていた人の中身が、赤の他人になっていたとかショックだろうなぁ。このお詫びはどうすれば良いのだろうか。
しかも私は初日に吉鷹晶という立場を利用して、環ちゃんの意見を聞いてしまった。逆の立場なら絶対恥ずかしいと思うので、大変申し訳ない。
「推しと同居してたの私? えっ、夢?」
環ちゃんがボソボソと話し始めた。あれ、なんか思ってた反応と違うんだが。
「しかもさっき見たやつはもしかしてもしなくても今度の新刊? 私の部屋の隣で神が絵を描いていらっしゃった……? もはやそれは神事じゃない?」
「柴村さん絵すっごい上手だよなぁ。環が本欲しがるのも分かる」
気が動転している妹に対して兄はすごく能天気だ。
「兄貴グッジョブじゃん! よくやった! 褒めてつかわす!」
「そりゃあよかった」
「どこのたぬきか知らないけど、ありがとおっ!」
環ちゃんはその場に立ち上がって天に向かって拝む。
その様子に私や他のお客さん、店員さんはびっくりして彼女を見つめた。
「源次郎喜ぶなぁ」
妹のハイテンションに慣れているのか、吉鷹晶は相変わらず楽しそうに笑っている。
「というか環がさっきから呼んでる「イトヨシさん」って柴村さんの事なのか?」
説明したくないが、説明せざるを得ない。
「イトヨシはペンネームです。本名で活動するのは個人情報的にもよろしくないですし、何より恥ずかしいので」
「へぇー! ペンネームとか本当に漫画家さんみたいだなぁ! でも何でイトヨシなんだ?」
無邪気にポンポンと質問を飛ばしてくる様子は、好奇心の強い子供のようだ。
「下の名前の結の字を分解したものをペンネームにしています」
「じゃあ俺もペンネームの方で呼んだほうがいいのか?」
「リアルな知り合いにペンネームで呼ばれるのは死にそうになるので、本名のままでお願いします」
知り合い以上友達未満の非オタにペンネームで呼ばれるのとかどんな拷問だ。
この時ほどふざけたペンネームにしなくて(いや、これもこれでふざけているが)よかったと心の底から思った。
たまに下ネタスレスレと言うかほぼアウトなペンネームやサークル名を付けている人がいるが、こういう時に二重の死を味わう事となる。まぁ、吉鷹晶の場合はそこまで気にしない気もするが、どちらにしろこっちの精神が死ぬ。
それまで立ち上がって天に向かって拝んでいた環ちゃんは、ハッと何かに弾かれたように目を見開く。それまで興奮していたのが嘘の様に、お行儀よくすとん、と椅子に座った。
「わ、私……」
目線をテーブルの上に彷徨わせ、意を決したように顔を上げた。
目を合わせたまま数秒停止すると、眉間にシワを寄せる。
「いや、やっぱり違和感凄いな。黙ってたらただの兄貴だし」
「すみません」
「まぁそりゃあ外身は俺だしな」
「こっちはこっちで知らない人なのに、やけに親近感わくし、感覚がバグるわ」
それは分かる。
鏡でもないのに目の前に自分がいて、自分の意思に反した動きをしているのは端的に言って妙な気分だ。
ちょっと待って、と環ちゃんに言われ、大人しく待つ。
やがて数度深呼吸を繰り返した環ちゃんは、ゆっくりと顔をあげた。
「イトヨシ先生の描く漫画が、私本当に大好きで……あの、飛燕とジュウがが休みの日の過ごし方を描かれた話とか、ありふれた日常が本当に綺麗で、尊いなぁって思えて。世界の切り取り方で、世界はこんなにも美しくなるんだなぁって感動しっぱなしです。いつも私に元気をくれて、ありがとうございます!」
そう言って、環ちゃんは深々と頭を下げる。
幸せを浴びすぎて今日が私の命日か? と死を覚悟した。
しかし、私にも言わなければならないことがある。
「あの、私、環ちゃんに謝らないといけないことがあって」
私の言葉に環ちゃんは首を傾げた。
「吉鷹くんと入れ替わった日……イベントで買った本を渡す時に、その……吉鷹くんと入れ替わったことをいいことに、私、色々と聞いちゃって……」
環ちゃんは眉間にシワを寄せて首を傾げる。どうやら思い出せないらしい。
恥を忍んで、「あの、私の同人誌を渡した時に……」と言うとようやく分かったようで、ああ! と声を上げた。
「あんなの私が勝手に喋ったことですし、全然大丈夫です! というか兄貴に言っても通じないと思って抑えてたんで、あんなのじゃ語り足りないです!」
こちらは後ろめたい気持ちでいっぱいだったのに、環ちゃんはあっけらかんとしていて拍子抜けした。
「イトヨシさんにお会いできて恐悦至極です! まさかうちの兄貴とご縁があったなんて……! 兄貴の妹で良かったと心の底から思いました! SNSいつも拝見してます! この間の飛燕とジュウの小話もすんごく素敵でした!」
「あ、ありがとう」
吉鷹晶の妹で良かったと思ったことがそれで良いのか。もっと他にあるだろう。
というか実の兄がどうぞの馬の骨と知れない(厳密に言うとSNSは筒抜けだが)女と入れ替わっていたと言うのに、前向きすぎないか。
入れ替わりのことをすんなりと受け入れたあたりも吉鷹家の血筋を感じる。
「社会人になってから仕事の都合が合わなくてイベントになかなか行けなかったんですが、イトヨシさんの本は毎回必ず通販で買わせてもらってます! 今回はイベント久しぶりに行けるーって思って楽しみにしてたのに、前日になって出勤してくれって言われて絶望してたんです。でも、どうしても通販待てなくて、恥を忍んで兄貴に頼んで良かったです!」
頼むから恥は忍び通してくれ。君のおかげで私はどえらい目にあったんだぞ。
いや、でも行くつもりだったイベントに行けなくなった絶望と、手に入れられないと思っていた同人誌を手にすることができた喜びは痛いほどよく分かる。
一般人の兄に同人誌のおつかいを頼む心境だけは全く理解できないが。
「……環ちゃんも同人誌作ったりとかするの?」
「私は読む専です! 人の作ったものをを眺めているだけで胸がいっぱいになっちゃってもう!」
環ちゃんは元気よく答える。
私の周りには色々表現したい側の人間が多いから、こういうタイプのオタクは珍しい。
「でもさ、こうだったらいいのに! とか、俺が幸せにしてやるー! とか思ったりとかしないの?」
自分の求めるものがないから、人は自給自足をするのである。他人にハマるかどうかはさておいて、私は自分の欲望を満たす為に同人活動をしている節がある。
「あんまりないですねー。みなさんが考えていることがもう、本当、神すぎて圧倒されると言いますか、私が考える前に私の理想を超えて行ってしまうので、それをじっくり眺めることに時間を使いたいんです。余すことなく神の恵みを受け取りたい」
「お、おう……」
「というか私の描く絵は基本芸術が爆発していますし、文章は論文みたいになっちゃうので、多分根本的に創作活動に向いてないんですよねぇ」
「それはそれで見てみたいけど」
「いや、本当にやめておいたほうが良いって。文章ならともかく、環の絵は精神やられるかと思うから。こいつの描く絵はなんというか……何を描かせても人の罪を煮詰めた感じの出来になる」
吉鷹晶に似合わない、厨二病みたいな言葉に逆に興味をそそられる。
「そんな呪われし才能を持つ私の前に現れた救世主が、イトヨシ先生なのですっ!」
「え」
突然舞台のど真ん中に引っ張り出されたような気分になった。
「最初は「アマテラス!」でイトヨシさんを知ったんですけど、私が読みたかったものがそこにはあって、心が震えました……! 本編がマジで地獄すぎて、地獄に戻るのが辛くてイトヨシさんのほんわか日常話ばっかり読んでました……」
いつもはハツラツとしている環ちゃんの目が、黒のクレヨンで塗りつぶしたみたいに光がなくなる。
「アマテラス!」は神様を擬人化した話で、最初は日常ほのぼのギャグだったのに、途中からなぜか神界で戦争をおっぱじめ、キャラクターが相次いで亡くなるという大惨事が起こった。
辛い展開の続く本編からの現実逃避の為に、当時の私はほのぼの展開の同人ばかり描いていた。
「同人誌はいつも通販ですが買わせて頂きましたし、擦り切れるほど読みました! 新しいジャンルに移られた時には僭越ながら追いかけさせて頂きました……! 好みじゃないキャラクターであっても、イトヨシさんのフィルターを通してキャラクターを見れば、不思議と愛着のようなものがわいてきて、今では推しがいっぱいで毎日楽しいです!」
怒涛の勢いで語りまくられ、勢いに気圧される。
ぽかんとしていたら、机をまたいで力強く両手を握り締められた。
「いつも、私に萌えをくれて、ありがとうございます!」
勢いが凄すぎて圧倒される。
マシンガンのように浴びせられた言葉の数々を、自分の中でゆっくりと噛みしめる。
「……確かに描いてるのは私だけど、これを続けていけるのは環ちゃんとか描いた作品を読んでくれて、感想を伝えてくれる人がいるからだよ」
私達は仕事でもなんでもなく、趣味でイラストや漫画、小説を生み出す。
誰かに望まれて生まれたものじゃなくて、自身が望んで生まれたもの。自己満足の究極で、出来た時点で大満足だ。
でも、自己満足で作ったものでも、やっぱり人から感想を言ってもらえることは、単純に嬉しい。
やっていてよかったと思うし、また何かを作りたいって思える。
人の伝える言葉というのは実に偉大だと、同人活動を始めて知った。
「感想をくれる人も、一緒に作品を作ってくれてるんだよ」
吉鷹晶に入れ替わった初日、環ちゃんと初めて話をしたあの日に聞いた言葉が、ずっと鳴り響いている。
受け取るだけじゃなくて、もらった気持ちを何倍にもして返したいと思った。
だから、
「この間描いた飛燕とジュウの食べ物の話、あれで終わるつもりだったけど、環ちゃんの言葉を聞いて続編を描きたくなって、現在鋭意製作中です」
「マジですか!?」
環ちゃんが勢いよく前のめりになるので、思わず仰け反る。
「う、うん」
前のめりになったまま、勢いよく両手で手を握られる。
「本っ当~にありがとうございます……!! 原稿、頑張ってください!! 今回は気持ちだけじゃなくて、物理的にも応援しますので!!」
まさかここまで喜んでもらえるとは思ってもなくて面食らう。
それにしても物理的に応援とはどういうことなのだろうか、と思ったが、あまりにも環ちゃんが拝みまくるので聞くどころではなかった。
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