第10話 女の試練、男の試練5
「いやー、本当死ぬのかな俺、って思った」
あっはっは、と吉鷹晶が私の顔で朗らかに笑っている。改めて思うけど私の表情筋って生きてたんだね。
吉鷹晶が中に入っていると、自分の顔でも普段より三割増しでイキイキしているように見えるから不思議である。
今日の吉鷹晶の服装は私の手持ちの中から選んでくれたようだが、スキニーのジーンズにコットンシャツという実にシンプルな装いだ。薄く化粧もしてくれているようで、立ち居振る舞いなどでシンプルが地味にならないところが流石である。
しかし、こうなると中身がダメなのか……となってしまって非常に落ち込む。
吉鷹晶は先日の生理初日の時の体調不良が嘘のように、今日は元気ハツラツだ。パスタを頼んで、美味しそうに頬張っている。
ただし外身は私なので、普段の私の様子を知っている人が見れば、何かクスリでもキメてるのかと思われそうだが。
口調と表情と仕草、それが違うだけで全くの別人だ。人間は中身だとはよく言ったものである。
あの吉鷹晶と一対一で話す、なんて学生時代の私が聞けば卒倒しそうだし、私も実際緊張がすごかったが、中身は吉鷹晶だが外身は二十八年連れ添った私である。緊張しろというのが無理だった。どちらかというと不意に鏡やガラスに映った吉鷹晶の顔にびっくりしてしまう。
ここ一週間で嫌が応にも連絡を取り合わねばならなかったので、緊張している暇がなかった。ハプニングは人を成長させる。
「俺は元々寝込むことなんてほぼしないし、調子悪いのなんて寝たらすぐ治ってたからさ、ずっと体調が悪いの治らないのマジキツイな。しかもお酒で意識がぶっ飛んだなんて初めてで本当びっくりした!」
週末、吉鷹晶とお互いの生活について報告しあおうという事になり、外でご飯を食べる事となった。
もちろんメッセージでのやり取りは頻繁にしているが、やっぱり本人を前にしてやり取りした方が速いし、文章だと細かいニュアンスがわかりにくい。
お店は吉鷹晶が探してくれた全席個室の洒落たイタリアンだった。本当こういう店をどうやって探してくるのだろうか。
「具合悪い時に部屋にあった「とりのこ」のBD観てたんだけどさ」
突然の発言に飲んでいたお冷やを吹き出しそうになった。
いや、部屋の一角にある同人誌以外は読んでいいと言っていたが、まさか本当に手を出すとは。
「なんでよりにもよって「とりのこ」を……少年漫画のアニメだってあったでしょう」
「少年漫画は見たことあるもんばっかりだったから、この機会に読んだことないもの読んでみようと思ってさ。それに、柴村さんと環が好きな漫画の原作? だからちょっと気になってさ」
アグレッシブが過ぎる。
いや、原作はほのぼの農業ファンタジーなので読んでも問題ない。問題ないが、
「でもさ、柴村さんの本は
「ゴフッ!」
「うおっ!?」
吉鷹晶のツッコミに今度こそ吹き出してしまった。
そうだ、吉鷹晶の「とりのこ」ファーストインプレッションは私の描いた同人誌だ。ハジメテが思想に偏りのあり過ぎるもので誠に申し訳ないと思った。
私が推しているツバメの飛燕とシジュウカラのジュウのCPは作中ではほとんど絡みがない。たまに日常会話を交わしているだけだ。しかもどちらも主役ではない。
ただ、二人の会話で印象的なシーンがある。なんとなく、本当になんとなく、お互いが抱えているモヤモヤをポツリと話し合うシーンがあるのだ。
お互いにあまりお互いを知らないからこそ、気軽に話せたもので、結局二人の悩みが大きく解決することはなかったが、誰とも分かち合えなかった何かを、ほんの数秒でも分かち合えた瞬間。それに爆萌えしてしまった哀れなオタクの一人が私である。
あとは単純に二人のキャラクターデザインが好みすぎたので、何が何でもくっつけたかった。悔いはない。
「えっと、私の描いたものは私が「こうなってくれたら私は楽しいな~」と思いながら描いた妄想なので、そこに真実は存在しません。あるのは虚像です」
「へぇ~」
私の訴えが分かったのかわかっていないのか、吉鷹晶は気の抜けた返事をする。
「俺はあんまりほのぼのしたのは見ないんだけどさ」
確かに吉鷹晶はこんな事にならない限り触れそうにないジャンルだ。環ちゃんも今回は緊急事態だっただけで、普段は非オタの兄と住み分けをしているのかもしれない。
どうやっても同人の世界と混じりそうにない男が知っていい世界ではない。
いや、今現在開けてはいけない扉を開けちゃって、主に私が説明する事に苦労しているが。
「なんかああいうのもいいよなって。自然の描写が綺麗だし、食べ物に感謝しようって思える。自然と一緒に生きていけるのって羨ましいなって思ったよ」
なるほど。
今回の入れ替わりで初めて知ったが、吉鷹晶は自然がお好きなようだ。
「とりのこ」は自然の描写がとてもいきいきしていて、美しい世界観のファンもいる。
視点は違うが、まさか私の好きなアニメを吉鷹晶が見て感想を抱いているとは、高校生時代の私は想像もしなかった世界だ。
「そっちは大丈夫そう?」
「とりのこ」の話から急に私の話に変わり、うーん、と考え込む。
「なんか、美山さんがお色気ムンムンで窒息死しそうです」
「なんだそりゃ」
吉鷹晶が素っ頓狂な声を上げた。
「あの人なんでいつも無駄に悩ましげなんですか?」
「声が掠れてるからだろ?」
「そうっちゃそうですけど、普通あんなぱつぱつなサイズのシャツ着ます? 大きめなの着ればいいじゃないですか。普通にきつそうですし、いつボタンが弾け飛ぶのかとヒヤヒヤします。あれは絶対自分の筋肉に自信がある確信犯です」
「まぁ確かに筋トレマニアだけどさ」
ということはあの肉体は突き詰められて作り上げられたものだ。
そりゃあパツパツのシャツ着て強調したくもなるってもんだ。手塩にかけて育てた自慢の筋肉だもの。
謎に美山さんの解像度が上がってしまった。
「そういえば例のもの持って来てくれました?」
私の言葉に口いっぱいにパスタを頬張った吉鷹晶が、もぐもぐしながら両手を叩く。足元をごそごそして今日持ってくるように頼んでおいた物を取り出す。
液晶タブレットと専用のペンだ。
実は今度のイベントにも新刊を出すので、そろそろ原稿作業に着手したかったのだ。吉鷹晶に頼んで、家に置いていた相棒達を持って来てもらった。
「今時は漫画もデジタルなんだなぁ」
パスタを飲み込んだ吉鷹晶が呟いた。
「昔はもちろんアナログで描いてましたけど、社会人でアナログは死にます。まず部屋が死にます」
アナログも良いところはたくさんあるが、やはり手間と場所がネックになる。
デジタルならキーの操作一つで戻れるものも、アナログになると相当な手間がかかることも多い。
それに道具を出して片付けるのも場所がいるし、ちょっとのことだが時間がかかる。そうなると作業が終わるまで道具から何から出しっ放しにするようになり、部屋が荒れる荒れる。
部屋がとっ散らかりすぎて学生時代に母親の雷が落ちたのも一度や二度の話ではない。
もしアナログ原稿を今やろうとすれば、確実に社会人としての人権は死ぬ。それに、デジタルなら隠れて作業できることも大きなメリットだろう。アナログならすぐ片付けるわけにはいかないし、何をしているのかすぐバレる。
デジタルなら、画面が見えなければ「仕事」で通せなくもない。
アナログなら吉鷹晶の身で実家で原稿をすることは到底叶わなかっただろう。良い時代になったものである。
なので、私は吉鷹晶の家で原稿に勤しむという危険すぎるミッションに挑戦する。
一ヶ月で元に戻るんだしそれまで待てば? と思われる方も多いでしょう。
しかし、鉄と一緒で萌えは熱いうちに打つことが最も大事だ。
イベント終わりの今が最も意欲が高まっていると言っても過言ではない。一ヶ月後まで熱量が残っている保証はないし、一ヶ月後にまた熱が再燃する保証もないので、熱があるうちにやりたいのだ。
しかも今回は環ちゃんのブーストもある。今年一番やる気に満ち溢れていると言っても過言ではない。
「また新刊? できたら読ませてくれよ!」
吉鷹晶がニコニコと元気よく言う。
いや、誰が喜んで一般人に同人誌見せるんだ、と思ったが、希望に満ち溢れている吉鷹晶を目の前にしてすげなく断れるはずがない。
「気が向いたら……」という限りなく後ろ向きな言葉にも、吉鷹晶は「おう!」と超絶前向きに捉えていた。
おそらく私の真意は伝わっていないだろうな、と思った。
「吉鷹殿~! お体大丈夫ですか~!?」
集まったついでに源次郎たぬきに進捗を聞きに行こうという話になり、足を伸ばして源次郎神社に向かった。
鳥居をくぐると、本殿前の階段で気持ち良さそうに寝ていた源次郎たぬきが飛び起きて、ててて、とこちらに駆けてくる。
「おー、心配してくれてありがとうな。今はもうすっかり良くなったよ」
「それはようございました!」
「おやつ持ってきたよ。みんなで食べよ」
「結子殿~!」
源次郎たぬきが私の足元をくるくると回る。
今日は源次郎神社の最寄り駅であったたい焼きを買ってきた。まだほんのりとあたたかい。
味はあんことカスタードを二匹ずつ買っている。吉鷹晶があんこで私がカスタードだったので、源次郎たぬきが好きな方を選べるように二匹ずつ買った。余った方はどちらかが持って帰るかと話していたのだが、
「わぁ~! 源次郎に二匹も下さるんですか~!?」
とか源次郎たぬきが言い出した。私も吉鷹晶も特にたい焼きに執着心もないので源次郎たぬきに譲ることにした。
そんなに食べて太らないのだろうかと心配になるが、美味しそうに食べているのでまぁいいか。
たい焼きということで飲み物は全員分あたたかいお茶にした。
「なんか駅の方人すごかったけど、今日って何かあるの」
駅は老若男女様々な人でごった返していた。
同人関係のイベントであれば年齢層は若めになりがちなので、イベントの可能性は低い。
私が問いかけると、それまで嬉しそうにたい焼きを頬張っていた源次郎たぬきがピタリと動きを止めて悔しそうに顔を歪める。
「今日は
「ああ、なるほど」
悔しさをにじませた声を振り絞りながら、源次郎たぬきが言った。
一方的にライバル視している神社のお祭りとなれば、悔しさもひとしおだろう。
お祭りということであちらは数多くの参拝者が来ているのに、こちらは私と吉鷹晶の二人だけだ。
「何? なんで源次郎こんな顔してんの?」
事情を知らない吉鷹晶はたい焼きを頬張りながらきょとんとした表情を浮かべている。
先日聞いたことをかいつまんで吉鷹晶に説明する。
「まぁ、羨む気持ちも分かるけどさ」
「羨んでなどおりません! 悔しいのです!」
それって一緒じゃない? という指摘をするとさらにヒートアップしそうなので一生懸命黙る。
「源次郎は源次郎らしくするのが一番だろう。あんなに参拝者がいたら、こうやってゆっくりたい焼きも一緒に食べられないしさ。俺はお前とたい焼きが食べれて楽しいし嬉しいよ」
「吉鷹殿……!」
吉鷹晶がたい焼き片手にニッコリと爽やかに笑う。ビジュアルは私だけど、五月の爽やかな風が吹き抜けていそうに見えた。
たい焼き一つでそんな壮大なことを言えるなんてすごいな。源次郎たぬき相手でも無意識で言っているようなので、おそらくたぬき以外にもこの調子なのだろう。
生まれながらにしての人たらし、おそるべし。
「ん?」
視線を感じて生垣の方に目を向けると、ガサッと音がして生垣が揺れた。
「どうしたんですか?」
「いや、なんか気配がして……犬か猫かな」
「もしかしらたぬきかもしれないぞ」
ニヤつきながら吉鷹晶がつっこむ。
確かにはじめて出会った時は源次郎たぬきがあそこの生垣に隠れていたのを吉鷹晶がとっ捕まえていた。
「んもう、吉鷹殿ったらそれは言わないでくださいよう!」
源次郎たぬきがふわふわもふもふの自分のしっぽで顔を覆って照れていた。
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